トネリコの木5
「妻を他の男に惚れさせて笑うなんて、そんな陰湿だから嫌われるんだよ。どうせなら自分に惚れさせればいいだろ?」
「おぉ。おじさんいいこと言うね。」
「そうだろう?夫婦円満が一番さ。・・・なぁ、できるか?」
メルトは久しぶりに心が動いて、大きく頷いた。
メルトは王付きのパックを捕まえて夫婦円満計画を打ち明けた。実のところ妖精たちも、王と女王の仲たがいにはうんざりしていたところだった。パックは肩掛け鞄からサーモンピンクの液体入りの薬瓶と抹茶色の液体入りの薬瓶を取り出した。ピンクの方が惚れ薬で抹茶色の方が解毒剤。ちなみに解毒剤の原材料は、キューピッドが撃ち損じた鉛矢が当たって抹茶色に変色したドクダミの花とのこと。
「4滴も垂らしたら流石に目が覚めちゃうんじゃないか?叱られるのはごめんだね。よし、女王様はお前に任せた。王様は俺様に任せろ。」パックは薬瓶をメルトに押し付けた。
あまりにあっさりと渡されて驚く。妖精にとっては言うほど大した薬ではないのかもしれない。ピンクが惚れ薬、右のポケットに入れる。抹茶色が解毒剤、左のポケットに入れる。間違えたらダメ。
多くの妖精を巻き込んで夫婦円満計画は実行された。
夜、妖精たちは歌と踊りで女王に夜更かしをさせた。女王が眠りに就くと、小人が女王の傍から抜け出して「おい、起きろ。」と四阿で寝むるメルトの肩を揺すった。メルトがビクッとなって「ね、寝てない。」と言うと、小人は、よだれが垂れてるぞと口元を指さした。慌てて手で口を拭ったが何もつかず小人を軽く睨むと、小人がくくっと笑った。おかげで少し目が覚めた。よし頑張ろう。
なだらかな丘を登り花畑で眠る女王のところに行く。妖精たちが、せっせと野の花を薔薇に植え替えていた。悪戯好きの妖精たちがクスクス笑うので、しー静かにと合図を送る。
まずは左のポケットから解毒剤を取り出す。これは最悪起こしてしまっても大丈夫なやつ。一息に両目にさすと、女王が寝返りを打った。メルトも妖精たちもピタッと止まる。息を殺してじっとしていると、そのうち規則正しい寝息が聞こえ始めた。みんな一斉に息を吐く。次が本番。解毒剤を戻して惚れ薬を取り出すと、慎重に一滴ずつ、たっぷり時間をかけて垂らした。成功の合図を送ると、みんな一斉に散っていった。
夜明け前、王は女王のもとに行き、花のベッドに腰かけた。それを合図に鳥が朝を告げる歌を歌い、太陽が野原に金色のカーペットを広げ、風が雲を払い、花々が甘い香を放った。
王は一際美しい薔薇の花を摘んで、「起きてチテー、お日様が顔を出したよ。」と女王の頬にそっと手を当てた。女王は目を閉じたまま顔を顰める。
王はため息をつく。「まったく。私があなたを思って寝むれない夜を過ごしているというのに、あなたときたら。あぁ知っているとも、あなたは一切の花びらと少しの棘からできていて、私はあなたへの愛でできている。」
女王は目をあけ、その瞳に王を映し、差し出された薔薇を受け取った。
王は女王にキスをする。「チテー、ねぇお願いだ、私だけを求めて。」
「えぇオビロ。私の愛は永遠にあなたのものよ。あなたの愛も永遠に私のものだわ。だって私たちの愛は真実の愛なのだから。」
妖精たちが拍手喝采を送る。王様女王様万歳!これで妖精の国に平穏が訪れる。丘のふもとにいるメルトもパチパチと拍手を送った。よかったね王様。
小人が思いっきりメルトの腕を引っ張った。「おい、今のうちに逃げるぞ。」
おわっ!?小人の力が思いのほか強い。
「あ、ルル。」後ろ向きに引っ張られながら、ルルに手を伸ばした。
その目に、丘の上で薔薇の蔓が一斉に立ち上がり、縒り合さって3匹の大蛇のようになっていく光景が映った。
何だあれは!?
「逃げるなんて駄目よ。美味しくなるまで待つつもりだったけど、逃げるのなら仕方がないわ。オビロ、仲良く半分こしましょ。」女王は王に提案し、王はいい考えだと頷いた。
大蛇は鞭のように撓り、反動をつけると一直線に丘を下り二人と一匹を追った。
うわぁぁ!
チッ、小人が舌打ちをした。
蔓が凄い速さで追って来る。振り返れば振り返る分だけ遅くなるのに振り返らずにはいられない。迫りくる気配を感じて振り返ると、ルルが大蛇に飛び掛かった。ルルは大きくなったけど大蛇の方がずっと大きい。ルルが弾き飛んだ。駄目だルル!
ルルを追っていた蔓は弾き飛んだルルについて行けず、そのままメルトを追う蔓にぶつかった。メルトを追う蔓が押されて小人を追う蔓にぶつかった。
ん?これはもしかしていけるかも?
そう思ったが、敵は直ぐに体勢を立て直した。やっぱりダメ!
ルルが体勢を立て直しまた大蛇に向かっていく。
「ルル、止めろ!」メルトの体がルルの方に動いた。
その途端、小人はメルトの腕をグンと引っ張って、その脇腹に手を回した。
「放せ!」
「くそ、暴れるな!」
「だってルルが!」
「煩いわ!」メルトの首に手刀が落ちて意識が飛んだ。
目を覚ますとベッドに寝かされており、そっくりな顔が七つメルトを見下ろしている。またおかしなところに来たみたい。
!?「ルル、ルルは?」ガバッと起き上がる。
ルルはベッドの下から顔をだして、ぴょんとベッドの上に飛び乗った。メルトは思いっきりその首に抱きついた。よかった、ルルがどうにかならなくて。ルルもメルトに顔を擦り付ける。ベッドがミシミシッと悲鳴を上げている。ルルはメルトを背中に乗せられるくらい大きくなった。傍から見たら肉食獣に襲われているように見えなくもない。
その様子を見て、小人たちのおしゃべりが始まった。
「優しい子だね。」
「それに可愛い。」
「うん可愛い。」
それから質問攻撃が始まった。名前は?どこから来たの?どうして妖精の国にいたの?これからどうするの?行く当ては?
忘れていたことを思い出した。
「僕は・・・」言いかけて口を噤んだ。
その様子を見て小人は言った。「この家の家事を完璧にやってくれるなら、この家に置いてあげる。」
メルトは、少しは家事ができたので、その条件を吞むことにした。
メルトと七人の小人の生活を支える家事を、本気でやるとこんな感じになった。
朝みんなより早く起きて朝食を作る。メルトの作る料理は、森の精霊フルドラがくれた堅パンで作った、食べても無くならないパン粥と、干し肉と野草のスープは固定にして、その他はその時々で作れるものを頑張るというもの。朝食を終えると小人たちは仕事を始める。小人たちの仕事は刀鍛冶で離れ家が鍛冶場になっていた。一方メルトは井戸端で皿洗いと洗濯をして、風呂水を張るために井戸水を汲み、昼食を作って仕事場に小人を呼びに行く。鍛冶場を覗くと、高温の鋼を二人で交互に金槌で叩いているところが見られたりする。ずっと見ていたいがそういうわけにはいかない。鍛冶場の隣の炭焼窯の前で、調理とお風呂を沸かすための薪を割って持ち帰り、皿洗いと家の掃除をして夜ご飯を作る。一日が終わる頃には倒れ込みそうなほど疲れていた。歌いながら菷がけをしたり、窓辺を訪れる鳥たちと戯れるとかは全くのフィクションだ。
ある日、小人たちは作った刀剣や包丁類を町へ売りに行くことにした。10日ほど家を空けるという。
「いいかいメルト、留守の間に悪い魔女が来るかもしれない。怪しい人は決して家に入れてはいけないよ。」小人が真顔で言った。メルトはそんな小さい子じゃないんだけどなと思いながら了解した。
「今、自分は大丈夫って思ったろう?でもね、悪い奴は口が上手いんだよ。
あっ、言い忘れるところだった。林檎はまだ時季じゃないからね。林檎を持っていたらきっと悪い魔女だ。」
小人たちは念押しすると、ちゃんと戸締りするよう言って出かけて行った。
掃除は9日目にすればいいし、食事は自分とルルの分だけでだし、何食かまとめて作ってもいい。洗濯物も少ない。久しぶりにゆっくり時間が流れた。一人分のお茶を淹れて飲みながら、何をしようか考えた。近くの川で川遊び、昼寝、散歩、食べられる山菜を探すとか・・・意外と思いつかない。時間があるのはいけない。これからどうしようとか考えてしまうから。浮かない顔でコップの中を見つめた。
9日目、掃除を終えて一服しているとトントンと扉を叩く音がした。メルトは小人たちが予定より早く帰ってきたのかと、急いでドアを開けに行った。
「もう戻ってきたの?」そう言いながら閂に手を掛けた。
「メルティ、そこにいるのね?」女の人の声が返ってきた。
悪い魔女、来た!?
メルティと七人の小人。