向き合うということ
レオン様に抱き上げられて辿り着いたのは後宮にある一室だった。
煌びやかで格調高い調度品が置かれた寝室は、地位のある側室の為に作られたもののように見える。
レオン様は怒った顔で黙り込んでいて、私が幾度降ろして欲しいと伝えても聞こえていないようだった。
ベッドの上に座らされた私の手首の傷に気づいたのか、今度は優しく手を取るとレオン様は自分の元へと私を引き寄せる。
優しく、といっても力の差がある。簡単に抱き込まれてしまった私は、どうして良いのか分からずに唇を噛んだ。
いつも助言をくれたり冗談を言って心を軽くしてくれるマリアンヌの声は聞こえない。
心細いけれど、自分で何とかしなくてはと思う。
レオン様は私が裏切ったことを怒っている。オスカー様と共謀して、私がレオン様を裏切ったのだと勘違いしている。
私に対する好意のようなものだって、傷つけてしまった罪悪感があるからそう思っているだけだ。全ては勘違いだと思う。
けれど、私にも責任がある。
きちんと話をしなかった。向き合おうとしなかった。
だからこんな風になってしまったのだと思う。
「アリス、痛かっただろう。すまない。……自分が抑えられなかった」
レオン様の首飾りが柔らかく輝く。
治療魔法によって私の傷はすぐに癒えたけれど、私よりも余程レオン様の方が傷ついているように見えた。
「……投獄されるのでは、ありませんの?」
「表向きは。……罰則が決まるまでは、投獄ということになっている。……そのまま、お前は行方不明になる予定だ」
「行方不明に? まさか、私は……、命を落とすのですか?」
ロザリンド様の怒りがそれほどだとは思わなかった。
王妃様に対する侮辱罪で死罪にはならないだろう。
しかし、戦争の為の兵器だった遺跡を作動させ、王国に対する反逆を行おうとしたとあってはそれも妥当だ。
そんな事実はないのだけれど、実際に私の状況を知っている方はオスカー様しかいない。
オスカー様が私と共謀していたという捏造をされてしまえば、オスカー様の証言は意味をなさなくなってしまう。
「レオン様、オスカー様は無事ですか……?」
私は蒼褪めた。私がこんな状況ということは、私が臥せっていた三日間で城の外の状況も変わっている筈だ。
もし、オスカー様の身になにかあったらと思うと、心臓の奥が冷たく凍った。
レオン様は深い溜息をつく。
「お前は命を落とさないし、オスカーは無事だ。状況を察したのか、ストライド家にすぐに戻ってそれから音沙汰がない。王家といえども、ストライド家には手が出せない。今は捨て置いている」
「そうですか、良かった……」
「お前は、この状況でもオスカーの心配をするんだな。自分の身は、心配ではないのか?」
「……私は、レオン様のことをあまりよく知りません。……でも」
私は一度俯いて、レオン様の顔を見上げる。
私たちは対話が足りなかったし、過ごす時間も短すぎた。
レオン様は私について思い違いをしているし、私もレオン様のことをきちんと理解しているというわけではない。
それは私がずっと自分の気持ちから逃げていたからだ。
立場ばかりを考えて、言葉を濁し、まともに会話をすることさえ避けてきたからだ。
「私の知っているレオン様は、……私を心配して気にかけてくれるのに、カブトムシを探していると言って木の上に隠れたり、偶然だと言って挨拶をしに来てくださったり、……お可愛らしくて、優しい方です。私に対する感情は、きっと罪悪感からですわ。それはレオン様が優しいから、でしょう?」
「違う。俺は……、優しくなんてない。お前を傷つけたし、これから、もっと酷く傷つけようとしている」
「……それでは、レオン様が余計に傷つくだけですわ。私は、……あなたという婚約者がありながら心変わりをしましたの。……私はオスカー様が好きです」
オスカー様が好きで、だから傍に近づきたくて、一緒の時間を幾度も過ごした。
それなのに私は、そういった感情はないと言い訳をして、レオン様にも婚約者だからと良い顔をし続けていた。
コゼットの事があった時、お兄様にお願いして婚約破棄を打診してもらえばそれですんだ話だ。
それをせずに曖昧な態度を取り続けていた。
レオン様がすぐに謝りに来てくださったから、それ以上揉め事になるのが嫌で、逃げた。
だから今度はきちんと言わなければいけない。
私の気持ちはレオン様にはないし、オスカー様がいる以上どんな状況になっても心変わりをするようなことはないのだから。
「アリス。……何故だ? あの堅苦しい男のどこが良いんだ。地位も財も、俺の方が上だ」
「オスカー様は、レオン様が真面目なだけが取り柄と評価していた以前の私を、認めて下さっていましたの。……凛としていて、気高いと褒めてくださいましたわ。それはもちろん、王妃教育で作られた姿ですけれど、あの私も、私です。今の、自分勝手で我儘な私も、私です。オスカー様は、どちらの私も受け入れてくださいましたわ」
「……俺が万が一、お前に対して酷い事を言わなかったら、お前を傷つける事をしなかったら、お前は俺の婚約者で居てくれたのか?」
レオン様は手のひらで額を押さえた。
綺麗な銀色の髪が、ぐしゃりと乱れる。
「そうしたらきっと、私はつまらない女のままでした。つまらない女の私とレオン様は、きっとうまくいかなかったと、思います」
「アリス……」
マリアンヌが私の前に現われてくれたのは、レオン様とコゼットのことがあったからだ。
私の運命はクロノス様の計らいできっと変わったのだろう。
私が変わったから、コゼットも、レオン様も、少しだけ変わった。
もし変わらなかったら、私は私のままだったし、レオン様はずっと私の事を退屈だと思っていた筈で、万が一結婚したとしても分かり合える日はこなかったかもしれない。
「……アリス、……あぁ、嫌だ……。アリス、オスカーに渡したくない」
レオン様が冷たい表情で怒っていた時も吃驚したけれど、私は再び別の意味で吃驚した。
レオン様が私の腰に抱き着いて、両耳を垂れさせてぐすぐす泣き始めたからである。
『レオン王子ってば情緒不安定過ぎない~?』とマリアンヌの言葉の幻聴が聞こえる。
幻聴というか、私自身の心の声というか。
駄目だわ私、いつの間にかマリアンヌの口調で心の声を呟く癖ができはじめている。
「レオン様……、落ち着いてくださいまし。レオン様にもきっと、レオン様に相応しい素敵な女性が現れますわ」
「アリスが良い……、アリスが良いんだ……。俺だってオスカーにお前が魅かれてるのは分かってたし、男として俺は確実にオスカーに負けてる自覚がある。だから、分かってはいたんだ。分かってはいたんだが、うぅ……」
「泣かないでくださいな、レオン様。レオン様も十分素敵ですわ。……私はオスカー様が好きですけれど」
「アリス……」
私はレオン様の背中をぽんぽん撫でた。
幼い子供を相手にしているようだ。
嗚咽を漏らすレオン様をなだめていると、扉が激しく叩かれる音がした。
「レオン! 馬鹿兄上! そろそろ限界ですよ、満足しましたか?」
ティグレ様の声だ。
開いた扉から、ティグレ様とシャルルが中に駆け込んでくる。
「アリス! 無事で良かったわ! レオン様の馬鹿、オスカー相手に勝てるわけないでしょ!」
「そうですよ馬鹿レオン。泣いてるじゃないですか、情けない。きっちりふられましたか?」
シャルルとティグレ様が馬鹿馬鹿と連発している。
レオン様は特に怒ることもなく、まだ私の腰にしがみついていた。
「シャルル! ティグレ様も! どういうことですの?」
私が尋ねると、ティグレ様が肩を竦める。
「どうもなにも、馬鹿レオンのせいですよ。アリスベルが城に運び込まれた翌日でしょうか、母上が婚約破棄だと騒ぎ立てて、アリスベルを投獄するとかいうから、気が変になったのかと思っていたんです。そうしたら、レオンが良い機会だからこの状況を利用して、アリスベルの本音を聞くとか言いはじめて……。レオンが哀れだから見守ってあげていたら、ストライド家が挙兵すると宣言をしましてね」
「アリス、私のせいなの! ティグレから状況を聞いていて私は知っていたのだけど、オスカーに詰問されてつい口を滑らせちゃったのよ。投獄の話なんて表沙汰になっていなかったのに、オスカーがあんまりにも怖くて」
ティグレ様とシャルルが口々に話す内容に、私は混乱した。
挙兵? ストライド家が?
「ロザリンド様がアリスを投獄すると言っていて、レオン様がそれを利用してアリスを後宮に閉じ込めようとしているって……。理由を伝える前にオスカーは物凄い怖い顔で、帰ってしまったから……。レオン様、アリスにきちんと本音を伝えて欲しかっただけなの。それは少しは、下心があったとは思うわ。期待もしてたかもしれないけど、きちんと本当の気持ちを言わないと、アリスはずっとレオン様を裏切ったと思って気にしてしまうでしょう。だから……」
「だから、レオン様は私を閉じ込めて、追い詰めた……? 全部演技、でしたの?」
「いや、演技じゃなかった。……全部、本心だった。……お前を傷つけようとしたことも、全て」
小さな声で、私の膝に顔を埋めているレオン様が言う。
先程までレオン様に同情的だったシャルルの表情が、シャルルが大嫌いな虫を見る様なものに変わった。
「最低ですね。レオンが最低なことは、今にはじまったわけではないので良いとして。アリスが城に閉じ込められてから今日で四日目。その間にストライド家は挙兵の準備をして、王都に攻め込んできたという訳です。我が母上はクロノス騎士団に蛇蝎のごとく嫌われていますし、騎士団長であるストライド家の現当主のカーティス・ストライドなどは、嬉々として国を簒奪するつもりですよ。父上は、役に立ちませんしね」
「そんな……、どうして……」
ストライド家は古くから国に仕えている家系だ。
挙兵など、考えられない。
「どうしてもなにも全部レオンと母上のせいですよ。ストライド家の要求は、ロザリンドの権威の剥奪と、それから、アリスベルを返せ、と。レミニス家からも、抗議が来ていますよ。ストライド家に賛同し、要求がのまれないようならばレミニス家も兵をあげると」
「お兄様まで……、オスカー様は無事ですか、ティグレ様! 私、オスカー様の元へ行かないと……!」
「無事ですよ。それはもう元気に、悪鬼のような形相で、宮廷魔導士たちの包囲網を突破してもうすぐここへ来るんじゃないでしょうか。だから大変な事になる前に、早くアリスベルを返しなさい、レオン。もう諦めたでしょう、満足したでしょう? アリスベルが大切なら、最初からずっと大切にしていたら良かったんですよ。少なくとも僕は、シャルに酷い言葉を投げかけたりはしません。酷い事は時々言われますけど」
顔を伏せているレオン様から小さなうめき声が聞こえる。
シャルルはティグレ様の言葉を聞いて、すまなそうに肩を落とした。
私は立ち上がろうと、しがみ付いているレオン様をどかそうとした。
もう十分対話を試みたので、レオン様に構っている場合ではない。
オスカー様がここに来る。
――王国に反旗を翻してまで、私を助けようとしてくれている。
心配だけれど、嬉しい。
早く会いたい。私は無事だと、伝えなければ。




