終章:不穏な夢の正体
すっぽりと包み込むように抱きしめられて、ルティナはカイネルードの胸に頬を寄せると目を閉じた。
蛍が飛び交うこの場所で、はじめて口づけをしたのは五年前。
あの時の記憶が――好きだと思った気持ちが、鮮やかによみがえってくる。
その感情はやわらかなあたたかさと共にルティナの全身を巡り、世界を優しく色づかせた。
「愛しているよ、ルティ。君の為なら、どんなに情けない姿を晒しても構わないと思えるぐらいに。……情けなく足掻いて君に愛を乞うような男を、君が好きになってくれるかどうかは分からないが」
「カイネ様、私はあなたが好きです。……あなたの中に光を見ていました。でも今は、私もあなたの光になりたいと思うのです」
辛いことも苦しいことも全て隠してしまうカイネルードの心が、少しでも癒されるように。
暗い夜を照らす星や、蛍の光になら――ルティナもきっとなれるはずだ。
ヴァレリーは闇を司っている。
闇とは安らぎ。そこには暗闇があるばかりではない。昼間には見ることのできない光がある。
「――十分、君は俺の光だ」
「……ありがとうございます。カイネ様、私……」
「うん」
「私も、あなたに会いたかった。……夏の夜、一人で部屋にいると、どうしても考えてしまうのです。あなたが部屋に訪れて――私に触れて、抱きしめてくれることを」
羞恥に声が小さくなってしまう。
何度も考えた。そうであったらどんなに幸せだろうと夢想して、恥ずかしくなって、それと同時に少し寂しくて、会いたくて――眠れない夜を過ごすことを繰り返した。
それほどに、ルティナの心はカイネルードでいっぱいになっている。
「ルティ……今、それを言われると。……すまない、少しだけ許してくれ」
苦し気な声と共に、体が離れる。
すぐに、呼吸を奪うようにして唇が重なった。
優しくはない。少し乱暴だ。逃げないように頭や首を支えられて、腰を抱かれている。
唇から舌が口腔内に入り込み、ひっこめていたルティナの小さな舌を、何かを促すようにして絡めとった。
おずおずと差し出すと、味わうように粘膜が擦り合わされる。
余裕のない激しい口付けに、呼吸ができずにルティナはきつく眉を寄せる。
これは――たぶんはじめてだ。
カイネルードはいつももっと優しい。それぐらいの激情を、ずっと隠していたのかと思うと、激しささえも愛しかった。
「……ん、……ぁ」
角度を変えて何度も唇が重なり、余すところなく舐られる。
感じたのことのない甘い痺れに、ルティナの体からはすっかり力が抜けていた。
ようやく唇が離れると、銀糸が舌を伝う。
それを舐めとって、カイネルードはルティナの瞳からじわりと滲む生理的な涙を啜った。
「……ルティ、可愛い。幾度しても、足りない。おかしくなりそうなぐらいに、君に飢えている」
いつもよりも低い声で耳元で囁かれると、妙に切なくなって、ルティナは眉を寄せる。
「好きだよ、ルティ」
「……カイネ様。私、慣れていなくて……ごめんなさい。体が、驚いたのでしょうか……腰が、抜けてしまって」
「可愛い……」
カイネルードはもう一度ルティナを抱きしめて、深く息をついた。
「……駄目だ。我慢しなくてはな。公爵にまた、嫌われてしまう」
「……お父様に?」
「あぁ。君を大切にすると約束をしている。今のも、許されるかな。危ういところだな」
背中を撫でられると、それもなんだか切なくて、ルティナは力の入らない手でカイネルードの服をきゅっと掴んだ。
カイネルードの鼓動の音を感じる。
それはルティナと同じように速まっていて――照れ臭いような、くすぐったい気持ちになった。
目を閉じたルティナは、カイネルードに話したかったことを、話さなくてはいけないことを思い出した。
「カイネ様……私、少し、カイネ様に怯えていたでしょう……?」
「そうだったかな。俺にとってルティは、いつも可愛いルティだった」
「……あ、あの、それは……なんというか、ありがとうございます」
「――分かっている、ルティ。ヴァレリーは、君が俺を嫌うように仕向けると言っていた。きっと何かあるのだろうなとは、考えていたんだ」
優しく先を促すように、カイネルードは言う。
ルティナは伏せていた顔をあげた。
「私、夢を見ていました。カイネ様がステラ様と結ばれて、私は捨てられてしまう……そんな夢を」
「そんなことになる筈がないのにな」
「……私も、今はそう思います。けれど、私はそれを不安に思っていました」
「そうだったんだな。……君の不安に気づけなくてすまなかった」
髪を撫でる手が、細められる瞳が、全て――愛しいと伝えてくれている。
ルティナは小さく首を振った。
カイネルードに洗いざらい話してしまえばよかったのだ。
けれどそれはできなかった。
「捨てられて、それだけ? もっと、怖い夢だったのだろう」
「……はい。最後には、私は魅了の力を使って……カイネ様を魅了しようとして、処刑をされました」
「処刑を……? それは、怖かったな」
確かに恐ろしかった。
カイネルードに慰めの言葉を言って貰えたというそれだけで、嫌な気持ちがすっとほどけて消えていく。
「――ウルリカが教えてくれたのです。その夢は、ヴァレリー様が私に見せていたのだと」
「……なるほど。酷いことをする。大切なルティに、そのような悪夢を見せるとは」
ウルリカはだから、ヴァレリーに怒っていたのだ。
夢は、ウルリカを通してヴァレリーの力がルティナに及び、見させられていたものだった。
そんなひどいことに聖獣を使ったのだと、ウルリカはヴァレリーに怒っている理由を話してくれた。
「だが――たとえ君が、俺から離れようとしても。俺はどんな手を使っても、君を俺の物にしていた」
「……どんな手を?」
「あぁ。ルティが、逃げなくてよかった。危うく、君に嫌われるようなことをするところだった。……もし悪夢のように、君が俺に魅了をかけようとしたら、俺は喜んでそれを受け入れるがな」
深刻な表情から一転して、カイネルードは明るく微笑んだ。
それは冗談だろうか。
――それとも。
カイネルードのことだから、きっと本気なのだろう。
「……カイネ様は」
「ん?」
「私に……魅了の力なんてなくても、魅了されていると、おっしゃっていました」
「あはは……その通りだよ、ルティ」
僅かに感じた仄暗さをかき消すように、カイネルードは嬉しそうに笑う。
「俺は――君にずっと魅了されている。今までも、これからも」
確信めいた声でそう囁かれると、自分で言っておいてルティナの方が恥ずかしくなってしまう。
「……私も、同じ。あなたが、好きです。今も、昔も、ずっと」
蛍の原野では、二頭の小さな竜の姿をした聖獣たちが、花畑を転げるようにしてじゃれ合っている。
それが在りし日の、幼かったカイネルードとルティナの姿に重なる。
あの頃から、変わるものもあり、変わらないものもある。
きっとこの気持ちは変わらないのだと――ルティナはカイネルードの背中に腕を回して、あの日見た傷だらけの幼いカイネルードを抱きしめるように、ぎゅっとその体を抱きしめた。
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