終章
『コゼット魔物料理店』
丸い文字で書かれた看板のあるお店があるのは、ストライドの領地のある王都から程近い北の山岳地帯の開けた街である。
コゼットが店を出すことになった時、私やシャルルは流行の中心である王都にするように何度も言ったのだけれど、コゼットはストライド家の館のある街にすると言ってきかなかった。
とはいえ、聖クロノス騎士団の宿舎があるのは王都なので、ストライド家の館も王都からは歩いて半刻もかからない場所にある。王都と左程変わらないといえば、変わらない。
シャルルの暮らしているフライツマール家も王都とストライド家に隣接していて、会いに行こうと思えばすぐに会える距離だ。
学園を卒業してから私たちは頻回に会っていたし、今日もコゼットのお店でシャルルと三人で一緒に食事をすることになっている。
私は朝から落ち着かず、そわそわしながら支度をしている。
外に出るのは久しぶりだ。
三人目の子供が生まれたのが一か月程前。体が心配だからと言って義理のお父様であるカーティス様や、旦那様であるオスカー様にお庭の散策以外の外出を禁じられていたのである。
大丈夫だと何度も言ったのだけれど、オスカー様が心配し、カーティスお父様が更に心配するので大人しくしていた。
私を大切に思って心配してくれている気持ちを無下にはできない。
そのかわり、時々シャルルが遊びにきてくれていた。
とはいえシャルルの旦那様であるティグレ様はオスカー様よりもずっと過保護なので、私以上に外に出られない状況なので、それも滅多にはなかったのだけれど。
ストライド家というのは男児ばかり産まれる家系であったそうで、オスカー様の他には弟が一人だけしかいない。
その上お母様は大分昔に亡くなってしまったらしい。
カーティスお父様の、あまり年頃の女性を雇うのは息子たちの教育に良くないという方針で、女性の少ない家であったそうだ。
だから卒業してすぐにストライド家に嫁いだ私を、カーティスお父様はそれはもう歓迎してくださった。
オスカー様の弟のエリン君はすぐに学園の寮に入ってしまったので一緒に暮らしてはいないのだけれど、休日の度に帰ってきては一年後に一人、立て続けにもう一人生まれた子供たちとよく遊んでくれている。
一人目は男の子で戦神の名前を頂いてオーディン。二人目も男の子で父なる神の名前を頂いてクロス。
三人目の女の子は、私の希望でマリアという。
三人ともとても元気に育っている。
最近では退役なさったカーティスお父様が、まだ小さいオーディンと歩き始めて間もないクロスに庭で剣術を教えている微笑ましい光景をよく見ることができる。
カーティスお父様といえば、先日は生まれたばかりのマリアを抱きしめながら、絶対嫁に出さないと号泣していた。
そういえば領地で相変わらず研究に没頭しているお兄様から、『我が家にひとり下さい』という簡素な手紙が送られてきている。
ルーファスが責任をもって育てるから大丈夫だとも書かれていた。
ルーファスならば心配ないけれど、お兄様については心配だ。
ちなみにお兄様は、私にくれた腕輪についても未だ反省していない。『腕輪の御蔭で婚約が破談になったんだし、オスカーとアリスは上手くいってるんだし、問題ないよね? むしろ感謝するべきだよアリス、お兄様に。だからオスカーとの子供を一人貰うから、跡継ぎをたくさん産んでね』と言っていた。
コゼットはそんな気が全くしないと言い張って、まだ結婚はしていない。
聖クロノス騎士団の副団長を務めているクロード・ワイマールさんとは良い関係なのかと思っているのだけれど、クロードさんに言わせれば、役に立つ道具程度に思われていると言っていた。
騎士団の討伐した魔物の素材、コゼットに言わせれば食料を、安く買い取らせろとうるさいらしい。
騎士団としては別に素材を集めるために討伐しているわけではないので、大量に買い取ってくれるなら有難いそうなのだけれど、いつもは放置している素材を、ちゃんと全部拾い集めてくるのは中々大変らしい。
全部ですよ、と念を押されながら大量の麻袋を渡されるそうだ。
最近クロードさんは騎士団内で『食料配達のクロちゃん』と呼ばれているそうである。
ほんの数年前なのに、随分昔の事のように感じられる、私が後宮に閉じ込められそうになった日。
私を助けたオスカー様と一緒に馬に騎乗して王都の門の外へ向かうと、聖クロノス騎士団を引き連れたカーティス様と、蛸モップを構えたコゼットを一緒に馬に乗せたクロード先輩、それから領地に帰ったとされていたお兄様とルーファスが待っていてくれていた。
あと数刻救出が遅れたら、本当にお城に攻め込むつもりだったらしい。
ティグレ様の采配で軍を向けたことは不問とされ、私達は元通り学園生活に戻ることが出来た。
ただそこにはレオン様とティグレ様、オスカー様の姿は無くて、その後の城の中の混乱と後始末はかなり大変だったようだ。
私やシャルルが巻き込まれずにすんだのは、ティグレ様やオスカー様が守ってくれていたからだろう。
グレイ先生は騒動には参加していなかったけれど、学期の途中で姿を消して少ししてまた戻ってきた。
噂によれば、アルテミス魔王国の皇族の後継者争いへの参加を辞退してきたらしい。
今でも教師を続けていて、オスカー様の弟のエリン君の担任をしていると聞いた。
コゼット魔物料理店は、未だにストライド領の一店舗だけである。
店を国中に増やすとコゼットは良く言っていたけれど、ストライド領から離れたくないので、他の事業を拡大しようと思っていると言っていた。
それはどうやら私のお兄様の作る魔法武器に関係があるらしいのだけれど、ちょっと怖い。
レオン様は国王となった。ティグレ様に王位を譲ると言っていたそうだけれど、ティグレ様がそれを許さなかったのだとシャルルに教えてもらった。
逃げずに立派な王になるようにと厳しく、落ち込んでいるレオン様に言うティグレ様はとてもティグレ様らしい気がする。
レオン様もティグレ様とシャルルの子供を養子にすると言ってきかないそうだ。
「ソルト様といいレオン様といい、どこの長男も、全く駄目よね。オスカーは別だけど」とシャルルが溜息交じりに言っていたのは記憶に新しい。
今の王都の流行りの服は、白と黄色のドレスである。
街の定食屋さんにドレスで行くわけにはいかないので、白い生地に黄色い小さな花が散っているワンピースを着ることにした。
上から落ち着いた萌黄色のショールをかけると、それなりに見栄えがする気がする。
マリアンヌ風に言えば、『今日の私も世界一可愛い美の女神ね!』といったところである。
服装が決まり満足した私が自分の姿を鏡で見ていると、背後からふわりと抱きしめられた。
「……気を付けて、アリス。……あまり、遅くならないように」
私は私に覆いかぶさるようにしているオスカー様を見上げる。
身長差があるせいで、すっぽりと包まれているようだ。ここ数年で一段と精悍さが増したオスカー様は、遠征も多く切る暇が無いらしい髪を無造作に縛っている。顔にかかる前髪の下の、心配そうな青色の瞳と目が合った。
今日のオスカー様もとても素敵だ。毎日素敵だけれど、今日も素敵。
年々素敵になっていっている。とどまることのないオスカー様の魅力。
きっとマリアンヌが見たら、奇声をあげて倒れるに違いない。見せてあげたい。
あれからずっと、声は聞こえていないけれど。
「コゼットの食堂までは、歩いて行けるぐらいの距離ですのよ? オスカー様も一緒に行きますか?」
「いや、同席してコゼットに恨まれるのは遠慮しておく。それに、アリスの大切な時間を邪魔したくない」
「私はオスカー様と過ごす時間も大切だと思っていますけれど……」
「それは、……知っている。……でも、やはり少々妬けるな」
「オスカー様、私はいつでも、オスカー様が大好きですよ?」
少しだけ成長した私は、気持ちを真っ直ぐに素直に伝える事を覚えた。
もう隠したりしないし、悩んだりもしない。恥ずかしさは多少はあるけれど、それでも伝えずに縺れたり、後悔するのは嫌だと思う。
「アリス、……今それを言うのは、あまりよくない」
オスカー様が少しだけ困ったような表情を浮かべる。
覆いかぶさるようにして抱き込まれていた私は、くるりと反転させられた。
そのまま唇が合わさる。
これは、もしかしたら遅刻してしまうかもしれないなと思いながら、私は目を閉じる。
私の遅刻はいつものことなので、きっとコゼットもシャルルも笑いながら許してくれるだろう。
私は私の現実をあたたかい春風のように、幸せに、軽やかに、歩んでいる。
それでも時々思う。
――いつかまた、マリアンヌの声が聞こえるのではないか。
『あんた無事に当て馬ちゃんじゃなくなって、幸せを掴んだのねぇ!』
と、泣きながら、言ってくれるのではないかと。




