今回は特になにもないが?
いつもより少し長いですが、今回は本当に何もないです。
翌日。姉を起こすというルーティーンをこなした俺は、昨日汚れたにもかかわらず新品のように綺麗になった制服に袖を通し、母親のありがたさを感じ、次の母親の誕生日には何かしようと決めた。
「母よ、いつもありがとう。行ってまいります」
「あー…行ってこい」
頭が働いていない姉を一人家に残し、俺は学校に向かう。姉が大学に行ってないって?そりゃそうだ、卒業に必要な単位はすでに取ってるし、パソコンがあれば仕事ができる。家から出る意味がわからない。
チャリを漕いでやっとこさ辿り着いた学校の正門の前には橘さんが待機していた。
ちらちらと男子の視線も女子の視線も集めているが、当の本人はあまり気にした様子はない。おいおい男子生徒諸君、彼女は確かに可愛らしいがトラブルメーカーだぜ?
関わりたくない俺は黙って裏門に回ってから自転車を置いて、教室に入った。
「おはよう、えっと…日比野…だっけ?」
「そうだけど、誰だっけ?」
席に着くと、右隣りに座っていた男子生徒が話しかけてくる。もちろん逆隣りにはお馴染みの本を読んでいる女子が座っている。あれ、その本、昨日とは違うやつですね?
「俺、滝本 賢太。よろしくな!」
「ああ、よろし…く…」
爽やかに笑う滝本の先にある廊下。その廊下を教室の中から見ることができる窓から、一人の女子生徒が能面のような顔でこちらを見ていた。はっきり言って超怖い。
俺の表情が固まったのに気づいた滝本は俺の固まった視線の先を確かめるために振り向いた。
「おわ、なんだあの子、めっちゃ美人じゃん」
うん、わかるよ?わかるんだけど今はそういうの気にしてる場合じゃないんだよね。
廊下の窓からこちらを見ているのは橘さんと一緒にいたあの女の人なんだよね。でも橘さんは正門待機で不在。つまり…?
「あんた、優梨奈は?」
教室のドアをガラリと開けて躊躇なく入って来て俺を詰問するわけですよ。ていうか姉と同じ匂いがする。乱暴者か?いやまだ決めつけるのは早い。
当然俺の答えは決まってる。というかこれ以外だと逃げられない。物理的に逃げられない俺は口でなんとか切り抜けるしかない。
「橘さん? 今日は会ってないですけど…」
嘘じゃない。見たことはあっても、会ってはいない。
「…え?だって優梨奈あんたのこと待つって言ってたけど…」
「そうなんですか? それは申し訳ないことをしました。それでは、橘さんによろしくお伝えください」
はよ帰れ。目立つんじゃお前の容姿は。
俺がにこりと笑ってこれ以上何も話す様子がないのを察したのか、女の人(名前不明)は不満気な顔をして教室を出て行った。
だいたいあいつは何組なんだ。用もないのに他のクラスの男子生徒を捕まえてひどいやつだよ。そして話しかけられた俺はクラスの視線を集めてしまって本当に切実に嫌だ。
「なあ日比野、今の子って誰だ?!」
「知らないよ。顔は知ってるけど名前は知らない。昨日初めて見かけたんだ」
「へー、そうなのか! じゃあ、橘さんって言ってたのって、やっぱりあの橘 優梨奈?」
「…あのってどういうことだよ?」
「日比野それ本気で言ってんのか?」
呆れたような、そして信じられないとでも言いたげな顔でこちらを見る滝本。俺も同じような顔をして滝本を見る。
知らないのは仕方ないだろ。俺の興味ないジャンルなんだろうよ。
「中学で告白された回数は数知れず。振った男子の数は星の数。今や誰もアタックする者はいない難攻不落の美少女だよ。ま、高校生になったからまたアタックは再開されるだろうけどな。えっと、既に……四回も告白されてるな」
今のところ全部先輩らしいけどな、とスマホを見つつそう言う滝本。
昨日入学式でしたよね??しかも絡まれてましたよね??あの子、どういうスケジュールでいったらそうなるんだよ。
そんでもって予想を外すことなく俺の興味ないジャンルだったな。
「お前実はストーカーか何かなのか?」
「ちっげえよ!こんくらいここら辺の奴なら誰でも知ってるっての」
ここら辺の奴ですが知りませんでしたよ?
まあ色恋とか俺には関係ないし、それより大事なものがあるし。俺の日常生活とかね。
「お前、ここら辺に住んでんの?」
「あー、まあ、一応、橘と同じ中学出身だよ。俺は分相応って言葉を知ってたから告白するなんて馬鹿な真似はしなかったけどな」
ふーん、そんなに掃いて捨てるほど男が寄ってくるんだったら俺なんかに構わなくて良いのにな。だってほら、俺よりもっとかまってちゃんがいるわけだし?そっちに行って欲しい。
「橘さん、中学の時はどんな感じだったんだ?」
「そうだな…日比野が思ってるより普通だと思う。男子から告白されまくってたけど、お高くとまってるって感じじゃなかったし、まあ女子とは上手くやってたかな」
中学時代を思い出して、目が上にいってるぞ滝本。人間だもの、仕方ないよね。
「へぇ、そういうのって物語の中じゃ、ドロドロの関係になりそうなもんだけどな」
「お前、案外イヤなこと言うな…」
「だって男子に告白されまくってたって聞いたら普通そう思うだろ? あんた私の彼氏盗ったでしょ!!みたいな」
ちょっとしたドラマになりそうな話だな。絶対関わりたくないけど、見てみたいものだ。
「言ってることはわかるけどな……きっぱりと断ってたからそういうことにはならなかったんじゃねーの?俺も同じ中学だったけど、あんまり関わってなかったし詳しくはわかんねーけど」
「中学はそうでも高校生になったらどうなるんだろうな」
昨日襲われかけたことを考えると、やっぱり強引に事を進めようとするやつはどこにでもいるんだろうと予想できる。関わる気はないけど……絶対とは言えないのが俺の甘いところだな。
「あ、そのことなんだけどさ。スプリングセミナー、あるじゃん?」
「あー、そういえばそうだな。なんだっけ、勉強合宿みたいなやつか」
「そうそう!実は毎年、自由時間に抜け駆けしてカップルができたりしてるらしいぜ!」
興奮した様子の滝本には悪いけど、全くもって興味がない。勉強合宿ならそれらしくもっと酷なことをしてやってください。特に馬鹿には。
鞄に入れっぱなしだったスプリングセミナーについて書かれているプリントを取り出す。
「生徒が仲良くなれるように、ね……」
プリントに書かれているのはスプリングセミナーの目的や予定だ。自習とばかり書かれているけれど…ま、説明があるか。
「第一、初めて会うやつが多いってのにそんな急にカップルなんてできるわけないと思うんだけどな」
ひらひらとプリントを揺らしながら、くだらないと首を振る。
「いやいや、初めてだからこそだろ!一度きりの高校生活、せっかくイベントがあるんだ、積極的にいかなきゃってことじゃないのか?」
「イベントねえ…」
そんなに興奮して話すほど欲しいものかね、いわゆる恋人ってやつは。
「はい、次の人ー」
「よろしくお願いします」
今日の学校は身体測定と諸々の検査らしい。明日はスプリングセミナーの説明で終わり、次の月曜と火曜はそれぞれ授業の進め方の説明。説明ばっかだな、プリントにしてくれればいいのに。
滝本に聞かされたスプリングセミナーがどれだけ有意義なのかという話を思い返すと、まあどうでもいいというのが正直なところ。
「178,3cmねー、それじゃ、次は体重計乗ってねー」
そもそも、俺はスプリングセミナーなんてものに行くくらいなら家で寝ていたい。別に行事が嫌いなわけじゃないけど。
「70kgね、はい」
「ありがとうございました」
自分の身長と体重が書かれた紙を受け取って、保健室から出て行く。次に行くのは……会議室か。聴力検査だな。それから視力測って、心臓検診か。
「やっぱ背が高いやつは良いよなー、まず背が高いってだけで有利だもんな」
「お前は急に出てきて何を言ってるんだ」
階段をあがって会議室に向かおうとしたところ、階段のところで滝本に出くわした。
滝本は俺を見上げて、自分の身長と体重が書かれた紙を見てちくしょーと頭をかきむしっている。言うほどお前の背低くないけどな、170cmってところか?
「良いよな、背が高いって。それにお前、顔も良いしさ、中学の時とかどうだった?モテなかったか?」
「彼女がいたかってことか?」
階段をあがる俺の隣に並んで滝本が話しかけてくる。こいつコミュ力高めだな、俺だったら絶対しない。
「そうだよ、一人くらいいたろ?」
中学の頃を思い返す。まず友達がまったくいなかったな。ああでも、妹目的で近づいてくるやつなら少しいたっけか。
「いや、悪いけどその期待には応えられそうにないな。彼女も友達もほとんどいなかったな」
「えっ、なんでだよ!お前、会話が苦手ってわけでもないだろ?」
「会話は苦手じゃない。ただ、面倒なことが苦手なんだよ」
「あー……なるほど」
確かに向き不向きってあるもんな、とからからと笑う滝本。こいつはこいつでなかなか空気を読んでるというか距離の取り方が上手いやつだな。
そろそろ階段を登り終えるかなというところで、さらに上の階段の方から声が聞こえてきた。察するに、橘さんだ。なんてことだ、早く立ち去らねえと俺の日常生活がぶっ壊れてまうってもんだ。
「なあ滝本、早く行こうぜ?」
「お? おう」
よし良いぞ。空気を読めるお前は本当に良いやつだ、これでこのままさっさと逃げ切れれば……。
と思ったが、みなさんはお分かりだろう。古今東西、このようにフラグを回避しようとするやつほど、失敗すると。
「あ、日比野くん!」
見つかった!!!
どうする、気づかないふりをするか?いやでもあの声の大きさで気づかないなんてどんな難聴だって話だ。
じゃあ適当に手を振って逃げるか…?
そうしようと振り返ると橘さんの隣にあの女の人の姿が!!能面のような顔ではないからまだ猶予はあるが…。
マズイぞあいつは俺のことを疑ってるだろうしここは嫌々ながらも話をするしか……くそ、どうしてこんなことになった!
「……自業自得か」
「そういや日比野。お前橘さんとどういう関係なんだっ……って、危ない!!」
滝本の言葉に反応して橘さんの方を見ると、俺の方を見ていた橘さんが丁度階段から足を滑らせた場面が目に入る。
隣にいた女の人が焦った様子で手を伸ばすけれど、届かない。橘さんはどうしようもなく間抜けな……個性的な顔をしている。
間に合うなー。うん、パパッと行けば間に合う。間に合うんだが……これ以上巻き込まれたくないわー。
とは思うが流石に目の前でやられちゃ助けないわけにはいかないわけで。
「……はあ、これで三回目ですね?」
「あ、ありがとう」
俺は即座に橘さんが落ちるだろう落下点に先回りして、彼女を受け止めた。なかなか上の方から落ちてきたので俺への衝撃はかなりのものだったが、膝をクッション代わりにして衝撃を吸収、高性能。
「怪我はないですか?」
「う、うん。大丈夫だよ」
そっと橘さんから離れて頭から俺に突っ込んでいた状態の彼女を立たせると、橘さんは顔を赤くして笑った。
「毎回思うんですけど、もっと周りを気にしてください。何かあってからじゃ遅いんですよ?」
「それはその……ごめんなさい」
「わかったなら今後、俺のことは気にしないように」
あなたとてもめんどくさそうなので。
「うん……えっ?」
よしよし。頷いてくれてよかった。後のことは、名前不明の女の人に任せて、俺はさっさとやるべきことをやろうじゃないか。
「それでは」
そう言って呆然とした状態の橘さんを置いて、会議室にさっさと向かう俺。
その横を滝本が面白そうな顔をして歩いている。どうしたお前。
「なんだよ」
「いやさ、これはひょっとしたらって思ってさ」
「橘さんが俺に好意を抱いてるかもって?」
「その通り…ってか、わかってたのかよ」
つまんねーな、とでも言いたげだな?そもそも、ライトノベルの主人公のあの鈍感さは普通じゃありえないからな?
「普通だったらわかるだろ。でも、橘さんと付き合うとかはめんどくさそうだ」
「どこが?あんだけ可愛いんだからデートしても楽しいだろうし、性格も悪くないと思うけど」
「俺は目立つのが好きじゃない。でも彼女は目立つ。だから嫌だ」
俺は自分を曲げねえ、嘘は結構な頻度で言うけど嫌なことは嫌と言える日本人になるんだ!
「さ、ちゃっちゃと残りやっちまおうぜ」
「お、おう」
会議室に入る。
「……でも、橘さん、諦めたようには見えなかったけどなあ」
滝本の呟いた声は聞こえたけれど、聞こえなかったフリをした。