第四幕 ウナギと青空
第四幕 ウナギと青空
今日はあの日と同じ夜である。
私が天文部へと期待を抱いたあの日と同じ、バイト帰りの夜である。
私は工学部の友人を飲みに誘いにいくところであった。
あれから私は天文部に加わり、果てしない星々を見た。
そして友人を得た。
そんなことを彼と話したかったのだ。
まずは彼の話でもしよう。
彼は高校時代の友人であるが、はっきり言えば、あまり仲が良いわけではない。
奴は性格が悪いのだ。
まだ高校2年の頃、私が「君と同大学の法学部を受験する」と言えば、彼は「法学部?なぜ?それが何かに活きるのか?」と言う。
そこに私が「では、お前はどうだ」と言えば、「私は建築学科だぞ?反論がしたいのか議論がしたいのか明瞭にしたまえ」と返す。
ウナギのような奴である。
のらりくらりと議論の場をもて遊ぶ。
そんな姿から奴は「ウナギ」というあだ名で呼ばれていた。
注意してもらいたいのはカタカナであることだ。
これは私のクラスの名付け王が考えついたものであり、彼曰く「ウナギがカタカナであることで機械的気色悪さが目立つ」とのことだ。
大学には彼しか同郷の友もおらず、高校時代の付き合いも踏まえ、半ば腐れ縁の如きものであった。
入学当初の私と比べ、天文部という居場所と友人を手に入れた今、私は彼に気高く言おう。
「私はキャンパスライフを得た!」と。
私は軽やかな足取りで工学部棟を訪れた。
夜遅くにも関わらず、未だ煌々と明かりがついている。
理系、ひいては工学部の恐ろしさを思わせるものだ。
しばらく歩いている内に、共用スペースでパソコンを開き、何か打ち込んでいる彼を見つけた。
「ウナギ〜、レポートかい?」
私が声をかけても、彼はこちらを振り向かず、そのままの姿で言った。
「飲み会の誘いか?」
「あぁ、そうだとも」
「まだ酒も飲めない年齢で飲み会だなんてな。
高校の頃は飲み会なんて口にもしなかったものをねぇ」
彼は面倒くさそうに振り返った。
口ではそう言いながらも彼は荷物をまとめ始めた。
こういう男なのだ。
しかし、この一面は好きである。
「どこに行くんだ」
「そりゃあ、お馴染みのイタリアンだよ」
「あそこか」
サイゼリヤの狭いテーブルを挟んで、何か注文するより先に私は切り出した。
「私は天文部に入ったのだよ」
「天文部?これまた物好きだな」
そう言いながら、ウナギは何かを注文している。
少し腹が立ったが、私は理解している。
ウナギはどうせ薔薇色のキャンパスライフなど手にしていない。
ここは畳み掛けるのみである。
「お前は最近どうなんだ、工学部棟に籠ってばかりで何かしているのか?」
「“何か”はしているとも。
俺はレポートに追われているわけじゃない。
レポートを追っているというのが正しい」
「馬鹿な話はよせ。
結局、勉強ばかりで有意義でないというのだろう?」
「誰がそんなことを言った。
私もサークルは入っているぞ。
旅行サークルだ」
「旅行サークル?」
「あぁ、週末はこれで忙しい
毎日毎日忙しいさ」
その時、私の脳内には日本庭園が思い浮かんだ。
あれは高校時代修学旅行であった。
どこだか知らぬ謎の寺で私は初めて日本庭園を見たのだ。
しかし、それは美しいというよりは寂しさを思わせるようで、侘び寂びという言葉が酷く憎らしかった。
その虚しさが今思い起こされたのだ。
「お前、私以外に友人ができたのか」
口をついて出たその言葉は、我ながら酷く子供っぽく、店内の喧騒の中で妙に浮いて聞こえた。言わなければよかった、と激しい後悔が込み上げた。
「失礼しまーす。
ミラノ風ドリアと辛味チキンです」
タイミングが良いのか悪いのか、店員が威勢よくテーブルに皿を並べた。
私は恥ずかしさを紛らわせるかの如く、彼の辛味チキンに手を伸ばした。
「全部俺のだぞ?
自分で頼めよ」
「お前、私の扱いが雑ではないか」
「そりゃあそうだ。
どうせ人を見下そうとしてたんだろ」
こいつ、やはりウナギであった。
大学生であろうがこいつは変わらないのだ。
私は今実感した。
「なぜ、そう思う」
「これでも付き合いは長いだろう。
俺はお前との会話に於いて、盤面の覇者なのさ」
そう言いながら、ウナギはドリンクバーを取りに立ち上がった。
席に戻ってきたウナギは優雅にカルピスを飲み干す。
私はその手元を睨みつける。
こいつが私より先に男女の入り乱れる華やかなサークルに順応しているという事実が、どうしても理解できなかった。
私が天文部の筋肉ダルマたちと暗闇でジャンクフードを啜っている間に、奴はサークルの人間と小綺麗な観光地へ行き、スタンプ混じりのLINEを交わしていたというのか。
「私とお前で何が違うんだ」
心の声であるはずのものがつい、口に出てしまった。
ウナギはコップを置いて、一息ついた後言った。
「お前は根本的に違うんだよ。
最近空を見たか?」
「空?見たから何になる」
「世の中というのはな、当たり前を享受することができる奴が幸せを掴むのだ。」
「宗教か?哲学か?」
「それが良くないんだよ。
どうだ、明日一緒に河川敷で空を見ようじゃないか」
初夏の空気、青空であった。
新緑というのは既に消え入り、青々とした緑が河川敷を覆っていた。
私がマップに記された集合場所に向かうと、そこには既にレジャーシートが置かれ、ウナギが座っていた。
「どうだ?」
「準備がいいな」
「さぁさぁ、早く横になれ」
ウナギは地面をポンポンと叩きながら言った。
私は仕方なくウナギの横に座り、寝転がった。
「うわっ、眩しい!」
「あぁ、そりゃそうか。
ほら、サングラス貸してやるよ」
私はサングラスを受け取り、再度横になった。
「サングラス越しに見る青空というのも悪くないな」
「そうだろう?
どうだ何か感じるか」
「そうだな……
透明感を謳う絵画も、写実的と言われる絵画も空には敵わないな。
私はそう思うよ」
「お前な……」
ウナギは何か言おうとしたが、そのまま空を見つめていた。
吹き付ける風はまだ夏のものほど生ぬるくない。
涼しさを持って私たちの身体へと吹き付ける。
草花は揺れ、自転車やランニングをする人々の音が聞こえる。
「なぁ、旅行サークルに入らないか?」
ウナギが口を開いた。
「おいおい、私は天文部に入っているんだぞ」
「それは部活じゃないだろう。
サークルは複数参加が可能だ」
「……お前、変だぞ。
いつも私を嘲笑っている奴が突然なんだ」
「はっきり言おう。
俺は居心地が悪い。
男女仲というのにイマイチ弱いんだ」
私は高校の頃を思い返した。
こいつの性格的に男子生徒と盛んに話す雰囲気もないが、それにしても女子生徒と会話している姿を見ていない。
「お前、そんな弱点があったのか」
私は薄ら笑いを浮かべながら言った。
「いや、弱点ではない。
あくまで育った環境の問題というか……」
「おやおや、お前ともあろう奴が弱い反論だな」
「とにかくだ。
今度の集まりに一度来てくれ。
話はこちらから通しておく」
5月の青空の下。
私はウナギの弱みを得た。
そして旅行サークルへの切符を手にしたのだ。




