ハニートースト
昼下がりの柔らかい陽光が差し込む店内。キンキンに冷えた瓶ビールを傾けながらランチを食べる。これが俺の土曜日における、ちょっとした密かなルーティンだ。
この店は、昼の雰囲気が妙に落ち着く。ただ、よく見るとそこかしこに違和感があった。カウンター奥の棚は店の雰囲気にそぐわない立派なロールカーテンで隠されているし、ソファーには色味の柔らかいカバーが丁寧に掛けられている。どれも「急ごしらえの工夫」めいた温かさがあった。
カウンターの奥から、涼しげな目元をのぞかせた玲奈が、トクトクと静かに俺のグラスへビールを注ぐ。その透明感あふれる笑顔を見るためだけに、毎週ここへ通っていると言ってもよかった。
眉上でピシッと揃えられた短めの前髪と、胸の下までまっすぐに落ちる艶やかな黒髪ロング。凛とした意思を感じさせる目元と薄い唇の描く笑顔は、どこか清涼感と親しみやすさを感じさせる。飾らないナチュラルメイクでありながら素材の美しさが際立つ、誰もが認める美人だ。
耳元で揺れる幾何学模様の華奢なピアス。温かみのあるオレンジのトップスにデニムのロングスカート。彼女の持つ明るくピュアな透明感を一層引き立てている——のだが。
その上から身に着けているエプロンだけが、決定的に浮いていた。
「そのエプロン、新調したのか?」
カフェの雰囲気にはお世辞にも似合わない、リアルで雄々しいヒグマが刺繍されたエプロン。今にも咆哮しそうな熊の顔が、正面から俺を睨みつけている。
「あ、これですか? カフェっぽくしようと思ってネットで買ったんです!」
「いや、カフェっぽくはないだろ……ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリーに出てくる方の熊だぞ、それ」
「そんなことないですよ! あ、そうだ。隆一さん、今日ちょっと無精髭生えてますね」
「まあな。休日にわざわざカミソリ当てるのも面倒だしな」
自分の顎を撫でる俺を見て、玲奈はあからさまに少しだけ眉をひそめた。
「むー……私、男性の無精髭ってあんまり好きじゃないんですよね。だらしなく見えちゃうし」
「手厳しいな。まあ、おじさんの休日だから勘弁してくれ」
玲奈はジッと俺の顔を見つめ、それから自分のエプロンのヒグマに目をやり、パンッと手を打った。
「あ! でも、だからか! 似てます!」
「は?」
「その無精髭があると、このエプロンの熊にそっくりです!」
グラスを口に運ぶ手が止まる。無精髭から熊に至る三段論法がまったく理解できない。
「髭は嫌いですけど、熊さんになった隆一さんなら許します。今日のランチはハニートーストでどうですか? 熊さんと言えばハチミツですし!」
「俺をプーさんか何かと思ってんのか! さっきのリアルな熊の威圧感はどこ行ったんだよ……まあ、カフェの定番メニューだし美味しそうだな。頼むよ」
苦笑しながら答えると、玲奈は嬉しそうに頷いた。
しばらくして玲奈がカウンターの奥から出してきたのは、香ばしい匂いを漂わせる厚切りのハニートーストだった。たっぷりのハチミツとバニラアイスが乗っている。
フォークでアイスとハチミツの絡んだトーストを切り分け、口に運ぶ。外はサクッと、中はふわふわ。ハチミツのコクのある甘さが広がったところへ、すかさずキレのある瓶ビールを流し込む。甘みと苦味の絶妙なループ。
「……うまいな、畜生。ビールに合う」
「でしょう? 隆一さんが美味しそうに食べてくれるの見るの、私大好きなんです」
カウンター越しに、玲奈が身を乗り出すようにしてニッコリと笑う。ふわりと甘い柑橘系の香水が鼻をくすぐった。距離が近い。
(あー……ダメだダメだ。可愛すぎる)
俺は心の中で頭を抱えた。
15歳も歳の離れた店主と客。自分は大人の余裕を見せるべき立場だし、そもそも特定の女を作らない主義だ。手を出したらただの痛いおじさんである。見て、少しくだらない会話をするだけで満足すべきなのだ。
(落ち着け自分。これは単なる愛想だ。接客スマイルだ。勘違いするなよ、40歳……)
必死に理性のブレーキをかけ、瓶ビールをグラスに注ぎ足す。その横顔を、玲奈はずっと見つめていた。
「隆一さん」
「ん? なんだ」
「来週の土曜日も……絶対来てくださいね? あ、次はちゃんと髭剃ってきてください! 熊さんもいいですけど、やっぱり綺麗な隆一さんの方が好きなので」
「……言われなくても剃ってくるよ」
悪気なくサラッと「好き」なんて言葉を混ぜてくる玲奈に、胸の奥がキュッと締め付けられた。
彼女にとっては、ただの無邪気な軽口なのかもしれない。しかし、俺だけに向けられるその笑顔と距離感は、確実に「大人の理性」を削り取っていた。




