第316話 神子の終わり
人々は、自分達に青い空から語っているのが誰か判って、身を固くして緊張していた。静かに厳かに響いてくる。神の声だ。空から聞こえる声はさらに妙な言葉を伝えた。
アンジェリーチェ・ハイランジア、汝の求めるものは人の世の安寧
そは天国は汝の行き着く先に非ず されば愛する人々の元に帰るべけれ
それを耳にした世界の人々は、はて?と顔を見合わせた。
まさかアンジェリーチェ・ハイランジアの名前が神の口から出て来るとは考えてもいなかったのだ。葬列を見物していた人々は、思わず目の前の道に降ろされている彼女の棺を注視した。
*バキッン!*
突如、棺の蓋が蹴破られ、中から白い仔犬が飛び出して棺の周りをグルグルと走り出した。
『ウハハ。信者たちよ。わしは復活したのじゃー!』
棺の中にはまだ人がいた。アンジェだ。自分が着せられた、白く可愛いフリフリのドレスを見て、立ち上がり叫んだ。
「うきゃー!狭い棺だけでなく、服まで息が詰まりそうでちゅー!」
キリっと天を睨んで文句をひと言!
「こりゃ!アンジェを生き返らせたのにゃら、わんこだけじゃなくフレッチャもヤモリンも生き返らせるのでちゅ!」
『まったくお前ときたら生き返らせてやったのに、天の父である私を何だと思っているのだ…』
*ブツブツ*
「はあ?!天国で育児放棄してポイした酒呑童子なんか親だと思ってないでちゅよー!」
ザワザワと人々から驚きの声が漏れた。
「シュテン…」
「…ドウジと言ったのかな?」
「いや違うだろう。シュテンドウジンじゃないのか?」
ガヤガヤと話している野次馬に白い仔犬が話しかけてきた。
『なあなあ、わしの名前は狗道禄神だって知っておるか?』
「おわー!犬がしゃべった!!!」
喜びのあまりディオが叫んだ。
「アンジェ?!生き返ったんだね!」
*ひし!!!*
「ぐえっ!!!」
ディオ兄!首がしまる!しまってる!もう一度死んじゃうよ!
「わー!ディオやめろ!」
セリオンさんに救出された。ゲホゲホ。ディオ兄はまた抱きついて来た。
どよどよと周りの人々からざわめきが起こった。
「良かった。本当に良かった…おまえ死んでいた筈なのに、どうやって生き返ったんだ?」
セリオンさんは涙目だ。心なしかやつれている。あまりにも似合わない様子に気の毒になった。ディオ兄はあたしの手をしっかり握った。痛いくらいだ。
「アンジェが隣にいて生きている。俺はそれだけで幸せだよ」
向かい合ったまま、あたしの顔を覗き込み、ディオ兄は飛び切りの微笑を見せてくれた。美少年は泣き顔まできれいだな。
生きているだけで。そんな風に言って貰えるなんて、こっちも幸せだよ。
あたしだってディオ兄が大好きなんだからね。
そんなことを思っていたら、セルヴィーナ叔母様の胸にしっかりと抱きしめられた。涙がいく粒も顔に落ちて来た。
「ああ、可愛いわたしの子…」
えっ!と思う間もなく、ドンドン人があたしの周りに集まってくる。
パパは泣いている。カメリアママだって、フェルディナンド兄様、カラブリア卿、ダリアさん、メガイラさん、クイージさん、マンゾーニ卿夫妻、エメレット公爵夫妻…次々と親しい人たちの顔が現れた。
皆、くちゃくちゃな顔で泣いたり笑ったりしていた。
そんな騒ぎのなか、大天使のアンジェロさんが、突如、あたしの上に姿を現わした。他の人には見えないようだが、声だけは聞こえるようだった。
しかし、アンジェロさんの口から出て来るのは酒呑童子の声だった。あくまで地上には来たくないみたい。
『ドットリーナ教の教皇は大罪を犯したので、わたしが捕らえた。
しかし、この世界の安定の為にも、創世の神である私を崇めることは、人々に続けてもわらなければならぬ。ということで…』
酒呑童子は辺りを見回した。そこにレナート神父がいた。どちらかというと探していたようだ。
『そこの神父!』
酒呑童子はレナート神父さんを呼びつけた。
「は?はい!」
神父さんは目を白黒しながらも、すぐに前に出て跪いた。
『お前はアンジェや犬神とも交流があった。それなら、神と地上を繋ぐためにお前が教皇になれ。これは神からの命令だ』
「は?!」
「良い考えでちゅ!レナート神父さんならきっとドットリーナ教を改革してくれるでちゅ。それに、他の神もわんこ神たちも受け入れやすくなるでちゅよ』
「おいおいアンジェ!」
狼狽える神父さんをわんこ神は面白そうに眺めている。
『神父よ。神の言う事には逆らってはいかんのじゃ』
「しかし犬神様、私のような末席の者が教皇など、他の者から異論がでましょう…」
しばし、何か思いめぐらした酒呑童子は顎の下を撫でてから、ハタと手をうった。
『それなら私が直接、ドットリーナ教の関係者と信者全てに宣言しよう。神の所望で、教皇にバッソのレナート神父を迎えよと伝えておくのだ。ついでに悪事をしていた奴らを全て一掃してやる!』
酒呑童子が乗り移ったアンジェロさんが何か念じるように目をつぶった。
カッと眼を開くと自信満々の表情だった。
『よっし!これでレナート神父の教皇就任に文句をつける奴はおらぬ!』
「酒呑童子、なんか悪さしたんでちゅか…」
『人聞きの悪いことを言うな。それに私は酒呑童子と呼ばれたくない』
うーん。そうかあ。それなら、主天でいいのでは?音は同じだけど全然違う意味だし。
『そうじゃの。主天に道をつけて主天道神で良いのではないか?弟よ』
早速、わんこ神が兄貴風をふかしている。
『なるほど!それじゃ、これからは主天道神と名乗ろう♪これ!レナート神父!布教するときは創世の神の名は主天道神とするのだぞ。そして、私がこの世界へ子供を護る神を地上に派遣したと伝導せよ』
「ははー!」
神父さんは慌ててアンジェロさんの姿の酒呑童子に向かって拝礼した。
彼は、以前にもアンジェロさんに遭遇しているので、天使の姿が見えるようだ。ディオ兄とセリオンさんも見えているのだろう。口を開けて見ている。
それにしても。酒呑童子と呼ばれるのは嫌だった様子だったのに、似た名前で満足するとは思わなかったわ。
一度死んだ命だったが、この先は人並みに長生きできるかもしれない。
この世界では、命は神様からの借りもの。今度は精一杯だいじに使って有難うと神様に伝えて返却したいものだ。穏やかな気持ちで、あたしを見守ってくれる人々の顔をみた。
微笑んでこちらを眺めているステファノ国王陛下の胸にジュニアがいる。銀のブローチのふりをしていたが、尻尾を振ってみせてくれた。
陛下の弟アル君のジャケットのポッケにはユウキ君が顔を出している。
そして、王母テスタニア陛下の傍に口元を覆った侍女がいた。ヤモリンの眷属オオミズアオのガルデニさんだ。
わんこ神にまとわりついている黒柴の仔犬は蛭子神だ。
みんな帰って来たんだ。これから、この世界では子供を助ける神が大いに活躍するだろう。
見物客の中に白塗り化粧で有名な流行りの脚本家、兼俳優がいた。彼は這いつくばって何ら書きつけている。
「ちょっと、あんた。神様が有難い言葉を話しているときに何をやっている?」
「わたしは芝居の脚本家なのよ!神様の有難い言葉なら、なおさら忘れちゃ駄目よ!だから、書き残すの!話しかけないでちょうだい!」
白塗りでアンジェを演じていた役者兼、脚本家は嬉々として神の言葉を書き残すのに夢中だった。
―“ディア・ブリタ”シリーズに新たな展開だわー!また新作ができるー!
犬神は本社のあるバッソにいつまでも住み続けた。
酒呑童子改め主天道神様は今まで以上に信仰を集めた。神産巣日神の存在も人々に明らかになった。フレッチャもヤモリンもドンドン信者を得て神力を蓄えていった。
そして、なかでもわんこ神は子供のいる家では篤く信仰された。
子供が大好きな仔犬の神さま。眷属の犬妖精さんの縫いぐるみは、子供の御守りとしてバッソ名物として大人気となり、大いに売れた。
子供達は可愛らしい犬妖精さんの縫いぐるみを抱いて、仔犬の神である狗道禄神を自然と信仰した。子供に信仰されてわんこ神は大喜びだ。
その信者は爆発的な勢いで世界中に広がっていった。
やがて、あたしは満七歳になった。
通りゃんせの歌詞にある天神とは祟り神。七つの年にお札を納めるとは、お札の代わりに神子であった子供を人の世界に戻すということ。
神に護られていた子供は、これからは大人だけで守っていかねばならない。
人の子は満七つで神子は卒業し、神に別れを告げなければならないのだ。
あたしの憑神だったわんこ神とも、お別れのときが来た。わんこ神は涙と鼻水でぐちゃぐちゃのあたしの顔を舐めていた。
抱きしめていた彼も腕の中でクンクンと鳴いている。
『それじゃアンジェ。達者で暮らせよ』
そうひと言うと、手の中から消えてしまった。
あたしにとって、とても寂しい七歳の誕生日だった。
アンジェは人前では相変わらず明るく元気にしていた。既にわんこ神が姿を消してもう1年近くになっている。
だがセリオンとディオには、彼女が周りに心配をかけまいと、犬神のことを気にしていないように振舞っていると感じていた。
「これならアホをしていた頃のほうがマシだったな…本当は落ち込んでいるくせに、そんなことはおくびにも出さない。…どうにか元気になって欲しいが…」
フレッチャが鼻を膨らませて、ブルッとないた。
『ちび丸ったらいくら信者が増えたからって、少しくらいアンジェのところに顔を見せれば良いのに…』
『ちび丸さんはもはや世界中で大人気の神様でゲスからねえ。信者に引っ張りだこで、あっちこっちにお呼ばれしているんじゃないでゲスかね』
「アンジェは何にも言わないけど、別れたっきり全然かえって来ないわんこ神の事を、寂しく思っているよ」
ディオは、アンジェがこっそり泣いていることを知っている。下手に慰めると、彼女はなおさら元気そうにするので、皆は後で様子を見るとして、今はそっとしておいてやろうと話した。
しんみりとひとりでわんこ神を思い出したくて、厩を改装したわんこ神の社を訪れた。ここはヤモリンとフレッチャも祀っている。
彼らはバッソに留まっているのに、わんこ神だけがお別れなんて。
ふう、とひとつ溜息を吐いてわんこ神の社の前にきた。蜘蛛が作りかけの巣を張っている。そっと指に乗せて厩の隅に移動してもらった。
「わんこの石像も埃を被っているかも。ちょっと雑巾で拭いてあげよう」
厩の柵に掛けてあった雑巾を濡らして、社の扉を開いて中の小さなわんこ神の石像をゴシゴシと拭き始めた。
うーん、けっこう汚れていたな。
*ゴシゴシ* なかなか頑固な汚れだ。顔の周りに何やらシミがついている。
ええい!しつこい汚れだ! こうなったらナイフで表面を削っちゃうかぁ!
石像を脇に抱え込んで口元にナイフを当てた途端、手の中で異変が起こった。
ブルブルと石像が震えて跳ねたのだ。
『どわー!わしのプリチーなお口を削るなー!せっかく美味い御供えのごま団子を喰うておる途中だったのに、ああ残念』
ふえ?呆然とした眼前でころころと転がっているのは、真っ白な毛並みの仔犬の白柴。わんこ神が帰って来た!
すぐに、ぎゅうっと抱きしめたまま頬ずりした。仔犬特有のフワフワした柔らかい毛並みだ。
『こりゃ、なんじゃアンジェ。おまえは相変わらず甘えん坊じゃのう』
わんこ神は耳元でクンクンと匂いを嗅いでいるだけで大人しく、あたしの好きなようにさせてくれた。涙がボロボロ流れて止まらない。
ヒックヒックと嗚咽をあげて言葉が出ない。ただ、わんこを抱きしめたまま再会の喜びで泣くだけだった。ふと顔を上げると、あの老人が立っている。
神産巣日神だ!
「この世界のほころびを繕うため時間が掛かってしまった。待たせたなアンジェ。このシロめがお供え物に夢中になってしまってのう。まあ、後は酒呑童子に任せても大丈夫じゃろう。
アンジェや。わしの子供達と共に楽しい世界を作ってやってくれ」
それだけ言うと、老人は手を振りながらユラユラと消えた。
『わしの信者が世界中に増えたからのう。お供え物を平らげて回るのは大変だったのじゃ♪
うぐ?な、なんで泣きながら頬を伸ばしている?うぬうう』
*ビヨ~~~~~~ン*
「グスングスン…分社を回ってお供え物を漁っていたなんて初耳でちゅ。ちゃんと言っておけばアンジェは…アンジェは…このアホわんこー!!!」
後はもう今までと同じに取っ組み合いになった。
*ブニブニ!* *ガブガブ*
「アンジェ何さわいでいるの?ああ!犬神さま帰ってきた!」
「あ!犬神様…ハッハハハ。いつものパターンか」
アンジェの様子を窺いに来たディオとセリオンが、社を見に来て笑った。
『ふたりとも変わらないわねえ』
『嬢ちゃんとちび丸さん、仲良く喧嘩しているでゲスね』
その頃、酒呑童子あらため主天道神は、この世界に新たな空間を作っていた。それは隠れ里と言うべき場所で、深い山の中の静かな場所にあった。
そこは、二本足で歩き人と会話ができる仔犬が村を作っていた。
神が念じると、村は異質な空間に収まり、外部の人間は資格がないと入れないように出来上がった。
『よっし!これでお前たちの村は完璧だな。生前、不幸だった子供達が幸せに暮らす村になった!悩んでいた兄者も、もっと早く私に頼れば良かったのに』
「犬神様は、犬妖精さん村を自分でお造りしたかったのでしょう」
『創造の力が無い兄者には無理だからな。それでは、すずろ!ショウマ!仲間と共に村をよろしくな』
白い仔犬の犬妖精さん達は、創世の神に感謝して頭を下げた。
村は人の目に滅多に触れないよう隠された。
アンジェは大人になって結婚し、跡継ぎを産み、そして年をとって死んだ。
ごく普通の寿命だった。生きているうちは夫と共に国に大いに貢献した。
彼女が死去したとき、国王は大いに悲しんで国葬を執り行った。そのとき、残された夫が妙な事を言った。
「アンジェは天使だった。次は神になるだろう」
やがて、夫は年を跨ぐことなく彼女の後を追うように静かに死んだ。残された子供達は、仲が良い夫婦だった彼らを、一緒の棺に入れてやろうと考えた。
だが、家族がアンジェの棺を開くと中に遺体はなかった。彼女のピンクの髪が一束、残されていただけだった。
暫くすると犬神を信仰する町では、ときどき不思議な幼児の姿を見かけるようになった。
薄いピンク色の髪をしていて、三角の立ち耳に尻尾が生えていた。その姿を見かけたときは、必ずどこかの子供が誕生日だった。
良い子は誕生日のお祝いに“犬妖精さん村”に招待されるのだ。
犬妖精さんの村では、子供の大好きな神さまが居て、友達の神様と一緒に誕生会を開いてくれる。
招待された子供の話では、その友達の神様はピンクの髪をした女の子で、その眷属だという紺の髪の男の子がいつも一緒だったという。
人はその神をイヌワラベ神と呼んだ。やがて、社がバッソに作られた。
ヨボヨボの老人が神主になったが、この神主、信心が篤いのに少しも神を敬う態度をみせない。
「おまえは…また悪党をぶちのめしたのか…たまには話しあって改心とかさせないのか?
………まあ、アホだから無理か…あ!こら!」
そんな様子だから、よく神様に怒られているようだ。
信者達は言う。子供の幸せを一番に考えている神様がいらっしゃるこの世界は、何処までも未来が広がって続いていくのだと。
<終わり>
後半になってやたらと忙しくなってしまい、時間が取れませんでした。送信が遅れまして申し訳ありませんでした。次作は書き上げてからアップしたいと思います。最後まで読んで頂いた方に感謝します。
('ω')ノ<(_ _)>




