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第一話 征重の刀〜伊予桜井

   『流刃秘抄』  日暮奈津子

 

  一 征重の刀〜伊予桜井



──その声を聞けば

  我が身は揺れる──



 「刀を持った女が出ると聞いた」

 人だかりに向かって、錬十郎は声をかけた。

 四、五人ばかりの野良着姿の男女がふり返る。

 人がやっと通れるほどの山道から、村外れらしき田畑の間のあぜ道へと彼は姿を現したところだった。

 「あんた……」一番 年嵩(としかさ)らしき男が、錬十郎に呼びかける。

 構わず、錬十郎はあぜ道を進み、彼らの方へと近づく。

 「あんた、侍かね」

 錬十郎の方を見ながら、さっきの男が聞く。

 その目線を追う。

 己の腰にある刀を見て、錬十郎は答えた。

 「……だったら何だ」

 しかし、その男の他には誰も何も言わない。

 赤子を背負った女が男たちの後ろへと身を隠そうとする。

 警戒している。

──それはそうだろう。

 刀を携えた見慣れぬ男がいきなり自分たちの村に入り込んできたら、野盗か野伏の(たぐい)かと恐れられるのも道理だ。

 人だかりのすぐ(そば)までやってきて、再び問う。

 「刀を持った女を探している。身内の女だ。俺の兄が打った刀を持ち出して姿を消したので、探している。手前の立花村で、この辺りに刀を持った女が出ると聞いたが、本当か」

 村人らの疑念の目線が絡みついてくるのが、錬十郎には(わずら)わしくてならなかった。

 「あんた、源氏かね」

 だが、相変わらず錬十郎に聞いてくるのは年嵩の男ただ一人だけだった。

 「それとも……まさか」

 そのまさかだ、と言ったらどうするのだろう。

 「違う。平家などとうに滅びたろう」

 「強いのかね」

 どこか掛け違えたような問いばかり投げかけてくる男に錬十郎は言い捨てた。

 「何故そんなことを聞く。俺は刀を持った女の話をしているだけだ。俺の探している女かもしれん。どこにいる」

 「それなんだが……」

 「お願いでございます!」

 男の子供の声がして、人垣が割れた。

 村人らの足元をかき分けるようにして姿を現すと、その小さな人影は錬十郎の足元の地べたに両手をついた。

 「この先の伊予国分寺まで、私とご同道頂けないでしょうか……! どうか、どうかお願い申し上げます!」

 小さな体に墨染の衣を身につけ、十歳ばかりに見える小坊主が剃髪された頭を深く下げ、切羽詰まった声を(にじ)ませる。

 「いやいや小僧さんや、さっきも言ったろうが……」年嵩の男はその幼い僧に向かってため息混じりに言いかけたが、辺りを見回すと、他の者に野良仕事に戻るように言った。

 村人らと子守り女がその場を離れると、男は声をひそめ、時折言葉を途切らせながら語り始めた。



 半年ほど前。

 壇ノ浦に平家一門が沈んでまだ間も無い頃、村に手負いの落武者が突然現れた。

 平征重(たいらのまさしげ)と名乗る落武者は、村の娘を一人 (さら)って人質に取り、山中の猟師小屋に立て籠もると食い物と酒を寄越すよう村の者に命じた。

 刀を突きつけて(おど)す征重に、村人は言われるがままに食事や酒、薬を差し出した。

 しばらくはそうして征重の言いなりになっていたが、やがてこの村にも源氏の手勢が落武者狩りにやってきた。

 攫われた娘のおこうは、征重が酒に酔って寝入った隙にその刀を持って逃げ、丸腰の征重はあえなく源氏の追っ手に首を討たれた。

 だが、何故か征重の刀を持ったおこうは村には戻らず、そのまま行方知れずになった。

 そして、それでは終わらなかった。

 国分寺の住職を訪ねていった村長(むらおさ)が村外れの道端で一刀の(もと)に首を落とされた。

 薬草取りの男は山へ向かう途中の道で袈裟懸けに斬り付けられ、辛うじて村へたどり着いたものの、手当ての甲斐なく死んだ。

 おこうにやられた、と言い残して。

 他にも何人もの村人達が襲われて死に、あるいはほうほうの(てい)で村に逃げ帰った何人かは、これが本当にあの大人しく控えめであったおこうの成れの果てかと目を疑う程の恐ろしい有り様であったと声を震わせ語った。

 さては征重の怨念が娘に取り憑いたか、源氏に(くみ)した儂らを恨んでおるのだと、村人らは噂した。

 村から国分寺へ通じる唯一の道へ足を踏み入れた者は一人残らず娘が振るう刃の餌食となり、誰もそこを生きて通ることはできなくなったのだ。



 「だのにこの小僧さんは、何としても国分寺へ行かねばならんと言って聞かんのだ」

 困り果てた風で男が言うと、小僧は土下座のまま錬十郎の顔を見上げたが、再び頭を下げた。

「申し遅れました。私は備前国・瑜伽山(ゆがさん)延台寺(えんだいじ)の僧、浄心と申します。故あって幼き頃より寺に預けられ仏道修行に打ち込んで参りましたが、我が身に(よど)む雑念いかにしても断ち切れず、師より四国八十八ケ所、西国三十三観音を巡りてその妄念を打ち消すまでは帰参まかりならぬと命ぜられました。次の札所は伊予国分寺。ここを通らぬわけには参りません」

 幼さに釣り合わぬその口上は、何か聞かれたらこう答えよと寺を出る時に教えられた通りを何度も口にするうちに、もはや何も考えずとも滑らかに口をついて出てくるようになったかに錬十郎の耳には聞こえた。

 「……悪いことは言わんから、もうお寺へ帰んなさいよ。きっと和尚さんも許してくれるだろ。だいたい、そんな年端もいかない身で遍路参りをしようだなんて、無茶もいいところだ。まして、さっきも言ったが……」

 年嵩の男が言うのにも、浄心と名乗った小坊主は耳を貸さなかった。

 「いいえ。どうかここを通してください。私が向かうべきは伊予国分寺。私の大願成就のため、どうか、どうかお願い申し上げます」

 「だが、この先へ行けば、あんたも間違いなくおこうに殺されてしまうぞ。そんなことになったら、儂らもあんまり夢見が悪いじゃあないか……それとも、あんた死にたいのかね?」

 「……死にたい……?」

 その男の言葉を聞いて、地に頭をつけていた浄心が顔を上げた。

 「そんな……、そんな訳ないじゃないですか……! 私は生きたい……生きたいんです! でも、このままじゃ……。私は、このままの私じゃ生きられないんです! それでも私は……。だから私は、生きるためには、先へ行くしかないから……。だから寺を出て、こうして遍路参りをしているんです……!」

 にらみつけるように、だが(こら)えようにも堪えきれない涙を滲ませた目で男を見上げて訴えるその様は、およそ(とお)やそこらの子供が見せるには、あまりに悲壮だった。

 「いや……、その、あんた……」

 「あ……」

 だがその切迫した言葉に戸惑うばかりの男を見た浄心は、激した己を悔いるかのように、そのまま弱々しく下を向いた。

 「……すみません。これ以上は言えません。でも、お察しください。どうか……」

 両膝の上で小さなこぶしを握りしめ、浄心の言葉が途切れる。

──そうまで言うか。

 うなだれたままの浄心の小さな体を錬十郎は見下ろしていたが、やがて口を開いた。

 「ならば誰の許しも得ずとも行けばいいだろう。俺もそうする。場合によっては女は斬る」

 弾かれたように浄心が顔を上げる。

 「そ、それでは……!」

 「あんた達のためではない」

 だがその浄心と年嵩の男に向かって、錬十郎は言い捨てた。

 「国分寺への道を行こうとした者はみな女に斬られ、村に逃げ帰った者にしたところで、それが本当におこうであったか定かでないと言っているも同然だ。だとしたら、そいつは俺が探している女かも知れんだろう。それを確かめに行くだけだ」

 「構いません。同行をお許し頂けるのならば……」

 土をはらって立ち上がった浄心の言葉を、だが錬十郎は冷淡に切り捨てた。

 「許すも何も言うつもりはない。ただ好きにしろと、それだけのことだ」

 ちらりと浄心に目をやっただけで、そのまま錬十郎は国分寺への道へと歩を進める。

 浄心はそれを見て、一人残った年嵩の男に丁寧に頭を下げると足早に錬十郎の後を追った。



 最初は錬十郎が前を歩いていたが、村人から道を聞いていたという浄心が途中から先導し始めた。

 幼い体にも関わらず山道には慣れた様子で歩みを進めていた浄心だったが、途中でふと錬十郎に問いかけた。

 「先程の話ですが、どうお思いになりますか」

 「……何がだ」

 目線すら合わせることもなく、冷淡に声を発しただけの錬十郎だったが、浄心はなおも言葉を続けた。

 「村の人々を襲ったのは、本当におこうさんなのでしょうか。ごく普通の、大人しい娘だったという話でしたが、同じ村の人を斬り殺すだなんて……。やはりさっきの方のおっしゃる通り、征重の怨念のせいなのでしょうか」

 答えを返さない錬十郎に、浄心は振り返る。

 「あの……もしや、何かお気掛かりなことがおありなのでは……」

 「……刀の所為(せい)かも知れん」

 「えっ?」ぼそりと漏れた錬十郎の呟きを耳にして、浄心が立ち止まる。

 「刀……って……?」

 重ねて浄心が問うてくるのにも錬十郎は口を閉ざしていたが、やがて奥底で噛み潰していた何かに押し出されたかのように、言葉が続いた。

 「俺の兄は刀鍛冶だった」

 だが、やはり錬十郎は浄心と目を合わせようとせず、そのまま浄心を追い抜いてゆく。

 「人が人を斬るのは人間の意志ばかりではなく、刀がそうさせるのだなどと、因縁めいた話はいくつも伝わっている。男は戦場(いくさば)の血に酔い、あるいは刃紋の美しさに魅入られることで刀に使われ、人を斬る。一方で、女は生来、争いごとを(いと)う上に力も弱い。それでも刀は血を欲する。だから代わりに、刀は女の心魂を喰らい尽くして意のままに操ることで刀を振るわせる。そうして思うさま人の血を(すす)るという訳だ。稀に、そういう刀があるのだと」

 「そのような話、初めて聞きました」

 目を丸くして聞いていた浄心が、足早に追いついてくる。

 「錬十郎様は、それをお兄様からお聞きになったのですか?」

 「いや……」

 どこか(うめ)くかのように吐息に紛れた声が途切れ、胸の奥で(うずくま)る苦い(かたまり)の前に、錬十郎はいっとき言葉を失くした。

 だがそれでも、重い扉が一度(ひとたび)わずかにでも開かれれば、内から固く閉ざしていた意思すらも押し退()けて(あふ)れ出すかのように、再びこぼれた錬十郎の低い声は浄心の前へと転げ落ちた。

 「兄の師であった、伯父から聞かされた話だ。子供の頃だ。伯父には娘がいたが、『男であれ、女であれ、刀鍛冶の身内であるならば心せよ』と、俺も兄も一緒に刀にまつわる話を聞かされたものだ」

「それは……」

 まるで、さっき村の者から聞かされたばかりの話をなぞるかのような錬十郎の答えに浄心は思わず声を途切れさせたが、不意にそのまま山道の途中で立ち尽くした。

 ざわざわと二人の(かたわ)らを風が吹き抜け、山中の樹々と茂みを揺らす。

 「どうした」

 (いぶか)しんで尋ねる錬十郎にも答えず、突然、浄心は幼い顔をこわばらせると道を外れて一人で熊笹の薮の中へと分け入って行った。

 そこに何かを見出したかのように。

 錬十郎は、浄心の小さな背に声を投げようとしたが、すぐにそのまま後を追った。

 浄心の行く手は一見、ただの藪のようだったが、僅かに踏み分けられた跡があるのがかろうじてわかった。

 だが、浄心はそのかすかな道筋をたどるというよりも、その先にある何かに引き寄せられてでもいるかのように、身の丈に迫るほどの藪をかき分け迷うことなく進んでゆく。

 やがて林と藪の茂みが途切れ、視界が開けた。

 二人は足を止めた。

 「あっ……!」

 目の前の光景に、浄心が鋭く息を飲む声が錬十郎の耳に届く。

 細い獣道を分け入って二人がたどり着いたのは、無残な焼け跡だった。

 おそらく、もともとは小さな建物だったのだろうが、焼け焦げて折れた柱や燃え落ちた屋根の残骸だけが積み重なっている。

 焼けたのは最近ではないらしく、既に一部が雑草に覆われつつある所も見えた。

 だが、相変わらず浄心は、まるで錬十郎がそこにいるのも忘れてしまったかのように何も言わぬまま、焼け落ちた小屋の跡へと近づいてゆく。

 錬十郎も後に続く。

 浄心は何かの声を聞き漏らさぬようにするかのごとく静かに歩を進めていたが、やがて焼け跡の一角で不意にかがみ込むと、燃え落ちた小屋の残骸を取り除き始めた。

 黒焦げの板壁や柱を次々と、掘り返すようにどかしてゆく。

 太い柱が倒れているのを無理矢理に動かそうとするので、見かねた錬十郎が手を貸した。

 ごとりと重い音を立てて柱が脇へと転がされると、その下から二人の目の前に、『それ』が姿をあらわした。

 「あった……」

 それまでずっと黙っていた浄心の口から吐息混じりの声が漏れた。

 そっと小さな両手を伸ばし、『それ』を壊れもののように抱え上げる。

 黒く焼け爛れた頭蓋骨がひとつ。

 その周りにも、柱や屋根と一緒に焼け焦げた骨の欠片がいくつも散らばっている。

 辛うじて指らしいとわかる骨のさらにその先に、黒漆塗りの鞘が転がっている。

 だが、そこに収められているべき刀は無かった。

 「ああ……」

 重い溜め息のような声を漏らすとともに浄心は(こうべ)を垂れ、目を閉ざす。

 おそらく、僧であるならばまずは合掌し念仏すべきであったのだろうが、浄心の手の中の髑髏(どくろ)の主ですら、それを(とが)めることはなかった。

──平征重。

 猟師小屋の焼け跡から浄心が見つけ出したのは、その頭骨だった。

──だが。

 一心に祈る浄心の傍らで、錬十郎は疑念を抱いていた。

 村人の話では、征重は娘に刀を奪われ、源氏の手勢に討たれたのではなかったか。

 ならば何故ここに鞘だけがあるのか。

 征重が抵抗できぬように娘が武器を奪ったというのならば、刀を扱い慣れぬ女が抜き身のまま持ち去るとは考えにくい。

 それに、追っ手に討ち取られたはずの征重が、なぜ首を討たれることなく焼け落ちた猟師小屋の下敷きになっているのか。

──まるで、小屋もろとも焼き殺されたかのように。

 林の枝葉の間から不意に鋭い山鳥の声が響いた。

 その声に、びくりと浄心が目を開く。

 同時に辺りが急激に暗くなる。

 気付いた錬十郎が素早く辺りを見回す。

──まだ日暮れには早いはずだ。

 だが、暗くなってきているのは、かがみ込んだままの浄心と征重の髑髏の周りだけのように見える。

──いや、違う。

 周囲の光を奪っているのは、浄心だった。

 まるで日没間近の日差しが長い影を作るように。

 髑髏を抱えたまま膝まづく小さな浄心の影が、別の生き物のように伸びてゆく。

 「ああ……!」

 己の影の異変に、浄心も気付く。

 だが、そこから目が離せない。

 錬十郎も息を呑んで見つめるうちに、ゆるゆると伸びた影帽子はやがて二つに分かれた。

 影は、まるで絵姿のように二人の人型となって立ち現れる。

 若く精悍な顔立ちの戦装束の武将と。

 その隣には、身なりは貧しいが、澄んだ瞳の若い村娘が。

 互いに寄り添い、見つめ合う。

 ふっと、錬十郎と浄心の目の前で、その周囲にあったはずの小屋の焼け跡の景色が消え、代わりに二人はおこうと征重の記憶の中へとすべり落ちていった。



  * * *



 傷を負った征重を熊笹の藪の中で見つけたのは、山菜採りに出ていたおこうだった。

 捨て子だったおこうを哀れんで世話してくれた老婆が死んでからはずっと身寄りもなく、おこうは村の者にも黙って猟師小屋に征重を匿った。

 傷の悪化から征重は高熱を発したが、おこうの看病の甲斐あってやがて意識を取り戻す。

 征重はおこうに、自分が平家の落武者として追われる身であると名乗ったが、おこうにはその意味することが分からなかった。

 分かりたいとも思わなかった。

 征重は、おこうの無償の献身に己の境遇を忘れた。

 二人は互いに(おの)ずから湧き上がる情感にすべてを委ねた。

 そうして、しばらくは二人の間に穏やかな日々が流れていったが。

 やがて、おこうの様子を不審に思った村人らが、征重の存在に気付いて村長(むらおさ)に知らせた。

 丁度、立花村との境界争いがこじれていたのを有利に運ぼうと、村人らは征重を見逃す代わりに、村境を超えて木々を切ろうとする立花村の者を脅して追い払う役目を負わせた。

 だが、かえってそれが「桜井村との境に落武者がいる」と立花村の者から訴えが出て、源氏の追っ手がやってくるらしいという噂が聞こえてきた。

 村ぐるみで落人を匿っていると知れれば、自分たちはどうなるか──。

 夜、密かに村長の家に何人かが集まって談合に及んだ。

 村長は、薬草取りに作らせた(しび)れ薬を酒に混ぜ、何も知らぬおこうに持たせた。

 そして数人の男が深夜、猟師小屋に火をかけた。

 おこうが気づいた時には既に小屋には火が回り、薬で体の自由が利かぬ征重を連れて逃げることは叶わなかった。

 「そなただけでも逃げよ」

 残り少ない力を振り絞り、征重がおこうの体を突き放す。

 激しい音と共に、おこうの目の前で猟師小屋の梁が崩れ落ちた。

 「征重様!」

 無数の火の粉が舞い上がり、征重の姿が見えなくなる。

 燃え盛る炎の前で、おこうは呆然とその場にへたり込む。

 その目の前に、黒漆塗りの鞘に納められた刀が蛇のように横たわっていた。

──征重の刀。

 か細いおこうの手が、その艶やかさに魅かれるように(つか)に伸びてゆく。

 まるで刀が自ら鯉口を切ったかのように、何の抵抗もなく抜き放たれた。

 ますます勢いよく燃え上がる炎が、刃紋に浮かび上がる──。

 それが、おこうの意識が最期に見た光景だった。



   * * *



 錬十郎の目の前に、再び猟師小屋の焼け跡の景色が戻った。

 まざまざと立ち現れたおこうと征重の記憶の光景は消え去り、代わりに浄心が先程と同じく(ひざまず)いている。

 「……ご覧に、なりましたか……?」浄心は征重の髑髏をそっと地に置くと、やがて震える声で錬十郎に問うた。

 錬十郎を見つめる浄心の目も、怯えきって不安定に揺れている。

 「ああ」

──そういうことだったか。

 「もしや、今のが……」

 「……はい」

 浄心はようやく立ち上がり、錬十郎に答えた。

 「今、私を通してご覧になったのが、ここで、あの二人の身に本当に起きた出来事なんです」

 だが浄心は、今にも誰かの心ない手が己を殴り飛ばすのではないかと恐れているかのように、身を震わせて立ち尽くしていた。

 いつしか山中の日は傾き、その幼い顔に昏い影が落ちる。

 「お前は一体……」

 錬十郎が問いかけようとして、気づく。

 振り向きざま抜き合わせる。

 甲高く、刃のぶつかり合う音が夕暮れ近い山林に響き渡った。

──来たか。

 相手の顔を、錬十郎は見る。

──おこう。

 先刻、浄心と見た光景に現れたのと同じ女が、征重の刀を手にして錬十郎に斬りかかってきていた。

 だがその顔からは先程の記憶の光景で見たような、貧しく不遇な日々の中でも尽きることのなかった思慕を込めた眼差しは消え果て、屍人のように凍てついていた。

 もはや怨みも哀しみも、なにもない。

 黒く凍りついた瞳だけが妖しい光を放つ。

 受け太刀になった錬十郎を、両手で構えた刀で満身の力を込めて押し返そうとする。

 若く小柄な村娘の姿からは到底推し量れないほどの重さの一太刀だった。

 「やめてください!」

 女に向かって浄心が叫ぶ。

 「もうやめてください! これ以上、人を(あや)めるのは……」

 「無駄だ」浄心の声を、錬十郎が(さえぎ)った。

 「こいつはもう刀に喰らい尽くされている。言葉など通じん」

 そう言い捨てるや、刀を持つ両手に強く力を込めてから突き放す。

 「そんな……まだ、そうと決まったわけでは」

 「五月蝿(うるさ)い、黙れよ」

──お前に何がわかるというのか。

 何も知らないくせに。

 鍔迫り合いを避けて距離を取ろうとする錬十郎に、おこうは無造作に間合いを詰めてくる。

 大振りの太刀筋が、女が(つか)うとは思えぬほど荒々しく錬十郎に迫る。

 村娘の細い手から幾度となく繰り出される素早い切っ先を(しのぎ)で受け、斬り返す。

 「おこうさん……! 錬十郎様!」

 「黙れと言ってるだろうが!」

 悲鳴のような浄心の叫びに、再び錬十郎が吠える。

──お前に何がわかる。

 こいつはもはや、怨みに取り憑かれた哀れな村娘などではない。

 あの時と同じ、血に飢えた刀の妄執そのものだ。

──隙を見せれば、俺が斬られる。

 なのに何故か心が波立つ。

 鋭く重い太刀筋を、何度も刀が受ける。

 おこうの黒く凍った瞳に全身がぞくりと粟立つ。

 その目はもう何も写してはいない。

 あの時と同じ──。

 心を喰われたおこうの顔に、もう一人の女の顔が重なった。


 今、俺の目の前にいるのは誰だ。

 俺を斬ろうとしているこの女は。

 俺が斬ろうとしているのは──。


 我知らず、錬十郎の刀を持つ手が下がる。

 おこうの振りかざした刃の前に、無防備にその身を晒す。

 胸元と喉ががら空きになる。

 「あの時」のように。


 錬十郎様。


 懐かしい声が木霊のように、錬十郎の耳に響いた気がした──。


 「違う! その(ひと)千尋(ちひろ)さんじゃない!」


 浄心の叫びに、錬十郎は我に返る。

 期せずして下段になっていた刀を無意識に振り上げる。

 そこに大上段から来る相手の太刀があった。

 刃筋を受け止めて捌き、流れるような袈裟掛けで錬十郎はおこうの上体を断ち斬った。

 音もなく、女の体がその場に崩れ落ちる。

 小柄な身体がみるみるうちに朽ち果ててゆく。

 ぞっとするような冷たい山風がその場を吹き過ぎた。

 錬十郎の足元に倒れていたのは、女の全身の骨だった。

 冴えざえと白く細い手の骨が、それでも征重の刀を握っていたが、やがて鋭い音を立てて、その刃が粉々に砕け散った。

 細い(おとがい)の、白く真新しい髑髏(されこうべ)が。

 本当はとうの昔に自分もこうなっていたかのように。

 もっと早く自分もこうなりたかったのだというかのように。

 征重の焦げた骨の傍らに静かに転がっていた。

 深く、長い息を吐き、錬十郎は呼吸を整える。

 浄心に背を向けたまま、ことさらゆっくりとした動作で血振いをして、刀を納める。

 その静けさがいっそう、浄心には恐ろしかった。

 のろのろと、錬十郎が振り返る。

 「何故だ……」かすれた声が錬十郎の唇から漏れた。

 そのまま浄心の方へと大股に歩み寄る。

 「う……ああ……」

 がっくりと浄心がその場に両膝をつく。

 必死に嘔吐を(こら)えるかのように、両手で口元を押さえつけている。

 先刻よりもなお酷く、間断なくその身が震える。

 だが、浄心が抑えようとしているものは、吐物などよりも、もっと──。

 だから何も聞かないでくれと。

 けれどもそれを口走ってしまったこと自体が己の失態なのだと、浄心には痛いほど解っていた。

 錬十郎が聞かずにはいられないことも。

 「あああ……!」

 固く両目を閉ざし、さらに今度はその上から両手で顔を覆い隠す。

 そうしてただ震えるばかりの浄心の目の前に、錬十郎が膝をついた。

 「貴様……!」

 怯える浄心の胸倉を乱暴に掴み、噛み付くように問うた。


 「何故、貴様が千尋のことを知っている」


 「わあああっ!」

 必死に顔を覆っていた浄心の両手が外れ、その両目からどろりとした黒い何かが涙のようにあふれ出た。

 同時に、先刻よりももっと深く濃い影が浄心の背後から立ち上がる。

 日没が迫る山中の、夕闇よりもなお昏い記憶の影が浄心と錬十郎をひと息に飲み込んだ。

 「いやだ……! いやだいやだいやだ! 見たくない……見せたくないのに……! もうやめて! これ以上……」泣き叫ぶ浄心の声が辛うじて錬十郎の耳に届いた。

 だが、もう何も見えない。

 二人の意識はそのまま影に押し流され、記憶の暗がりをさかのぼってゆく。

 錬十郎の奥底の、押し隠した昏い記憶の中へと。



  * * *



 千尋が兄・鉄山を婿にとると伯父から聞いて、錬十郎は吉井川の土手へと向かった。

 野草が茂る土手の斜面に寝転んでいると、鉄山が来て、問うた。

 「聞いたのか」

 「ああ」

 錬十郎はただ空を見ていた。

 それから、答えた。

 「よかったな」

 なのに兄が答えないので、さらに言った。

 「千尋が望んでいたことだろう。ならばそれで良いに決まっている。……伯父上とて、次の桜が見れるかもわからんのだし」

 「……俺から話すべきだった」

 「どうして」

 やはり兄は答えず、そのまま錬十郎の隣に自分も寝転んだ。

 火床と玉鋼の匂いが錬十郎の(もと)に届く。

──すまない。

 そう、兄は言ったかもしれない。

 だが、よく覚えていない。

 「お前は……」

 兄が口を開きかけた時だった。

 「鉄山さま。錬十郎さまも」

 土手の上から千尋が二人に声をかけた。

 だがそれを聞くまでもなく、千尋の揺るがぬ眼差しと思いが向けられた相手が鉄山であることは錬十郎には判っていた。

 おそらくそれは変わることなく、ただ一途に。

 兄は起き上がり、千尋を迎える。

 錬十郎も立ち上がったが、二人の方を振り返ることなく、その場を立ち去った。


 音を立てて勢いよく障子が開き、錬十郎の前に女が(おど)り込んできた。

 「な……」咄嗟に転がるように(たい)をかわし、そのまま部屋の隅の刀掛けに手を伸ばす。

 深夜の居間にひとつだけ灯った燭台の炎が揺らいで。

 ごろりと、目の前に鉄山の首が転がった。

 「なん……!」

 錬十郎の血潮が逆流し、沸騰する。

 だが、次の刹那にそれは音を立てて引き、青ざめた頭と心臓を凍らせた。

 「……千尋……?」

 見慣れた千尋の顔は、頬に血糊が散っている。

 婚礼の白無垢は一面に紅葉(もみじば)を散り敷いたかのように(あけ)に染まっている。

 真っ赤に濡れた細い手が、しかと刀を掴む。

 血と脂に(まみ)れた刃紋は紛れもなく鉄山の打った刀だった。

 物も言わず斬りかかってくるのを、己の刀を抜いて受け止める。

──喰われている。

 絶望と理解が同時に訪れた。

 「よせ、千尋」

 言葉は、届かない。

 「やめないか」

 返事の代わりに無情な斬撃が何度も浴びせられるばかりで、錬十郎は己の刀でそれを受けるのすら苦しかった。

 むき出しの自分が刃を受けるかのようで。

 千尋の振るう切先を払いのけ、身をかわすだけでも、己の中で大切な何かが打ち砕かれていくような激しい痛みを覚えた。

 だからこそ、呼ばずにはいられなかった。

 「千尋!」

 代わりに、凍るように黒い声が錬十郎の頭の中に響いた。


 斬ってしまえよ。

 憎い女ではないか。

 そうだ。斬れ。


──違う。……違う。


 この女は決してお前のものにはならない。

 だったら──。


 「黙れ!」

 「錬十郎さま」柔らかい千尋の声が、そう言った。


──千尋。

 

 左袈裟斬りの太刀が、錬十郎の胸骨を断ち割った。

 己の刀が呆気(あっけ)なく折れて飛んでいくのが視野をかすめる。

 「つまらんな」

 錬十郎の胸元から飛沫(しぶ)く血煙の向こうで、暗く凍った瞳に千尋の顔をしたそいつが言った。

 「こうすればお前を喰ってやれると思ったのに」

 その声を聞きながら、錬十郎の意識が闇に沈んだ。



  * * *



 しゃくり上げる泣き声混じりに唱える念仏の声で、錬十郎は目を覚ました。

 いつの間にか夜が明けようとしていた。

 間断ない嗚咽に、念仏が再三途切れる。

 浄心はこちらに背を向けて頭を深く垂れ、がっくりとうなだれた小さな肩を震わせて立ち尽くしている。

 土饅頭が二つ、その向こうに見えた。

──征重と、おこう。

 浄心が一人で葬ったのだろう。

 その小さな体で──。

 錬十郎が身を起こした気配に気付いた浄心が、びくりと振り返る。

 そのまま力なく、その場にくず折れる。

 「……も……もうし……」

 錬十郎に顔を向けることすらもできぬまま、地を掻きむしるように両手を付き、地べたに額を擦り付けた。

 「申し訳ございません……!」

 それで、錬十郎にもわかった。

──見たのか、お前も。

 もはや、そう聞くのも愚かな気がした。

 「……どうすることも、出来ないんです……」地に頭をつけたまま、浄心が涙声で告解する。

 「その場所や、そこにある物、あるいはその人に私が触れると、それらの持つ記憶が私を通して勝手に(よみがえ)ってしまうんです。何度も、何度も……物心つく前からそうでした。でもそれは……そんなの許されることじゃありません。もう忘れたいと思う記憶を、隠したい、もう二度と見たくない、ずっと忘れていたはずだった光景までをも……私がそこにいるだけで暴き立てて……さらしものにして……。私に見えるだけなら、まだいいんです。私が黙っていれば済むんですから。そんなのは簡単です。なのに、あんなふうに……、あんな(ひど)いことを……。すみません。ごめんなさい。いや、いくら謝ったって済むことじゃない。でも……でもいつだって、私は決してそんなつもりなんかじゃないんです…… !」

 地に伏したまま声を限りに泣きじゃくる浄心を、錬十郎はただ何も言わず見ていた。

──我が身に澱む雑念いかんともし難く……。

──断ち切るまでは帰参まかりならぬと……。

 つまりは追い出されたのだ。

 幼くして寺に預けられた子を、寺ですらも扱いかねて、また捨てたのだ。

 だが、むしろ俗世よりも寺の中に居る者たちにとってこそ、浄心が突きつけてくる自分たちの真実はより醜悪で、存在自体が認めがたいとされたのだろうと錬十郎には思えた。

──確かに、こいつは俺の奥底の癒えることの無い傷を(えぐ)った。

 これまでも、そうされた者が他にも数多くいたのだろう。

 だが、そこから生々しく吹き出す血潮の激しさとどす黒さは、浄心の所為(せい)ではないはずだ。

 千尋に斬られた胸の傷を、錬十郎は我知らず襟元の上から押さえていた。

 今にもそこから血が飛沫(しぶ)くかのように。

 だが、それが浄心の(とが)だというのか。

 誰にも、どうすることもできないというのに。

 嵐が来れば、木が倒れるように。

 大雨が降れば、川があふれるように。

──俺が千尋を……。

 「もういいだろう」

 錬十郎は立ち上がり、浄心に背を向けた。

 「俺は行く」

 「え……?」浄心が、涙だらけになった顔を上げる。

 「俺はこの女が自分の探していた女ではなかったと分かった。そしてお前も、己の行くべき道を遮る者が取り除かれた。もう俺がここに留まるべき理由も、お前と共に行くべき理由もありはしない」

 「では……どうするのですか」

 「決まっている。俺は千尋を探す。あては無いがな。だが、お前にはもう関係ないことだ」

 「それでどうするんですか」

 「……何?」

 歩み始めた足を錬十郎は止め、振り返る。

 「この先も、錬十郎さんは千尋さんを探し続けて、追い求めて……そうして、ついに見つけ出した時、あなたは千尋さんを一体どうするつもりなんですか」

 泥と涙に汚れた幼い顔が、真正面から問うてくる。

 それが、誰にも明かせぬ奥底の秘密をさらけ出させた罪を自分はこうして背負ってゆく覚悟なのだというかのように。

 ならば……。

 「だったら何だ」

 ならばそれに応えるのが礼儀というものだろう。

 錬十郎は浄心の前にかがみ込んで再び胸倉を掴むと、己の顔を近づけ、その目を逸らすことなく言った。

 「千尋は、俺が斬る」








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