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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第4章 外界への旅立ちと人造魔石の謎

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第57話 初めて見る空

 地上へ続く道は、ナノが想像していたよりも長かった。


 坂道は緩やかだったが、終わりが見えない。岩壁に沿って曲がり、何度も細い橋を渡り、崩れかけた階段を上る。上へ進むほど、空気の匂いが変わっていった。


 最初は、いつもの地底の匂いだった。


 湿った石。


 煤。


 鉄粉。


 古い木の支柱。


 それが少しずつ薄くなり、代わりに知らない匂いが混じり始める。


 冷たい水。


 濡れた土。


 青い葉。


 何か甘い花。


 ナノは何度も鼻から息を吸った。


「変な顔してるぞ」


 前を歩くロガが振り返る。


「空気に匂いが多い」


「地上はそういうもんだ」


「ロガは来たことあるの?」


「子どもの頃に1回だけ。外縁集落までだけどな」


「どうだった?」


 ロガは少し考えた。


「広すぎて落ち着かなかった」


「広い……」


 地底の通路には、必ず壁がある。


 右にも左にも、頭上にも。


 暗くても、狭くても、どこまで続くかは岩が教えてくれる。


 広い場所とは、どんな感覚なのだろう。


 ナノにはまだ想像できなかった。


 グレンが先頭で足を止める。


「風が来る」


 ナノも立ち止まった。


 確かに、前方から空気が流れてくる。


 坑道の空気とは違う。


 冷たく、乾いていて、それなのに湿り気もある。髪を揺らし、頬を撫で、服の隙間へ入り込んでくる。


「これが風……」


「坑道にも風はあるだろ」


 ロガが言う。


「でも、こんなに匂いが変わる風は知らない」


 ナノは目を閉じた。


 風の中に、草の匂いがある。


 雨の匂い。


 遠くで燃える薪の煙。


 鳥か何かの羽ばたき。


 地底では聞こえなかった音が、空気の中にいくつも混じっていた。


 やがて、前方に白い光が見えた。


 灯石ではない。


 炉の火でもない。


 白く、眩しく、輪郭が掴めない光。


 ナノは思わず目を細めた。


「まぶしい……」


「すぐ見るな」


 グレンが言う。


「長く地底にいた目には強すぎる。少しずつ慣らせ」


 ナノは手で光を遮りながら、一歩ずつ進んだ。


 白い光は次第に広がり、坑道の出口全体を埋める。


 そして、最後の岩壁を抜けた。


 足が止まった。


 声が出なかった。


 空があった。


 どこまで続いているのか分からない。


 頭上を覆う岩がない。


 青白い雲が流れ、その隙間から淡い朝の光が降り注いでいる。遠くには黒い山脈が連なり、その斜面には針葉樹の森が広がっていた。


 地面は湿った土と草に覆われている。


 小さな水滴が草葉の上で輝き、風が吹くたびに一斉に揺れる。


 鳥が鳴いた。


 甲高く、短い声。


 その音は岩壁へ反響せず、そのまま遠くへ消えていった。


「……怖い」


 ナノの口から、思わず言葉が漏れた。


 ロガが横を見る。


「綺麗じゃなくて、怖いのか?」


「綺麗だよ。すごく。でも……どこにも壁がない」


 視線を上げると、体が空へ吸い込まれそうになる。


 足元がなくなるような感覚。


 地底では、暗闇に囲まれていても、岩が自分を支えていると分かった。


 空は何も支えてくれない。


 ただ、果てなく広がっている。


 ナノは胸元の護符を握った。


「落ちそうだ」


 ロガが吹き出した。


「空に落ちるやつはいねぇよ」


「笑うなよ。本当に変な感じなんだ」


「俺も最初はそうだった」


「ロガも?」


「ああ。上を向いたら頭が後ろへ落ちると思った」


「同じじゃん」


「俺はすぐ慣れた」


「今、少し足開いて踏ん張ってるけど」


「風が強いだけだ!」


 ロガは顔を赤くした。


 ナノは笑った。


 胸の緊張が少しほどけた。


 グレンはそんな2人を見て、口元をわずかに動かした。


「遊びに来たわけではない。進むぞ」


「グレンさんは初めて地上に出た時、怖くなかったんですか」


 ナノが聞く。


「覚えていない」


 即答だった。


 ロガが小声で言う。


「絶対、怖かったんだろうな」


「聞こえているぞ」


「すみません」


     *


 地上の道は、山の斜面を縫うように続いていた。


 坑道から出た直後は草地だったが、少し進むと背の高い木々が増え始める。幹は黒く湿り、枝には細い針のような葉が密集していた。


 風が吹くと、葉の擦れる音がする。


 ざあ。


 ざあ。


 坑道崩落の前兆に似た音。


 ナノは何度も肩を震わせた。


「落石じゃねぇよ」


 ロガが言う。


「分かってる。でも、体が勝手に」


「外は音が多いからな」


 足元でも音がする。


 土を踏む柔らかな感触。


 枝が折れる音。


 小さな虫の羽音。


 遠くで流れる水。


 あまりにも情報が多い。


 石眼を使っていないのに、頭が少し疲れた。


「地上って、静かに見えるのにうるさいんだね」


「坑道の方がうるさいだろ」


「坑道の音は意味が分かる。槌なら鍛冶。高い鳴りならひび。擦る音なら魔物。でも、ここは何の音か分からないものが多い」


 グレンが前を向いたまま言う。


「だから覚えろ」


「全部ですか」


「必要なものからだ」


 突然、藪の中で枝が鳴った。


 がさっ。


 ナノとロガが同時に武器へ手を伸ばす。


 グレンは動かなかった。


 藪から出てきたのは、小さな茶色い動物だった。


 長い耳。


 丸い目。


 柔らかそうな毛。


 動物は一瞬こちらを見たあと、草の中へ跳ねて消えた。


 ナノは槌を構えたまま固まっていた。


「今のは?」


「野兎だ」


「魔物じゃない?」


「違う」


「魔石は?」


「ない」


「普通の動物……」


 ナノは野兎が消えた草むらを見た。


 地底では、動く小さなものの多くが魔物だった。


 襲うか、逃げるか、素材になるか。


 けれど、今の野兎はただ生きていた。


 魔石もない。


 役に立つかどうかも分からない。


 ただ草の中を走り、森のどこかへ消えた。


「変な感じだ」


「何が」


 ロガが聞く。


「何も取らなくていい生き物がいること」


 グレンがわずかに振り返った。


「地上には、石を持たない命の方が多い」


「石を持たない……」


「それを忘れるな」


 ナノは胸元の護符へ触れた。


 自分の世界は、石と魔石でできていた。


 神託も、種族も、強さも、魔物も。


 けれど、地上には石を持たない命がいる。


 その事実は、空の広さと同じくらい不思議だった。


     *


 昼前、3人は高い崖沿いの道へ出た。


 眼下には深い谷が広がっている。


 白い川が森の間を縫い、遠くには煙を上げる小さな集落が見えた。


 グレンが指を向ける。


「あれが外縁集落、バルムだ」


「今日の目的地?」


「ああ。あそこで一晩休む」


 ナノは集落を見つめた。


 坑道街のように岩の中へ作られてはいない。


 木造の家が斜面に並び、屋根から細い煙が上がっている。周囲には畑らしき場所があり、小さな人影が動いていた。


 その時、風に乗って鐘の音が聞こえた。


 からん。


 からん。


 坑道の警鐘とは違う、柔らかな音。


 ナノは目を細める。


「外の世界にも鐘があるんだ」


「そりゃあるだろ」


「同じ音じゃない」


 風の中に溶ける鐘の音は、危険を知らせているようには聞こえなかった。


 誰かの帰りを知らせる音。


 昼を知らせる音。


 暮らしの中へ混じる音。


 ナノは初めて見た空の下で、ゆっくり息を吸った。


 怖い。


 広い。


 分からないことばかりだ。


 それでも、胸のどこかが少しだけ高鳴っていた。


 自分の知らない世界が、目の前に広がっている。


 その世界のどこかに、人造魔石の答えもある。


「行こう」


 ナノは小さく言った。


 ロガが隣で頷く。


「ああ」


 3人は外縁集落へ向かい、山道を下り始めた。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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