第16話② アドルノート
==杏耶莉=ノークレス・アドルノートの部屋==
「転移者……後輩って……。 どういう事ですか?」
彼女の部屋で衝撃的な発言を受け、アドルノートの言葉を繰り返す。
「どうもこうもないさ。 わたしは裂け目を通ってこの世界に放り出された最初の人間なんだよ。 わかったかな?」
「最初の……」
「そ。 だから後輩なんだよ。 えーと……?」
「あ、杏耶莉です」
「そう、アヤリ後輩」
チェルティーナから聞いた話では、私と同じ境遇なのは一人だけ。それがマークだと思っていたのだが、そうではないのだろうか?
「……聞くところによれば、ひとしきり錯乱して暴れた人が居る。 という話をされたことはありますが……」
「ん……、多分わたしのことだろう。 わたしはこの素晴らしい世界に来た当初は、元の世界との違いに馴染めなかったんだ。 あんたもそうじゃないかな?」
「元の世界との違い……?」
確かに、日本と比べれば利便性は大きく劣る。文化的な差も多く存在するので戸惑うことは多かった。
「キミは何か大きな勘違いをしていないかい?」
私達のやり取りを見ていたマークが話に割り込む。
「彼女はキミの元の世界とはまた別の世界から来ているんだ」
「……そういえば、裂け目は多種多様な世界と繋がるって言ってたね」
世界はここと地球の日本だけではなく、私の想像もできない世界が存在するのだろう。
「マクリルロ・ベレサーキス。 今の話から察するに、彼女はわたしとは異なる世界の住民だったのか?」
「そうなるね。 というより名前の時点で気が付かないのかな?」
「知らないな。 そもそもこの世界に来た時点で識別番号以外の名が与えられるであろうことから違和感は感じなかった。 ということはあの世界から来たわけじゃないのか、アヤリ後輩?」
(アヤリ後輩って……)
先程からマークをフルネームで呼んだり、私の名前に後輩と繋げたり……。二人称の表現が特徴的な人物だった。
「えーっと……、多分違う世界からですかね。 その識別番号とかって何ですか?」
「折角だ。 わたしの生まれ育った故郷の世界の話をしよう。 構わないか?」
私に向けて質問されるので、頷くと彼女は話を始めた。
「管理社会。 人間という種の繁栄の為、優れた才を持つ遺伝子同士を科学的に交配させ、技能テストによって決定づけられた能力に応じた職をこなす。 これが私の常識だった。 その際に能力に応じた識別名も付けられる。 ■■■■■■■■、それがわたしの識別名だった」
発音の違いから正確に聞き取ることは出来なかったが、私が知る最も近い単語に当て嵌めるなら、Ado6という単語の組み合わせが近いかもしれない。
「それって、アドルノートさんは……」
「当然わたしも例に漏れず遺伝子交配によって生を受けた。 だけどこの世界基準で言う家族という括りは存在しないんだよね。 両親が一致する個体だけでも数百、片親が違うのも含めれば数千、数万の兄弟が存在することになってしまう」
「酷い……」
同じ親から生まれた兄弟が数百人存在する。頭で理解できても感情が追いつかない。想像も難しい話だった。
「それが当たり前として世界中に浸透していたら、それに違和感を覚える人間は欠陥として排除される……そんなものだ。 あと……、家族という括りも理解できないが、性別の概念も曖昧なんだ。 生物的には女性だし、生殖行為も行えるが……性欲を抑える薬を幼少期から投与されていたし、周囲の環境から性別的な要素は廃されているからね。 知識としては理解しているんだけど――」
彼女はこの場に居る私、カティ、マークを順に見つめる。特に私の女性的特徴を表す部分を凝視していたが、その目には関心こそあれ不快感は感じない。
「やっぱり造形としてしか理解できない。 その着眼点で話すと、アヤリ後輩は曲線美に欠けるね?」
「……ほっといてください」
一般的な日本人の寸胴体系はこの世界基準だと聊か魅力不足であると実感していた。骨格はそこまで太くないのでコルセットで誤魔化せるが、普段からあれを着用するつもりにはなれない。
「それで、一定の集団で育てられた後、検査ののちに適切な仕事を与えられる。 唯、その個体の中でもわたしの能力は高くなかった。 与えられた雑務を淡々とこなす役割が宛がわれて、それをこなす日々を送っていた」
「そんなの……」
そんなの奴隷と変わらない。そう口にしようとして我に返る。目の前の彼女に失礼だと感じたので、口を噤んだ。
「でも、そんなことはどうでも良い。 その点で不満は存在しない。 けれど、この世界に存在してあの世界に存在しないものがあった。 それが……芸術だ」
「芸術?」
「画、彫刻、装飾……。 そういった芸術的要素が存在しなかったんだ。 人類の発展に不要とでも判断されたのか?」
「はぁ……」
確かに、芸術分野は生きていくのに不要と言われれば間違っていないかもしれない。
「わたしはこの世界でその芸術に出会った。 こんなものが存在する素晴らしい世界なんだよ。 元の世界で発揮できなかったわたしの才とは芸術に存在したと言っても過言じゃない。 いや、理屈なぞどうでも良い。 ただ純粋に楽しいんだ。 ……アヤリ後輩も興味が出たんじゃないか?」
長々とした身の上話の末にたどり着いたのは芸術への勧誘だった。
「元の世界に帰るぐらいなら、ここで芸術に浸ろう。 それが言いたかった。 理解してもらえたかな?」
「……一応、私の元の世界にも芸術分野って存在するんですけど……」
言葉で説明するよりも、実際に見てもらった方が良いかもしれない。近くに置かれた筆記用具の紙端を受け取って、絵を描いてみる。
「……これ、どう思います?」
「素晴らしい芸術じゃないか。 想像上の生物を描いた抽象画なんだろう?」
「……いや、猫です」
「んん……」
その言葉で、再度私の絵を見る。
「……数百年、いや数千年後に何らかの評価を得られる可能性も……」
「私が生きている内に理解されないの確定ですか……」
芸術の存在しない世界から芸術家は誕生するし、たとえ芸術の存在する世界で生まれ育っても芸術家にはなれない。そんな事実を新たに知ることとなった。




