ひとつの決着
立ち上がると腰が重い。
私の腰に未だしがみついてぐすぐすしているレオン様を、ティグレ様とシャルルが二人でその両脇を抱えて引き剥がしてくれる。
項垂れるレオン様にティグレ様が心底呆れた表情をしながら「しっかりしなさい。レオンと母上のせいで王国の危機なんですよ」と喝を入れている。
「アリス、……あなたは、随分変わったと思う。私は今のアリスも大好きよ。レオン様のことは私達で何とかしておくから心配しないで、オスカーのところに行ってあげて!」
シャルルの言葉に私は頷いた。
そして、後宮の部屋から外に出た。
私は未だ白い病衣を着ていて、足につるつるした生地が纏わりついて邪魔だったし、裸足のままだったので床を蹴る度に足の裏が痛み、上手く走ることができない。
三日間臥せっていたせいで体力も戻っていなくて、少し走っただけで息があがった。
よろめきそうになり、後宮の廊下の壁に手をつく。
体を支えながらなんとか足をすすめる。後宮の作りは良く分からないのでどこに向かえば外に出られるのかは分からなかったけれど、人の声や騒音が響いている方へと只管足を進める。
オスカー様は強いけれど、遺跡の中で私以上に酷い怪我を負っている。
私は王宮の治療師の方に傷を治してもらったけれど、オスカー様に治療魔法をかけたのは、治療魔法の練習を少ししただけの私だった。
傷がきちんと癒えていなかった可能性もあるし、まだ完全に痛みも取れていないかもしれない。私が三日臥せってやっと回復したぐらいなのだから、オスカー様はもっと休息が必要だろう。
それなのに、兵を挙げるだなんて。
ロザリンド様とオスカー様のお父様、聖クロノス騎士団長カーティス・ストライド様は意見が合わないと、オスカー様からかつて聞いたことがある。
それでもストライド家は長年クロイツベルト王家の盾であり剣であった。
王家に対して兵を向けることになった一因には、私の存在がある。
オスカー様の名誉に傷をつけるどころか、反逆罪に問われるかもしれない。
不安から気持ちばかりが急くのに、体はまるで追いつかない。
よろよろと覚束ない足取りで進んだ先に、広い中庭が見えた。
後宮と王城を繋いでいる広大な敷地。この場所は知っている。
ロザリンド様が良くお茶会を開く場所で、私も一度レオン様の婚約者として呼ばれて挨拶に伺ったことがある。
最も呼ばれたのは一度だけだし、挨拶が終わるとすぐに退室を命じられてしまったのだけれど。
「……オスカー様!」
広大な敷地に敷き詰められた石畳に降りると、足の裏がひんやりと冷たい。
中庭には数人のローブを纏った宮廷魔導士の方々や、警備兵の方々が並び、オスカー様と対峙している。
彼らに守られるようにして、背筋を伸ばして立っているのはロザリンド様だ。
ロザリンド様は私の声に気づき、振り向くと私を睨みつけた。
オスカー様も私に視線を向ける。
良く晴れた日の青空のような青い瞳が、私の姿を見た途端に更に深く濃くなった。
とても、怒っているように見えた。
「退きなさい、ストライドの嫡男。お前のような血に塗れた山犬が、貴人の住まう後宮に足を踏み入れる事は許されないのよ。聞くところによれば、そこのレミニス家の野猿は私のレオンよりもお前を選んだとか。山犬と野猿ならばお似合いでしょう。けれど、私を侮辱しレオンに恥をかかせた罪は、償ってもらうわ」
ロザリンド様は、手にしていた扇を閉じると私を指し示した。
そして堂々とした声音で、私とオスカー様を貶める言葉を吐く。
オスカー様と私を隔てるようにロザリンド様と、警備兵の方々がいる。
立ち止まった私は、簡単に警備兵に拘束されてしまった。
「王妃といえど、此度の暴虐は目に余る。聖クロノス騎士団の解体宣言だけならまだしも、何の罪もないレミニス侯爵令嬢を幽閉し、挙句処刑をしろなどと」
「王家に対する反逆、そして侮辱の罪、死罪が妥当よ。私は、クロイツベルト王国の王妃であり、リンドブルム獣王国の姫。尊い私にお前たちのような者が歯向かう方が間違っているの。そこの女は私を怒らせたわ。死をもって償い、私の前から消えなさい。さぞ、清々することでしょうね!」
私は目を見開いた。
レオン様はそのような事は言っていなかったけれど、ロザリンド様の口調は本気だった。
「聖クロノス騎士団長のカーティスは私に反抗的で、式典の警護にさえ顔を出さない。カーティスの姿を騎士団も真似て、陰で私を傾国の女狐と呼んでいるのは知っている。解体し、皆捕えて、投獄してやる。リンドブルム獣王国の優秀で従順な騎士たちに私の元へ来るように手紙を送ってあるの。だから、もうクロノス騎士団は要らない」
「そう呼ばれる原因は、ロザリンド様にあるのでは? 話し合いは、最早不要。俺は、俺の大切な人を取り返しに来た。死にたくないなら、道を開けろ!」
その場の空気が凝り固まったように感じられた。
オスカー様が言葉と共に剣を構える。
それだけなのに、あまりに清廉で、静かで、それなのに激しく燃え上がる炎のようなぞわりとした恐ろしさがそこにはあった。
私を拘束していた警備兵の方の腕が震えている。
「お前たち、行きなさい! 退いても待つのは、死罪だけ。逃げ恥を晒すのならば、死んだ方が良いでしょう?」
ロザリンド様の声に煽られるようにして、警備兵たちがオスカー様へと向かっていく。
オスカー様が踏み込んだ一瞬で兵士たちは石畳の上に皆倒れた。
その光景を見てしまったせいか、残りの警備兵や私を拘束していた方は、武器を捨てて散り散りになって逃げていく。
王国は長らく平和だった。
人と人が争う姿を見るのは、王国一番の戦士を決める春の御前試合の模擬戦以外では初めてだ。
戦い慣れしていない兵士たちと、各地の魔物を討伐したり、罪人の取り締まりをしているオスカー様とではただでさえ差があるのに、相手が王国最強という呼び声も高いオスカー様では、あまりにも力の差がありすぎる。
拘束がとかれた私は、オスカー様の元へと駆け寄る。
オスカー様は駆け寄った私を強く抱きしめて下さる。
力強い感触に、私はなんだか泣きたくなってしまった。
「なんて使えないの。精強なリンドブルム獣王国の我らが同朋とは、全く違う。だから嫌なの、嫌なのよ、クロイツベルト王国に嫁ぐなんて、最初から嫌だったのよ!」
ロザリンド様は扇を投げ捨てた。
強い力で石畳にぶつかった扇は、粉々に砕け散る。
ロザリンド様の激しい感情呼応して、その爪は鋭く尖り、銀色の髪が逆立つ。
地団駄を踏むたびにスカートが乱れ、ふさふさとした銀色の尻尾が見えた。
「ロザリンド様。あなたの命令で我が国の教会が壊され、リンドブルム獣王国のフェンリル神を祀った教会が各地に作られようとしています。国費を使い、クロノス神の教会を壊し、別の神の教会を建てる。当然ながら、王国の民はそれを快く思っていない者が多い。だがアリスベルは、あなたのことを慣れない異国の地で信じる者が欲しいのだろうと言って、その気持ちを慮っていました」
私を庇うように抱きしめたまま、オスカー様が落ち着いた声音で言う。
先程の恐ろしさが嘘のような、礼儀正い王家の騎士としての姿だ。
先程の冷酷な戦神のようなオスカー様も、今の立場を重んじているオスカー様も、どちらもオスカー様なのだろう。
どちらの姿も好きだなと思いながら、私はその胸に顔を埋めた。
私との会話を覚えてくれていたことが嬉しい。
洞窟で巨大蛸に襲われた日、確かにそんな話をしていた。
「だから、何だというの! 憐れみを受けたから感謝しろとでもいうの?」
「あなたは、教育係を使い長い間アリスベルを虐げていたそうですね。アリスベルは、その話を誰にもしたことがありませんでした。友人のシャルル様にも、私にも。長い間一人で、耐えていたのです。それなのに、苦しみを与えたあなたにさえ慈悲深かった。種族という差異に拘り、他者の愛情や優しさに見向きもしないロザリンド様は、王妃には相応しくない。王国民の優しさにも、限りがあります。種族に拘りつづけたからこそ異物となり、王国から見限られるのはあなたです」
「ストライド家の若造が偉そうなことを! 許さないわ、誰もいないというのなら、私が、私の手で……!」
「……母上、もうやめましょう」
疲れたような声が、その場に響く。
レオン様が、ティグレ様と共に中庭の入り口へと立っている。
先程私の腰に縋りついて泣いていたとは思えないほどのしっかりした姿だ。
レオン様の瞳には憐れみが浮かんでいたけれど、ティグレ様がロザリンド様を見る目には侮蔑の感情しかないように思えた。
先程の会話の中でロザリンド様の愛情は、全てご自身とレオン様に注がれているように感じられた。
ティグレ様は、もしかしたらロザリンド様に愛されたという経験がないのかもしれない。
それは母親を見る視線とはとても思えなかった。
「俺も、先程アリスを傷つけました。感情に支配されその腕を切り裂いた。アリスを虐げていた母上と俺は同罪です。感情に支配される者は、国を統治する者として相応しくない。リンドブルム獣王国に、帰りましょう。俺が共に行きますので」
「レオン……!」
レオン様の言葉に、ロザリンド様は瞳に涙を浮かべる。
レオン様を見る視線はまるで恋人に縋りつく哀れな女性のようにみえた。
「兄上。この女を甘やかすのもいい加減にしてください。父上と兄上がロザリンドを憐れみ甘やかすから、つけあがるのですよ。兄上がいなくなれば、僕が王位を継ぐ羽目になるじゃないですか。嫌ですよ、僕にはフライツマール家があります。シャルと共に生きると決めているんですから」
「ティグレ、しかし、どんな者であっても母上は母上だろう」
「親を選ぶことはできませんからね。けれど、捨てる事はできるのですよ。僕にはお前のような母は要りません。レオンにとっても毒となります。ロザリンド、父上と共に蟄居なさい。クロイツベルト王国にも、お前は必要ない。次の王を誰にするかは、カーティスやオスカーと話し合って決めますよ。僕も、オスカーも優秀ですからね。レオンが多少馬鹿でも、問題ないとは思いますけど」
「さぁ、その女を捕縛しなさい」とティグレ様が声をかけると、城の方から兵が現れてロザリンド様を拘束した。
レオン様はずっと悲しそうな表情をしていた。
オスカー様がレオン様に向けていた私の視線を、無理やり引き剥がして自分の方に向けるようにしながら、私を抱き上げる。
「アリスベル様――、アリス。帰ろう。父上が、俺があなたを攫ってくるのを待ちきれずに、王都に攻め込む前に」
「……本当に、挙兵なさいましたの?」
「ストライド家は、王の盾であり剣。王が惑えば、それを正すのも役目です。それにアリスを守るためなら、俺は国を陥落させることも厭わない。その覚悟はできていた」
「オスカー様……」
私はオスカー様の首に抱き着く。
「好きです、好き、大好き。オスカー様、ずっと、お会いしたかった……!」
「アリス……」
「私、不安で、心配で、オスカー様、私のせいで怪我をなさっていたのに、城に攻め込むだなんて、でも、嬉しくて……、大好きです……」
安堵から、はらはらと涙が零れる。
泣いてはいけないと、今までの私なら我慢していただろう。
感情を押さえなければと、必死になっていた。
情けない姿を見せてしまえば、罪悪感に胸が詰まった。
けれど、それは違うような気が今はしている。
――私はオスカー様に甘えて良い。
好きだと言って良いし、心配だったと泣いて良い。
きっとオスカー様は、全て許して受け入れてくれるだろうから。
「ありがとう、アリス。……愛してる」
オスカー様は優しく微笑むと、私の耳元で密やかにそう伝えてくれる。
私はオスカー様の首に抱き着いて、幼い子供のように泣き続けた。




