誓いと覚悟
昇降口の雑多な靴の音のなかで、兄さんは「じゃあな」と短く言って上階への階段を上っていった。
教室へ向かう廊下で、葵の姿を見つける。いつもならクラスの太陽みたいに周りを照らしている彼女が、今日はただ呆然と、足元だけを見つめて歩いていた。
「葵、おはよう」
声をかけると、葵はゆっくりと顔を上げた。だが、そこにあったのはいつもの弾けるような笑顔ではなく、今にも崩れ落ちそうなほど弱々しい表情だった。
「……おはよう、白﨑くん」
「どうしたの? 何かあった?」
僕が尋ねると、葵は唇を噛み締め、僕の袖をキュッと掴んだ。そのまま無言で僕を引っ張り、普段は誰も使っていない旧校舎の空き教室へと連れ込んで扉を閉めた。
朝日が薄暗く差し込む教室で、葵はポツリ、ポツリと語り始めた。
「……今朝のニュースの被害者、私の父親だったの」
「え……?」
頭を殴られたような衝撃が走る。言葉を失う僕の前で、葵の瞳から大きな涙がこぼれ落ちた。
「お父さんは、絶対に悪事を働くような人じゃない……! 会社でも部下や上司からすごく尊敬されていて、家族の記念日には必ずプレゼントを買ってきてくれて、私にたくさんのことを教えてくれた……! なのに、なんでお父さんが殺されなきゃいけないの……!? なんで!? 悪人だけを殺すんじゃなかったの……!?」
叫びのような問いかけに、答えられるはずもなかった。葵は僕の胸にすがりつき、ぽろぽろと涙を流しながら、ポカポカと弱々しく拳で僕の胸を叩いた。
「大丈夫だよ」なんて言葉をかけたら、絶対に逆効果だ。言葉の代わりに、僕は何も言わず、ただ葵の背中を優しく撫で続けた。彼女の体が激しく震えているのが伝わってくる。
しばらくして、葵のしゃくりあげる声が小さくなった。葵は僕の胸から体を離すと、涙を拭って少しだけ微笑んだ。
「……ありがとう、白﨑くん。おかげで、少し落ち着いたわ」
その瞳に、静かだが確かな火が灯る。
「私、やるべきことが分かったの」
葵は強い眼差しで僕を見つめ直した。
「私、赤髑髏を絶対に許さない。警察官をやっている親戚がいるから、その人を頼ってでも、絶対に犯人を突き止める。……白﨑くん、お願い。私に協力してくれないかな? あなたがいてくれたら、すごく心強いの」
「……っ」
胸が強く跳ね上がった。
今までの人生で、誰かにこんなにも頼にされたことなんて一度もなかった。「優しいだけ」の僕を、必要としてくれている。
(でも……兄さんに言えば、絶対に危険だと否定される)
兄さんの心配する気持ちも痛いほど分かる。けれど、父親を奪われながらも、必死に立ち上がろうとする葵の強い信念が、僕の心を強く揺さぶっていた。何より、好きな人に頼られたことが、心から嬉しかったのだ。
そして僕の心のどこかには――自分を地獄から救ってくれたあの赤髑髏が、何の罪もない人を殺したなんて、どうしても信じたくないという想いもあったのかもしれない。確認したかった。真実が何なのかを。
「分かった。僕も協力するよ、葵」
「白﨑くん……! ありがとう!」
葵の顔に、少しだけ安堵の色彩が戻る。僕は葵に向き直って言った。
「ただ、兄さんに黙っていくわけにはいかないから、放課後、兄さんにちゃんと説明してみる。一緒に行ってくれる?」
「ええ、もちろん」
僕らは放課後、屋上にきてほしいと兄さんにメッセージを送った。
◇
放課後の屋上。強い風が吹き抜ける中、兄さんは不機嫌そうに腕を組んで待っていた。
「大事な話ってなんだ、優斗」
僕は意を決し、今朝のニュースの被害者が葵の父親であったこと、そして葵と一緒に事件の捜査に協力したいということを話し、兄さんに許可を求めた。
「……却下だ」
兄さんの声は、冷たく切り捨てられた。
「兄さん、でも――」
「これは遊びじゃないんだぞ、優斗。中学の時の瀬戸の件とは比べ物にならない」
「分かってるよ!」
「分かってない!」
兄さんが語気を強めた。滅多に感情を表に出さない兄さんの強い一言に、僕は言葉を詰まらせる。
「相手は本物の殺人鬼だ。命を落とすかもしれないんだぞ。学生が首を突っ込んでいい領域じゃない!」
「でも……クラスメートが困ってるんだ!」
僕が食い下がろうとした瞬間、兄さんは僕を押しのけ、葵の方へと歩み寄った。その瞳には、冷ややかな怒りが宿っていた。
「君のお父さんが亡くなったのは、本当に残念だと思う。……だが、うちの弟を巻き込むのは別の問題だ」
「……お兄さん」
「知り合ってまだ数ヶ月程度の人間(お前)に、なぜ弟が命を預けなきゃいけないんだ?」
氷のように冷たい兄さんの言葉が、葵に突き刺さる。兄さんは、心底腹を立てていた。大切な弟を危険に晒そうとする葵に対して。
葵は逃げずに、まっすぐに兄さんを見つめ返し、深く頭を下げる。
「お兄さんの仰る通りです。私は、優斗くんと知り合ってまだ数ヶ月しか経っていません。……でも、今日、優斗くんの優しさに本当に助けられたんです」
「その優しさを利用しようっていうのか? 俺がそれを許可するとでも思っているのか?」
「私にできることなら、何でもします! 私は……お父さんを殺した赤髑髏を、絶対に捕まえたいんです!」
必死に叫ぶ葵に対し、兄さんは冷酷に吐き捨てた。
「それはお前の都合だろ。……おい、優斗。お前は本当に、こんな女のために命をかけるつもりなのか?」
兄さんの鋭い視線が僕に突き刺さる。僕は恐怖で脚が震えそうになるのを必死に抑え、兄さんの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「……うん。僕は、葵を手伝いたい」
僕の決意を聞くと、兄さんは深くため息をつき、冷ややかな眼差しで葵を見下ろした。
「……そうか。なら聞かせろ。具体的に何をするつもりだ」
「警察官をしている親戚の家に行って、その人を頼ろうと思っています。事件の情報を少しでも共有してもらうために」
「警察の親戚、ね……」
兄さんは一瞬だけ何かを考えるように視線を落とすと、興味を失ったかのように背を向けた。
「……勝手にしろ」
「え……?」
「どこへ行こうがお前たちの自由だ。……好きにすればいい」
兄さんはそれだけ言うと、一度も振り返ることなく屋上の扉を開けて去っていった。
「……お兄さん、認めてくれたのかな」
ぽつりと呟く葵に、僕は頷いた。
「うん。兄さんなりの『気をつけて行け』ってことだと思う」
昇降口の雑多な靴の音のなかで、兄さんは「じゃあな」と短く言って上階への階段を上っていった。
教室へ向かう廊下で、葵の姿を見つける。いつもならクラスの太陽みたいに周りを照らしている彼女が、今日はただ呆然と、足元だけを見つめて歩いていた。
「葵、おはよう」
声をかけると、葵はゆっくりと顔を上げた。だが、そこにあったのはいつもの弾けるような笑顔ではなく、今にも崩れ落ちそうなほど弱々しい表情だった。
「……おはよう、白﨑くん」
「どうしたの? 何かあった?」
僕が尋ねると、葵は唇を噛み締め、僕の袖をキュッと掴んだ。そのまま無言で僕を引っ張り、普段は誰も使っていない旧校舎の空き教室へと連れ込んで扉を閉めた。
朝日が薄暗く差し込む教室で、葵はポツリ、ポツリと語り始めた。
「……今朝のニュースの被害者、私の父親だったの」
「え……?」
頭を殴られたような衝撃が走る。言葉を失う僕の前で、葵の瞳から大きな涙がこぼれ落ちた。
「お父さんは、絶対に悪事を働くような人じゃない……! 会社でも部下や上司からすごく尊敬されていて、家族の記念日には必ずプレゼントを買ってきてくれて、私にたくさんのことを教えてくれた……! なのに、なんでお父さんが殺されなきゃいけないの……!? なんで!? 悪人だけを殺すんじゃなかったの……!?」
叫びのような問いかけに、答えられるはずもなかった。葵は僕の胸にすがりつき、ぽろぽろと涙を流しながら、ポカポカと弱々しく拳で僕の胸を叩いた。
「大丈夫だよ」なんて言葉をかけたら、絶対に逆効果だ。言葉の代わりに、僕は何も言わず、ただ葵の背中を優しく撫で続けた。彼女の体が激しく震えているのが伝わってくる。
しばらくして、葵のしゃくりあげる声が小さくなった。葵は僕の胸から体を離すと、涙を拭って少しだけ微笑んだ。
「……ありがとう、白﨑くん。おかげで、少し落ち着いたわ」
その瞳に、静かだが確かな火が灯る。
「私、やるべきことが分かったの」
葵は強い眼差しで僕を見つめ直した。
「私、赤髑髏を絶対に許さない。警察官をやっている親戚がいるから、その人を頼ってでも、絶対に犯人を突き止める。……白﨑くん、お願い。私に協力してくれないかな? あなたがいてくれたら、すごく心強いの」
「……っ」
胸が強く跳ね上がった。
今までの人生で、誰かにこんなにも頼にされたことなんて一度もなかった。「優しいだけ」の僕を、必要としてくれている。
(でも……兄さんに言えば、絶対に危険だと否定される)
兄さんの心配する気持ちも痛いほど分かる。けれど、父親を奪われながらも、必死に立ち上がろうとする葵の強い信念が、僕の心を強く揺さぶっていた。何より、好きな人に頼られたことが、心から嬉しかったのだ。
そして僕の心のどこかには――自分を地獄から救ってくれたあの赤髑髏が、何の罪もない人を殺したなんて、どうしても信じたくないという想いもあったのかもしれない。確認したかった。真実が何なのかを。
「分かった。僕も協力するよ、葵」
「白﨑くん……! ありがとう!」
葵の顔に、少しだけ安堵の色彩が戻る。僕は葵に向き直って言った。
「ただ、兄さんに黙っていくわけにはいかないから、放課後、兄さんにちゃんと説明してみる。一緒に行ってくれる?」
「ええ、もちろん」
僕らは放課後、屋上にきてほしいと兄さんにメッセージを送った。
◇
放課後の屋上。強い風が吹き抜ける中、兄さんは不機嫌そうに腕を組んで待っていた。
「大事な話ってなんだ、優斗」
僕は意を決し、今朝のニュースの被害者が葵の父親であったこと、そして葵と一緒に事件の捜査に協力したいということを話し、兄さんに許可を求めた。
「……却下だ」
兄さんの声は、冷たく切り捨てられた。
「兄さん、でも――」
「これは遊びじゃないんだぞ、優斗。中学の時の瀬戸の件とは比べ物にならない」
「分かってるよ!」
「分かってない!」
兄さんが語気を強めた。滅多に感情を表に出さない兄さんの強い一言に、僕は言葉を詰まらせる。
「相手は本物の殺人鬼だ。命を落とすかもしれないんだぞ。学生が首を突っ込んでいい領域じゃない!」
「でも……クラスメートが困ってるんだ!」
僕が食い下がろうとした瞬間、兄さんは僕を押しのけ、葵の方へと歩み寄った。その瞳には、冷ややかな怒りが宿っていた。
「君のお父さんが亡くなったのは、本当に残念だと思う。……だが、うちの弟を巻き込むのは別の問題だ」
「……お兄さん」
「知り合ってまだ数ヶ月程度の人間(お前)に、なぜ弟が命を預けなきゃいけないんだ?」
氷のように冷たい兄さんの言葉が、葵に突き刺さる。兄さんは、心底腹を立てていた。大切な弟を危険に晒そうとする葵に対して。
葵は逃げずに、まっすぐに兄さんを見つめ返し、深く頭を下げる。
「お兄さんの仰る通りです。私は、優斗くんと知り合ってまだ数ヶ月しか経っていません。……でも、今日、優斗くんの優しさに本当に助けられたんです」
「その優しさを利用しようっていうのか? 俺がそれを許可するとでも思っているのか?」
「私にできることなら、何でもします! 私は……お父さんを殺した赤髑髏を、絶対に捕まえたいんです!」
必死に叫ぶ葵に対し、兄さんは冷酷に吐き捨てた。
「それはお前の都合だろ。……おい、優斗。お前は本当に、こんな女のために命をかけるつもりなのか?」
兄さんの鋭い視線が僕に突き刺さる。僕は恐怖で脚が震えそうになるのを必死に抑え、兄さんの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「……うん。僕は、葵を手伝いたい」
僕の決意を聞くと、兄さんは深くため息をつき、冷ややかな眼差しで葵を見下ろした。
「……そうか。なら聞かせろ。具体的に何をするつもりだ」
「警察官をしている親戚の家に行って、その人を頼ろうと思っています。事件の情報を少しでも共有してもらうために」
「警察の親戚、ね……」
兄さんは一瞬だけ何かを考えるように視線を落とすと、興味を失ったかのように背を向けた。
「……勝手にしろ」
「え……?」
「どこへ行こうがお前たちの自由だ。……好きにすればいい」
兄さんはそれだけ言うと、一度も振り返ることなく屋上の扉を開けて去っていった。
「……お兄さん、認めてくれたのかな」
ぽつりと呟く葵に、僕は頷いた。
「うん。兄さんなりの『気をつけて行け』ってことだと思う」




