第十二話
今回は比較的短期間で更新できました。
第一二話
昭和一七年(一九四二年)12月、後一月も経ずして今年も終わるこの時、私は南溟のビスマルク諸島ラバウルに居た。赤道直下のこの地は祖国である日本とは違い師走と言えども連日猛暑が続き年が変わる実感は持てないでいたし当時の戦況も新しい年を迎え祝うようなものでは無かった。
十月、十一月とガダルカナル島を巡りソロモン海とその周辺で大小幾つもの海戦が有り、その都度帝国陸海軍は消耗していく様子が伺い知れた。
特に十月二六日の南太平洋海戦では一応の再編が成った機動部隊がミッドウェーの復讐を誓う南雲中将の指揮の下、米機動部隊へ襲いかかった。
「翔鶴」「瑞鶴」の二隻の正規空母と改装空母から繰り出された一五〇機を超える攻撃隊は敵、特に空母を目標に攻撃を加えたが当時既に米海軍艦艇は著しく対空砲火を強化しており、更に米軍側が多数の戦闘機を艦隊防御に振り向けるなど防御重視で戦いに望んだことから、日本側は敵空母一隻の撃沈ともう一隻の大破と引き換えに空母機動部隊に壊滅的損害を受ける事と成った。
特に艦爆隊と艦攻隊は全滅に近い損害により先のミッドウェー海戦を生き残った達人級の搭乗員を根こそぎ失う結果とも成っている。これは一つには旧式化して速度と防御力に劣る機体の更新が遅れそのまま戦場に投入した結果でもあった。
そして月が変わって十一月一二日、ガダルカナル島の攻略支援と敵ヘンダーソン飛行場をも壊滅を目的とした「霧島」「比叡」の二隻の戦艦を含む日本艦隊とそれを阻む米艦隊との間で行われた第三次ソロモン海戦は、三日間の激戦の末二隻の戦艦と支援の第二艦隊(空母機動部隊)の護衛から急遽投入された「草薙」型二番艦の「八坂」の喪失しながら当初の目標を達成出来ず失敗に終わっている。
この後、ガダルカナル島周辺の制海権、制空権は米国側が握ることとなり遂にガダルカナル島奪還が不可能に近い状態になりつつ有った。
そのような状況の下、私達二〇四空はラバウルに有って日々ガダルカナル島への攻撃に投入されていたが我々の〈蒼電〉は航続距離が短いこともあってガダルカナル島方面の戦闘に投入されることは無かった、それでもラバウルへ移動してほぼ一月、徐々に拡充されていた〈蒼電〉は本土で本格的な生産が軌道に乗ったこともあって次第に数を増し昭和一七年十二月で二個中隊二四機と成っていた。私も中隊長に成った小橋中尉の二番機として研鑽を積み続けていた。
そうしたなか、我々第二中隊に古巣のブインへの分遣の話が持ち上がった。当時、まだ日本側の重要基地であったブインはガダルカナル島への攻撃に際して零式艦戦の出撃拠点とされていたが邀撃機の不足から度々米軍の手痛い攻撃を受けており早急な対応が必要とされていた。
ブインへ分遣されるのは、小橋中尉指揮下の第二中隊の一二機。私、檜山和則二等飛曹も当然第二中隊第一小隊二番機としてブインへ向かうこととなった。余談であるが、先に組織と名称の変更から飛行兵長に呼び名が変わっていた私だが、先日、十二月一日を持って定期の昇格があり二等飛行兵曹へ昇進していた。
当時、辛うじてブイン周辺は我が軍が制空権、制海権とも持っており必要な機材を駆逐艦を使用して持ち込むことが可能であり、〈蒼電〉の整備に必要な物資も必要最小限では有ったがブインへ運ぶことが出来た。今の読者諸兄からすれば冗談なような話だが、当時ソロモン海周辺では米軍の双発爆撃機と潜水艦に因る海上輸送線への襲撃が常態化しており、激戦地でも有るガダルカナル島への物資の補充すら満足に出来ないのが現状で、進出先に予備部品が全くない新型機の補充部品が無事陸揚げできたことは僥倖とさえ言うことが出来るまで逆に言えば我々は追い込まれていた言うことが出来る。
十二月七日、第二中隊全機は問題もなく全機離陸、その後も特段の問題もなくブイン基地へと進出を完了させた。
ブインへ着くと、すぐさま前もって用意された掩体壕へ引き込まれ偽装の網を掛けられて待機と成った。
機体近くの日陰にキャンバス地の椅子を置いて我々は身体を休める、勿論此れはサボりでは無い、いざという時のために身体を安め体力の消耗を抑えるためにしていることであった、他の搭乗員も炎天下で作業を続ける地上作業員には申し訳ないが此れも命令と割り切って身体を極力休める努力をする。もっとも、完全に意識を休めるわけには行かず、どこか感覚の中で起きている部分も有って思ったより休めるものでは無かった。
昼を過ぎると攻撃隊に同行していた護衛部隊の零式艦戦がポツリポツリと帰ってきた、その多くが翼が短い三二型乙だった、三二型乙は足(航続距離)が短いこともあってその殆んどがこのブインを基地としていた。
三々五々帰ってくる、どの機体も遥か彼方のガダルカナル島へ向かい迎え撃つ敵機との激闘の末の帰還である、大なり小被弾しているようで中には大きく傷付いた機体も有った。
搭乗員たちも同様だった、皆が長時間の飛行の末の激戦だ、ひどく憔悴した表情で幽鬼の様でもあった、後に軍医から聞いたのだがやはり衛生環境の悪さからマラリアに罹病するものが後を絶たずその面からも戦力の損耗は激しかった。
私は、無事帰ってきた搭乗員の中に旧知の者を見つけ無事の帰還と労いの言葉を掛けた、暫しの会話の中で聞くのは私が不在の間に未帰還となった戦友達の事だった。
名前だけを知る者から、兵学校の同期生や共に木更津から飛びだった先任達、かつては馬が合わずに取っ組み合いの喧嘩までした友たちの名を聞くと、彼らを失った事の悲しさと未だに続く激戦の様を改めて窺い知ることとなった。
それでも我々は戦闘機乗りだった、やがて話題は新型の(蒼電〉へと向かう、私たちのラバウルでの武勇伝を聞き、巨大な発動機と長大な銃身を持つ機銃を持つ異相の兵を彼らはう羨ましげにそして頼もしげに見ていた、私が共にガダルカナル島まで行けないことを詫びると、「それでも基地の防御を任せることができるだけ俺たちは楽に成る。」と言い彼らは笑顔を見せて宿舎へ戻っていった。
やがて、我々は邀撃待機任務へと入った。常時待機するのは一個小隊四機、全部で三個小隊有るわけだからそれが交代で待機へと入る予定だった。
最初に待機任務へ着いたのは我々第一小隊の四機だった、風通しの良い木陰に椅子を置き身体を休めながらの待機は多少大袈裟ではあったが、さながらバカンスを過ごす様で優雅で贅沢な気分に浸れた。
しかし、ここは戦場であった。
一時の静寂を打ち破るように警鐘代わりのドラム缶が打ち鳴らされた。
「敵襲!敵襲ーっ!」
その声に、私たち待機中の搭乗員はすばやく愛機に向かい、機付きの地上作業員の手を借りて操縦席に収まると座席の固定索を締め、落下傘のフックを掛けると発動機を始動させた。
離昇出力一五〇〇馬力の〈魁〉発動機は一発で眼を覚ました、ブインへの進出前に機付きの川口一整たちが徹底的に整備を行い万全な状態にしておいてくれたお陰だった。
素早く計器を確認する間に既に長機である小橋中尉の乗機は動き始めていた。私も急ぎその後を追って滑走路へ向かう。
滑走路へ進入した小橋機は私の動きを確認することもなく出力を上げて滑走を始める。私も遅れぬようにスロットルを目一杯押し込み出力最大にすると、長機を追って南溟の空へ駆け上がった。上昇しながら基地に眼をやると続く第二分隊が離陸を始めていた、さらに待機任務から外されていた八機の〈蒼電〉も我々を追って離陸準備を終えており序列に従って滑走路へ入るところであった。
「高度は五〇〇〇だ、上げすぎに注意しろ。」
今回、敵襲を察知したのはブイン周辺を警戒行動中だった二式飛行艇と駆逐艦からの通報だった、
『敵双発陸爆、二群八機、ブイン南方海上ヲ北ニ向ケ進行シツツアリ。
高度四〇〇〇付近。』
進行中の敵は、B-25もしくはA-20の高速双発爆撃機と見られ、おそらく空襲から戻った零式艦戦隊を陸上で破壊するためにこのタイミングを狙ったと予測された。残念ながら続報がなく、そんまま北上してくるかはハッキリとしないが、敵を発見した地点がブインからさほど離れていない所でもあるため大きく欺瞞経路を取るとも考え難いと判断して最後に離陸する小隊に基地上空の留守番を任せ我々は洋上へ出て邀撃することとなった。
機体を南に巡らしすと、すぐ戦闘準備に入る、OPL(光学式照準器)の電源を入れ、二種類の計四門の機銃の試射も済まし、もう一度座席のベルトの具合を確認して酸素マスクをしてコックを開ける、この一連の作業を終わらせて再び周囲の警戒のため視線を機外に向けた。
敵は直ぐに現れた、十分ばかり洋上を飛行すると洋上に動く点が見えた。
それを確認すると私は急ぎ周囲に視線を走らせた、特に上方だ、低空の爆撃機への攻撃に集中した我々を上空から襲うのはある意味基本でも有る。故に周囲特に上方を警戒したが潜む敵は発見されなかった。 ならばと、我々は目前の敵に手中することにした。
敵機は高度三〇〇〇辺りを四機づつ二群に別れて密集編隊で北へ、つまりブインへ向かっていた。
小橋中隊長の指示(無線を封止していたので指示はバンクと手信号お行われた。)で我々は戦場を大きく迂回、敵の後方へ回り込む。その姿を他者が見れば我々は米爆撃機の護衛の様に見えたかもしれない、だがここで我々は彼らに牙を剥くこととなる。
敵編隊の上方、絶好の攻撃位置を得た我々は攻撃に移った、先頭はもちろん小橋中尉である、攻撃開始をバンクで合図すると素早く降下に入る、私もすでに予測しており遅れず二番機の位置で降下を開始する。敵はどうやらA-20〈ダグラスA-20ハヴォック)らしい、最近はB17やB24などの四発機を相手にすることが多く少々勝手が違うがそれでもさほど問題は無い、その証拠に機体後部上方の旋廻銃搭から打ち上げる対空砲火を恐れる素振りも無く近づいた小橋中尉が呆気無く敵の先頭を行く機体を打ち落としているのだから。
続く、私も敵の小橋中尉が狙う機体の右後方を飛ぶ機体に照準を合わせ12,7ミリと20ミリの機銃弾を左主翼の付け根に集中させそれを叩き折ることが出来た。そのまま前方へ抜けるようにして距離を取り再び上昇して今度は前方からの攻撃に備える。上昇して確認すると第二分隊の二機もA-20一機を撃墜して追従してきた。
しかし、我々の攻撃はそこまでだった、すでに敵編隊に追いついた第二小隊の四機も攻撃を始め、生き残ったA-20は爆弾を捨てて身を軽くして、第二小隊を突っ切り逃走していた。
「逃げ足だけは早な。」
思わず私の口から出たのは正しく嘲笑の類であった、しかし、私の耳に入ってきたのは小橋中尉の意外な言葉だった。
「圧倒的劣勢の下で、逃げるという冷静な判断が出来る。
あいつは手強いかもな。」
「でも、敵を前にして逃げるのは腰抜けです。」
そう、私は反論した、小橋中尉の言葉は不利を承知で戦い散華した戦友たちにを裏切る言葉に思えたのだ。
「確かにな、不利であっても任務を全うするために自らの命を差し出す、立派だと思う。
だが不利と判断して逃げ、捲土重来を図れる奴はそれはそれで厄介だと思う。」
小橋中尉の言葉は呟くように静かで普段の軽妙な喋り方ではなかった。
私はその言葉に何か引っ掛かりを感じたが会話はそれだけだった。
私は小橋中尉の語る言葉の意味を理解できないままブイン基地へ帰途に着いたのだった。
マスコミでは沖縄戦終結から七〇年と盛んに報道しています(6月23日現在)。こんな仮想戦記を書いておいて何ですが、戦争は嫌ですね、起きて欲しくはない。
この話も後二話で完結の予定です。
今度は少し時間が掛かるかもしれません。
では、感想、誤字脱字の指摘、なんでも結構ですのでお願いします。
最後まで読了ありがとうございました。




