93 残念な男、ストーンの天使
わたしは、ロッキング公爵家で騎士として働いているストーン・ラシェッド。祖父は東の公爵家筆頭執事をしている。戦える執事と言われ、60過ぎても矍鑠として文武両道を地で行くほどの老人である。家門は文より武に近いと思っている。その中で育てば、剣に生きるのは当たり前だった。
祖父のつながりで剣と身体強化で鍛えた腕を買われ、公爵家に騎士でやとわれた。厳しい指導にも負けることなく頑張って、鍛錬に鍛錬を重ねた。仲間と遊びの付き合いなどしたいとも思わなかった。『ダブルストーン(石より硬い石)』などと呼ばれていた。
厳しい選抜の末、若輩なるも、ストーンは25歳で公爵様の護衛の一人になれた。今回の王都にも随行した。無事王都の仕事を終えて帰路中、公爵様は魔鳩の知らせを受け、急遽護衛の一人の馬に乗り換え疾走した。
公爵様は身体強化が使え魔力量が多い。公爵の疾走に馬の方が潰れるのではないかと心配した。わたしは、公爵の疾走に他の護衛とともに並走する。並走中も一人、また一人と脱落していく。馬が持たない。護衛の体力が持たない。屋敷迄一度も休まず走り続けた。
公爵様が屋敷に着いた時、祖父の顔は青ざめていた。公爵の顔は鬼の形相だった。屋敷までついてこれた護衛は、わたしを含め二人だけ。わたしは、馬から降りても次の一歩が出せず、その場に崩れ落ちた。公爵様はそのまま、祖父と屋敷に入っていった。
すべての者が屋敷に戻ると、翌日から厳しい訓練が追加された。護衛すべき公爵が誰よりも強かったからだ。祖父に怒鳴られると思っていたが、屋敷内はそれどころでなかった。
それから数日後、公爵様より長男のオズワルド様の護衛を仰せつかった。声が出ないとは聞いていたが噂程度で会ったこともなかった。
オズワルド様は屋敷内におらず、どうしてこんな小さな家で女の子と暮らしているかもわからない。生意気そうな猫と犬。何もかもが不足で不満だった。やっとカール男爵の別邸に移ると聞いてわたしは安心した。
「オズワルド様、お迎えに伺いました。お荷物は?」
小さい家に迎えに行けば荷物がほとんどない。オズワルド様の腕に猫がいるだけ。荷物はなく猫?だけ?どういうことだ。オズワルド様は粗雑に扱われていたかと思うと怒りが湧いた。
「お迎えありがとうございます。今日よりお世話になります」
やっと言葉を話せるようになったばかりのオズワルド様の言葉に、怒りは消えてしまった。わたしの主は賢い。しかし護衛されることに慣れていない。再度気を引き締めた。
別邸では、オズワルド様は専属侍女に出会えて、涙を流して抱き着いた。3歳の子供であることを実感した。なぜ公爵邸に移らないかと、執事の祖父に聞いたらじろりと睨まれた。余計な詮索などせず自らの使命に邁進しろと目が語っていた。背中に冷や汗が流れた。
別邸での生活はとても穏やかだった。屋敷の夫人はオズワルド様の世話を手伝い、服や身の回りを揃えたり基本的な行儀作法を指導している。まるで母親のようだ。オズワルド様もミリ様と呼んで親しくしていた。
時々あの娘が猫と犬を連れてやってくる。夫人と色糸?の取引をしているようだ。この間はプリンという甘いお菓子を戴いた。その前はふわふわのケーキ、赤いベリーが乗っていた。
来訪のたび持参する土産が美味しい。それにもまして肉パン!パンなのに腹持ちが良く、肉の塩味が丁度よい。今まで食べたことがない。あまりのおいしさに気が付いたら大きい丸パンの半分も食べてしまった。俺はこんなに卑しい人間だったかとしばらく落ち込んだ。
オズワルド様がなぜ別邸にいるか分かった。公爵邸の治療師がオズワルド様を眠らせて迷いの森に遺棄したのだ。慣れた冒険者でも迷うという森に幼子を捨てるなど鬼畜の行為。許せるものではない。
公爵家からの依頼で森に調査に入った。その後私は熱を出した。自前の救護袋に入ってる熱さましを飲んで部屋にこもった。誰も入らないように言い伝えた。うつしてはいけない。
次に気が付いたときは、知らない大きな部屋にいた。あの娘が声を掛けてくれる。冷たい水が美味しい。冷たいものが熱い体の熱を奪っていく。体を拭かれ着替えをする。屋敷の庭師がトイレに連れて行ってくれた。
冷たい水ばかりでなくドロッとした塩味のスープ。凄く美味しかった。うつらうつらしながら寝て過ごす。他にも何人かいるみたいだ。美味しかったスープが欲しいと思っても目が開かない。ついに天に昇るのかと思った。
「ストーンさん、オズが待っています。向こうに行かないでください」
握った手からあたたかな魔力がながれてきた。一瞬私は目を開けた。そこには天使がいた。もっと見ようと目を開こうとしても、すぐに目は閉じてしまった。もう一度暖かな魔力を感じた時に口に何かが入ってきた。わたしは意識が浮上した。
「スープが飲みたい」
そうつぶやいてしまった。今思えばどれだけ食い意地が張ってるんだ。恥ずかしくて顔をあげれない。高熱病は体内魔力を奪うことが分かり、魔力ポーションを飲むことで回復できた。まだ患者がいるので回復した私は、彼女にお礼を言うことも出来ず別邸に戻り療養を続けた。
彼女は俺ばかりでなく他の患者にも声を掛け、汗まみれの体に『クリーン』をかけている。わたしは意識が戻りつつあるときから天使を、目で追っていた。見てくれの良いドレスなど着ていなくても、髪をまとめて、腕まくりして、患者の寝台をあちこち移動する。朝も夜も俺が目覚めている時には、もう彼女は働いていた。
ストーンは無事回復して、別邸に戻りしばらくの期間療養した。その間彼女が屋敷を訪れることはなかった。彼女が屋敷に来る前に、オズワルド様は、公爵邸に戻った。当然私は護衛として完全復活して付添った。
公爵邸はローズ様も第二夫人もいなくなっていた。オズワルド様の安全が確保された理由らしい。公爵邸でも引きつづき、オズワルド様の護衛を務めることになった。
公爵様とオズワルド様の二人は時間を作っては、別邸を訪問している。娘の連れていた猫に会うとオズワルド様と三毛猫が大喜びしている。
それでも娘は屋敷に来ていない。高熱病の最後の患者が回復するまで来ないことが分かった。高熱病の新しい治療法が見つかったことで、公爵様は王都に報告書を送った。
まだ子供の様な娘は凄い薬師だとその時知った。ストーンにとって、天使が女神になった瞬間だった。ストーンの心のときめきは女神信仰に変わった。もう彼女には会えない。それが心残りだった。ストーンの初恋は始まったか分からない。
オズワルド様は自ら家庭教師を望み勉学に励んでいる。公爵様は公爵家内外のことで大忙しだ。祖父でさえ、高熱病のことで夫人の屋敷に出かけることがある。俺は、剣を握るしか能がない。今までそれを当たり前にしてきた。このままで良いのかと思うことが増えた。
オズワルド様の家庭教師の教えをそばで聞きながら、一緒に学ぶことにした。貴族としての心得、行儀作法、言葉遣い、ダンス、初歩の初歩だが3歳が学ぶことを25歳が今学んでいる。家を継ぐ兄は、こんなに勉強をしていたのかと今更ながらに尊敬する。
ストーンも幼少期習わなかった訳ではない。それ以上に体を動かすことが好きだった。父たちも末っ子だからと自由にしてくれた。騎士学院は座学より実技の世界だった。これを『脳筋』というらしい。初めて知った言葉だった。
もちろん誉め言葉でない。色々な知識や経験が己の力になることを知った。このまま『脳筋』では、とても天使には会えないとストーンは思った。
祖父のように戦える執事にはなれないが、『脳筋』からは卒業しなければ、替えの利く護衛騎士になってしまう。今からでも遅くない。ストーンは自分を変える決意した。
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