暗転するには早すぎる
頭部を二度撃ち抜かれてなお動こうとする標的に照準を合わせ、引き金を引く。抑えられた発砲音が響くたび、黒い鮮血が飛び散る。
漆黒のカバーで覆われた円筒のような銃身、右腕にかかるずしりとした重みと、筋肉を震わす反動。その先端から揺蕩う硝煙を一瞥し、少年は眼前の敵を見据えた。
回転式拳銃はその構造上、消音器の恩恵が薄い。銃口のマズルブラストを抑えても、バレルとシリンダーの隙間から高温高圧のガスが漏れだすことにより、別の炸裂音が発生するからだ。
だが、PSDRの名を持つこの回転式拳銃は、長い銃身とシリンダーを分厚いカバーで覆い、ガスごと炸裂音を無理矢理抑え込む、という半ば強引なやり方で減音を成立させている。その結果、持ち運びに不備なサイズと装填にかかる時間の増加という代償も背負っているが。
視線をわずかに下に向ける。怪物の近くに倒れ伏している少女は何者だろうか。襲われているのかと思って慌てて攻撃したが、彼女が式神使いか何かで、何らかの目的をもってこの怪物を呼び出した可能性も考慮し、一応の注意を払う。
………『口裂け女が出た』という情報を頼りにこの付近を捜索していたが、実際にいたのは毛むくじゃらの芋虫みたいなやつと垂陽高等学校の制服──何の因果か同じ高校──の少女だ。
不可解な状況だが、関わってしまったからには捨て置けない。
此方に伸びんとする触手を、亜音速の弾丸が抉り、喰い千切る。続けざまに発射された弾丸によって一つ、また一つと孔が増えていく。
やがて、一切の抵抗を許されず、計六発の弾丸を急所──かどうかは分からないが──受けた標的は沈黙した。
力なく地面に崩れ落ちた肉体は、わずかに痙攣する素振りを見せるのみ。
幼い頃に見たクワガタムシを思い出す。肢が何本も欠損し、頭が捥ぎ取られているにも関わらず、残された部位が動く、異様な光景を。
当然、既に生命体としては終わっており、死体が蘇ったわけではない。それは虫の神経節が筋肉を動かしているだけ、ただの反射に過ぎない現象だ。
とはいえ当時の少年にそんな知識があるわけもなく、この記憶は今日まで続く昆虫への強い忌避感・嫌悪感を育てる要因となった。
未だ熱が引かない拳銃を手提げ鞄にしまい、腕時計を見る。
時刻はPM23:47。東京都内では、23時からの未成年の外出は禁止されている。無視して出歩き回っている少年のような輩も少なくないが、目の前で怯える少女はそういうタイプには見えなかった。
混迷した状況への苛立ちを誰かにぶつけるように言葉を吐き捨て、墨血を踏み抜く。
怪異特有の黒い血は、それと同様に霊視能力を持たない人間には見えない。先天的に持っている場合が多いが、後天的に獲得しようと思うとかなりの修練を積むか、高純度の霊力に浸され、脳と視神経が変質する現象を経験しなければならない。
少女は〝視える〟ようだが、あの狼狽振りからして変質現象が起こったのだろう。
難儀なことだ。これから少女が味わうであろう苦難の日々を想い、同情する。
少し息を吐いてから。
「コレ、アンタが召喚んだのか?」
問い掛けに、少女は強張った表情で首を振る。
よく見ると、否、よく見なくても分かる程、綺麗な顔立ちの少女だった。
目鼻立ちは整っており、どことなく西洋人形のようだ。亜麻色の長髪は緩やかな波のような曲線をたたえ、柔らかい印象を抱かせる。小柄で華奢な身体つきも相まって、多くの男の庇護欲を掻き立てることだろう。
しかし、いかにも繊細な箱入り娘です、といった風貌とは裏腹に、少女は傷と汚れに塗れていた。
転んだ際に付いたであろう泥水や砂利。それを抜きにしても制服や髪の毛は傷みが目立つ。丸い瞳は潤み、今にも泣きだしそうだ。
訳アリなんだろうが、少年には関わる理由がない。
だが、最低限の質問と処理は施しておかねば。
「………あ~……コレが何か分かるか?」
否定。
「急に襲って来たから逃げてた、って感じか?」
肯定。
事情は概ね想像通りか。だとすれば彼女への対処法も一つだ。
「……た、助けていただき…ありがとうございます…」
問答で若干平静を取り戻したのか、か細い声ではあったが初めて少女が口を開く。
腰が抜けているようで、雨に濡れたアスファルトに座り込んだままだ。
少年は毛虫モドキの死体を踏み潰して近寄る。腕を伸ばすと、少女はわずかに逡巡した後、手を掴む。力は弱かったが、確かな生きる意志を感じさせた。
「……その、わたし、」
「いいよ、話さなくて。なんとなく状況は把握できた。今度からは変な道通るなよ……あと、しばらく夜は出歩くな」
といっても、この会話も含めて、今日の出来事は忘れ去るのだが。
少女を助け起こし、懐から紙に包まれた飴玉を取り出す。
何かを喋ろうとする少女に飴玉を手渡し、食べるように言う。
「…あ、えと、これは……?……あ、それと貴方の制服、垂陽高校の…です…よね?」
「精神を落ち着かせてくれる飴だ。んで俺は…なんなんだろうな。祓い屋、陰陽師、霊能力者……探偵の真似事もしてたし」
おずおずと飴を口に含む少女を薄目で見ながら、適当なことをぼやく。飴が口内で溶けるごとに記憶も溶けていく仕組みだ。数十秒で今日の記憶は空白となり、他の記憶に押し潰されることだろう。
少女は「…霊能力者…探偵」とぼそぼそと繰り返している。
少年は深い隈が刻まれた目頭を押さえ、こんな無意味な面倒事に巻き込まれた己の不幸を憂う。
「……口裂け女を探してただけなんだがな」
無意識に漏れ出た小さな呟きだったが、少女は耳聡く聞き取ったらしい。
「口裂け女、ですか?」
「だから気にすんなって……あぁ、いや、なんか知ってたりするか?この辺で見たって噂が…あるとかないとかでさ」
別に期待していない。時間稼ぎ程度の質問。
「それって、普段はマスクを着けて……顔を隠していますか」少女は俯いたまま、静かに言葉を紡ぐ。
「まあ、そうだろ。じゃないと目立つし」
「年恰好はどんな感じですか」少女の声色は体温を感じさせない。
「ん……なんというか、若い、らしい。一般的な口裂け女のイメージ、女子大生とかОLよりも。それこそ高校生か中学生くらいかな」
と、いうのも背丈が低く、学生服らしきものを着ていたという目撃談が多かったからだが。噂の中には口裂け女の娘か妹の『口裂け少女』などと謳っているものもあった。
「常に帽子やフードを被っているんじゃありませんか」
「……あぁ」
少女は下を向いている。少年の視点からでは身長差もあり、表情が伺えない。
顔が、見えない。
「……口が、耳まで裂けているんでしょう。……こんな風に」
「────そう、みたいだな」
少女が顔を上げ、此方を見据える。
その口は言葉通り深々と裂け、肉々しい赤を剝き出しにしていた。
獣のそれに似た荒い息、いくつもの鋭利な犬歯。少女の儚げな風体にはおおよそ似つかわしくない、異貌。
「……流石です。驚かないんですね。……霊能力者さんだからですか?それとも、探偵さんだから?」
「いや、結構吃驚してる」顔に出難いだけだ、と続けて、少年は懐に手をやる。
────場合によっては、ここで。
しかし、少年が動くよりも先に、少女が声を発する。それは降りしきる雨の音もかき消し、鈍色の空間に響き渡った。
「お願いがあります。────わたしを、口裂け女を……警察に突き出してください……!!」




