第一幕 薔薇色の天文部
大学には様々な人種がいる。
勉学へと邁進し続ける者、堕落を極める者、謎の観光客、謎の長老、エトセトラ。
そんな中、私の行く道と言えば、堕落でも勉学の探究者でもない。
日々大学へと足を運び、さして活動的でもあらず、静的でもない。
言うなれば、大学生である。
大学生という言葉は単に大学へ所属している学生を形容するものではなく、私のように課題や出席といった記号的な責務に追われるのみの暮らしを送る者を指すのが当然ではないだろうか。
夜も更けた頃、バイト帰りに大学を通りかかった。
すると、なにやら複数人の男女が楽しげに騒いでいるではないか。
天体望遠鏡を交代で眺め、「すごーい」などと声をあげている。
ここで数週間前の記憶が蘇る。
毎週木曜日の夜に活動している天文部なる団体があったではないか。
なるほど、これが天文部なるものの実態か。
羨ましいというのは勿論のことであるが、私があの場に加わる姿が想像できない。
私も星を見ることにはいくらか関心がある。
幼き日のキャンプで見た夜空は今でも覚えている。
夜空に浮かぶ星は何者かにより作られた偶像であり、それを私が崇拝するとでもいうのか。
否、断じてあり得ない。
私は己が道を突き進むのみである。
と、理性という議会では語っているが、
本能という議会では別の話が進んでいる。
このサークルならば、私にも薔薇色の学生生活が、愛しい彼女ができるのではないか。
議題は理性と本能の両議員同席の脳内総議会へと持ち越された。
結果、議決を待たずして私の指はスマートフォンを叩いていた。
すぐさまネットで調べ、天文サークルへと加入希望の旨を伝え、その日は祝杯をあげた。
私がいつしか購入した高級ウイスキー。
勿体無さに加え、美味いと思えないという決定的問題により、しばらく眠ったままであったが、ここで使わずにいつ使うか。
格別のドリンクであるコーラにてウイスキーを割り、一口飲む。
やはり、コーラが美味いのだ。
私の暗い大学生活よさらば。
この炭酸の泡のように消えたまえ。
そして、コーラの甘味のような薔薇色の生活へと漕ぎ出そう。
3杯ほど嗜んだ辺りで私は急激な眠気に襲われた。
アルコールによるものか、コーラの糖分か。
久しぶりの心地よい睡眠であった。
数日後、サークルから加入を承認され初めてのサークル活動に加わることになった。
木曜日、夜8時大学内食堂前集合。
私は軽やかにステップを踏みながら、食堂へと向かった。
浮き足立つとはこのことであろう。
私はその時はさながら月にでもいるかのような浮遊感を感じていたのだ。
さて、ここからが現実である。
私が食堂前へと辿り着いた時、そこに居たのはあの夜の爽やかな一団ではなかった。
視界に飛び込んできたのは、一反木綿を思わせるほど過剰な布面積のパーカーに身を包んだ、幽霊のごとき長身の男。
その他に目に入る者と言えば、私と同じようなメガネをかけ、その奥に知性を宿しているのが伺える者。
そして、天文部には到底似つかわしくない筋骨を誇示し、あろうことか天体望遠鏡を軽々と肩に担いだ野獣のごとき男。
そう、視界に入る全ての生物が男であった。
どこをどう見渡しても、薔薇色など存在せず、さながら男子校の外遊びを思わせる。
私は、震える声を絞り出して問いかけた。
「……女性陣は、本日は欠席ですか?」
「何を言っている。当天文部は男子しか所属していないぞ」
嗚呼、宇宙の法則はこれほどまでに残酷なものか。
私の脳内にあった薔薇色の銀河系は、その一言によってブラックホールへと飲み込まれ、あえなく消滅した。
私は天体望遠鏡を覗くまでもなく、ブラックホールの観測に成功したのであった。
こうなれば私も半ば自暴自棄である。
観測後に新歓でも行われれば、そこでたらふく酒を浴び、飯を食らってやる。
そのつもりで、表面を取り繕い天体観測へと参加した。
この天文部をまとめるのは橋本という理学部の先輩であった。
橋本先輩はただ年功序列でトップへと躍り出たのではなく、カリスマ性と技巧を兼ね備えた人物であった。
私が「では、この星が見てみたい」と言えば、無駄のない動きで望遠鏡を動かし、星へとピントを合わせる。
まさか、多様な人種を持つ我が大学はアンドロイドの入学までも許可したのであろうかとさえ思った。
ここで気になるのは、このアンドロイド橋本の応用力である。
私が「誰にも知られぬ星を見たい」などと言えばどう反応するのか。
言い忘れていたが、私の座右の銘は「思い立ったら即行動」である。
では、なぜそんなくだらない大学生活なんだ。
と言うのは御法度だ。
「橋本先輩、私は誰にも知られぬ未知の星を見たいです」
それまでは何か言えば、コンマ一秒後に動く橋本先輩であったが、この要求に対しては数秒間動きを停止した。
「君、私は感動しているよ」
「我が天文部の真の目標は未知の星を発見することなのだよ」
「そもそもね、天文学の起源は暦を作ることから始まったと考えられている。
人類が農耕を行うようになると、農作物の栽培や収穫に最適な時期を知るために1年周期の季節変化を正確に把握する必要が出てきたのだよ。
一方で人類は太陽や星々の観察によって、季節が変化する1年という周期が、」
その様はアンドロイド橋本ではなく、マシンガン橋本であった。
マシンガン橋本はオーバーヒートを起こす様子もなく天文について語り続ける。
これは失策であると断じるのは、もはや愚問である。
逃げ場を失った私の前に、さらなる災厄が立ちはだかった。あの野獣のごとき巨漢である。
「なんたることだ。
我が天文部にこれほど深遠なる志を抱く新人が現れるとは!
私は感激しているよ。
幼少期にアーノルド=ローベルの『お手紙』を読了した時以来の衝撃だよ」
野獣は、感動に打ち震えるその剛腕を、あろうことか私のズボンのポケットへと突っ込んできた。
「君、身分を明かしたまえ。
学生証だ、君のことを知りたいのだ!」
狂気である。
ゴリラもゴジラももう少しは冷静であろう。
警察権力でさえ躊躇するであろう横暴な身体検査により、私の財布は白日の下に晒され、学生証が強奪された。
私の人権よ、さらば。自由よ、さらば。




