第八幕 駄弁論部
ホワイトボードには「本日の議題 優先席は空いていても座るべきか。」と書かれている。
開始から五分。
議論はすでに優先席を離れ、海の定義へと移行していた。
「なぜ貴様はそう考える!
そんな人生は大海に一滴の劇薬を注ぎ続けることと変わらないではないか!
1000滴の劇薬が滴った海は真に海足りると思っているのか!」
「お前はいささか誇張表現が過ぎる。
1000滴の劇薬が滴った海?
そんなもの海であることに変わりないだろう。
海というのは広さから来るものであってその本質は成分ではない。」
「違う!
私は海は海であるか否かという二元論について語りたいのではない。
この問を深める為の視点を与えているのだ!
私を言いくるめようと論点をズラすな!」
「ならば私も答えよう。
海であると。
お前こそ勘違いをしている。
海とは純水ではないのだ。
天使の姿を見たことがあるか?
神の姿を見たことがあるか?
あれは全て美と呼ぶべきものではない。
海という概念が先にあったのではない。
我々は海を見て、後から「海」という概念を与えたのだ。
「意味不明だ!
天使だ?神だ?美だと?
貴様は海の話をしていたのではないのか!
比喩に比喩を重ねれば深い議論になるとでも思っているのか!
私はその態度そのものが気に食わん!」
「よかろう。
なら比喩はやめだ。
そもそもだ、話の開始は優先席を我が物顔で使うことによる心理的面への影響だな?
お前はそれを劇薬と例えた。
しかしだ、我々の心というのは海であると言えるのか?
お前が性善説を信じることは勝手だが、人の心を重く捉えるのは問題なんじゃないか?」
「ならば性悪説だ。
我々の心は優先席を優先するというルールによって善たらしめられているはずだ!」
「一つ言おう、誰もいない島で雷が落ちた時、それは雷が落ちたと言えるだろうか。
観測されていない事実は事実足るのか。
人の心が汚れるというのも同じだ。
果たしてそれは観測ができるのか」
常に語気が荒い男は名を坂口。
冷静さが伺えるもう一人の男は岩倉という名であると先輩から教わった。
彼らは駄弁論部のエース、もとい“問題児二人”らしく優先席から始まった議論を絶え間なく続けている。
その間に他の一年生は退出し、二年生は皆でゲームを始め、三年生は課題レポートの執筆に力を注いでいた。
私とウナギのみが未だ観客であったのだ。
「なぁ、ウナギ。
お前の友達は?」
「さっき帰った一年の中にいた。
まぁ、しばらくしたら戻るとは連絡が来ている」
「気持ちはわからなくもない。
この先輩二人は私以上に厄介だ」
「お前、自分が厄介者の自覚があったか。
驚きだな」
私たちがこっそりと会話をしている間に議論は「人間とは本当に存在するのか」という段階まで進んでいた。
両者は一歩も譲らないままであったが、ここで駄弁論部部長、飯田が課題を終えたことで議論は転換点へと向かった。
「そこまで!
坂口も岩倉もストップだ。
とりあえず、ここは多数決でどちらがより良い意見だったか決めよう。
では、坂口が良かったと思うもの、挙手!」
2人手が上がった。
「次に、岩倉が良かったと思うもの、挙手!」
3人手が上がった。
私とウナギは手を挙げ損なった。
「えー、無回答5名、坂口2票、岩倉3票。
無回答多数により、定数不均衡問題が発生している為、勝者なし!」
「またかよ」
「まぁ良かった」
「次があるよ」
部員は口々に声をあげるが、どれも芯が抜けたような声だった。
「では、次回の議題は『京都は首都なのか』ということで、各々考えをまとめてくるように」
「次回?
部長、体験の私達は何もしてないですよ」
「あぁ、それはまぁ……
ちょっと一回待ってくれ」
「くそ、早速考えをまとめなければ!」
坂口が声を上げた。
「おい岩倉!カフェタイムだ!
共に考えをまとめようではないか!」
「無論だ。賛成1票!」
そうして坂口、岩倉2名は荷物をまとめどこかへ去っていった。
「さて、二人も帰ったことだし……
駄弁論部、活動再開!」
部員たちはそれぞれがカバンから駄菓子を取り出し、紙コップにジュースを注ぎ始めた。
「いやぁ、二人ともごめんね。
あいつらがいる間は私たちは静観を貫くしかないんだ。
何せあいつらとは議論にならない。」
「まぁ、まずは我々駄弁論部について教えようか」
そう言いながら飯田部長は我々にジュースを差し出した。
「駄弁論部というのはね駄弁と弁論の合わさった活動をしている。
なぜ駄弁なのか人関しては我々の扱う議題にある。
普通の弁論部ならば地球温暖化などの社会問題を扱うが、私たちは違う。
朝ごはんはパンかご飯かのような駄弁に過ぎない議題から弁論をする。
それゆえに駄弁論部を名乗るわけだ。」
「何が良さなんですか?」
ウナギが口を開いた。
「そう、“駄弁論部は何が良さか”なんて内容を議論するんだ」
駄弁というより詭弁ではないか?
そう私は思ったが、坂口、岩倉コンビの議論には私も感服する部分があった為、黙っておいた。
「結局、どういった活動の流れなんですか?」
「まぁそうだね、一度ちゃんと説明しよう。
議題は部長の私が決めたり、誰かが持ち寄る。
そして各々好きな立場で論じる。
その時、グループでも個人でも良い。
さっきの坂口、岩倉二人はいつも個人でやっている。
一方で私達はグループになって雑談混じりに議論する。
そんな感じだよ。」
「じゃあただ集まって雑談をしているだけでは?」
ウナギが切り込んだ。
「あぁ……まぁ、ね。
いや真面目に議論が進むことだってあるんだ。
なんならそっちがメインだ。
しかしね、あの二人のせいでコチラも疲れるわけだよ。
最初の頃は酷かったんだ。
賛成、反対で分かれて始まったものが坂口、岩倉の個人戦にしかならなかった。
あいつらおかしいんだよ」
飯田部長はそう言いながら苦笑いを浮かべた。
私はジュースを一口飲んだ。
おかしいのはお前たち全員ではないか。
そう思ったが、黙っておいた。




