トネリコの木6
「私よ私。ここを開けて?」
怪しい。こういうのは無視するのが正解。
「もう、マリアお姉さまよ!さっさとここを開けなさい。一緒に帰りましょう。」
「姉さまがなんでここにいるのさ。その手には乗らないぞ。」
「森の精霊に頼んだの。ほら見て、美味しそうな林檎があるわ。」
やっぱり悪い魔女だ。メルトは息を凝らした。
マリアはため息をついた。自分が自分であることの証明はどうやってすればいいのだろう。
「私はマリア・ブラックリリー。お父様のフェリクスは、カサブランカ王国の公爵で法務大臣、お母様はグレース、お兄様はセオドアよ。あなたはメルト・リリー。お母さまがお亡くなりになって、うちに来たの。こんなことは調べれば誰でもわかるわね。私しか知らないこと、か。
メルティはペンダントをしているわ。ペンダントトップに指輪が二つ。これはメルティを脱がせたことがないとわからないわ。
好きな食べ物はプリン。王都の料理人は篭絡できてないでしょう?
それからバイオリンを弾く。これはパーティの参加者なら知っているかも。
じゃぁ、前世の記憶があるっていうのはどう?私たち二人の間だけでした話よ。
これ全部知っているのは私くらいじゃないかしら?」
「本当に姉さま?」「本当よ。」
「一人なの?公爵家のお嬢様がこんな場所に一人で来るなんておかしくない?」
「それは頼んだ賢者の能力の限界ね。これ以上は精霊が逃げ出してしまうわ。」
賢者は、儀式の効果を見ながら段階的に呪術的要素を強めていく。賢者が山羊をトネリコの木に繋いで祈りを捧げると森の精霊は答えた。山羊が樹皮や根を食べるだけの穏健な方法で済み、本当に良かった。
「騎士を寄越すべきじゃない?」
「うーん、熱量の点で信用できないかなと。」
公爵家には優秀な騎士がいくらでもいるが、仕事というだけでメルティが見つかるまで探すだろうか。すぐに帰って来そうな気がした。だから精霊が入口が開いてみせた瞬間に、マリアは問答無用で飛び込んだ。入口はすぐに閉じた。賢者は今頃針の筵だろう。
「どうして?僕は姉さまの本当の弟じゃないのに。」
「そうだなー。メルティは、怖がりで、なかなか他人に心を許さないタイプでしょ?初めて会ったときにすぐにわかったわ。可愛くて人見知りな猫が私だけに懐いたら、気分がいいと思わない?だから手懐けることにしたの。」
はい、姉さまです。間違いありません。
ガチャリ。
扉を開けると、マリアはメルトを抱きしめた。
「こんなに髪が伸びて。とっても心配したんだから。」
「ごめんなさい。」
マリアを食卓の小人用の椅子に座らせてお茶を淹れた。まず、ルルに驚いていた。うん、驚くね。だから妖精の国と小人の話をして、ここは小人の家で家事一切をする代わりにおいてもらっているのだと話した。
マリアは帰ろうと言った。でも、それはできない。ここに来た目的を果たせてないし、自分がどうしたいのかもわからないでいる。
マリアが林檎を一つ、テーブルの上に置いた。
「森の精霊が言っていたわ。迷ってどうしようもなくなったら、これを食べなさいって。」
これを食べると前に進めるようになるのだろうか。食べるのは簡単だけど、これは自分で考えないといけない気がする。メルトは首を振った。
「姉さま、せっかく来てくれたのに悪いんだけど、先に帰って。僕はもう少しここにいたいんだ。」
帰るかどうかもわからない。こうして竜の守り人は物語から消えるのかもしれない。
マリアが笑った。「あら?そういえば、どうやって帰るのかしら?」
「は!?姉さま!」正気ですか!?言葉を失うレベルです。
その後は、普段通りの家事をして、マリアには小人のベッドを使ってもらうことにした。四つぐらいくっつければ広さは十分だろう。寝心地は良くないかもしれないが清潔さには気を使っている。自分はルルにくるまる。
「ねぇ、私もルルで寝てみたいわ。」「駄目。ここは僕の特等席だから。」
「だったら半分こしましょう。」「駄目。僕専用だから。」
僕はもう疲れました。お願い黙って寝てください。メルトは灯を消してマリアに背を向けた。三日月が空の高い位置にあり、薄い月明りが窓から差し込んでいる。
朝、目が覚めるとマリアが隣で寝ている。僕のパーソナルスペースが広いの、知ってたよね?腹がたったので、思いっきり揺り起こした。
「何でここにいるの?」ジト目で睨む。
「起こしてあげようと思って、今来たところよ。嘘じゃないわ。」
この嘘つき。「ここは僕専用だって言ったでしょ!あっちへ行って!」
ルルが大きなあくびをして立ち上がり、小人たちがいない最後の朝は酷く早起きになってしまった。
朝ごはんを作ってマリアと食べる。
「ねぇ、メルティ、こんなことを毎日しているの?」
「そうだよ。」
沈黙が流れた。マリアが不機嫌そうだ。やっぱり御飯が口に合わないのかな。それとも、朝怒ったことを怒っているのかな。僕はもともと朝が弱い。言い過ぎたかもしれない。気まずい空気の中、メルトは黙々と仕事をした。
午後、小人たちが帰ってきた。持って行った売り物が全て売れて小人たちはご機嫌な様子だった。
「ただいまー。メルト、いい子にしていたかい?」
すぐにマリアに気づいた。マリアが笑顔を張り付けて小人たちの前に進み出た。
「私、マリア・ブラックリリーと申しますの。うちのメルティが大変お世話になったようで。」
「お姉さん?」小人たちがメルトとマリアを交互に見た。似てないと思う。
「血は繋がってないんですけどね。オホホホホ。」
「どういうこと?関係ない女の子を家に入れたってこと?」「留守の間に?」「やるなぁ!」
「やってないから!血は繋がってます。姉さま、おかしな言い方はやめて!」
「遥か昔にね。それはそうと、私、皆さまにお話しがありますの。ちょっと座ってくださらない?」
小人たちは食卓について顔を見合わせる。メルトはお茶をいれることにする。
「メルティ、それはいいからあなたも座りなさい。」
メルトが頭に?を浮かべて丸太のスツールに座ると、マリアが小人会議を開始した。
「我が家は使用人を大勢雇っています。彼らに能力に応じた仕事をしてもらい、我が家は相当な対価を支払っています。多くの使用人は屋敷内の寮に住み、賄い料理を食べるので、最低限の必要費は支払ってもらいますが、それでも彼らの可処分所得は年に100万から150万くらいはあるはずです。それに比べて、ここでのメルティの扱いはどうでしょう。こんな子供に、抱えきれないほどの労働を課し、しかも無賃無休だなんて、人の道に反していると思いませんか。」
ちょっと姉さま!?これから姉さまもおいてもらえるよう頼まないといけないのに。
「小娘が突然何を言いだすかと思えば。ここにおいてやる代わりに一切の家事をするという条件を呑んだのはメルト自身だ。何も知らないくせに勝手な事を言わないでくれ。」小人が反論する。メルトはこくこく頷く。
「行く当てのない子に追い出すことをチラつかせて、そこに自由な意思があると言えるでしょうか。有利な立場を利用し、相手に著しく不利な条件を呑ませることは信義に照らしてどうでしょう。是非お考えをお聞かせください。」
もしかして、キレたマッチョ小人からマリアを守るのは僕、かな?
「以前は7人で分担していた家事を、メルトは一人でやっている。」「確かに嬢ちゃんの言うことは筋が通っている。」「でもね、こき使ってやろうと思っていたわけじゃない。少しは仕事をしてもらおうと思ったけど、頑張ってくれればそれでよかったんだ。全部できなくて全然よかった。これは信じて欲しい。」「なまじできるから、配慮が足りなかったと思う。」
マリアはにっこりして言った。「不当に得た利益は返さなければ公平じゃないわよね。」
小人たちは同意し相当なものを考えてくれることになった。
それからテーブルの上にお土産を広げて、町であったことを口々に話し始めた。
メルトは思った。僕には体育会系インドアの気合と根性が染みついている。これはこれであまりよろしくない。けれど、マリアがマリアでいられるのは公爵家の後ろ盾があるからこそなのだ。マリアはもと居た場所に帰るべきだ。
日が陰り始め、夜ご飯をみんなで作ることになった。ワイワイ楽しかった。
食事の用意が整って席に座った。前に座る小人の後ろに窓が見える。いつもは暗くて何も見えないのに、今日は蛍のような光がふわふわと飛ぶのが見えた。それはもうたくさん。
「ねぇ、見て?こんなにたくさんの蛍、初めて見るよ。綺麗だね。」メルトは窓の外を指さした。
「あぁ、今日は夏至か。」小人が指の指す方向を見て言った。
「夏至だと蛍が飛ぶの?」
「いや、夏至と冬至の夜は、ワイズマンが辺り一帯から魔法の素を吸い上げるんだよ。」
!?
メルトは急いで外に出た。そこら中から小さな黄色い光が湧いて空に昇り、同じ方向に飛んでいく。メルトからも、メルトを追って来たマリアからも、ルルからも、体中から光の粒がポコポコと生まれ、空に昇っていく。
見上げるメルトに小人が言った。「死にはしないけど、あまり気持ちのいいものじゃない。家に戻ろう。」
時が来た。
「・・・僕、いかなくちゃ。」
法律は国ごとに違うからね。条文がなくても通用する法理を10歳に満たない子が言いました。こういうのは違うってわかっているのですが好きすぎて。にやにやしながら書いています。
白雪姫のお話では、読んだ本によるのかもしれないですが、家事を完璧にすることが条件でした。そうすると、白雪姫が仮死状態になったときに小人たちが悲しんだのは、死を悼んだからなのかと疑問に思います。大人って悲しい。童話をあらためて読むと今まで思っていたのと少し違うと思うことがあります。人魚姫もそうでした。英語版人魚姫を読んだのですが、日本だと真実の愛が中心に描かれますが、人魚姫の輪廻転生する人間の魂への憧れも同じくらい重要な要素でした。キリスト教的じゃないので印象に残っています。