4-08. 覚えてろよ!
「レムル! 悪魔と魔女を捕まえろ!」
ぼぐぼぐ、と音がする。態度を一変させたマティアスに、グレーテルが叫んだ。
「ここは見逃してくれる流れじゃないの?!」
「誰が見逃すか! この嘘つきどもめ! 俺の出世の礎になれ!」
レムルが膨れ上がる。それを見たメフィストが、すかさず、ぱちんと指を鳴らした。
影がするすると伸びて、マティアスとレムルに絡みつく。身動きが取れなくなった二人に、メフィストはにっこりと笑った。
「また落盤を起こしたいの? 今度こそ閉じ込められるよ」
「ううっ……くそっ……レムル! なんとかしてくれ!」
みちり、と音がするが、レムルに影を振り払うほどの力はない。メフィストはくつくつと笑った。
「レムルは人間の魂だからね。魔法は使えない。けど、魂を持つ者には干渉できる。……覚えておくといいよ」
もがくマティアスとレムルを背に、メフィストは悠然と出口へ向かう。グレーテルも後に続きながら、ちらりと後ろを見て、遠慮がちに尋ねた。
「あの二人……どうするの?」
「半日くらい、あのまま縛っておくよ。追いかけられるのも面倒だし」
「いいのかなぁ……」
「追いかけっこがしたいなら、今すぐに、放してあげようか?」
にんまりと口角を吊り上げたメフィストに、グレーテルはぶんぶんと首を横に振った。
「それは私も嫌」
「なら、このまま行こう」
言いながら、メフィストはグレーテルを抱き上げる。肩に担ぐのではなく、膝裏と背中に手を差し入れ、横抱きにする形で。
グレーテルは突然のことに驚きながらも、メフィストの首に手を回した。視界に入るメフィストの顔が近くて、やはり、気恥ずかしさがこみ上げてくる。
「もう面倒だから、途中まで飛んで行くよ」
「えっ」
赤くなりかけたグレーテルの顔色が、さっと青くなる。首に回した手に、ぎゅっと力がこもった。
「で、でも、人に見られたら……」
「高いとこまで飛べば、鳥にしか見えないよ」
外の光が視界いっぱいに広がる。グレーテルが眩しさに目を細めたその瞬間、ばさり、とメフィストの漆黒の翼が開く音がした。
「吐かないでね」
ふわり、と浮遊感がグレーテルを襲う。思わず身を縮めながら、肩に担がれるよりマシだ。と必死に自分に言い聞かせる。けれども、すぐに視界がゆっくりと回り始めて、思考もぐるぐると混線していく。
「む、無理かも……っ! でも、絶対に落とさないでね!」
「どうしようかなぁ」
くつくつとメフィストが喉の奥で笑う。たちの悪い冗談に、グレーテルは少しむっとしてメフィストの耳を小さく引っ張った。
「いたっ……。やっぱり、うっかり落としそう」
「もう!」
そんなやりとりをする二人の背後から、マティアスの悔しげな怒鳴り声が風に乗って追いかけてくる。
「くそーーーーっ!!! 悪魔と魔女め!! 覚えてろよ!!!」
◆
ウルリッヒは、探るような視線でルシフェルをじっと見つめていた。視線を受け止めたルシフェルは、眉間に深くシワを寄せ、重たく息を吐く。
「ここで言い訳しても、仕方がないな」
「あなたは魔物なのか? それとも……天使か、悪魔か」
静かに投げかけられた問いに、ルシフェルは小さく首を振った。
「そのどれでもないよ」
ばさり、と空気を裂く音が響いた瞬間、ルシフェルの背に翼が広がる。真紅に染まった、まるで血塗れの色。左右に三対、見事な六枚羽根が静かに揺れている。
「堕天使だ。黙ってて悪かったな」
ウルリッヒが息を呑む。言葉を忘れ、食い入るように背中の羽根を見つめた。
「教会では、堕天使はどういう立ち位置なんだ?」
問われて、ウルリッヒは慎重に言葉を選ぶ。
「天使に非ざる行いをした者、と。しかし……その六枚羽は……。元々は相当な地位におられたのでは……?」
「ふふん」
ルシフェルが得意気に胸を張る。
「元天使長だ」
「なんと……!」
ウルリッヒが目を見開く。ルシフェルの眉間のシワが数本減った。
「グレーテルといい、お前といい。素直な人間はいいな。普段、性格のねじ曲がった悪魔どもを相手にしてるから、余計にそう感じる」
その時、上空でばさり、と音がする。ルシフェルとウルリッヒが顔を上げると、黒い翼を広げた影が空を横切っていくのが見えた。
「……メフィストか。あいつめ、挨拶もなしに去るつもりか」
ルシフェルの背の六枚羽根が、静かに揺れる。
「私ももう行く。世話になったな」
「い、いえ……。わたしの方こそ……」
ルシフェルはふと、手にしていた割れたバッジを差し出し手渡した。真っ二つに割れたそれは、もはや使い物にはならない。
「お前の魂のためにも、さっさと教会からは去るといい」
じゃぁな、とルシフェルは軽い調子で言い残し、地を蹴った。六枚の赤い羽が大きく広がり、あっという間に上空に飛び上がる。その姿は、次第に小さくなり、空へと消えていった。
ウルリッヒはしばらくの間、黙って空を見上げていた。
(堕天使……。ものすごい人に会ってしまったな……)
握りしめた拳の中の、バッジの感触を確かめる。割れた金属の冷たく、ひんやりとした感触が手に伝わってきた。
(忠告に、従うべきなのだろうか)
ウルリッヒの心が揺れる。けれども、心を決めるまでには至らない。




