59、現在 アルファⅢ 膜層
テルザの間を抜け、フロントベルの後を追いながら、侑斗たち三人は石造りの階段を三層ほど下った。建物内部は漆喰が塗られ、壁には幾何学模様が施されている。通路や階段には塵一つなく、異様なほど清潔だった。
やがて広い通路に出ると、史音が案内役の男と何か揉めていた。男は渋々とした顔をしていたが、やがて折れて部屋のキーを手渡す。
三人は部屋へ入る。かなり広いが、ベッドは二つしかない。
「史音の部屋は?」
「取ってあったけど、さっき断った」
史音は携帯を取り出し、確認した後、溜息とともにしまう。
「どうも、脈楼の谷に入ってからベルと連絡が取れない」
「こんな辺境じゃ圏外は当然だろ?」
侑斗の疑問に修一が答える。
「大陸に渡ってから、史音は基地局を使わずに通信していたんだ」
史音は窓辺に歩み寄る。
「アタシの携帯はベルのカーディナル・アイズの掌握下なら、どこでも繋がる。でも今は無理。つまり、アタシたちはベルの庇護から外れたってことだ」
侑斗は不安を覚えた。確かにここまで何事もなく進めたのは奇妙だ。
「つまり、今俺たちはアルファの支配下ってことか?」
修一が苦々しく言う。
「アルファの目的は教団とは違う。もしアタシたちを消すつもりなら、今頃こんなに悠長にはしていられないはず」
史音が窓を開ける。
「外を見てみろ」
谷底から灯篭の玉が上昇し、窓の前で止まったかと思うと、激しくうねって谷の反対側へ飛んでいく。その軌跡は数秒間“無”に包まれ、元に戻る。
「……状況は分かった。アタシたちはアルファに監視されている。でも、それ以上に厄介なことがある」
三人は窓から離れる。
「谷に入ってから、周囲の大気がおかしい。アルファの作った環境に支配されている気がする。それでも直接手を出さないのは、アルファの目的と敵の目的が全て一致しているわけじゃ無いからだ」
修一は頷いたが、侑斗はまだ理解できない。
「テルザの色仕掛けで分かったろう? 敵とアルファの共通の目的は、アンタの確保だよ。アンタがベルや修一の姉さんの“急所”だから」
侑斗は戸惑った。なら、最初から自分を連れてこなければよかったのでは?
「それでもベルはアンタを必要としたんだ」
史音の言葉が重く響く。
「侑斗、余計なことは考えるな」
修一が静かに言う。
「アンタを含めて奴らを壊滅させる。それがアタシの作戦の一つだ」
史音はベッドを見下ろし、ぼそりと呟いた。
「さてと……」
「今夜、またアルファが別の策を張って、侑斗を誘惑しに来るかもしれない。それでアタシもここに泊まることにしたんだけど……修一、一緒に寝ていい?」
史音が軽く笑いながら言うと、修一はため息まじりに彼女の頭をコツンと叩いた。
「良いわけがないだろう。俺はあっちのソファで寝るから、橘は俺に近い方のベッドで休め。史音はその奥な。橘に何かあったら、すぐ対処できるようにな」
部屋の灯りは落とされ、わずかな月光が窓から差し込んでいる。時間は現地時間で午前0時を回っていた。
◇
その頃、アルファは幾重にも重なる膜層の最上部で、静かに目を閉じていた。
ゆっくりと、全体の理を見つめる。
部屋にいる三人の意識は、すでにアルファの膜の中で閉ざされていた。彼らは夢の中にいるように錯覚しながらも、現実との境界が曖昧になっていく。アルファは最上層から一層ずつ慎重に降りていき、静かに彼らを膜層の中央へと誘導する。
ここは、いく千もの膜が折り重なった閉ざされた領域。例えあの“巨大な金と赤の力”を持つ二人であっても、この空膜の中心には決して辿り着けないだろう。
――もうすぐだ。
アルファは微かに笑みを浮かべる。そして、囁くように願いを紡ぐ。
葵瑠衣を、私のものにする。
この世界が滅びようとも、決して壊れることのない、私だけの世界を――。




