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エピローグ(後編)

遂に完結です。最後までお付き合いくださった方。

改めて御礼申し上げます。

では、終章をお楽しみ下さい。

エピローグ(後編)


 昭和二十年(一九四五年)四月の時点でマリアナ諸島は米軍の支配下に有り、サイパン・テニアン等の島々は既に米軍の重爆撃機隊の発進拠点と成っていた。

 しかしながら、マリアナを飛び立つ米重爆撃機隊にとって日本本土への向かう道程は決して容易なものでは無かった、それは道行の中程に行く手を阻む壁とも言うべき強固な拠点が存在していたからである。

 それはマリアナ諸島と日本本土のほぼ中間に存在する小笠原諸島南端に位置する硫黄島、そこに築かれた航空基地とそこへ駐留する飛行隊であった。

 その事実を考えると先の米海兵隊による硫黄島の占領を阻止できたことは、我が軍にとって本土の防御と言う点で見ても正に僥倖であったと言えた。

 そして、その日もマリアナ諸島の島々を飛び立ち日本本土へ向かうB-29とB-32の重爆撃機編隊が、本土防衛の最前線である硫黄島へ接近しつつ有った。

 私も多くの邀撃部隊の一員として愛機〈震雷〉と供に、敵爆撃機の本土侵入を阻止すべく出撃していた。

 出撃基地である硫黄島千鳥飛行場を離陸して二〇分、高度一〇〇〇〇mで私達邀撃隊は敵爆撃隊と相対していた。


「檜山少尉、イワシがいます。」

 受聴器に響く僚機の搭乗員、日下部一飛の声に目をこらすとB-29の編隊に纏わり付くように飛ぶ小さな黒い点が見えた。

「P-51だな。」

 ノースアメリカンP-51D〈ムスタング〉、当時、私たち帝国陸海軍の搭乗員達がイワシと呼んだ大戦後期の米陸軍の主力戦闘機である。

 英国ロールス・ロイス社のマーリンエンジンのライセンス版と言うパッカードエンジンを動力源としたP-51は、高高度性能に優れ最高速度700km/hを誇る快速機であった。

 加えて増槽タンクを装備すれば二七〇〇kmと言う金星発動機搭載の零式艦戦五四型をも軽く凌駕する遠距離飛行能力も有していた。

 更に低空を除けば全ての高度で日本機に劣らない空戦能力を持ち米軍自慢のブローニング12.7ミリ機関銃六門の重武装で酷く厄介な空戦相手でもあった。

 だがそうで在るが故に、そのP-51が随伴してくることは想定内の事態であった。

 硫黄島からマリアナ諸島までの距離は約千kmである、前述通り増槽を装備したP-51Dであれば充分随伴が可能な距離である。

 であるならば当然それは来る、貴重な重爆撃機を丸裸で来させるはずが無いのだ。

 そして、それ故に我が軍にも対応策は有った。

 それは、直ぐに現れた。

 耳慣れない甲高い金属音がして頭上を何かが通り過ぎていった。

「露払い役のお出ましだ。」

「試製〈紫電〉ですね。」

 その姿を見て呟く私の言葉に日下部一飛が反応した。

 高度一〇〇〇〇mを七〇〇km/hで飛ぶ〈震雷〉を軽々と追い越して行く、その機体は少々風変わりな外見をしていた。一般的に飛行機が飛翔するのに必須で不可欠であるプロペラが存在しないのだ。

 スマートで如何にも抵抗が少なそうな胴体の先端は流線形に絞りこまれておりそこには二〇ミリと三〇ミリの機銃がそれぞれ二門づつ搭載されていた。

 両主翼の中程にはそれぞれ一基づつ計二基の大型のポッドが設置されこの後方から淡く赤い炎が轟音と供に噴き出していた、勿論故障などではない。

 それこそがこの〈紫電〉を邀撃戦の切り札としてた物、燃焼噴射推進器、今日で言うところのジェットエンジンであった。

 この推進器は昭和十九年(一九四四年)七月に第四次遣独潜水艦作戦により帰還した伊号二九潜水艦が持ち帰ったユンカース社のJumo004とBMW社のBMW003を参考にして、空技廠と石川島重工業がこれまでの研究実績を基に独自に開発したネ(燃焼噴射推進器を意味する略号)120、海軍名称〈火燕一一型〉であった。

 なお余談であるが、推進器をドイツより運んできた伊号二九潜水艦であるがシンガポールへ寄港後、日本に向かう途中で不運な事に米軍に撃沈されていた、しかしながらこの二種の推進器と関連資料はシンガポールより輸送機に載せ替えられ一足先に空路日本に運ばれて居て無事だった。

 推力720kg×二基の噴射推進器は〈紫電〉を最高速度780km/hで飛翔させる事が出来た。推進器の寿命が短く燃費が悪くて航続距離が短い以外は工作が容易で低質の燃料でも稼働可能な点は産業力で負け始めていた日本にとって最適とも言える存在であった。

 空技廠で開発された機体の生産を任されたのは川西飛行機であった。

 川西飛行機は本来、水上機や飛行艇の開発と生産に秀でた実績を持つ会社で有った。

 しかし、開戦を前に社運を賭けて開発・量産した十五試水上戦闘機〈強風〉は、前例のない水上戦闘機であった為に開発に手間取り、その間に戦局が悪化して出番が無くなる結果となり少数の生産で終わっていた。その後、同機の陸上へ転換した機体を局地戦闘機として海軍へ提案したが既に〈蒼電〉が採用されて量産が軌道に乗っており、次の〈瞬雷〉の開発も順調に行われていたことから採用されろこと無く終わっていた。

 そのため、川西飛行機は二式大艇や水上機の生産を行っていたがそれらの機体も大量生産が必要な物ではなく、手が空いてしまった状態であった。

 皮肉な結果であるが、そうした状況が川西飛行機へ日本軍初の噴射推進器搭載の戦闘機を量産する名誉が転がり込む結果と成ったわけである。

 量産される事となった機体は先に試作で終わった〈強風〉の陸上機版の名を引き継ぎ〈紫電〉(試製〈紫電〉)の名で生産、各邀撃任務の航空隊へ試験配備が行われていた。

 硫黄島にも一週間前に十四機が配備されたが噴射推進器の調整に時間が掛かり今回が初陣という事態と成っていた。


「イカヅチ一番より、邀撃部隊全機へ。

 一番槍は頂いた、後は宜しく。」

 そんな幾分人を喰った懐かしい声が受聴器を通して聞こえてきた。

 その直後、〈紫電〉各機は落下式の増槽タンクを投棄すると更に速度を増して上昇しつつ敵編隊へ迫って行った。

 見慣れない噴射推進器を装備した新手の存在に幾分慌てている感じはするものの、敵の護衛戦闘機隊は編隊を離れ爆撃隊の前面に立ち塞がる様な動きを見せた。

 それを意に介する様子も見せず、上昇し続けて〈紫電〉隊は彼我の距離が四〇〇〇mまで近づくと、機首を巡らせて降下を始めた。

 高度差は約二〇〇〇m、それを緩降下で一気に駆け下り敵編隊の下方へ突き抜けた後、〈紫電〉隊は降下した際に得たエネルギーを活して再び急上昇に転じ敵編隊と同高度で水平飛行に移った。彼我の距離は一五〇〇m、護衛のP-51は急激な〈紫電〉の機動に追随できず後方に置き去りにされていた。慌てて〈紫電〉隊の追撃しようとしたP-51を背後から〈瞬雷改〉が襲い掛かる。

 護衛戦闘機を振り切った〈紫電〉は彼我の距離、およそ一〇〇〇mで敵爆撃機編隊と正対した、そのまま間合いを詰め彼我の距離が八〇〇mを切る辺りで〈紫電〉隊の各機の翼下に猛然と噴煙が巻き上がった。

 一瞬間を置いて、その噴煙と推進剤の燃焼ガスと思われる炎を引いた飛翔体が〈紫電〉各機の翼下より飛び出した。

 その正体は〈紫電〉が翼下に懸吊してきた計八発の三式一番二八号一型爆弾であった、これは爆弾と称しているが固形燃料を推進剤とした噴進弾(ロケッt弾)で、全長約七〇cm重量十五kgと小型で戦闘機でも搭載可能な対空対地ロケット弾であった。

 発射された噴進弾は最大速度四〇〇m/sまで加速して約五秒で時限信管を作動、頭部に搭載されている炸薬を起動させた。

 危険半球は九mと小さいが、十二機の〈紫電〉が発射した噴進弾は九六発、緩やかな弾道コースを飛翔したそれは敵編隊の只中で炸裂した。

 二機の不運なB-29がその直撃で主翼を吹き飛ばされて落下してゆく、残りの敵機はそれを見て飛行コースを変えようとして編隊を乱し始めた。

 そこへ十二機の〈紫電〉が突入していった。

 〈紫電〉の武装は前述の通り機首の三〇ミリと二〇ミリの機銃各二門、機首に集中的に配置されているその機銃の命中精度は高いと搭乗員達は評価していた。

 編隊を乱して相互援護の弾幕が薄くなったB-29の編隊の只中を〈紫電〉各機は縦横無尽飛び回る。

 彼らの意図していたのは単なる敵爆撃機の撃墜ではない、彼らは一撃離脱でB-29の編隊を攻撃、牽制して足並みを乱し、その後に行われる我々邀撃隊本隊の攻撃が有効的に行えるようにするお膳立てをしてくれていたのだ。

 ただB-29も黙って落とされはしない、乱れて薄くなったとは言えその防御火力は侮ることは出来ない、その証拠に〈紫電〉の一機が煙を引いて降下してゆくのが見えた、更に一機こちらは燃料タンクを直撃されたらしく瞬く間に火ダルマと成って落下していった。

 それでも一度編隊から離れて仕切り直しをした〈紫電〉隊は、素早く編隊を組み直すと再び高度を上げて最大速力で敵編隊に突入を開始した。

 中でも一機、一目で判る卓越した技量を持つ機体がいた。その〈紫電〉は今も素早い機動で巧みに敵の防御銃座の火線を掻い潜っり敵機に肉薄した、まるで敵機に衝突するような動きから極短い銃撃、敵の機体スレスレで避けて一気に降下して行った。

 標的とされたB-29はコックピット周辺を連打されてコントロールを失いやがて遥か下方の太平洋目掛けて生涯最後のダイブを始めた。

 それは私にとって懐かしくも見慣れた機体の動きであった。

「相変わらずだな。

 小橋中尉、いや今は大尉か。」

「小橋大尉?

 あの南溟の死神ですか。」

 最近、噂に聞くあの人の渾名を日下部一飛は口にした。

「南溟の死神か、確かにそうかも知れないな。」

 ❝出撃すると必ず一人で還ってくる❞

 ❝僚機の多くを戦場に置き去りにして来る❞

 卓越した技量に溺れ、敵だけでなく僚機にも死をもたらす死神、疫病神とも基地や飛行隊の参謀たちが揶揄していたのを私も聞いていた。

 馬鹿な話である、既に劣勢と成った戦場で戦いながら僚機や部下を守りきれるはずも無かった。

 私自身、まるで守ろうとして差し伸べた手の指の隙間から零れ落ちるように命が失われてゆく経験を幾度もしていた。

 彼を死神と呼ぶ者達は、あの人のあの顔を見たことが有るのだろうか?

 ショートランドでの空戦であの人の盾と成って怪我を負った私を見たあの人の顔は、私に怪我を負わせた自責の念とそれでも生きていてくれたことに対する安堵の入り混じったそんな顔をしていた。

 それでもあの人は戦うのだ。

 自分が戦う事が出来る限りは・・・。

 決して望まないだろうが、最後の一人になってもあの人は戦うのではないかと思う。

 多くの先に逝った戦友に対するそれが責任であり弔いだとあの人は考えていたのだと私は思う。

 常人を超えた卓越した技量を持つが故に。

 今もあの人の僚機と思われる〈紫電〉が慌てるように降下して長機を追っていった。逸れないと良いがと思いながら私は気を引き締め辺りを見回した。

 気が付くと〈紫電〉隊は既に戦場から離脱を始めていた、そろそろ燃料の残りが怪しくなってきて帰投したか、下方でB-32と乱戦を繰り返いしている〈瞬雷改〉の援護に行ったのかも知れない。何にしろ、露払いとしては充分な働きと言えた。

 そう考えて私は自分の小隊各機へ命令を下した。

「よし、今度は我々の出番だ。

 新田二飛曹、二分隊はお願いします。」

「了解、大河内行くぞ。」

 私の指示にそう答えて第二分隊を預けている新田二飛曹が僚機である大河内一飛を連れて離れていった。

「日下部一飛、行くぞ。

 間違えても俺の盾になるなんて考えるなよ。」

 私は日下部一飛の答えを待たずに操縦桿を前に押し倒してスロットルを目一杯押し込んだ。

 高度一二〇〇〇mから急降下する〈震雷〉の速度は瞬く間に九〇〇km/hに迫る。

 私はスロットル頭頂部に有る機銃の切替えレバーの位置を左手の親指の腹で確認する。

 二〇ミリと三〇ミリの同時撃発位置だ、それで良い。

 三〇ミリは破壊力は大きいが発射速度初速が遅くて山成弾道になりやすい上に装弾数が少ない使うタイミングが難しい武器だった。二〇ミリで直撃が出てから切替えないと無駄弾になる可能性が高かった。

 しかし、こうした一瞬で勝負が決まる戦闘ではそうした悠長な事は出来なかった。弾幕とはいえないまでも手数を増やさないとタイミングを逃して有効な攻撃が出来なくなる恐れが有ったのだ。

 私は降下しながら事前に狙いを定めていたB-29をOPL照準器の透過式反射板の中へ捉えた。

 B-29の上方には前部に四連装、後部には連装のブローニング機関銃を収めた銃塔が設置されていた、それ以外では下部に連装銃塔が前後に一基づつ、尾部に連装とB-17やB-24のハリネズミの様な機銃の数から見ると随分少ないスッキリとした印象を持つ。

 しかし、これらの銃塔は全て遠隔操縦式で機体各部に設けられたドーム式照準用窓に設置された照準器と火器管制装置により極めて正確な照準が出来るように成っており各銃塔の射撃は低伸性の良いブローニング機関銃と相俟ってその精度が高く相対する我々にとっては怖い存在であった。

 我々が降下を始めると目標とされたB-29はその上部銃塔の合計六門の12.7ミリ機関銃を我々に向けて来た。

 更に間合いが詰まると敵機は発砲を始めた。

 勿論、私達の分隊に対して防御火線を向けて居たのは、標的とされたB-29だけではない。

 その一機がやられれば次は自分だとの恐怖心から周囲の機体も同様に私達の分隊へとその銃塔を向けてくる、周囲はさながら銃弾の驟雨のごときであった。

 私は、曳光弾を交えて飛来する12.7ミリ銃弾、私達がアイスキャンディーと呼ぶそれを不規則にフットバーを蹴って機体の姿勢を変えて髪一重の差で躱し、火線をすり抜けて目標としたB-29へ肉薄してゆく。

 次第にOPL照準器の中で、全体として凹凸が無く滑らかでノッペリとしたB-29の姿が大きくなり、やがて照準器の透過式反射板から大きくはみ出るまで接近した。

 私はその時、その反射板越しにまるで温室のような機首全体がガラス張りとなった大きな操縦席の中で搭乗員が何か恐慌に駆られるようにして叫んでいるのを見た気がした。

 それを確認する間も無く、私は無意識のままスロットルレバーに取り付けられた機銃の発射把柄を握りこんだ。

 鋭い振動と轟音が辺りに響いた。

 両主翼の中程より四線の大きさの異なる火線が伸び、その機体の機首へと吸い込まれてゆく。

 但し、弾薬を節約するために把柄を握り放しにせず数射で放し、また握ると言う行為を繰り返して着弾を見ながら照準を修正してゆく。

 最初の着弾で温室のような操縦席の風防ガラスは吹き飛び、その後、機体上部を中頃まで機銃弾が着弾したのを確認しながら直ぐ脇を下方へ通り抜ける。

 降下を続けながら振り返り確認すると、私達が目標としたB-29は操縦席を破壊され搭乗員が死んだか操縦装置に異常が起きたか解らないが右に大きく傾き、右主翼が根本から圧し折れてやがて速度を上げながら降下して行った。

 私は後続の日下部一飛が無事なのを確認すると、上昇に転じて高度を上げた。再び高度一二〇〇〇まで上昇すると、再び手近な目標目掛けて降下を始めた。

 その後、二機のB-29を屠ると、私は思案した。既に残弾も少なく燃料も帰還を考えるともう一度の攻撃が限度であろうと。

 そう考えて周囲を見渡すと、既にB-29も友軍の〈震雷〉も数が少なくなっていた、とその時、下方に飛ぶB-32の姿を認めた。

 私はこの時、良い機会だと判断した、そして、翼を振って日下部機に並ぶと下方のB-32を指差した。

 日下部一飛は私の言おうとする事を理解して頷くと前に出た。

 一呼吸置いて、日下部機は襲撃態勢から降下に移った、私もそれを追う。

 OPL照準器の中でB-32の寸詰まりの機影が大きくなる、B-29に比べると空力的形状の洗練度も実力も大きく劣るのが実感できる。

 その時である、私は背後の何か突き刺さる感覚を受けて、操縦桿を右に倒して右のフットレバーを大きく蹴った。

 〈震雷〉の巨体が素早く右に滑るように軌道を変えた。

 次の瞬間、そこを幾筋もの火線が通り過ぎていった、この時私は自分のミスに気が付いた。

 容易い目標と侮って周囲の状況を充分確認せずに襲撃に移っていたのだ。

 振り返ると両翼を射撃の発射火炎で真っ赤に染めたP-51が二機、頭を抑えるように降下して来ていた。

「日下部、降下で逃げろ!」

「しかし、少尉は?」

「命令だ!真直ぐ降りて硫黄島へ帰還しろ。

 良いな!」

 そう言って私もスロットルを最大開度まで押し込んで、ほぼ垂直の角度で機体を降下に入れた。

 敵は逸れたB-32を餌に待ち伏せを仕掛けて居たらしい、こちらが抵抗する間も無く逃げを打ったのが想定外だったのか追撃に移るのに少し時間が掛かった。

 しかし、追撃に移ると二機の敵機も私たちの機動に臆する様子も見せず同じように垂直降下で追ってきた。

 それでもその一時の遅れは私達に敵の射程外へ逃れる時間をくれた。

  急降下の速度は我々の〈震雷〉も敵のP-51も大差はない、およそ九〇〇km/hの速度で根性だめしである。

 敵の意図は充分読めた。

 このまま降下を続ければ海面に激突することとなる、それを逃れるためには速度を落とし機首を上げて上昇に転じるか少なくとも水平飛行に姿勢を変えなければ成らない。

 それは敵に無防備な背中を晒す瞬間であった。

 我々が敵を振り切れ無い以上その時が必ず来る、その時が射撃のチャンスであると、彼らは考えているのだ。

 腹立たしいが実に的確な判断だ。

 だが私も黙って殺られるつもりはない、先を降下する日下部一飛との距離も次第に離れつつ在るがこのままでは上昇に転じる際に喰われる事は間違いないだろう。

 となれば、と私は一計を案じた。

 私は乗機の発動機の出力を落として後方の敵との間合いを詰めると、素早く機首を上げて機体を水平飛行へ移した。

 敵は海面まで未だ距離が有る段階で敵の目の前で機首を上げる事までは予想していなかったのか、射撃が遅れた。

 従って彼らは上方から背後を襲うチャンスを失い、同じように水平に機体を戻して追撃する形を取る事と成った。

 それでも彼らは私より高い高度で水平に移り、上方から射撃する有利な条件で私を追い込んだ。

 彼らはやがて私の機体を照準器の中に捉えて引き金を引いた。

 一機あたり六門、二機で一二門の五〇口径キャリバーの12.7ミリ弾が火を吹き再び驟雨のような銃弾の雨が私と愛機を襲った。

 しかし、その時私は既に次の機動に移っていた。

 私は追撃する敵機が私に続いて水平飛行へ移るのを確認すると再びスロットルを開き速度を上げると、素早く操縦桿を最初は左に次に手前に引いた。

 愛機〈震雷〉は私の操縦に素早く応えてくれた。機体は一度降下から水平へと姿勢を換え、その後左にロール後一気に背面で降下に移った。

 一瞬の差で私の機体は敵が射撃の際に予測した未来位置から姿を消していた。

 敵機の搭乗員は私のこの機動をどう見たのであろうか?

 最初は一目散に逃げを打ち、途中で上昇して闘いを挑むような素振りをしたと思ったら一気に反転して再び逃走、自分たちは虚仮にされたと考えても不思議では無い。

 事実、敵機の内一機は相当頭に血が上って居るのか、再び降下に移って私を追いながら既に射撃を行って来た。

 私は降下しながら進行軸に対して大きく螺旋を描くようにロールを打つ垂直方向のバレルロールの様な機動で敵の背後に出た、要は敵のオーバーシュートを誘った訳だ。

 戦闘中に冷静さを失った代償である、私は敵機をOPL照準器の反射板の中に収めると躊躇なく発射把柄をを握った。

 鋭い振動とともに二種類、四条の火線が敵機に伸び、敵の右主翼を中程で断ち切った。

 そのまま敵が墜落したかは確認できなかった。

 それは私を再び海面に押し込もうと、敵の僚機が射撃を始めたからだ、彼は既に冷静さを取り戻しているらしく、酷く正確な射撃で私は追い回されるだけで海面に向かって降下を続けざるを得なかった。


 八〇〇〇mからの追いかけっこがやがて終わろうとする高度まで来ても私は敵を振り切る事が出来なかった。

 最早これまでと思った瞬間。

 私を追う敵機を太い火線が貫き、そして四散させた。


 驚きながら速度を緩めて、海面スレスレで水平に移った、私の空中電話の受聴器に興奮気味の声が響いた。

「檜山少尉、ご無事ですか!」

 命の恩人と思われる〈震雷〉が、私と並走するように横に並んできた。

 それは、逃がした筈の日下部一飛の機体であった。

「日下部お前、逃げなかったのか!」

 私は何故か助けてもらった礼より、命令を無視された事への叱責を口にした。

「少尉を残して逃げれる訳有りません、

 もし撃ち落とせなかったら敵機に体当りしていました。」

 そんな言葉を若い搭乗員は口にした。

 昔私も上官にそんな生意気な口を聞いたことを思い出してその先の叱責の言葉を飲み込んだ。

「兎も角助かった。」

「いえ、上官を守るのも部下の仕事ですから。」

「バカ野郎、生意気言うな。

 帰ったら拳骨だぞ。」

 そう言って私は高度を取るために上昇し機首を硫黄島へ向けた。


 この日の防空戦は、我が軍の勝利で終わった、しかし、敵が沖縄戦を終え、空母航空戦力まで日本本土近海へ投入できるようになると硫黄島は本土との連携を失い孤立の危機が有ったことから遂に七月十八日、硫黄島を放棄、我々は本土へと戻ることと成った。

 辛うじて本土へと逃げ帰った私はその後も防空戦に従事、八月十五日の終戦のその日まで私は戦い続けた。


 以上が私の太平洋戦争従軍の記録です。老い先短い老兵の思いで話など面白くは無いかと思いますが、こんな青春を送った男が、いや男たちが居たのだと言うことを忘れないで頂ければと思い柄にもなくペンを取った次第です。


南溟の天魔ワイバーンをなんとか完結できました。いやまさか一年以上も掛かるとは考えて居ませんでした。

取り敢えずこれで天魔は終わりますが、実際には話の筋の関係でカットした部分も多く少し残念です。そこで、次回作はこのカット部分を中心にした短めの話を集めた話を書こうと思っています。

題して「南溟の断証」(仮)です。

 少し時間を開けて書き始めると思いますのでもう少しお待ち下さい。

では、ここまでお付き合い頂き有難う御座います、例のごとく誤字脱字が有りましたら感想のほうへ書き込み下さい。勿論感想、意見、批判などもおねがいします。

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