2ー7 光誠が褒めてくれました!
「光誠!」
「わかってるよ………いただきます」
健信の声を潜めた促しと光誠の声が聞こえましたが、目を瞑ったままのわたくしは、まるで審判を受けるかのようなふわふわとした心地でそれを聞いていました。
1秒………
2秒………
3秒………
光誠からの続けての声がなかなか聞こえません。
わたくしは押し潰されそうな不安に耐えられずに、そっと目を開けました。
わたくしの視界に飛び込んで来たのは、光誠のとても穏やかで、にこやかな笑顔でした。
光誠はわたくしに向けて、にっこりと笑いかけてくれていたのです。
その表情に何らかの感想を抱くより先に、光誠の口が動きます。
「うん………美味しい」
「ホント!?」
有希奈の嬉しそうな声………
健信のあげる歓声………
それら全ての情報を脳が遮断してしまったかのように、わたくしは光誠の表情と声以外の事を考えられませんでした。
「美味しいよこれ。よく頑張ったな!」
「マジか! 有希奈、良かったな!」
「いや、ホントよく頑張ったよ。変わるもんだな………うん、美味しい」
光誠はしきりに有希奈のお茶を褒め、よく頑張った、味が変わった、と労いの言葉を重ねます。
健信は笑い声をあげながらぺちぺちと有希奈の肩を叩いていました。
わたくしは先ほど、しどろもどろになってはいましたが、はっきり「自分は何もしていない」と申し上げました。
しかし、光誠はわたくしと目を合わせて労い、有希奈には褒め言葉をかけてくれます。
何と言いましょうか………
良かった。
本当に頑張って良かったと、心底そう思いました。
言うまでもなく、有希奈のお茶が美味しくなったのは、有希奈自身が頑張ったからです。
しかし、光誠の反応を見ると、わたくしの指導があったとバレているのは明白でした。
隠していた努力が見抜かれている………
それは、少しだけ不本意というか、気恥ずかしい気持ちもあるのですが、それ以上に、嬉しいとか、面映ゆい、といった気持ちです。
そうなのです。
有希奈も頑張りました。
でも、わたくしも頑張ったのです。
それに光誠が気づいてくれた………
気づいているよ、と伝えてくれる………
それだけでこれほどまでに満たされた気持ちになるなんて………
まるで光誠は呪い(まじない)師のようですね。
少しだけ熱くなってしまった頬を抑えていると、ガチャリと音がしました。
顔を向けると、こちらに背を向けた健信と閉じた扉が見えます。
有希奈の姿が見えなくなっていました。
「あら、有希奈は?」
忘れていた健信の分をとりに台所へ向かったのでしょうか?
「いや、何か他にやることがあるらしくて………部屋に戻るって」
「まぁ! お客様を放って自室にこもるなんて………」
「気にしない気にしない。………光誠! 俺にも1口!」
健信はそう言うと光誠の隣へ座り、何もなかったかのように振る舞います。
きっと、有希奈は褒められて、照れてしまったのでしょう。
茶会の席主がお客様を放置するのは、あまり誉められた事ではありませんが、仕方ありません。
今日のわたくしはご機嫌ですから!
有希奈にはあまり煩く言わないように気をつけて、2人のもてなしはわたくしが引き受けましょう。
「有希奈を淑女にして、ぎゃっぷ萌え大作戦」は、今日のうちはここまでです。
わたくしは台所へ向かい、2人分のお茶を淹れました。
ご機嫌でついつい鼻唄を歌ってしまったのは、恥ずかしいので内緒です。
ご機嫌で淹れたわたくしのお茶も好評でしたし!
実は有希奈が淹れた光誠のお茶は、わたくしが席を外している間に健信が飲み干してしまっていました。
わたくしの淹れたお茶は、光誠と健信の2人にお出ししたのです。
有希奈の淹れたお茶があったので、今日は光誠にわたくしのお茶を飲んでいただけないと思っていました。
わたくしの分は新たに淹れなおさねばなりませんでしたが、少しだけ嬉しい出来事でした。
わたくしは2人に、如何に有希奈が頑張ったか、どのように頑張ったかをお話しました。
有希奈の努力が実ったのが嬉しくて嬉しくて………
身振り手振りを交えながら、少しだけ大きな声でお話してしまいました。
健信には「まるでキミが頑張ったみたいだな」などと突っ込まれてしまいましたが、その時に光誠が黙って笑顔を向けてくれていたのが印象的でしたね。
これは、いつも通りと言えばいつも通りなのです。
光誠はいつも、わたくしが饒舌になっている時は大体黙って話を聞いてくれますから。
でも、今日の光誠は「キミも頑張ったもんね。俺はわかってるよ」みたいに示してくれているような気がして………
その………嬉しく、思ったのです。
少しだけ自分勝手な解釈だとは思いますが、そう感じてしまったのですから、仕方ありません。
ご機嫌である事を許されているような気分になって、さらに饒舌になってしまったのは、淑女らしからぬ振る舞いだったとは思っているのですよ?
反省は、しているのですよ?
ただ本当に、楽しい心地の時間でした。
2人には、最後まで楽しんで過ごしていただけたと思います。
わたくしはご機嫌のままで夕餉の支度をしました。
準備を終え、有希奈の部屋へ向かい、声をかけます。
「有希奈有希奈。夕餉の支度が出来ましたよ」
「………」
「今日はとても素敵な1日になったと思いませんこと? なにせ、有希奈の努力が光誠に認められたのですから! 有希奈のお茶を飲んだ光誠の顔、見ましたか!? とても素敵な笑顔で………」
「お時ちゃんごめん。ちょっとまだ終わってないから、先に食べてて」
あら? と思いました。
有希奈は1人で食事をする事をあまり好みませんから。
朝にあまり強くない有希奈を待たずにわたくしが朝食を済ませていると、可愛らしく膨れて、軽くわたくしを詰る事もあったので………
まあ、光誠達がいるにも関わらず部屋にこもるくらいの用事なのですから、仕方ないのかもしれません。
光誠に褒められた事で、照れて部屋にこもったのだと考えていましたが、それはどうやらわたくしの思い違いだったようです。
「わかりました。あまり根を詰めてはいけませんよ」
そう声をかけて、わたくしは1人で夕餉を済ませました。
その後、有希奈はわたくしがお風呂をいただいている時に夕餉をとり、帰ってきたまぁちゃんとわたくしが居間でお話している間にお風呂を済ませ、再び部屋にこもりました。
せっかく今日の素敵な1日を2人でまぁちゃんに報告しようと思っていたのに!
少しだけ残念な心地でした。
翌日。
有希奈は大学へ行く用事がある、朝食は外で済ませるとだけ言い残し、早くから外出しました。
出がけに少しだけお話は出来たのです。
「有希奈。次の作戦ですが………」
「作戦?」
「はい! 次なる『ぎゃっぷ萌え大作戦』の詳細を………」
「ちょっと忙しくなるから、また今度ね」
有希奈からは、本当に忙しそうな、話しかけてはならないような雰囲気がしましたので、わたくしは口をつぐんだのです。
なにせ、あの快活な有希奈の笑顔に陰りが見えましたから。
本当に余裕がないのだと考えたのです。
しかし、そんな有希奈の様子はしばらくの間、続く事になります。
次の日も、そのまた次の日も………
何故でしょう?
有希奈に何があったのでしょう?
この時のわたくしには………恥ずかしながら、本当にわからなかったのです。




