第11話 テセルスに吹く風
3日後、夜分――
「ねぇ、ウェズリー。マーベリックさんしらない?」
書物庫へ入ってきたアストラの声に、ウェズリーが手元から顔を上げた。
「マーベリックさん?見てないけど……。」
「そっか……。」
アストラはわずかに首を傾げる。
(どこいったんだろ……)
(久しぶりにお菓子焼いたから食べてもらおうと思ったのに……。)
「どうしたの?」
「え?」
とっさに手にしていた包みを背中へ隠す。
「な、なんでもないよ!」
「じゃあね!」
そのまま足早に書物庫を出ていくアストラを、ウェズリーは目で追った。
「なんでもない……か……。」
(ふふっ。アストラはなんであんなにわかりやすんだろ。)
同時刻、テセルス最上階執務室――
机へ向かっていたルーフェンスの背後には大きな窓があり、その向こうにはテセルスの灯りが眼下へ広がっていた。
さらに視線を遠くへ伸ばせば、月明かりの中に山脈の輪郭だけがぼんやりと浮かんでいる。
「ルーフェンス代表。マーベリック殿が着きました。」
筆を走らせていたルーフェンスの手が止まり、顔を上げる。
「通してくれ。」
「はい。」
近衛魔道士が扉を開くと、その向こうからマーベリックが入ってきた。
「急に呼び出して悪いな。マーベリック。」
「いや、構わない。」
「座ってくれ。」
マーベリックが向かいの椅子へ腰を下ろしたところで、ルーフェンスは近衛魔道士へ目を向ける。
「すまないが席を外してくれないか?」
「はい。」
近衛魔道士は一礼すると、そのまま執務室を出て扉を閉じた。
「何かあったのか?直接俺が呼ばれたということは。」
「いや……今の状況を共有したくてな。」
「共有?」
ルーフェンスがうなづく。
「最近、黒影についてはあまり良い報告は聞かない。そのことだ。」
「そうだな。3日前も大型が出現……しかも特殊なやつだった。」
「報告書も出てるはずだが?」
ルーフェンスはわずかに口元を緩める。
「籠の中にいるとな……外の話を聞きたくなるんだ。」
(籠の中……。)
「黒影の質が変わった……。これはあっているか?」
「ああ。質が変わったのは数年前だ。最近はより厄介な黒影が出現している。」
「その前までは出現しても徘徊……立ち尽くしていて消える……。こういう黒影もいた。」
「だが今はその事例がほとんどない。」
ルーフェンスは椅子から立ち上がると窓辺まで歩き、眼下へ広がるテセルスへ視線を落とした。
「時代の流れ……いい方向には進んでいないようだな。」
「…………。」
「こちらも……変化をしなければいけない。」
マーベリックは小さく息を吐く。
「報告書によると、こちらの被害も増えているようだな。」
「討伐に出た魔道士が数日後……黒影になり襲いに来る……。」
「黒影の毒を受けた者が帰還後、発症……黒影化……そしてテセルス内部に瘴気を散らす……。」
「マーベリック。君はどう思う?」
ルーフェンスが振り返ると、その視線がマーベリックへ向いた。
「…………。」
「魔道士の力不足……特に下位の魔道士にとっては……死に繋がる。」
ルーフェンスの表情がわずかに緩む。
「その死が……さらに死を呼んでいる。」
マーベリックは視線を落としたまま口を開く。
「そうだな。その状況になるのはほとんどが下位魔道士だ。」
「味方が敵になる……これは絶対に避けなければならない……。」
「すまないな。このような話で。」
「いや……だいじなことだ。」
ルーフェンスは窓辺を離れ、再び椅子へ腰を下ろす。
「話を変えよう。」
「君が面倒を見ている……アストラとウェズリー。上位魔道士に認定されたそうだな。」
その名を口にすると、ルーフェンスの表情がまた少し緩んだ。
「ああ。彼女達は優秀だ。俺なんかよりな。」
「その二人を教えたのは君だろう?マーベリック。」
「俺は自立を促しただけだ。」
ルーフェンスが軽くうなづく。
「テセルスにとってはとてもいい話だ。」
「これから先は優秀な若い者が先頭に立ち……未来に向かい進んでいく。」
「これも変化の一部だ。」
「そうだろう?マーベリック。」
「ああ。アストラとウェズリーだけじゃない。先日テセルスに来た見習い魔道士もすでに中位の位置の魔力値と聞いた。」
ルーフェンスがうなづく。
「今がちょうど変換期。それは君もわかっている。」
マーベリックがうなづく。
ルーフェンスの口元が再び柔らかく緩む。
「話はそれだけだ。呼び出してすまなかった。」
「いや。俺はお前と話せてよかった。」
ルーフェンスの顔がほころむ。
「私もだよ。マーベリック。」
――――――
執務室を出たマーベリックは、そのまま魔都市街地へ向かって歩いていた。
(ルーフェンスの言っていることは正しい……。)
足を進めながら、先ほどの言葉が頭をよぎる。
(若い者が先頭に立ち、未来に向かい進んでいく……。)
マーベリックの口元が細く緩む。
(その通りだ……ルーフェンス……。)
――――――
タッ――タッ――タッ――
市街地を歩きながら、アストラは何度も辺りへ目を向けていた。
「ほんとにどこにいるんだろ……。」
足を緩めながら見渡すが、それらしい姿は見えない。
(温かいうちのがおいしいのに……。)
「ん?」
視線を伸ばした先に、こちらへ歩いてくる人影が見えた。
「あ、いた!」
アストラがすぐに走り出す。
「マーベリックさーん。」
そのまま駆け寄り、目の前で足を止めた。
「どこ行ってたんですか?」
「ん?ああ。ルーフェンスの所だ。」
「代表……。」
マーベリックはその場でアストラをじっと見る。
若い者が先頭に立ち、未来に向かい進んでいく――
視線を受けたアストラも、マーベリックを見返した。
「何か……あったんですか?」
そう言いながら、手にしていた菓子の包みをそっと背中へ隠す。
「いや……ただの話だ。」
「そう……ですか……。」
アストラはその表情を見たまま、ゆっくりとうつむいた。
(いつものマーベリックさんの表情じゃない……。)
「何かあったのか?」
アストラが顔を上げる。
「いえ……何もないです……。」
背中へ隠した菓子を持つ手に、少しだけ力が入る。
「アストラは明日、北東方面の調査だったな?」
「……はい。」
「気をつけて行けよ。」
「はい……わかりました。」
マーベリックはアストラの肩をぽんと叩くと、そのまま横を抜けて歩いていく。
残されたアストラはしばらくその場に立ったまま、やがて振り返ると、遠ざかっていくマーベリックの背中へ目を向けた。
二人の間を抜けていく風が、互いのローブを揺らしていた。
第0部 完




