第十八話
一話書くのに一ヶ月も掛かってしまいました。
第十八話
昭和十七年(一九四二年)十二月二三日、南洋最大の拠点である、トラック諸島を出撃した第一挺身隊は、一路南太平洋を南下しソロモン諸島へ向かった。
途中サンタイザベル島北方の海上で米索敵機による接触が有ったが、その後は護衛に付いた第二航空戦隊の零式艦戦隊の働きもあって索敵機による接触を遠方で阻止することに成功、危惧されていた米軍による航空攻撃を受ける事なく予定通りにソロモン海に入る事が出来た。
ブーゲンビル島とチョイソル島の間の海峡を抜けた艦隊は、ショートランド諸島近海で最後の給油を済ませた後、ガダルカナル島攻撃時に常用するニュージョージア海峡を通らず、一度ソロモン海を南下しベララベラ島やニュージョージア島の沖を大きく南に迂回する形で東進し、ラッセル島とガダルカナル島の間を通ってニュージャージー海峡(米国で言うTheスロット)へ進入した。
二五日二十時、ラッセル島沖合を通過した時点で挺身隊は作戦に従って艦隊を二つに分けた、前衛警戒隊と挺身隊本隊である。
この内、前衛警戒隊はその名称どおりに本隊に先んじる形で先行、途中で進路を北へ取りサボ島の北水道を目指した。
警戒隊の目的は、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地を攻撃する本隊の背後の安全を確保し敵基地攻撃を間接的に支援する事であった。
この警戒隊に選ばれた艦艇は五隻、装甲巡洋艦「八咫」重巡洋艦「羽黒」駆逐艦「峯雲」「朝雲」「村雨」といった陣容で、第一二戦隊を木村進少将より引き継いだ秋山輝男少将の指揮の下、サボ島北水道に達した警戒隊は、速度を一五ノットに落として水道を東進、警戒しつつガダルカナル島北部海域、通称鉄底海峡(米通称アイアンボトムサンド)に進入した。
対する米軍は、既に航空偵察とコーストウォッチャーや現地内通者より日本艦隊の来襲の報告を受けており、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地の航空部隊と軽巡洋艦を中心とした快速艦隊である第68任務部隊による迎撃を目論んでいた。しかし、25日の夕刻までに基地の滑走路を破壊され航空戦力を壊滅に追い込まれた事により第68任務部隊単独での迎撃を余儀なくされてしまっていた。
戦艦一隻を含む敵艦隊に対して軽巡洋艦と駆逐艦の各四隻で構成する第68任務部隊単独では迎撃不可能との意見も有ったがガダルカナル島の上陸した陸軍と海兵隊を見殺しにするわけにも行かず結果的に第68任務部隊が単独で迎撃を行う事となった。
然しながら任務部隊を指揮するメリル少将は現状に臆することもなく、嬉々として作戦海域へ向かったと戦後に公開された公式記録には残されている。
彼は日本艦隊の来襲前にアイアンボトムサンドへ到達する事に成功すると、艦隊を東進してくる日本艦隊から死角と成る海域北部のフロリダ諸島のツラギ島の東側に潜ませる一方で、駆逐艦「コニー」を単艦でツラギ島沖に配置してレーダーによる監視をさせた。
これは一種の賭けであった。
日本軍の夜戦における見張りの能力は想像以上に高い、この為に常に先手を取られるのが夜戦において苦戦させられる要因であると考えたメリル少将は最新鋭のSGレーダーの長距離索敵能力を活用しようと考えたと先の公式記録に記されていた。
最新鋭のクリーブランド級軽巡洋艦とフレッチャー級駆逐艦にはこれまでのSCレーダーに変わってSGレーダーが搭載されているいた。SGレーダーは水上及び低空索敵警戒用に開発された当時最新のレーダーで前のSCレーダーよりもより細密な索敵が可能な波長10センチのマイクロ波を使用していた。索敵範囲は戦艦サイズであれば40キロ、駆逐艦などの小型艦艇でも20キロと目視の索敵範囲を大きく超える性能を持っていた。
更に米海軍では、このレーダーがより細かい索敵情報を捕らえられることと平面位置表示器(PPI)により目標情報が読み取り易いことに着目し簡易的な射撃管制レーダーとして使用することを模索していたが、先の第三次ソロモン海戦では戦艦ワシントンとサウスダコタの二隻が我が軍の「霧島」に対してレーダーを用いた砲撃を行ったのにも係わらず成果が確認できていなかった。
この為メリル少将はその検証とも言える実戦での活用をこの夜戦において実施することを希望していたのだ。
実際に彼の艦隊は就役したての新鋭艦ぞろいであったが、就役して以来頻繁にレーダーを用いた主砲射撃の訓練を行い乗組員の練度を実戦に使用できる水準にまで鍛え上げてきていた。
やがてコニーのレーダーはサボ島北の水道を東進してくる日本艦隊を捉えた(実際に捕らえたのは艦隊の先頭を行く「八咫」であった。)、この報告を発光信号伝えられたメリル少将は軽巡モントピリアのCICで「賭けに勝った!」と叫んだと伝えられている。
鉄底海峡北部に進入した日本艦隊をレーダーで捕らえ続けるコニーからの情報と、これまでの索敵および諜報情報から接近して来る艦隊を敵の攻撃主力と判断、ヘンダーソン基地への攻撃を阻止するべくツラギ島の島影に潜ませていた第68任務部隊を警戒隊攻撃へ向かわせた。
行く先に米艦隊が潜んでいるのに気づかないまま前衛警戒隊は「八咫」を先頭に単縦陣でサボ島沖を通過、その後僅かに南に進路を変更してヘンダーソン飛行場基地へ進路を向けた。
その動きをレーダーで確認したメリル少将は艦隊を同じく単縦陣を取らせて20ノットで南下、並走させ同航戦を命じた。
彼岸の距離が12000メートルとなったところで米艦隊は射撃を開始した。
先頭から三隻の軽巡洋艦モントピリア・クリーブランド・デンバーは日本艦隊の先頭を行く「八咫」を、残る一隻の軽巡洋艦のコロンビアは重巡洋艦の「羽黒」を残る四隻のフレッチャー級の駆逐艦は後続する「峯雲」「朝雲」「村雨」の三隻の駆逐艦に向けて砲門を開いた。
後に第一二戦隊の砲術参謀であった有川尚繁中佐(当時)は自身の手記のその時の様子を次のように記している。
「その時、私は前衛警戒隊の旗艦である「八咫」の最上部である防空指揮所にいました。
ご存知の様に、「草薙」型装甲巡洋艦は「大和」型戦艦の影武者的存在とも言える同戦艦の縮小版として設計建造された関係上「大和」型との外見上の共通点を多く有していました。
従って艦橋の有る前檣楼の形状も大きさ違うだけで極めて良く似た造りでした。これまでの日本型戦艦の特徴とも言えるマストを中心に構造物を積み上げて櫓の様にした通称パゴダマスト(仏塔)とも呼ばれる形式とは異なる、塔型のガッシリとした造りも「大和」と同様でした。
前檣楼の最上部は主砲の射撃管制用の測距儀と主砲射撃指揮所が設置され、その下は露天の防空指揮所となっていました、その一層下は戦闘用の艦橋である第一艦橋(戦闘艦橋)更に下層の檣楼の中程には航海作指揮用の第二艦橋(夜戦艦橋)がありその下の檣楼基部は分厚い装甲で守られた司令塔と成っていました。
その日の戦闘は戦闘想定海域へ到達する時間が深夜とされていたため当然のことですが夜戦が想定されていました。
一般的に我が軍では夜戦の指揮は第二艦橋で行われてきました、当時は索敵を目視に頼っており、夜間の戦闘指揮を遠方の視界が利かない第一艦橋よりも海面に近いだけ様子が判りやすい低層の第二艦橋に於いて執るほうが有利だからと言われています。それ故に第二艦橋は夜戦艦橋や羅針艦橋とも呼ばれ、第一艦橋は昼戦艦橋とも戦闘艦橋とも呼ばれていました。
ただ、どちらの艦橋を指揮所として使うかは指揮官の好みや拘りの問題であり、この日も「八咫」の艦長である三谷正蔵大佐や戦隊司令である秋山少将の希望から第一艦橋において戦闘指揮を執ることになりました。
これには低い第二艦橋よりも遠方への視界が確保できる第一艦橋の方が夜戦とはいえ戦闘指揮に適してると言う現実的な理由と、海軍の伝統として❝指揮官が安全な場所で指揮することを良しとしない❞と言う思想的・心理的理由が有ったと考えることが出来ます。
その結果、戦闘指揮関連の要員は第一艦橋へ、操艦要員は第二艦橋へ分散して配置されることと成っていました。それは戦隊司令部の要員も同様でした、従って私も砲術士官であり本来は第一艦橋に詰めるべきでしたが、そこは戦艦サイズとは言え『八咫』の戦闘指揮要員に加えて戦隊の司令部要員まで艦橋に詰めることに成るわけですから随分とく手狭になることが予測されました、そこでその上の防空指揮所を選んだとうわけです。
私は、戦隊の参謀に任じられる前に同型である「八坂」の砲術長をしていたことからこの防空指揮所は配置の合間に息抜きする場所として馴染みとも言える部署でした。
この日も、航行の途中まで「八咫」の砲術長であった石井中佐も降りてきて私や見張り員達と談笑していたのですが、サボ島北水道を通過して鉄底海峡へ入る前に配置場所である上の主砲指揮所へ戻ってゆきました。
こうして砲術長は主砲指揮所、艦長は第一艦橋、航海長は第二艦橋、副長は司令塔内の応急指揮所、機関長は機関部などと分散して配置に付くことに成りました。
この様に当時の帝国海軍では各指揮官がそれぞれの配置場所に分散して配置されるのが普通でしたが、対する米海軍では駆逐艦にまで戦闘指揮所(CIC)を設置して各部の指揮官を可能な限り集め情報の一元管理と共有化を進め即応性を高めるなど戦闘の指揮に対する思想が大きく違いました。
それはさらに掘り下げるなら見張り員の目視での情報に頼る帝国軍と電波装備からの情報を中心に目視情報を補助と位置づけた米軍との違いでも有りました。
話を戻しましょう、その時私は防空指揮所で予備の見張り員として双眼鏡を漆黒の海原に向けていました。本来ここは対空戦において要ともなる指揮所ですが対空戦が起こりようのない夜戦においては周囲の見張り、索敵の一部門して機能することと成ります。
ここには見張り長以下十二名の見張り員が前方と周辺の海上を監視していました。
時折、見張り長の上等兵長は艦内電話で『敵影見えず、異状なし。』の報告を階下の第一艦橋に居る艦長に報告していた。
私も主砲指揮所をぐるりと囲むように設けられた防空指揮所の奥、主砲指揮所の基部手前に立って本職の見張り員の邪魔にならないように双眼鏡を構えていました。
サボ島沖を通過したところで面舵、進路を右へ向けるように命令が出たのでしょう、僅かに艦橋が左に傾き艦が方向を変えて艦首をガダルカナル島へ向けました。
記憶に拠ればその時だったと思います、左舷側の見張り用双眼鏡を覗いていた見張り員が大声を上げたのです。
『左三〇度、距離一三〇に艦影!』
その声に見張り長が第一艦橋への艦内電話を取ったその時、漆黒の燎原とも言える南溟の海原に幾つもの閃光が走ったのです。
一瞬置いて発砲音が轟き、砲弾が飛来する音がして左舷側の離れた海面に大量の水柱が立ちました。その数は一つや二つでは有りません、しかも時間差を置いて数回それが繰り返されたのです。
但しその水柱は数は多くありましたが『八咫』やや離れたところに立ったのです。
『なんだ、ありゃ?』
そう呟いたのは見張り長の袴田上等兵長でした。
私もそれに同感でした、砲術の専門家としてこの砲撃は有りえません。
砲術は単純に言えば幾何学を基礎にした計算術の成果の結実と言うべきものです。目標との方角と距離から砲を旋回させ仰角を付け砲弾を発射させる、その為の計算を幾何学により答えを導き出す術なのです。
ただこれだけのことですが実際には多くの不確定要素があり単純に計算式で答えは出ない(現代のスーパーコンピューターを持ってしても不可能と言われています)のです、砲弾ごとの形状や重量のバラつき、敵の存在する位置の方位と距離の正しい数値、そこに長距離砲では地球の自転も考慮に入れる必要が有ります(所謂、コリオリの力と言われるやつです。)、そして一番難解なのが装薬の状態です、装薬は生産されてからの経年変化や湿度と気温により微妙にその力が変わってくるのです、従って交互撃ちによる現状の把握と数値の修正は必須と成ってくる訳です。
斉射を行うのは交互撃ちを行い、着弾が敵を挟叉して照準の正しさを確認してからに成るはずでした。
しかし、今回の米軍の砲撃はそれを無視して初手から一斉射撃を行って来たのです、
『奴ら素人か?焦って最初っから斉射で来よった。』
誰が言ったのかは覚えが有りませんが、そう嘲る言葉がして防空指揮所に居た者から苦笑が漏れるを耳にしました。
私もそれに同調するように笑みを浮かべましたが、その後も砲弾の無駄遣いを気にせず斉射を続ける敵艦隊の砲撃が「八咫」の至近へ落ち始めるに従い、何時しかその笑顔は消えていたと思います。
我々がそんな会話を続けている間にも敵の斉射は続きました、間隔は凡そ三十秒。
『「羽黒」より発光信号、「我攻撃を受く」。』
同じく防空指揮所に居る信号員が後方より発せられる発光信号を読み取って伝声管へ向けて報告していた。
その後、それに続くように後続する駆逐艦からも同様の信号文が届けられたことから後続の艦も砲撃を受けていることが判った。
視界を巡らせて後方を見ると、『羽黒』が航行している辺りとさらにその後方に爆発の閃光と水柱が立ち上がるのが見えた。やがて、その光景を覆い隠すように次の砲弾が束になって落下し水柱による壁を作ります。
『拙いな。』
私はそう呟くと第一艦橋への艦内電話を取り、急いで秋山司令を電話口に呼んでもらった。
電話口に出た戦隊司令の秋山少将に対して私は想像以上に危機敵状況であることを告げました。そして意見具申として無線封止の解除と攻撃開始を進言したのです。
最初、秋山司令は最初無線封止解除を渋る口調でした、『敵は無駄な砲撃を繰り返すだけなのに無線の封止を辞めてこちらの存在を曝け出すのかえって危険ではないか。』というのが司令の意見でした。
しかし、私の意見は違っていました、
『敵は我々を待ち伏せしていたのです、奴らはこちらを補足しています。その証拠に既に数度の斉射で既に照準が修正され、確実にこちらに近づいています。これは闇雲に撃った盲撃ちでは有りません。』
私はそう言ったのです。
これに先代の「八咫」の砲術長であった艦長の三谷大佐も賛同して、戦隊司令も納得し無線封止解除と攻撃準備が発令されました。
事態がここまで進むと私に出来る事は有りません、残念ながらここから私は暫く間、傍観者と成ったのです。
ここに来て私は、背後の二一号電探のアンテナが回転を初めて居ることに気が付きました、後に聞いた話では無線封止解除の直後に通信長に対して本隊へ敵襲を受けている事を位置座標と現在の時間を添えて送る命令と、本艦に搭載されている二号一型(通称二一号)と二号二型(通称二二号)の二種類の電波探信儀(通称電探・レーダーの日本呼称)を稼働させる命令が発令されたとのことでした。」
一般に二一号はメートル波(波長1、5メートル)使用の対空見張り用であり二二号がセンチ波(波長10センチ)使用の対艦用と認識されているが、実際には二一型も戦艦サイズであれば20km先から感知できる性能を持ち射撃管制用に改造(但し現場で)もされていた。
従ってここで二一号を稼働させた事は無意味ではない。
更に補足の説明だが、この時電探の使用を通信長に命じたのは、当時は組織内で電探を管理運用していたのが通信科であったためである。
後にであるが、当時の様子を通信長の大石久二中尉は次のように語っている。
「電探を稼働させると程なく敵艦隊が探知されました。暗い電探室の中で仄かに光る受像機を覗き込みその波形から情報を読み取る操作員の報告を、私は第一艦橋へ繋がる艦内電話で艦長に伝えました。
『二二号に感有り、方位左三二度、距離一一五(11500メートル)、反応は大四小四の計八、本艦隊と同航する。』
私が艦内電話の受話器をフックに戻すのとほぼ同時に艦内にブザー音が響き、一呼吸置いて轟音と衝撃が来ました、「八咫」が砲撃を始めたのです。
やっと敵の存在を確認し反撃を開始してホッとした時、それは起きたのです。
これまでより大きな敵弾の飛来音がして間もなく幾つもの衝撃が「八咫」の船体を突き抜けました。」
それは装甲巡洋艦「八咫」がこの日初めて挟叉弾を受けた瞬間でした。
スミマセン、何故か本編の海魔よりも長い話に成っています、
それに主人公が出てきません、どうしちゃったのでしょう?
最後までお読み頂きありがとうございます、次はなるべく短い間隔で
投稿したいと思っています。
誤字脱字有りましたら感想へで結構ですのでお願いします。
感想も大歓迎!




