マリア様
僕はルルと一緒に公爵様の馬に乗った。
針葉樹の間から谷を見下ろすと、雪原に三角屋根の我が家が小さく見えた。家の後ろに見える剥き出しの地面には母が眠っている。
山々を越え、森を抜け、公爵家の北の館に着いたとき、メルトは不覚にも眠ってしまっていた。
「「「お帰りなさいませ、旦那様」」」
何事⁉
公爵様の肩越しに辺りを見回すと、みんな同じ黒い服を着た人たちがずらっと並んでいる。とんでもないところに来てしまった気がする。メルトは目を白黒させた。
「ただいま、マリア。いい子にしていたかい?」
「もちろんですわ、お父様。」
冷ややかな声が返ってきた。
メルトは恐る恐る振り返ると、ふわふわと波打つブラウンの髪の女の子が、冷めた目でこちらを見ていた。僕が公爵様に抱っこされているから、公爵様を取られたと思って怒っているのかも。
マリア。・・・マリア・ブラックリリー?
なんだろう、この既視感。僕は以前から・・・この子を知っている?
僕はちょっと首を傾げて、もう一度マリアを見つめた。
突然パズルのピースがカチッとはまったような音がして、そこから立ち上がった事実が、僕を全力で殴った。
僕は思い込みの激しいお子様だった。例えば、牙のある凶暴な魔うさぎは、寂しいと死んでしまうと信じていたし、出会うと全力で殴り掛かって来る魔狸を気の弱い小心者だと思っていた。知らなかったというより確信に近い思い込みがあり、そのせいで酷い目に遭ったこともしばしば。
でも、これはただの思い込みではなかった。僕には前世の記憶があるのだ。マリア=ブラックリリーは前世で読んだ小説の重要キャラで間違いない。
前世の僕には、いつもゴロゴロと寝そべってゲームか漫画を読んでいる怠惰な妹がいた。その妹が「ドラゴンソード~聖なる乙女伝説」なるゲームにはまった。僕はもともとゲームに興味がないうえに、タイトルの厨二臭が酷い。小馬鹿にする気持ちで、「それ、面白いのか?」と話しかけた。しかし、それは押してはいけないスイッチだった。妹は興奮して熱く語りだし、ゲームの小説化本を押し付けてきた。
「絶対面白いから絶対絶対読んでみて!絶対よ、あとで感想聞くからね!」
マリア・ブラックリリーは聖女で王太子の婚約者設定だった。愛する人に裏切られ闇落ちし、眠れる竜を復活させて、この世を滅亡の危機に陥いれる。そこで、ヒロインが攻略対象たちと力を合わせ、愛のパワーで竜を倒し、世界に平和を取り戻す、みたいな話だった。
うっ、思い出される徒労感。僕の時間を返せ!
ただ、AIを駆使して描かれた絵がとても美しくて、引き込まれるようだった。それで僕は引き込まれた???
「よっこいしょ。」ドサッ。
混乱している僕は、抱っこから下ろされたことに気づけず、体勢を崩してしゃがみこんだ。
「マリア、今日から一緒に暮らすメルト君だよ。マリアはお姉さんだから色々教えてあげてほしい。」
僕の動揺は収まらない。僕を見下ろしていたマリアが、不意に僕を顎クイした。
「ほえ?」
この子は、世界を破滅させるポテンシャルを秘めている。
「あ、あの、メルト・リリーです。5歳です。宜しくお願いします。」
マリアが僕の腕を掴んだ。
「ちょっとこっちにいらっしゃい。」
こ、怖いよ、ガクブル。
僕はとある一室に連行されると、黒ずくめの女たちに壁際まで追い詰められた。絶体絶命。
マリアが薄笑いを浮かべて、黒ずくめの女たちに静かに命令した。
「お前たち、やっておしまいなさい。」
ギャー!
黒ずくめの女たちは容赦なく襲いかかり、僕の服をひん剥いていく。
悪魔たちの手が首に伸びてきて、僕はたまらず全力の魔法を発動させた。どんな魔法かなんて考えられずできる限りの最大出力に特化して、・・・したはず。
一瞬違和感を感じた次の瞬間、
「これは大切なものなのね。そのままで大丈夫よ。」
目の前にマリアがいて、僕の首飾りを魔の手から守っていた。悪魔の親分が何故?
辺りに何事も起きてない。僕、まだ何もしていない?気のせいかな?
僕の連れていかれた場所はお風呂場でした。
僕はマリア様に洗濯されて、隣でルルがメイドの方々に洗濯されています。
僕たち汚かったんだなと申し訳ない気持ちになりました。マリア様は機嫌よさそうに僕の頭を泡々にしています。気が済むまできれいにしてください。
お風呂から上がりメイドの方々に拭かれていると、マリア様が服を何着も並べ始めた。
「お兄様の小さかった頃の服よ。これを着ましょうか、やっぱりこっちがいいかしら?」
どれでもいいです。
髪を乾かし、櫛で梳かして、全工程が終わったらしく、マリア様は僕を上から下までチェックした。
「メルティ、可愛い!まるで雪の妖精さんみたいね。」
鏡に映る自分は、銀色の髪がキラキラしていて確かに可愛い。でも、母様の言う可愛いとは少し違うなって思う。
「・・・ありがとうございます。マリアお嬢様。」
途端に空気が変わった。というか、マリアお嬢様の顔が変わった。
「違うでしょ、メルティ。お姉さまでしょ。マリアお姉さま。」
目が、有無を言わせません。
「は、はい、マリアお姉さま。・・・マリアお姉さまの方が可愛いです。」
容姿の美醜を言っているのなら、僕にはそう思える。
マリアお姉さまは、今までで一番いい笑顔を作って、僕をきつく抱きしめた。
僕は諸々の心労が祟って意識を失った。
お決まりの。