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第十七話

何とか一週間で更新出来ました。テ号作戦はまだまだ続きます。

第十七話


1942年12月25日、三度に亘る日本軍の攻撃によりガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地はその航空基地としての機能を失った。

「我、敵の攻撃を受けつつ有り、滑走路に直撃弾多数。

 現在、滑走路は使用不可能なり。」

 その惨状を伝えるヘンダーソン基地からの緊急電を受け取ったニューカレドニア島ヌーメアの米軍南太平洋方面軍司令部の面々は、この通信文を前に皆が言葉を失い立ち尽くした。

 後に参謀長のロバート・カーニー少将はこの時の様子を次のように語っている。

『ハルゼー大将は、通信兵の読み上げる通信文の内容を聞くと、一瞬何事かを口にしようとして思いとどまり、そのまま立ち尽くした。

 次の瞬間、私の方を振り向いた大将の顔は、「ブル(猛牛)」と渾名される獰猛さは微塵も無くまるで放心しているかの様だった。

 やがて力なく司令官の椅子に腰を下ろしたハルゼー大将は、

「チップ(第68任務部隊メリル少将の愛称)はどこだ?」

とだけ呟く様に語った。

 私が先ほど届いた通信文を手渡しながら、

「現在、作戦海域に向かっています。」

と報告し、「止めますか?」と、問うと、怒気を孕んだ視線を私に向けると。

「馬鹿を言え、海軍がここで引けるか。」

と答えが返ってきた。

「ここはチップに任せるしかない・・。」

 それは自分自身に言い聞かせる言葉だった。

「では最低限、航空支援が出来ないことだけは知らせておきませんと。」

「そうだな頼む。それと最善を尽くしてくれと伝えてくれ。」

 それだけ言うとハルゼー大将は身体を背もたれに預けて目を閉じた。しかし、その数分後第68任務部隊のメリル少将から、

「心配無用、我に策あり。」との電文が入るとたちまち破顔して一頻り大笑いすると、周辺の支援可能な基地へ航空機による支援を可能な限り行うように命じた。』


 この時、日本軍の攻撃に晒されていたガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地のどうのような状態であっただろうか?

 先の報告書はその様子を次のように記している。 


「これまで戦闘機のみによる攻撃で主に戦闘機による邀撃能力を削ぎ取っていたのが、この日の第二次攻撃では初見の高速爆撃機(試製〈彗星〉)によりレーダーと発電所への爆撃が行われヘンダーソン飛行場基地の警戒能力を奪い取っていった。更にその直後にベティー(一式陸攻の米側コードネーム)が大型爆弾で滑走路を爆撃、二つの飛行場の計四本滑走路は地中深くで爆発した爆弾により巨大なクレーターが出来、発着が不可能となった。

 この事により、ヘンダーソン飛行場基地は邀撃機、攻撃機はおろか哨戒機も発進不可能な状態となっておりいた。これはレーダーの破壊と共に目を塞がれ両手両足を縛られた状態であると言え極めて危険な状態であった、まさに悪夢である。


 しかしである、それでも我が軍(アメリカ軍)の兵、特に設営隊はそこで諦めなかった、彼らは不屈と称するべきであろう信念をもって日本軍機が上空を去るといち早く損害箇所を調査確認、復旧作業に取り掛かった。

 不幸中の幸いとも言うべきか、四本の滑走路の内一本が直撃弾が中心を逸れ比較的損傷の度合いが低く、日没前に修復できる見込みがあることが判った。

 作業は急がれた、ヌーメアの方面軍司令部から『日本艦隊の来寇が予測される』との情報がもたらすされていたからだ。

 狙いはヘンダーソン基地の飛行場、その滑走路しかあるまい。彼らは三度目となるヘンダーソンへの砲撃をし基地の無力化を画策ているのだ。

 滑走路の復旧作業は、設営隊のみならず陸軍、海兵隊、中には機体を失った搭乗員まで加わって行われた。

 この時行われていたのは復旧作業だけでは無い、現状で使用可能なPBYカタリナ飛行艇とSBDドーントレスを索敵哨戒装備(爆弾を500ポンド一発とし増槽を装着し航続距離の延伸を図った仕様)で滑走路が使用可能になり次第索敵に放ち、稼動可能な攻撃機への爆弾、機銃弾と燃料の搭載補充が進められていた。


 しかし、その日の夕刻、滑走路の修復が済み使用が可能となった頃を見計らうように三度日本軍の攻撃隊が来襲した。

 主力は四十機前後のベティーと護衛のジーク二十機ほどであった。

 日中の攻撃と復旧作業による混乱とレーダーの修理が間に合わなかったことが発見を遅らせ、対応が後手と成った。

 我が軍(アメリカ軍)の対空砲は発砲前に低空に舞い降りたジークからの地上掃射により大半が破壊され、結果としてベティーは高度四〇〇〇mで基地上空へ進入し、悠々と爆弾を投下して去っていった。

 他国の中型爆撃機に比較してベティーは長大な航続距離と引き換えに爆弾等裁量が少ないとの情報があるが、今回は面での破壊を意図していたらしく小型の爆弾を大量に搭載しそれを滑走路周辺にばら撒く様に投下していった。

 しかもである、投下された爆弾は通常の爆弾と違い落下途中に弾対外皮が分離、中から更に小型の爆弾が周囲に散布される親子式の爆弾で、子爆弾一発の破壊力は小さいが滑走路周辺に隠された対空砲、弾薬庫や燃料庫を破壊するのは充分の破壊力があった。

 更に最悪なタイミングで滑走路周辺には出撃準備を行っていた多数の爆撃機が居た、広く投網を投げるように広がった子爆弾は当然その爆撃機にも命中、それを松明に変えていった。

 二箇所の飛行場の四本の滑走路とその周辺には破壊の嵐が渦巻く事となった、多数のブルドーザーやロードローラーを投入して懸命の復旧作業を行い一度は復旧の目処が立ったヘンダーソン飛行場基地は再び使用不能の状態に戻された。

 まさに悪夢である、しかし、我々にとって更に不幸なのはこの悪夢がこれから始まる惨劇の序章に過ぎなかったことであった。」

 この報告書に書かれている新型爆弾とは、正式名称二式六番二一号爆弾一型と呼ばれる今日のクラスター爆弾の元祖とも言うべき60kgの親子爆弾で、直径二二cm長さ110cmの円筒状の弾体内部に一番(1kg)の子爆弾を四〇発詰め込んだもので投下後に弾体先端の風車の回転で降下時間を計って外皮を投棄、更に弾体に付けられた安定翼による回転の遠心力を利用して広く周囲に散布する構造になっていた。

 この爆弾の開発目的は広域面制圧の為であった、ちなみこの一番爆弾は小さくても一発で魚雷艇を大破させる威力を持ってるとの資料も有る、この後この二一号爆弾は進化を続け大型化〈250kg爆弾サイズ)と子爆弾を成形炸薬弾であるタ弾に変更するなどが行われた。


 正しく米軍にとっては正しく進退窮まる危機的状態であった。

 ソロモン海において米軍が制空権、制海権を確保する上での要とも言うべき存在がガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地であった。

 ヘンダーソン飛行場基地は言わば不沈空母であり、そこに配備されていた百機に近い航空機、中でも陸軍の双発爆撃機と海軍の艦上爆撃機と雷撃機は戦艦・重巡洋艦や空母といった攻撃力の高い艦艇を欠いていたソロモン海方面の米軍にとっては島を守る目であり牙や爪であった。

 当時、南太平洋方面軍司令部は半年になるソロモン海での戦いにおけるあまりに多い艦艇喪失からガダルカナル島周辺へ戦艦や重巡洋艦を常駐させることは避けていた。

 それは、それまでに失われた艦艇の喪失例を分析した結果、日本軍相手に狭いソロモン海、特に夜間において大型艦艇を艦隊行動させる愚を悟り、以後の同海域における防御を航空機と軽巡や駆逐艦、魚雷艇等の軽装高速艦艇の活用により行うとした判断した事にあった。

 一般に巨大な工業力を持ち、地下資源や人的資源に恵まれたアメリカ合衆国は物量戦や消耗戦を得意にしていると言われている。

 しかし、それは中長期的な視点に立てばという話になる、当然だが大型の艦船は例え米国であってもそれなりの建造時間を必要とする、戦艦や正規空母を一ヶ月で建造することは無理と言うことだ、したがって短期的には著しい消耗により戦力の枯渇はありえる話である。

 要は資源や工業力を持てばその後の回復が早いだけ、と言う話だ。だから日本にはこれが無く中長期で見れば戦力が失われ開いた穴を塞ぐのが至難の業となるわけである。

(余談であるが大戦末期となると米国は排水量一万トンの護衛空母「カサブランカ」級をほぼ一週間で一隻を建造し「週刊空母」の異名を持つまでになっている。)


 それ故に米軍は消耗の危険が高い戦艦や重巡洋艦を狭いソロモン海から引き上げ、代わりに航空機と軽装高速艦艇の活用と言った手法を取ったのである。

 実際に実行に移されたこの手法は有効であった、方針転換したルンガ沖海戦以降、米陸海軍は鼠輸送に投入された日本側の軽巡洋艦や駆逐艦、輸送船にたいし遠距離では航空機を、ガダルカナル島近海では航空機に加えて軽快で小回りの効く駆逐艦や魚雷艇による攻撃を徹底したことにより少ない損失で確実にガダルカナル島の日本兵への補給を阻んできたのだから。

 その結果として同島の支配権を握っていられたと言っても過言では無かろう。

 しかし、その全ては要であるガダルカナル島ヘンダーソン飛行場が有っての話である。

 

 ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地の基地機能の喪失により、艦隊を守る航空機の傘は無くなった。しかし、だからと言って間もなく襲来するであろう敵艦隊に対して無抵抗で退却することは選択肢には無かった。

 方面司令部は多数の索敵機を投入して敵艦隊の行方を追った、その結果、日没までに日本艦隊を再度捕らえることは出来たが、日本側もそれを予測していて機動艦隊を同行させていたらしく、接敵後に敵戦闘機に撃墜される索敵機が多数に上り、日本艦隊の凡その位置は判ったものの艦隊の詳細は最後まで明確には成らなかった。

 それでもソロモン諸島の島々に配置したコーストウォッチャーの目撃情報から敵艦隊がブーゲンビル島とチョイセル島の間の海峡を抜けたことは確認されが、その後、通常日本軍が艦隊をガダルカナル島攻略で使用するザ・スロットと呼ばれるニュージョウジア海峡周辺に配置されたコーストウォッチャーからの目撃情報が無く、そのままソロモン諸島を抜けて諸島南のソロモン海へ向かったことが予測されたが確認には至らず結局行方を見失う結果となっていた。

 

 ガダルカナル島北部海域(米名称アイアン・ボトムサンド)において日本艦隊の到来を待ち構えていたのは、チップの愛称を持つアーロン・S・メリル少将率いる第68任務部隊であった。

 彼のもとには既に方面軍司令部より、日本艦隊が発見されたこと。しかし、その日本艦隊が索敵網を掻い潜って行方を眩ませたこと。最終目的地はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地と予測されること。そして、そのヘンダーソン飛行場基地が敵の攻撃で一時的に使用できないこと、つまり、航空支援を受けられないこと。を伝える暗号電文が届けられていた。

 そこでメリル少将は艦隊を、ガダルカナル島よりアイアン・ボトムサンドを挟んだ北に有るフロリダ諸島ツラギ付近海上で日本艦隊を待ち伏せすることとした。

 当初メリル少将は艦隊をガダルカナル島エスペランス岬沖に浮かぶサボ島の東側で待ち伏せすることを計画していた、ここであればブーゲンビル島方面より東進してくるであろう敵艦隊にとって南北どちらの水道を通っても対応が可能な上、サボ島が盾となって発見が遅れることも期待できたからである。

 しかし、そこは日本軍の拠点であるタサファロングに近く島の日本兵から待ち伏せを通報される危険性が高いと判断し断念したと資料には記されていた。

 逆にツラギ近海は、サボ島の南水道を通ってヘンダーソン基地を攻撃された場合反撃が間に合わなくなる可能性が高いものの、戦力差が大きい現状では発見されるリスクを可能の限り減らすことを最優先した結果の選択であった、但し、第68任務部隊各艦のレーダーを有効に使用すれば出し抜かれる心配は無いとの判断も有った。

 同じく、サボ島以西へ進軍して敵艦隊を迎え撃つとの意見も参謀たちから上がったが、敵勢力が不明な点と同じく航空支援を受けられなくなった事を理由にメリル少将は却下している。

 日本艦隊は最低でも十隻、少なくとも一隻の戦艦を含むと見られることから、第68任務部隊には勝ち目がないとの見方が有った。

 第68任務部隊の構成は、第12巡洋艦群のクリーブランド級軽巡洋艦四隻と駆逐艦四隻と言う寡兵であった、しかし、メリル少将はこれでも負けるとこは初めから考えていなかったと伝えられている。

 クリーブランド級軽巡洋艦は最新鋭艦で排水量は11000tを越す、同時期の日本海軍の軽巡洋艦の最新鋭艦である「阿賀野」型が6600tであったことを考えると約倍のサイズと成る。

 それは明確な戦い方に対する違いから来るもので、日本海軍の軽巡洋艦が水雷戦隊(駆逐艦)の教導と露払いが主な仕事であり自身も魚雷を装備して敵艦隊に突撃する、その為に軽快な高速艦を必要としていたことから防御力を犠牲にした小型軽量の重雷装艦が建造された。

 対する米海軍では既に魚雷に拠る肉薄攻撃は巡洋艦の仕事としては考えられなく成っており、その代わりに空母機動部隊に同行が出来る高速艦で巡洋艦クラスと砲撃戦に充分耐えられる装甲と、敵を瞬間で圧倒できる速射性の高い主砲、大量の対空砲を搭載できる余裕の有る艦体を求めた結果、重巡と同じ船体を共用する軽巡洋艦が誕生すること成ったのである。

 更に日本海軍の艦艇との大きな違いはレーダー等の電子装備が充実していた点であろう。 同艦は索敵と射撃のレーダーをそれぞれ装備し、夜間のレーダー射撃も可能な点で日本軍を凌駕していた、それは同行する駆逐艦も最新鋭のフレッチャー級においても同様で、駆逐艦としては厚い装甲と対空砲も兼用する速射能力の高い備砲と索敵・射撃のレーダーを完備していた。

「なに、戦い方は有るさ。」

と答えたメリル少将はサボ島の島影に隠した別働隊にも島の影から出ないように命じて夜が更けるのをまった。


1942年12月25日の月は23日の満月から二日経過しただけで未だ充分明るく夜戦で待ち伏せを仕掛ける方としては有り難くない条件であった、しかし、彼らにとって有り難いことに当日空は一面雲が垂れ込めて月を隠していた。

 露天艦橋でそれを確認したメリル少将は、艦長を伴って艦内の戦闘指揮所(CIC)へ席を移した。

 艦橋に隣接するそこは小さな部屋では有ったが中央に海図台が置かれ、壁にはレーダー手や索敵手など艦内各部署へ直通で繋がる内線電話が置かれていた。

 やがてその一つの呼び出しベルが鳴った、

「レーダーに反応あり、真方位2−7−8、反応大。」

 それはレーダー手からであった。少しの間を置いて続報が入る。

「反応は5、大型艦1、中型艦1、その他3。」

「先頭は戦艦か、しかし、先の索敵情報と数が合わんな。」

 レーダー手からの情報を電話手とは別の要員が海図の上に置かれた透明なアクリル板にグリースペンで書き込んでゆく、それを見ながらメリル少将と参謀達は情報を分析してゆく、彼らの頭には先の索敵情報『戦艦1、巡洋艦3、駆逐艦多数』があった、故に巡洋艦も駆逐艦も報告より少ないのが気になる。

「ショートランドで確認された上陸部隊の支援に回ったのかもしれません。」

「かもしれんが、先ずはこいつから片付けよう。」

 参謀の一人が皆の予測を代弁した、メリル少将もその見方に賛同出来る点はあったが今はそれよりも目前の敵に集中することを優先した。

「❝クーガー1(旗艦モントピリアの符丁)❞❝クーガー2(クリーブランド)❞❝クーガー3(デンバー)❞は戦艦、❝クーガー4(コロンビア)❞は巡洋艦、駆逐艦隊は後方の駆逐艦を狙え。」

 メリル少将の指示は電話手より後続の各艦への信号手へ伝達され、素早く発光信号で伝えられる。

 同時にモントピリアの艦内でもレーダー手よりの観測結果が砲術長へ伝えられ主砲の発射諸元として入力される。

 やがて艦内より、そして各艦より発射準備が完了したことCICへ伝えられた。

 その様子を見ていたメリル少将は満足そうに頷き声を発した。

「撃ち方始め!」

 一瞬置いてツラギ島を背景にした南溟の海原に大小多数の閃光が煌めいた。

(モントピリアの戦闘詳報より)


終わりません、終われません(汗)。

気がつけば本編の海魔よりも長くなっていました。こちらは番外編のつもりで書き始めたのですが・・・・。しかも最近は主人公が出てきません。

あと少しです、ぜひ最後までお付き合い下さい。

いつも更新すると多くの方が読んで下さいます。本当に有り難い話です。よろしかったら感想お願いします。

それから誤字脱字、気を付けていますが結構有りますのでこちらも感想で結構ですので教えて下さい。

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