パンデモニウム6
「おはようございます、殿下。マクリーンに何かあったのですか?」
そう言われれば、しばらくマクリーンの顔を見ていないような気がする。たまにしか王城に顔をださないと色々と疎い。
「昨夜遅く、財務大臣ベルガモ伯の解職が決まった。」一大事をさらっと晴れやかに言った。
親が王の頭脳を外れると、その子も王子の側近から外される仕組みらしい。王子は時と場所に相応しい表情をする人なのに、少し違和感がある。僕がマクリーンを嫌っていると思ったのだろうか。いや、この王子は僕なんかに合わせて表情を変えたりしない。
「そうだセオドア。」セオドアに聞こう。
メルトはエントランスに向かった。前からジョンブラウンが来た。
「おはようジョンブラウン。」挨拶だけしてすれ違う。
「ちょい待て、ちょい待て。もうすぐ講義が始まるぞ、どこへ行くつもりだ。」すれ違いざまに腕を掴まれた。後ろから王子が追ってきた。
「もう酷いな。事情ならセオドアより私の方がよっぽど知っているというのに。」と王子。
だって胡散臭いんだもん!と喉まで出掛かった。
セオドアはその日は王城に来なかった。午後の授業は廷臣たちが忙しく休みになった。新しい財務大臣を誰にするか決めなければならず、そのための準備が始まっていた。
剣術の授業の後、どんぐりがいっぱい落ちているオークの下で、学友たちがこの数か月の間に起きた出来事をメルトに話して聞かせた。
「事の発端は、迎春祭の日のリミン教会に対する悪趣味な悪戯だと思う。」とフィンが言った。迎春祭の日は、メルトが王子王女のお茶会に呼ばれた日だ。
リミン教会とは王城の近くにある教会で、マニサ侯爵の息子ミカエルが祭司になったことで王室御用達になった新興の教会である。この国の教会は、建前上教会間に上下はない。ただ、重要な聖地を管理する教会は事実上影響力を持っていた。フィンの親が祭司を務める教会は石の円環と聖なる泉を管理する大教会だ。これに対してリミン教会は管理する聖地がない。聖地は都会ではなく森の近くにあるので仕方がない。聖水が必要な時は近隣の聖なる泉に汲みに行っている。
迎春祭の日の朝に、リミン教会の入口の扉に、王の死を祈願する言葉が書かれた紙がナイフで刺され、その下に生贄の烏の骸が置かれていた。禁止されている黒魔術の儀式を模していた。迎春祭の儀式は夜に行うものなので、前夜から朝まで教会には人がいなかった。宮廷や王政への批判は地下出版され匿名で市中に出回っている。それに比べると安価で手っ取り早くできるので、ただの悪戯とも見えなくもない。結局地下出版の取り締まりと同程度の捜査しかなされず、犯人は見つかっていない。
豊穣を祈願する夏祭の日中、やはり祭司が王城に来て儀式を行った。儀式が終わると、国王夫妻、祭司とマニサ侯爵で私的な茶話会が開かれた。その場で出されたお菓子は、アイスクリームに、メレンゲクッキーと苺を砕いてトッピングし、苺ソースをかけたもので、夏の定番だった。マニサ侯爵は国王の親類であり家政長官であるので信頼が厚く、毒見役は置かれなかった。そのためか、祭司は茶目っ気を含んで「私が毒見をいたしましょう。」と、メレンゲとアイスクリームをすくって口に運んだ。両方とも口の中ですっと溶けて、余韻を味わったっているように見えた。おもむろに口を開く。
「今朝は、湖畔のさざ波がいつもと違った揺れ方をしておりました――その意味を、今ようやく知った気がいたします。私が先に食したのは風の知らせ。…誰かが風に逆い、悪意を込めたのかもしれません。」
祭司は倒れた。国王夫妻は慄き立ち上がった。マニサ侯爵は慌てて自分の菓子をスプーンで掬い紅茶に溶かすと、銀器が黒く変色した。
祭司は一命をとりとめた。この事件は、王を狙ったのか祭司を狙ったのか両方を狙ったのか等いろいろな角度から秘密裡に捜査された。アイスクリームは宮廷料理人が作っており、メレンゲクッキーや苺は王室御用達から仕入れたもので、どこで毒が混入したのかわからなかった。毒薬と黒魔術の親和性から、リミン教会の黒魔術事件に再度注目が集まった。その筋から慎重に捜査を進めていくと捜査線上に宝石商グラリオサの女主人の名前が上がった。この女は堕胎、毒薬や媚薬の製造・販売、黒魔術の儀式と手広く手掛けており、薬草の知識を持って、錬金術師や魔術師が集まる地下市場と貴族社会をつなぐ窓口となっていた。グラリオサの顧客名簿を頼りに多くの貴族が取り調べの対象になった。その結果、財産相続目当てや愛人関係の清算のために毒を盛った事件が次々と発覚し、媚薬や堕胎薬を購入したご婦人の名前や、黒魔術の儀式に参加した貴族の名前が明らかになった。ベルガモ伯爵は黒魔術の儀式の参加者リストに名前があった。取り調べに際し、ベルガモ伯爵は、ただ興味があって参加しただけだと繰り返した。
王の頭脳は連日会議を開き、伯爵の処遇について話し合った。
ミカエル祭司が呼ばれて、黒魔術の実効性について意見を求められたこともあった。祭司は、聖職者の祈祷がどれほど土地に豊穣をもたらし、多くの人の病を癒やし、予言を得て国や個人を救済してきたか切々と語った。「あの日、確かに風は私に異変を告げておりました。そのため私が毒見をしたのです。」聖職者の力を信じるなら、黒魔術の効果も信じなければならない。
国務大臣は言った。「黒魔術は魔術法で禁止されており、違反者は極刑です。」
「伯爵は儀式を見ていただけで、何かをしたわけではないではないか。」と法務大臣。
「災厄を願ったか願ってないかなど、傍からはわかりません。魔法が存在する以上、予備の範囲が広がり、実行行為性があいまいになることは仕方がないことでしょう。」
「そんなことを言い出したら世の中皆犯罪者になってしまう。処罰をするのは、客観的に結果発生の現実的危険のある行為に限るべきだ。」
「魔法のすべてが解明されているわけではない現状で、法務大臣がおっしゃる客観的に結果発生の現実的危険性ある行為とは一体何ですか。」
この世界で伯爵を擁護することはかなり難しかった。とはいえ、伯爵の参加した黒魔術の儀式と王宮での毒殺未遂事件は関連性が認められず、最終的に、王の判断で伯爵は王の頭脳を解職されるにとどまり、魔術法違反は不問とされることに落ち着いた。
「だから、メルトが心配することは何もない。さ、昼食にしよう。」王子はにこやかに言って立ち上がった。
王子は、メルトが倉庫に閉じ込めたことが原因でマクリーンがいなくなってしまったと心配していると思ったようだ。その点はメルトとしても無関係だとわかってほっとした。でもメルトのドキドキが止まらない。頭が整理できてなくて、何がそんなに怖いのか自分でもよくわからない。
「僕、心が落ち着かなくて。もう少しここにいてもいいですか?」色を失った顔で尋ねた。
「うん、落ち着いたらおいで。」優しく微笑んでみんなと部屋へ戻っていった。
心を落ち着かせるために、僕が怖いと思っていることを順々に上げていく。
まず、黒魔術が極刑というのが怖い。魔法を悪用するのが黒魔術なら善悪はどういう基準で決まるのだろうか。まさか使用者基準ではないだろう。そうすると攻撃力のある魔法はほとんどの場合に黒魔術になりそうだ。毒殺未遂事件が未解決なことも怖い。自分に毒殺されるような価値はないとわかっていても、流れ玉にあたるということもある。
さらに不安なことは、公爵の立場が以前より悪くなったと容易に想像がつくことだ。ベルガモ伯が解職されたことで、議会と王の間を取り持つ中道派の勢力は削られた。王の意思に沿う結果になったといえる。一連の出来事が良い方向に働いたのは、王、祭司、祭司の父であるマニサ侯爵だ。もし一連の出来事が誰かの自作自演だとしたらどうだろう。侯爵はマクリーンの首飾りを知っていたかもしれないし、王子は伯爵がいずれ排除されることを見越してメルトを王宮に誘ったのかもしれない。権力バランスの点で、マクリーンがいるのとメルトがいるのでは見かけは同じでも中身が違う。
この転落劇は一体いつから始まっていたのだろうか。そしてこれで終わったのだろうか。
ラ・ヴォワザン事件を参考にしております。