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58、現在 アルファⅡ テルザ

アルファと呼ばれる女性に導かれ、侑斗と修一、史音は城の中へ足を踏み入れた。


入り口は意外にも狭く、石造りの重厚な扉が音もなく開かれる。中に入ると、そこにはフロントらしきカウンターがあり、一人の男性が控えていた。男はアルファと侑斗たちを見て、深々と頭を下げる。その動作はどこか格式ばっており、まるで貴族の館を訪れたかのような錯覚を覚えさせる。


城の1階は驚くほど簡素だった。フロントの他には小さな部屋がひとつあるだけで、余計な装飾もない。だが、外から見た時よりも内部は広く感じられた。石の壁がひんやりと湿り気を帯びており、かすかに焚かれた香の香りが漂っている。


この城は谷の地形を利用して作られているため、上に伸びるのではなく地下へと広がっているのだろう。どれほどの階層があるのかは、入ったばかりの侑斗たちには見当もつかない。


――まるでダンジョンみたいだな。


侑斗はそう思いながら、石造りの階段を見下ろした。


アルファがゆっくりと微笑む。


「先にお部屋へご案内したいのですが、だいぶ下の階になります。時間も遅いですし、先にお食事を済まされてはいかがでしょう?」


彼女の声音は穏やかだが、どこか誘導するような響きがあった。


しかし、史音はすぐには応じず、険しい表情で腕を組んだ。


「食事は持ってきてるから、部屋に直接行きたい。……下に着いた途端、とんでもない金を請求されるのはゴメンだね」


警戒心を隠そうともせずに言い放つ。


アルファは微笑を崩さず、涼やかに答えた。


「ご心配には及びません。貴女たちからいただく料金はありませんよ」


「……は?」


史音が眉をひそめる。


「瑠衣から、すでにお支払いをいただいております。ただし、最下層まで何事もなく辿り着けたなら……という条件付きですが」


アルファの言葉に、侑斗の背筋が微かに冷える。


――なんとも怪しげな宿だ。


史音はしばらく思案してから、静かに頷いた。


「……わかった。それじゃあ先に食事をさせてもらうよ」


アルファは足を止め、優雅な仕草で部屋の中を示した。


「こちらでお食事をご用意いたします。手荷物は手前のスタッフにお預けください」


彼女は変わらぬ微笑を浮かべながら促した。


史音はじっとアルファを見据えながら、付け加える。


「アタシたちの手荷物は手の届くところに置かせてもらう。アンタが本当にタダでこの城を通してくれるつもりがないのは分かってる。だったら、アタシたちも常に身を守らないとね」


アルファは微笑みを崩さないまま、一礼した。


「ご自由に」


その穏やかな声音の奥に、何か含みがあるように思えた。


階段を降りていくと、やがて温かな光が漏れ始め、活気のある空間が広がる。


三階分ほど下ったところに現れたのは、まるで別世界のように明るく賑やかな広間だった。豪奢なシャンデリアが天井から吊るされ、暖炉の火が壁を橙色に照らしている。天井は高く、この階層全体がひとつの巨大な食堂になっているようだ。何人かの使用人らしき者たちが忙しなく動き、料理を運んでいる。


「それでは私はこれで失礼します。お食事と、この会場の催しを十分楽しんでください」


アルファは軽く会釈しながら後ずさりし、そのまま静かに部屋を退出していった。その姿が扉の向こうへと消えた瞬間、食堂の喧騒が改めて侑斗の耳に飛び込んできた。


食堂は想像以上に広く、日本のホテルの宴会場を思わせる造りになっている。天井にはシャンデリアが輝き、柔らかな照明が場内を温かく包み込んでいる。丸テーブルが整然と並び、その数は二十ほど。各テーブルには十分な間隔が取られており、開放的な印象を与える。


一つのテーブルには十人ほど座れるようになっており、すでに多くの旅行客らしき人々が食事を楽しんでいた。人種も年齢も性別もさまざまだ。テーブルの上には色とりどりの料理が並び、食欲をそそる香りが漂っている。しかし、落ち着いた雰囲気とは言いがたく、あちこちで大きな笑い声や話し声が飛び交っていた。


「賑やか」というより「騒がしい」。侑斗はそう感じた。

基本的に静かに食事をしたい性質の彼には、この喧騒はやや耳障りだった。


部屋の奥には、一段高くなったステージがあり、アルファの言っていた催し物が行われるようだった。厚手の真紅のカーテンが閉ざされているが、舞台の隅にはスタッフらしき人物が忙しなく動いているのが見えた。どうやら次のショーの準備をしているようだ。


史音は入り口近くの、まだ誰も座っていないテーブルへと向かった。静かな場所を選んだのだろう。彼女が席に着くと、修一もそれに倣う。


侑斗は少し迷った後、椅子を引いて座った。ただし、彼はステージに背を向けるように座る。


「なんでアンタは後ろ向きに座るんだ? ここが敵地かもしれないとしても、さすがに失礼だろう」


史音が眉を吊り上げて侑斗を咎めた。


周囲を見渡せば、確かに彼のようにステージに背を向けて座っている者はいない。誰もが舞台を正面に見据え、これから始まる催しを楽しもうという姿勢をとっている。


(見たくもないし、参加したくもないのに、周囲に合わせなければならないこの同調圧力……)


侑斗は内心でため息をつく。

だが、ここで無駄に目立つ必要もない。耳を塞ぎ、目を逸らせば済むことだろう。



席についてしばらくすると、給仕たちが次々と料理を運んできた。銀のトレイに並べられた豪勢な料理は、異国の香りを漂わせ、見るからに高級そうだ。しかし、その豪華さがかえって怪しくも感じられる。だが、空腹には抗えない。


侑斗は目の前に置かれた肉料理に手を伸ばし、かぶりついた。ジューシーな肉汁が口の中に広がる。隣で修一は前菜らしきものから順番に、上品に口へ運んでいる。史音はと言えば、すべての料理を少しずつ味わっている。


(こいつ、食事に興味ないんだな)


そんな風に思いながらも、侑斗は肉を頬張り続けた。


「ガツガツすんなよ、みっともない。寝だめ食いだめはできないんだ。消化吸収能力を超えて腹に入れても、腹痛になるか余計な脂肪になるだけだぞ」


史音が呆れたように言う。確かに、彼女のような考え方の人間ばかりなら、飲食業界は成り立たないだろう。


しかし、実際、半分も食べないうちに腹が苦しくなってきた。侑斗はデザートらしきものに手を伸ばしながら、向かいの二人を見る。史音と修一は既に食事を終え、静かに座っている。三人とも酒を飲まないため、周囲の酔っ払いたちに紛れることもなく、どこか浮いた存在になっていた。

そして饗宴の舞い、妖艶の舞いが始まった。


突然、激しい楽器の音が鳴り響き、部屋の奥のステージの赤いカーテンが勢いよく開いた。眩いスポットライトが照らす中、薄布をまとった半裸の女性が姿を現す。


彼女はしなやかな指先をゆっくりと動かしながら、一礼する。その動き一つひとつが、まるで男たちの視線を舐めるように、艶めかしい。


ゆっくりとしたリズムで踊りが始まる。腰を大きく回し、腕をしなやかに揺らし、脚を艶めかしく絡ませるような動き。次第にテンポは速まり、激しく、官能的になっていく。


「おおっ!」


男性客たちが歓声を上げ始めた。歓声というよりも、もはや欲望のうねりのようだ。侑斗は一瞬だけそちらに目をやるが、すぐに視線を逸らす。本能を刺激され、狂喜する男たちの顔など見たくなかった。


すると、艶やかな声が響く。


「皆さま、ようこそ。今宵は、このテルザの舞いを存分にお楽しみください」


彼女は妖艶な笑みを浮かべると、くるりとステージを飛び降り、テーブルの間を軽やかに舞い始めた。そのたびに、座る男たちが歓声を上げ、手を伸ばす。


(……こっちにも来そうだな)


侑斗は憂鬱な気分になると、足元のバッグから科学書籍を取り出し、耳を塞ぐように開いた。意識を遠ざけるように難解な方程式を解き始める。十数秒もすれば、彼は完全に集中していた。


だが、ふと気づくと、目の前に真っ白でしなやかな脚が降り立っていた。


「……何事だ?」


面倒くさそうに顔を上げると、そこにはテルザの淫らな体があった。彼女の唇は微笑みながらも挑発的に歪み、豊満な胸元は煌めく飾りで飾られ、わずかに揺れている。


「女の仕事を見ないのは無礼ですよ?」


彼女は妖しく囁く。


(客一人ひとりに構うなよ……)


「侑斗! お前が悪い」


史音の声が飛ぶ。


(女の子って、こういうのを汚らわしいとか、破廉恥だとか思うもんじゃないのか?)


「内容はともかく、一生懸命に仕事してる人を無視するな! 否定するな!」


史音の目が怖い。


「……はい、はい。見りゃいいんだろう」


侑斗はしぶしぶ首だけ回し、テルザの方を見た。


彼女は再びステージへ戻ると、今度はゆったりとした音楽に合わせて踊り始めた。その動きは、さっきまでとは違う。ゆっくりと腰を回し、腕を絡めるように動かし、まるで愛撫するように空気を撫でる。


その場にいた誰もが、テルザに釘付けになった。


男だけではない。女たちまでもが、彼女の動きに目を奪われている。


侑斗は逆に眠気を感じた。


部屋全体がテルザの色香に支配され、修一もいつの間にかその虜になっていた。史音が異変に気づく。


「あの女……これはサキュバスの呪いだ。相手の意識に自分を浸透させ、色欲を刺激して精を絞りつくす。修一、自分の情報を揺るがせ、サキュバスを割り込ませるな!」


史音は修一の頬を叩いた。修一はハッと目を覚ますと、慌てて自身の実在を震わせる。


「くそっ……あのアルファとかいう女、何を考えてるんだ!」


サキュバスの呪いが解けた修一が悪態をつく。


史音が侑斗に呼びかける。


「おい、侑斗! お前も早く……」


しかし、侑斗は寝ていた。


「……寝てる……?」


眠る者の意識にはサキュバスの呪いは届かない。史音は安堵したが、それ以上に呆れた。


だが、その直後。


テルザが静かに侑斗の前に舞い降りる。


すうっと、滑るような動きで彼の体にまとわりつき、しなやかな指先を彼の頬へ這わせる。


「……あなたの奥にある、熱いものを見せて……」


テルザの唇が、耳元で甘く囁く。


彼女の体はしなやかに侑斗を包み込み、熱い吐息を首筋へと吹きかける。その囁きは、侑斗の無意識へと浸透し、閉じ込められた本能を解き放とうとしていた。



「・・・さあ、愛しい貴方、目覚めて・・・私に全てを捧げるのです。」


侑斗がゆっくりと瞳を開けると、目の前には再び肉感的なテルザの身体が迫っていた。妖艶な魅力を放つその姿は、まるで侑斗を誘惑しようとするかのように、そっと彼に近づく。


「何なんだよ、俺に係るなよ…」

侑斗はうつろな目でテルザの姿を眺め、心の中で不快感を募らせた。だが、テルザの色気に包まれた空間にも、彼の意識は少しも反応していない。


後ろから焦ったように史音が侑斗の背中を叩く。その音が空気を切り裂き、侑斗は振り向いた。だが、その瞳は他の者たちと違って、テルザのサキュパスの影響を受けていないように見えた。


「なるほど、流石にアルファに言わせただけのことはあるわね…」

テルザが低く笑う。彼女の声はまるで誘うように、耳元でささやく。「それでは、貴方、より浅い選択で呪いの薄皮を少しずつ剥ぎ取っていきましょう。今宵、私と過ごすか、後ろにいるおチビさんと過ごすか?答えてください。私のサキュパスの力の前では、本性を隠し通すことなど不可能ですよ。至上の悦びを与えましょう。さあ、今宵、私と共に…」


テルザの言葉が空気を震わせる。その言葉に、侑斗は無意識に答える。


「どちらも嫌だけど、史音の方がまだ良いな。」


テルザはその瞬間、初めて顔色と声色を変えた。その顔には不意に驚きと怒りが滲んでいる。


「馬鹿な…私のサキュパスの呪いの前で、本性を偽れるわけがない。いったい、どんなトリックを使っているの?」


その時、侑斗の右腕に輝く青のサイクル・リングが一瞬光を放ち、テルザに絡みついていた彼の腕を振りほどく。


「なあ、修一、侑斗はどうやってあの女のサキュパスの呪いを破ったんだ?」史音は思わず修一に尋ねる。


「破ってなんかいない。あれがアイツの本性だ。」修一がそう答えるとき、その瞳はどこか冷静だった。

「馬鹿な女だ。橘に色仕掛けなんて、女の色気に微塵も反応しない奴に。」


「そうなのか?どこまで色欲に縁が無いんだ?」史音が興味半分で聞くと、修一は少し考えてから答える。


「そうだな。あの女の十倍は綺麗な姉貴が、10センチの距離に近づいても眉一つ動かさないウルトラ朴念仁だ。」


修一の姉、葛原零(くずはられい)か。史音はその姿を思い浮かべ、テルザと比べてみるが、やはり零の美しさには及ばないと思った。


その時、テルザが狂ったように叫ぶ。


「何故だ!何故だ!何故だ!」彼女の叫びが部屋中に響き渡り、周りの空気が張り詰める。


その叫びの中から、低い声が漏れる。


『見苦しい、お止め。お前の皮の役目はもう終わりだ。』


その瞬間、テルザの姿が空気の膜のように透けて剥がれ落ち、代わりにアルファが現れた。アルファは冷徹な目で侑斗を見つめ、ゆっくりと語りかける。


「なるほど、瑠衣のかけた呪いは簡単には解けないということですね。でも私はまだ貴方を諦めませんよ。」


アルファは言い残すと、静かにそのまま入り口から出て行った。


テルザのサキュパスが解け、周囲の客たちは呆然とした表情を浮かべる。その静けさの中で、侑斗たちは席を離れ、下の階層へと向かう。


途中、史音は侑斗に尋ねる。


「なあ、侑斗、あの女よりアタシの方が何が良かったんだ?」


侑斗は少し首をかしげ、答える。


「さあ…外見…かな?」


それを聞いた史音は顔を真っ赤にし、思わず侑斗の尻を後ろから蹴り上げた。


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