プロローグ:この異世界への愛
僕はどこにでもいるような普通の17歳の高校生だった。ただ、どちらかと言えば陰気なタイプで、誰とも話さなかった。この最後の1年は、本当に散々だったと思う。勉強する気力も、何か一つの分野で目立とうとする意欲も失ってしまっていた。見た目すら leader(無頓着)になり、髪は肩まで伸び、まるで世界を無視するかのようなうつろな目をしていた。今思えば、本当に馬鹿げたことだ。
ある日を境に、何もしていないのに酷く疲労感を覚えるようになった。
両親がその異変に気づいた時、何かもっと重大なことが起きたのか、あるいは学校で誰かにいじめられているのではないかと心配した。そして、僕を精神科のカウンセラーのもとへ連れて行った。そのカウンセリングの最中、話すのはセラピストだけで、僕はただコクコクと首を振るだけだった。僕自身のことや、どう感じているかといったプライベートな質問をされたが、ほとんど何も答えず、ただ静かに頷くだけだった。その時間の中で、唯一僕の興味を引いたのは、時々テーブルの上に置いてあったいくつかの雑誌だった。
ああ、あの時それを読んだのは、僕の人生で最高の選択だった。普通の雑誌もあったけれど、中にはアニメや漫画の雑誌が混ざっていた。アニメや漫画を知らなかったわけじゃない。存在は知っていたけれど、それまで気にしたことがなかったんだ。だけど、ある雑誌の記事に目が留まった。
そこには、「近年、異世界ジャンルが絶大な人気を博している」と書かれていた。
その時の僕は『異世界』なんて言葉の意味すら知らなかった。だから、貪るように読んだ。ああ、夢中で読んだよ! 内容は至ってシンプルだった。どこにでもいるような普通の人間が、異世界に召喚されるか、あるいは転生する。そして、そこでの新しい人生を求め、苦しみや痛みを乗り越えながら、今度こそ上手く生きるための「二度目のチャンス」を掴み取るのだ。
それを考えた瞬間、まるで頭を殴られたような衝撃が走った。自分が異世界に転生するか召喚される姿を想像することは、まさに夢のようだった。僕はカウンセリングの時間が終わったことすら気づかないほど、その雑誌を読み耽ってしまった。そして、ただそのまま家へと帰った。
家に帰ると、両親から「どうだった? 何か進展はあった?」と聞かれた。僕はただ「うん」とだけ答え、自分の部屋に直行して、すっかり心を奪われてしまったそのジャンルについてネットで調べ始めた。
あの日の夜のことはよく覚えている。一晩中検索を続け、ネットにあるライトノベルを読み漁った。当時の僕にとって、それはとても奇妙なことだった。読書をすること自体ではなく、アニメに関係するものを読んでいるという事実がだ。それまでの僕は、学校の課題図書か、たまに面白そうな歴史的な名作を少し読むくらいだった。それすらも、学校の忙しさや読書にかける時間のなさのせいで、最後まで読み切ることは滅多になかった。大作と呼ばれる本を買っては、最初の1章だけを読んで放り出してしまう、そんな人間だったのだ。興味を失ったからではなく、なんとなく「この先どうなるか」が分かってしまう気がしたからだ。
数ヶ月が経ち、相変わらずカウンセリングには通い続けていた。長い時間の後、セラピストは両親にこう告げた。「何もしていないのに疲れるのは、想像以上に深刻な状態です。おそらく、同じルーティンを繰り返すことによる『感情的消耗(燃え尽き症候群)』でしょう」と、確かそんな風に言っていた。正直、その時の僕は大して話を聞いていなかった。今思えば、随分と不義理な態度だったと認めざるを得ない。
それを聞いた両親――特に母は、何がそんなに辛いのか、一人の人間として本当はどうしたいのかを僕に問いかけてきた。けれど、父が口を開いた時……彼は怒りを爆発させて僕を怒鳴りつけた。言われたのは、決まりきったセリフばかりだ。
「俺がお前の年の頃は、そんな態度じゃなかった」
「この家の何が不満なんだ?」
「どうしてそんな風なんだ? 幸せになるのが、そんなに難しいことなのか?」
その最後の言葉が、僕の頭にこびりついて離れなかった。父の怒りを収めるために、僕はただ頷いて「ごめんなさい」と言った。それで父は落ち着いたようだったが、本音を言えば、その時の僕はその問題について深く考えてすらいなかった。
ベッドに入っても、あのフレーズが頭の中でリフレインしていた。
――幸せになるのが、そんなに難しいことなのか?
マニュアル通りでも、ありきたりでもない答えを探して、一晩中考えた。自分自身に向けた、僕だけの唯一の答え。自分の内側から湧き上がる、本物の答えが欲しかった。僕はクリエイティブな人間ではないけれど、一度火がつけばどこまでも情熱的になれる人間だ。
僕が本当に幸せになれる日。心の底から「幸せだ」と思える日……それは、僕が異世界に行く日だ。
そう考えることは、僕にとって大きな一歩だった。たとえそれが不可能なことだとしても、それは美しいファンタジーだった。異世界に召喚されるか、あるいは転生できたら、どんなに素晴らしい夢だろう。もう一度最初からやり直して、友達を作って、あるいは……僕を心から愛してくれる女の子を見つけるんだ。ただの妄想に過ぎない。けれど、不思議とその妄想のおかげで「自分は一人じゃない」と感じることができた。妙な感覚だと思う。ラノベを読んだりアニメを見たりしている時、真っ暗な部屋の中で、僕は確かな温もりを感じていた。
しかし、それは一言で言えば、僕の人生の「転落」の始まりでもあった。僕はただ、異世界モノを読み、見るだけの毎日に没頭していった。どうやら、何かに深くのめり込むと、人間はそのことしか考えられなくなるらしい。ここ最近の僕は、ラノベを読んでいる時やアニメを見ている時だけしか時間の経過を意識できなくなっていた。まるで、それ以外の時間は人生が「オートモード」で動いていて、物語を消費している瞬間だけ、ようやく自分の手でコントロールを取り戻しているかのようだった。要するに、絵に描いたようなテンプレオタクになっていたわけだけど、そんなことはどうでもよかった。気分が良かったし、それこそが僕の何よりも求めていたものだったからだ。
あんな風に考えなければよかった。あらゆる物事には代償があり、僕の代償もすぐそこまで迫っていたのだ。
気づけば、残されていた半年の月日はあっという間に過ぎ去っていた。そして、学校への興味が皆無だった僕の予想通り、終業式の前日、両親が学校へ呼び出されて僕の成績や態度について面談が行われた。
その場では、非難の言葉が雨あられと降り注いだ。僕はまともに聞いていなかった。誰だって批判されるのは嫌なものだ。ただ、僕に対する様々な、そしてその全てが最悪な評価だけが耳に届いていた。家に帰ると、リビングのソファに座らされ、両親から「昔は良い子だったのに、どうして急にこんな風に変わってしまったんだ」と問い詰められた。僕は何も答えなかった。理由が分からないからじゃない。答えたところで、ただ会話が長引くだけだと分かっていたし、何よりも早く自分の部屋に戻りたかったからだ。
しばらくして、会話は沈黙の中で終わった。両親が僕にひどく失望しているのが痛いほど伝わってきた。もし僕が彼らの息子でなければ、その怒りを直接顔にぶつけていただろう。正直に言って、その後の気分は最悪だった。当然だと思う。親を失望させたい人間なんていない。その夜、僕はひどく寝苦しい夜を過ごした。これが全て自分のせいだということは分かっていた。だけど、どうして本当のことを言うのがあんなに怖かったんだろう。もしちゃんと言えていたら、何かが違っていたのかもしれない。
翌朝、ついに最後の登校日を迎えた。その時の僕にとって特に感慨深いものではなかったけれど、出席しなければならなかった。教室では、みんなが別れを惜しみ合っていた。その光景を見ていると、他の奴らがひどく羨ましく、嫉妬を覚えた。とはいえ、彼らを責める筋合いはない。僕はクラスメイトの名前すら一人も知らなかったのだから。それに、無理やり僕に話しかけさせるわけにもいかない。友達を作ろうとするには、もう遅すぎた。全ては僕にその勇気がなかったからだ。
チャイムが鳴り、いよいよ解散の時間になった。いつものように、僕は静かに教室を後にした。どうせ僕に何ができるっていうんだ? 今更話しかけて、友達の輪に入ろうとするなんて、ハッ、馬鹿馬鹿しい。
家への帰り道、突然耳の奥で何かが鳴り響いた。耳鳴りのような、不快なキーンという音。両手で耳を塞いだけど、音は止まない。しばらくしてようやく収まったかと思ったら、今度は背後から、まるで鈴が鳴るような音が聞こえた。まだ耳を塞いでいた僕には辛うじて聞こえる程度で、目も半分閉じていたけれど、何がその音を鳴らしているのかを確かめようと振り返った、その瞬間――。
細めていた目を開けた瞬間、眩い光が僕の視界を完全に遮った。次の瞬間、まるで大勢の群衆が周囲を取り囲んでいるかのように、すぐ横を通り過ぎていく人々の話し声が聞こえた。そして空を見上げると、そこにあるはずの美しい夕焼けの代わりに、まさに日中の頂点にある太陽が輝いていた。
一瞬にして、僕は全く別の場所に立っていた。僕は声を失い、口を開けたまま、指一本動かせずに立ち尽くした。
周囲の環境をよく観察してみると、人々は何事もないかのように普通に行き交っていた。まるで僕の存在なんて大したことではないように、最初からそこにいたのが当然であるかのように。少し遠くには、馬に引かれた何台もの馬車が見えた。いや、馬だけじゃない。トカゲのような生き物に引かれているものもある。さらに、体長は優に2メートルは超えるであろう、屈強なリザードマン(トカゲ人)の姿もあった。頭に猫の耳を生やした獣人の男や、女の子たちも歩いている。そして周囲の人々は、それを至極当然のこととして受け入れていた。
導き出される結論は、ただ一つしかなかった。
「僕……もしかして……異世界に召喚されたのか!?」
僕は両手を高く突き上げながら、大声で叫んだ。
その瞬間、体中に命のエネルギーが爆発的に戻ってくるのを感じた。希望というものが、今目の前にある景色と同じくらい、確かな現実として感じられた。
僕は街の中を歩き始めた。どうやら都市のようだ――少なくとも、僕の目にはそう映った。馬車が行き交うスペースがあり、まるで中世ヨーロッパのような街並み。正直に言って、あの時湧き上がった幸福感は、どんな言葉を使っても表現しきれない。
異世界の路地を歩きながら、僕は何度も何度も目を擦った。今すぐにでも現実のベッドの上で目を覚ましてしまうのではないか、という恐怖があったからだ。信じられないことだったけれど、肌に触れる空気があまりにもリアルで、僕はそれを受け入れた。これこそが僕の待ち望んでいた瞬間だったのだ。興奮のあまり、これが「本当に全く別の世界なのだ」という、ある種の恐ろしい事実からは目を背けていた。
「どうして可愛い女の子が出迎えてくれないんだ、というか、僕を召喚した張本人すら nobody(誰もいない)じゃないか……」と、僕はポツリと呟いた。
ある意味、リアルすぎる異世界転移だった。
その後、僕は一本の路地裏(路地)へと入った。すでに体は疲労困憊だったけれど、これまでの日常で感じていたあの「だるさ」とは違い、これはたくさん歩いたことによる心地よい、純粋な疲れだった。入り組んだ迷路のような通りを何度もぐるぐると歩き回っていたのだ。薄暗い路地裏に腰を下ろし、僕は改めて自分の現状を分析した。
「ええと……手元にあるのはスクールバッグだけ。中身は教科書と勉強道具、骨董品みたいな腕時計、それからバッテリーの切れかかったスマホ。……これ、詰んでないか?」と、僕は呟いた。
そんな馬鹿な。生き残るために必要な物資が何一つない。時間が過ぎていく。路地裏の影はひんやりとして心地よかった。すると、僕の背後から一匹の小さな生き物が近づいてきた。犬のようでありながら、同時にドラゴンのような鱗を持つトカゲの姿をしていた。とても人懐っこい(従順な)ようだ。
「――っていうのが、僕のこれまでの人生さ、ドラゴンさん」
犬みたいなドラゴンに自分の人生をすべて語るなんて、客観的に見れば正気の沙汰ではない。けれど、その小さな生き物は、まるで僕の言葉を本当に理解しているかのように、じっと耳を傾けているように見えた。僕が優しく頭を撫でてやると、そいつはとても気持ち良さそうに、僕の手のひらにすり寄ってきた。
だが、もう行かなければならない。僕は決意を固めて立ち上がった。だけど……。
「これからどうすればいいんだ? つまり、説明書もガイドブックもない……。これ、想像以上にリアルなサバイバルになりそうだな」
僕はしばらく頭を垂れていたけれど、ふと思い出した。
「そうだ……これこそが僕の心の底から熱望していたことで、それが今、現実になったんだ。あの夜、僕は言ったんだ。いや、約束した。もしこんなことが起きたなら、今度こそ全てを変えるって。そして、僕はそれをやり遂げる。今までの過去をすべて捨て去って、この世界で前に進むんだ。今度こそ上手くやってみせる、そして勇気を持つんだ。約束する」
僕は顔を上げ、決意を込めて拳を虚空へと突き上げた。
「あ、そうだ。ドラゴンさん、まだ名前を言っていなかったね。僕の名前は、ツバケ・ワタル(津葉木 航)っていうんだ」




