60、現在 アルファⅢ 誘因
深い眠りの中――。
史音も修一も、そして侑斗も、アルファの膜層の最深部に囚われ、静かに意識を閉ざしていた。柔らかな光が揺らめくこの領域で、アルファはゆっくりと自身の存在を浸透させていく。
闇に浮かぶ侑斗の前に、白い衣をまとったアルファが静かに現れた。その透き通るような指先で彼の頬に触れ、そっと微笑む。
「瑠衣……」
侑斗の唇が微かに震え、夢の中の幻影を追いかけるように呟く。
アルファはその顔を両手で包み込み、上体を傾けながらゆっくりと顔を近づけた。そのとき――。
「待ちな!」
鋭い声とともに、静寂が破られた。
史音が勢いよく起き上がり、銀色に輝く銃口をアルファに向ける。その隣には修一の姿もあった。
アルファは動じることなく、悠然と二人を見つめる。そして、微笑みながら侑斗へと再び身を寄せた。
「枝の御子の力で、私の影響を抑えたのですね」
「やめろ! 侑斗には色仕掛けは効かない!」
史音が銃を構え直す。
「そんなもの、私には通じませんよ」
「これはただの銃じゃない。この固有状態破壊銃は相手の生体分子を混乱させる。ただの鉄砲だと思うな!」
史音が引き金を引く。
だが、銃口から放たれた振動波は、アルファに届くことなく、その場で止まった。まるで見えない壁に阻まれたかのように。
「無駄ですよ。この最深膜層とあなた方のいる層の間には、目に見えない何百もの境がある。あなたたちがここへたどり着く前に、すべては終わっているのです」
アルファの身体が侑斗にぴたりと重なり、ゆっくりと彼の内側へと侵入していく。
その瞬間、侑斗の右腕にある蒼いリングが脈動を始めた。
「……っ!」
侑斗のまぶたが震え、ゆっくりと開く。
「やめろ……」
彼はアルファを押しのけようとする。しかし、その力はまるで霧を振り払うかのように、虚しく宙を舞うだけだった。
ただ見ているしかない史音と修一の前で、侑斗とアルファの衣服が静かに霧散する。そして、まるで溶け合うように、二人の身体が重なっていく。
侑斗の顔が苦悶に歪む。悦びの表情ではない。
それどころか――絶望の色が深まっていく。
アルファが侑斗の内側へとさらに踏み込むたびに、彼の表情は闇に沈み込んでいく。
唯一動かせる右手が、史音と修一へと伸ばされる。
「侑斗!」
史音が、届かない手を必死に伸ばした。
その光景を見ながら、アルファは静かに微笑んだ。
「酷いものですね。薄皮一枚、内側に入っただけでここまで絶望するとは……瑠衣は、あなたにどんな呪いをかけたのでしょう?」