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蝕3


 庭の木々は色づき、昼間でも心地のいい風が吹くようになった。今日は王宮に行かなくていい日で、こういう日にはトネリコの木に登ってフルドラに会うことにしている。王宮であったことを話して、求められればヴァイオリンを弾いて、フルドラの愚痴を聞いた。主にガイアスの悪口。

「あ、お兄さんが来たみたいだよ。」フルドラは坂を上ってくるタウンハウスの馬車に気が付いた。

「だからお兄さんじゃないってば!」いつもだったら聞き流すところを今日は思いっきり突っかかった。フルドラは面白そうにククッと笑った。

公爵が本邸に引き籠ってからも、セオドアはタウンハウスで暮らしている。

 夕食の時間は、みんなで食卓を囲んだ。

「ルル。今日はお肉だぞ。」

メルトの隣の席のルルに話しかけた。メルトの席の隣にはルル用のクッションのない広めの椅子が置かれていて、その上に素材の味を生かした特製料理が山盛り並んでいる。ルルは大きめなモフモフ猫様の姿をしているが、実際は熊ほど大きい。

「いい食べっぷりですねぇ。」

――― セオドアが明日大学寮に移る。しばらく会えなくなるのは寂しいだろうが、立派な法曹になるためだ、皆応援してやってくれ。公爵が言った。

「たまには葉っぱも食べなよ。」

――― 入学おめでとう。なんて誇らしいことでしょう。あなたは誰よりも優れた法律家にならねばなりません。しっかり学ぶのですよ。母は、あなたならできると信じています。と公爵夫人。

「好き嫌いはダメなんだぞ。はいどーぞ。」メルトが手づかみで口元に運ぶとルルは鬱陶しいそうに顔をそむけた。まったくいけない子だ。

――― おめでとうございます、お兄様。寂しくなりますね。私もお手紙を書きますから、たまにはお返事を書いてくださいね。新しいお友達のお話とか、寮でのお食事のお話とか。こんなおいしいお料理、食べられるはずありませんもの。マリアは大きな肉をパクリと頬張ってみせた。

セオドアは法律を学ぶために王立大学に入学する。おめでとうというが、試験といっても、推薦と面接、口頭試験だ。誰が現役法務大臣の息子を落とすよ。メルトは内心悪態をついた。ちなみに法務大臣は裁判官の任命権を持っている。

 数日前、王宮でのお勉強の後に、大家政のマニサ侯爵がメルトを執務室に呼んだ。部屋には、誰かの戴冠式を描いた立派な絵画が飾られていた。

「王宮でのお勉強はどうかな。」侯爵はメルトに座るように促しながら聞いた。

どうと言われましても。「特に問題はありません。」

「ふむ。王宮にも慣れたし、そろそろ毎日来てはどうだろうか。セオドア公子が抜けると王子殿下の周りが淋しくなる。現状公爵家にとっても悪い話ではないと思うのだが。」

「僕はお勉強はあまり・・・。」

「そんなことはない。きっと良い家庭教師がついているのだろうね。

だから君が学ぶべきは学問というより、王に対する忠誠心だと私は思っていてね。うんたらかんたら」

メルトはこの時初めてセオドアが王宮でのお勉強を辞めることを聞かされた。確かに僕は家族じゃないけど、酷い話だ。

 「メルティ。セオドアにおめでとうは?」公爵夫人が促した。

メルトはフィンガーボウルで丁寧に指を洗って、ナプキンで丁寧に拭いて、にこっ。「ご入学おめでとうございます。」以上。

――― もっと言うことはあるでしょう。夫人のお小言が始まった。

「メルティ?」マリアが呼んだ。

「うん?」

「はい、あーん。」メルトの嫌いな内臓料理をスプーンいっぱいに掬って差し出した。

「うぐ。」口を固く結ぶ。

「あーんは?」目が怖い。

はい、おっしゃる通り僕が悪かったです。恐る恐る、ぱくっと・・・あれ?もしかして意外と?・・やっぱ無理です!!無理でした!!慌てて水で流し込んだ。

 自分の部屋に戻って、ガイアスに読むように言われた本を広げる。ガイアスは古典言語でしか文字を書かない。広げたものの立ち向かう気力が湧かず机に突っ伏した。うーん、内臓料理の風味が胃から立ち上ってきて気分が悪い。

トントントン。

「はい、どうぞ。」またマリアが来たと思って伏せたまま答えた。

入ってきたのはセオドアだった。僕は睨んだと思う。

「すまない。」開口一番セオドアは言った。

「逃げたでしょ。」王宮で言われる嫌味に耐えかねて逃げた。

「そういうつもりはないが、結果的にそう思われても仕方がないと思っている。」

「なんで今なの?なんで僕一人置いていくの?これは僕の役目じゃない、そう言ったのはセオドアだ!」

そっぽを向いたメルトにセオドアは何かを言おうとしてやめた。何を言っても言い訳にしか聞こえない。

「本当にすまない。これ、俺の教科書とノート。役に立てばと思って。」

セオドアは王宮で使っていた教科書類をガイアスの本の隣に置いた。メルトは一番上の教科書を手に取ってパラパラとめくってみる。先の先までびっしり書き込みがしてあった。セオドアはメルトが公爵邸に来たときから将来は法律の大学に行くのだと言っていた。そのために努力をしていることも知っている。公爵は、議会停止処置が解除されなければお話にならないと言っている。どうして解除されないのかわからないが、先の見通せない中、未来ある若者が前に進むことは賢明な判断だと思う。

「早く、早く戻ってきてよ。僕じゃ、セオドアの代わりなんてできないんだから。」

「努力する。ありがとう。」

セオドアが部屋を出て行ったあと、古典語の教科書を選んで開いてみる。やはりたくさんの書き込みがしてある。意味が書いてある単語、ない単語。文構造の分析。まるでセオドアの頭の中をのぞいているようだ。

 ガチャ「メルティ、入るわよ。」突然ドアが開いて、当然のようにマリアは中に入った。今ではメルトはこれにも意味があるのだと思うようにしている。例えば、ちゃんと部屋にいるかとか、ちゃんと勉強をしているかとか、何かやましいことをしていないかとかを確認しているのだ。そう思えば有難いじゃないか。

「お夕食の時、元気がなかったでしょ。だから元気にしてあげようと思って。なんとぉ、じゃじゃーん!」

後ろに隠していたものをさっと差し出した。少しサイズが大きくなったヴァイオリンだ。

「うわー、どうしてわかったの?」

「そりゃ毎日見て聞いていればわかるでしょう。今日も音が少し窮屈そうだったわ。」マリアは笑った。

少しの気兼ねもなく新しいヴァイオリンを手にすることができるなんて恵まれている。前世では、母がため息をついていた。僕は公爵家からたくさんのものをもらっている。それは物質的なものに限られた話ではない。少しくらい返したっていい。ほんの一時のことだ。セオドアにできたのだから僕にだってきっとできる。

「ではお礼に1曲。何がいい?」

「やっぱりあの曲がいいわ。あなたが最初に私に弾いてくれた曲。」

「うん、わかった。」

メルトはロンドンデリーの歌を弾いた。

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