↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/12

ハニートースト

昼下がりの柔らかい陽光が差し込む店内。キンキンに冷えた瓶ビールを傾けながらランチを食べる。これが俺の土曜日における、ちょっとした密かなルーティンだ。


この店は、昼の雰囲気が妙に落ち着く。ただ、よく見るとそこかしこに違和感があった。カウンター奥の棚は店の雰囲気にそぐわない立派なロールカーテンで隠されているし、ソファーには色味の柔らかいカバーが丁寧に掛けられている。どれも「急ごしらえの工夫」めいた温かさがあった。


カウンターの奥から、涼しげな目元をのぞかせた玲奈が、トクトクと静かに俺のグラスへビールを注ぐ。その透明感あふれる笑顔を見るためだけに、毎週ここへ通っていると言ってもよかった。


眉上でピシッと揃えられた短めの前髪と、胸の下までまっすぐに落ちる艶やかな黒髪ロング。凛とした意思を感じさせる目元と薄い唇の描く笑顔は、どこか清涼感と親しみやすさを感じさせる。飾らないナチュラルメイクでありながら素材の美しさが際立つ、誰もが認める美人だ。


耳元で揺れる幾何学模様の華奢なピアス。温かみのあるオレンジのトップスにデニムのロングスカート。彼女の持つ明るくピュアな透明感を一層引き立てている——のだが。


その上から身に着けているエプロンだけが、決定的に浮いていた。


「そのエプロン、新調したのか?」


カフェの雰囲気にはお世辞にも似合わない、リアルで雄々しいヒグマが刺繍されたエプロン。今にも咆哮しそうな熊の顔が、正面から俺を睨みつけている。


「あ、これですか? カフェっぽくしようと思ってネットで買ったんです!」


「いや、カフェっぽくはないだろ……ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリーに出てくる方の熊だぞ、それ」


「そんなことないですよ! あ、そうだ。隆一さん、今日ちょっと無精髭生えてますね」


「まあな。休日にわざわざカミソリ当てるのも面倒だしな」


自分の顎を撫でる俺を見て、玲奈はあからさまに少しだけ眉をひそめた。


「むー……私、男性の無精髭ってあんまり好きじゃないんですよね。だらしなく見えちゃうし」


「手厳しいな。まあ、おじさんの休日だから勘弁してくれ」


玲奈はジッと俺の顔を見つめ、それから自分のエプロンのヒグマに目をやり、パンッと手を打った。


「あ! でも、だからか! 似てます!」


「は?」


「その無精髭があると、このエプロンの熊にそっくりです!」


グラスを口に運ぶ手が止まる。無精髭から熊に至る三段論法がまったく理解できない。


「髭は嫌いですけど、熊さんになった隆一さんなら許します。今日のランチはハニートーストでどうですか? 熊さんと言えばハチミツですし!」


「俺をプーさんか何かと思ってんのか! さっきのリアルな熊の威圧感はどこ行ったんだよ……まあ、カフェの定番メニューだし美味しそうだな。頼むよ」


苦笑しながら答えると、玲奈は嬉しそうに頷いた。


しばらくして玲奈がカウンターの奥から出してきたのは、香ばしい匂いを漂わせる厚切りのハニートーストだった。たっぷりのハチミツとバニラアイスが乗っている。


フォークでアイスとハチミツの絡んだトーストを切り分け、口に運ぶ。外はサクッと、中はふわふわ。ハチミツのコクのある甘さが広がったところへ、すかさずキレのある瓶ビールを流し込む。甘みと苦味の絶妙なループ。


「……うまいな、畜生。ビールに合う」


「でしょう? 隆一さんが美味しそうに食べてくれるの見るの、私大好きなんです」


カウンター越しに、玲奈が身を乗り出すようにしてニッコリと笑う。ふわりと甘い柑橘系の香水が鼻をくすぐった。距離が近い。


(あー……ダメだダメだ。可愛すぎる)


俺は心の中で頭を抱えた。


15歳も歳の離れた店主と客。自分は大人の余裕を見せるべき立場だし、そもそも特定の女を作らない主義だ。手を出したらただの痛いおじさんである。見て、少しくだらない会話をするだけで満足すべきなのだ。


(落ち着け自分。これは単なる愛想だ。接客スマイルだ。勘違いするなよ、40歳……)


必死に理性のブレーキをかけ、瓶ビールをグラスに注ぎ足す。その横顔を、玲奈はずっと見つめていた。


「隆一さん」


「ん? なんだ」


「来週の土曜日も……絶対来てくださいね? あ、次はちゃんと髭剃ってきてください! 熊さんもいいですけど、やっぱり綺麗な隆一さんの方が好きなので」


「……言われなくても剃ってくるよ」


悪気なくサラッと「好き」なんて言葉を混ぜてくる玲奈に、胸の奥がキュッと締め付けられた。


彼女にとっては、ただの無邪気な軽口なのかもしれない。しかし、俺だけに向けられるその笑顔と距離感は、確実に「大人の理性」を削り取っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。