蝕7
「ジョン、確保!」
「ラジャ!」
え?
「やりすぎだ、お前は。」
ジョンが耳元で低く言い、メルトを肩に担いで連行した。
まぁ、ジョンなら許す。
連れてこられたのは王子の私室だった。
こげ茶の浮彫家具、緑青と金のマーブル模様の壁、大理石の暖炉。落ち着いた大人びた雰囲気の部屋だ。
「メルト、座って。」
お説教だと思い、唇を尖らせながら席につく。
教育係の女性がお茶とお菓子を並べた。
「どうぞ召し上がれ。」
王子がにこやかに言う。
「いっただきまーす。」
ジョンがメルト用にマフィンを半分に割って、片方を食べて片方をメルトに渡した。
「ほら、大丈夫だぞ。食え。」
有難いけども時と場所ってものがある。
「もしかして、ジョンを毒見に使ってるのか?ジョンがメルトのランチをつまみ食いするのってそういうこと?」王子が驚く。
「違ーう、あれはただの食いしん坊!」
だいたい5歳ほど年の差があるのに同じ分量を提供する方が間違っている。
「大丈夫だよ。コーデリアはお母様が輿入れする際に連れてきた侍女だから。」王子が笑った。
気まずくなって、マフィンにフォークを刺した。
「ところで、さっきの話だけど、考え直す気はないかな。」にこっ。
「ないです。公爵様がダメだと言いました。」
「第一連隊の隊長をグラハム少将が兼任することになったのだけど、それでもダメかな。」
「それだけでは、隊が変わるかわかりませんね。」
以前はグレン副隊長がいて、他の隊士も近衛兵であることに奢りではなく誇りを持っていた。
「だったら、隊全体が変わったら戻ってきてくれる?」
「もし、以前のような隊になったら……公爵様に聞いてみます。」
メルトは簡単に、うん、とは言わない。
近衛とメルトでは守る対象が違う。
だったらガイアスと魔法と剣術なんでもありの模擬戦をしていた方が楽しくて有益だ。
ガイアスは強いし、なんたって死なない。
王子に苦悶の表情が浮かんだ。
「私はこのままでは王になれないかもしれない。だから、君には私の傍にいてほしい。」
王子は、リコリスが国境侵犯をしたことで王子の地位が揺らいでいることを告白した。
カサブランカ人は歴史的な理由からリコリスが嫌いだ。
王子には潜在的な敵国の血が流れている。
王子の生まれた当初から、純粋なカサブランカ人である王の甥を王太子に望む声があった。
その甥はアストラガス戦の総司令官だ。
それに加えて今回の国境侵犯で、王妃の廃妃を求める声まで上がり、王に新しい妃を迎えさせようとする動きも始まっているという。
「ダメだ。僕の手に負えない。」
メルトは思わず立ち上がった。
ジョンがメルトの腕を掴む。
「ダメだよジョン。それこそ公爵様に聞かなくちゃ。」
公爵様はたぶん動かない。
「冷たいな。こいつが王になるところを見たくないのか?」
「それは、殿下は優秀だし努力家だし、王様になれたらいいと思うよ。でも、それとこれとは別。
公爵家に類が及ぶようなこと、僕にはできない。」
「命だって危ういっていうのにか?」
「それは……」
そんなことを言われたら、何も言えないじゃないか。
煮え切らないメルトに王子は苛立つ。
「君は公爵家公爵家と言うけれど、知らないだけなんだ。
公爵家の地位も名誉も財産も、本当ならすべて君のもののはずだ。
あれは君の保護者じゃない、憎むべき略奪者だよ。」
「どういうこと?」
「大好きな公爵様に聞けばいい。なんて言うか見ものだ。」
王子の唇がきれいに弧を描いた。
――こういうところだよ、この王子の好きになれないところは。
これをそのまま公爵にぶつけても、公爵の王子に対する心証が悪くなるだけ。というか、失礼過ぎて公爵家の誰にも聞けやしない。
メルトはガイアスに聞くことにした。
「坊の観察記録をつけるようになってから、竜の守り人についての記録を一通り読み返したことがある。
ものは言いようでな、同じ事象でも立場が違えば違った見え方をする。それはわかるだろう?
その子が言っていたことは間違っているとは言えない。一面を捉えている。
特に、坊の立場からすればそう言えなくもない。」
ガイアスは言いにくそうに、くどくどと持って回った言い方をした。
「だから何が?教えてガイアス。」
「いやぁ、でももう昔のことだし、知らん方がいいことだって世の中にはあるんだぞ。」
「もう、ガイアスのバカぁ!」
コンコンとノックがあり、マリアが入ってきた。
「どうしたの?メルティ。大きな声をだして。」
「嬢ちゃん、実は坊がな、公爵家と守り人の成り立ちを知りたがってな。」
「うわぁ、ガイアスのバカぁ。なんで言っちゃうんだよ。もうバカぁ。」
デリカシーって言葉知ってる?
マリアの顔から笑みが消えた。もうバカ、バカカババカカバ。
「どうして急にそんなことが気になるのかしら?」
声が低い。怖い怖い、これはダメなやつ。
「いや、えーと。王子殿下が言っていたから。」もじもじ。
「王族なんてロクなものじゃないわね。自分たちで内輪揉めするだけでは飽き足らず、人の家まで引っ掻き回そうとするなんて、虫唾が走る。」
「ご、ごめんなさい。」
「あなたが謝ることではないでしょ?」
マリアは静かに語り始めた。
その昔、リコリスから来た将軍一行はカサブランカの指導者と協力して竜を退治しようとした。
しかし、竜の首は太く皮膚は堅く、結局眠らせることしかできなかった。
竜が生きていると知った人々は、リコリスがわざとカサブランカで竜を眠らせたのだと非難し、カサブランカを捨てて逃げ出そうとした。
でもどこに逃げるというの?竜はリコリス以外ならどこにだって行けるというのに。
カサブランカの指導者は竜を死んだことにし、将軍に褒章を与えて功労に報い、カサブランカの地に引き留めようとした。
でも、カサブランカ人はもともと魔法が使えないために国を追われたリコリス人なの。
そのせいで魔法使いへの嫌悪が激しい。
困った指導者は考えた末、魔法使いの存在を歴史から抹消し、竜退治はカサブランカの指導者と将軍の魔法の使えない二男が協力して行ったことにした。
竜退治において何の役にも立たなかった二男がすべての功績を独占し、最も奮闘した将軍と長男は僻地で守り人になった。
「つまり、こういうこと。本当はあなたが正統で私が傍流。
本来なら存在すらしなかったかもしれない。
あなたがあんな寂しい場所で、親類から何から奪われて不自由な暮らしをしているのは全部私たちのせい。
これでわかったでしょ?
私たちのものは全部あなたのものなの。あなたは公爵家に対して何の気兼ねもする必要がないの。」
感情を高ぶらせたマリアに、何も言葉がでなかった。
「今まで隠していてごめんなさい。」
マリアは出て行った。
そんな昔のこと――とは言えない。
どう整理すればいいのかすぐには答えが出ない。
黙り込んでいるメルトにガイアスは言った。
「将軍には時魔法を使う長女がいた。
長女は魔法使いとカサブランカ人の融和の象徴として、王家の始祖の息子と結婚した。
でもすぐに死んでしまった。
竜で傷ついた人々は時の魔法使いを聖女と崇め、治癒を求めて群がったんだ。
たぶん嬢ちゃんはそれを恐れている。」
「みんな醜い。」
「そして弱いのさ。」




