聖女発覚10
ブラックリリーの旗が見えたとき、戦場に大きな影が落ちた。見上げると巨大な火の鳥が視界を奪った。翼を持ち上げれば激しい上昇気流、下せば熱風が吹き付け、空気が震える。圧倒的な存在感に皆が恐怖し、動けなくなった。こんな芸当ができるのは公爵家の魔法使いかリコリスの魔法使いくらいだ。目を離せずにいると、鳥は大きく羽ばたき、勢いをつけると、頭を下に潜るような姿勢で降下を始めた。
「!? ――― 結べ、白銀鏡!」
咄嗟に盾を作った。衝突まで、ほんの数秒。
バギィッッ!!
衝突と同時に視界が火の海に染まった。
ジュウウウウッ
氷はもくもくと蒸気を上げ、白濁し、ひびのような模様が走り、全体が軋んでいる。耐えろ、耐えろ、耐えろ。曇った氷越しに炎が赤く揺れている。
……ゴォォ……ッ……コォ……
熱風が止まった。メルトの心臓の音が誰かに聞こえそうなほど、辺りは静まり返った。
「ブラックリリー公爵である。これ以上の力を見たい者はいるか?
いないなら、双方話し合いをしようじゃないか。」公爵が言った。
ブラックリリー直属兵団から数十人が戦場をかき分け、氷の盾の発生源を確保した。
「あなたが無事で、本当に良かった。……さあ、爺と共に戻りましょう。」矍鑠とした老人が言った。
「無事でよかった?そっちのせいでみんな死にそうでした!」まだ心臓がバクバク言っている。
「なんのこれしき。我等は信じておりましたぞ。」ニカッ。
所々歯の抜けた笑顔に緊張の糸が切れた。「もうバカ、バカバカバカバカ!本当に怖かった!」
「バカはどちらですかな?さぁ、公爵様に申し開きをなさいませ。」穏やかながら有無を言わせない響きがある。
「あっ、・・・はい。申し訳ありません。」
「素直で結構。」カラカラと笑った。
メルトは公爵のところに連れていかれた。公爵は、現場指揮を兵団長のデイブに任せると、まずは無事を喜び、その後に何があったか一連の出来事の説明をするよう促した。
「奉献祭の日、僕の魔法が国王陛下の目に留まり、常にお側で護衛をするようお話がありました。話を持ち帰り公爵様に相談することも許されず、困って殿下に助けを求めました。陛下は次のリコリス戦で殿下と僕を派遣すると仰ったそうです。もしそうなったら、公爵様はどうするだろうと思いました。僕がいると大変なことになりそうな気がして、陛下が考えを改めてくれたらいいなと思って、殿下について行きました。でも、もう陛下は僕のことが要らなくなったみたいです。」
「あの、狸オヤジめ!エルディン、今すぐメルトを北領の館へ連れていけ。」爺と言った人に指示をした。メルトには仲間の安否を確認する時間も与えられなかった。
メルトは王都を経由することなく、数日かけて北領の館に着いた。
別れ際、エルディンは、「この十日余り、爺には夢のようでした。困ったときにはまた助けに参りますぞ。」と満面の笑みをみせた。
およそ十年ぶりに北領の館に戻って来た。
大きな館に管理人と僅かな使用人のみしかおらずひっそりとしていた。昔と同じ部屋が与えられた。久しぶりにフカフカのベッドに寝転がると、あの美しい天井画が目に映った。なぜこの絵なのか、今ならなんとなくわかる気がした。
「みんな、どうしてるかな。」
公爵様は最高位の貴族だし、平民からの人気も高い。だからあの場をうまく収めるはずだ。王子と陛下の仲裁までしてくれるかもしれない。傷ついた人は、またローズが癒すのだろう。結局、魔法なんてなんの役にも立たない。僕のしたことって何だったのだろう。フカフカのベッドが気持ちよく、いつの間にか寝てしまった。
メルトの部屋の前で、マリアは「メアリ、私、長旅でくたびれてない?」と聞く。
「いつもどおり麗しいです。ご心配でしたら、先にお風呂のご用意をいたしましょうか。」と尋ねる。
「ううん。まずは顔を見てからにするわ。」
ガイアスが笑っている。
今度はルルに向かって言う。「いい?怒っちゃダメ。わかった?」「ミャァー」
ガイアスがドアをノックする。返事が返ってこない。いつもは許可など取らないが、ガイアスの前なので「メルティ、お姉様よ。入ってもいいかしら?」やっぱり返事は返ってこない。そっとドアを開けてみると、ベッドの上で丸まっているメルトを見つけた。「なんだ、寝ちゃってるのね。」
風邪を引かないようにお布団をかけてあげようとベッド際に寄った。また背が伸びた気がする。少し痩せてしまったかしら。伸びた髪に夕日が当たって綺麗。思わず手を伸ばした。「ミャァー」ルルがベッドに飛び乗り、ゴロゴロと喉を鳴らしてメルトの顔に体をこすりつけた。「あ、こら、ルル。」マリアが小声で叱った。「ん、ルル?」メルトが寝ぼけてルルを抱き寄せると、ルルがざらざらした舌で頬を舐めて、目が覚めた。「あれ?姉さまだ。ガイアスもいる。」
メルトは起き上がるとおもむろに正座をし、「ご心配をおかけし申し訳ありませんでした。」と頭を下げた。
声が擦れている。「メルティ、風邪を引いた?」
「ううん。もう子供の時間は終わりみたい。」少し困ったように笑った。
そんなことを言われると、へんにドキドキしちゃうじゃない。可愛らしさを手放して替わりに多大な色気を手に入れつつある。やっぱり隠しておかなくちゃ。雪の妖精みたいに可愛いかったメルティも、妖精王みたいな今のメルティも、まだ見ぬ大人のメルティも、全部全部私だけのもの。マリアはメルトの髪をかき上げる。
「メルティ、お姉さまが綺麗にしてあげる。それから美味しいものもたくさん食べましょうね。メアリ、準備をお願い。」
マリアはメルトを理想の王子様に仕立て上げた。
「無駄にキラキラしているな。前の小汚いローブの方がよかったんじゃないか。」とガイアス。
「ほんと、馬子にも衣装だよね。」苦笑いした。
メルティはメレオロイデス教会でのその後のことを知りたがったが、ここには何の情報も届かない。本邸で急使を受け取った時に、お父様はもう王宮には行かせないと仰っていたので、敢えてなのだと思う。奉献祭で特大の魔法を使ったせいで、もう、少し魔法が使える特殊な子では済まなくなってしまった。このままここで成人を迎えて、結婚して、二人で谷に移り住もう。お父様は、メルティが成人したら告げるつもりだと仰っていた。そう遠くない未来の話だ。
マリアはメルトに王都のことを忘れさせようと、ヴァイオリンを弾かせてみたり、一緒にガイアスから狩りを習ったり、獲った獲物を料理してみたり、色々楽しく腐心した。
ある雪の日に、北の館に一人の若い女性が訪ねて来た。
「お嬢様、メルティ様。メルティ様の婚約者を名乗る方がいらしております。メレオロイデス教会のローズといえばわかると仰っているのですが、お会いになりますか?」
取次の侍女の言葉にメルトの耳がピクッと反応した。「ローズ!?ローズが来たの?」
ローズ!?って、メルティの手紙にたくさん書かれていた?
メルトはガイアスのお手伝いを放りだして玄関へ駆けていく。マリアも急いで後を追った。
メルトは男装の美女を見つけると、うれしそうにハグをした。「元気だった?ローズ!」
「ダーリンに会えなくて寂しかった。会いたかったよ、ダーリン!」ぎゅぅうと抱きしめ返す。
は!?「メルティ、離れなさい。こちらはどなたか説明してちょうだい。」落ち着きましょう、まずは落ち着きましょう。
「あ、そうだね。こちら、メレオロイデス教会の護衛騎士団に所属するローズだよ。教会にいる間、とってもお世話になったんだ。ローズ、こちらはマリア姉さまだよ。昔僕たちを助けに来てくれた女の子だよ。」
「まぁ、マリア様。お会いしたかった。十年ほど前、ミラの教会で助けていただいたローズです。覚えていらっしゃいますか?」
ピンクの髪の女の子がいたような、いなかったような。とりあえず、「ええ。覚えておりますとも。」にこっ。
「うわぁ、嬉しい!」
「ところで、うちのメルティの婚約者と名乗ったと聞いたのですが、侍女の聞き間違えですわよね?」
「いいえ、私たちは結婚を誓いあった間柄なの。ね、ダーリン♡」
「いつ?」驚いてメルトが聞く。
「酷ーい。迎冬祭の夜に、湖の前で、あんなに熱く誓いあったじゃない?」
「あぁ、あの時か。」ポンと手を叩いた。
「そうなの?」マリアがギロッと睨む。
「そう。」とあっさりと肯定した。
嬉しそうなローズと眩暈を覚えるマリア。どうしてこうなった?これまでもメルティに纏わりつく害虫は数知れず。毎日ラブレターを貰って来ては保護者への手紙だと言っている、とんっでもなく鈍い子なのに、どうしちゃったの?マリアはローズをまじまじと観察する。雰囲気は、強いて言えば、ヘレン王女の侍女になったリリス・クシマヤ嬢に似ている。でもメルティはクシマヤ嬢に対して何の恋愛感情も抱いていなかったはず。なのに何故?もしかして胸!?やっぱり大人になるにつれ、男性はみんな大きなお胸がいいってことかしら?マリアはローズの爆乳と自分の貧乳を比べてみた。惨敗。
「どんな下品な手を使ったのかしら?」
「姉さま!それは違うよ。ローズは確かに誤解を招きやすい容姿をしているけど、本質はそこじゃないんだ。医療の知識があってメレオロイデス教会の聖女って呼ばれている。剣の腕もたつし、仕事に一生懸命だし、本当に素敵な人だよ。」
「嬉しい。嬉しくて泣きそう。」ローズは目頭を押さえた。
うざっ。「ローズさん。あなたは魔法を使えますか?」
「使えないわ。」
「でも、湖の女神の加護があるんだよ。医療の知識は湖の女神から教えてもらったんだって。」メルトが急いで付け加えた。
あぁイライラする。「聖女様。それは素晴らしいですわね。でも、それだけでは本当に加護があるかわからないわ。召喚できたりするのかしら?」
「スリンはこんな遠くまで来られない。」
「だったら、あなたが言っているだけかもしれないじゃない?」
「本当だよ。僕、スリンに会ったもん。」
あぁイライラする。
「うーん、証明になるかどうかわからないんだけど・・・」ローズは手に持つ大きなケースを開けた。中には弓が入っている。
「ダーリンを追って行くってスリンに言ったら、これをくれたわ。きっと必要になるからって。信じられないほどの威力があるの。」
弓は神々しく輝いていて、一目でただの弓ではないことがわかった。
「認めないわ。だってそうでしょ?加護って血じゃないもの。メルティ、何度も言たわよね?あなたには魔力の強い子供を作る義務があるの。あなたの結婚相手は力のある魔法使いじゃないといけないの。あなたは私と結婚しないといけないの!」あ、しまった。口が滑った。マリアは両手で自分の口を覆った。
メルトの顔がみるみる歪んで、涙がつうっと頬を伝った。
なんで!?そんなに嫌?




