反逆者アリスベル
声をかけられることも無く不躾に扉が開く音で、私は目を覚ました。
クロノス様と、マリアンヌの声がまだ頭に残っている。特に最後のマリアンヌの魂の叫びが。
絶対に見届けると彼女は言っていたし、寂しくても泣くんじゃないとも言っていた。
だから、きっと大丈夫だろう。
私の呼び声は届かないかもしれないけれど、きっと見ていてくれる。そんな確信がある。
あれからどれぐらい経ったのだろうか。
城の治療師の魔族の女性によって治療が施された私は、病人用と思しき白い簡素な寝衣に似た衣服を着ている。
体の痛みはひいているが、怠さはまだ残っていた。誰かが中に入ってきた気配を感じたので起き上がろうとしたのだけれど、体がいうことをきいてくれなかった。
「……なんて、酷い姿かしら」
ベッドの真横に立って私を見下ろしているのは、レオン様のお母様である王妃ロザリンド様だった。
半獣族の姫らしく、銀色の真っ直ぐな髪には同じく銀色の猫のような耳がある。生粋の半獣族の方なので、ドレスのスカートの下には尻尾もあるのだろう。
美しく冷たい印象の方だ。私のお母様と同年代だと思うけれど、とても若く見える。
私と同じ年と言っても遜色がないほどに若い。黒い布地に白いレースの縁取りのあるドレスが良く似合っている。
ロザリンド様は数人のメイド達を引き連れるようにして立っている。
「王妃様……、申し訳ありません、ご挨拶をしたいのですが、体が、動かなくて」
「知っているわ、アリスベル。あなたが怪我をしたという報告があったもの。騎士科志望の生徒達に混じり、名も知らない弱小な男爵家の令嬢と共に王国の宝物庫跡に行ったそうね」
ロザリンド様とまともに会話したのはこれがはじめてだ。
いつもは私が挨拶をしても、軽く視線を送るだけで返事もしてくれなかった。
以前は王妃様は尊い立場ではあるし、元々リンドブルム獣王国の姫だったのだから私よりもずっと身分の高い方なので、返事などは頂けなくて当然だと思っていた。
今はそれが嫌われているからだと分かっているけれど。
「どういうつもりなの? レオンの婚約者というあなたには勿体ない、分不相応な立場を得ているというのに、その立場を弁えない行動を取るだなんて。それに、他の男子生徒と共に宿泊したそうね。なんてふしだらな」
「……申し訳、ありません」
ロザリンド様は口元に扇をあてると、眉を寄せた。
とても薄汚れたものを見る様な目で私を見下ろしている。それは在りし日の、私の教育係の姿によく似ていた。
「体に傷を作り血を浴びて、高貴な王城を穢すだなんて、それでもレミニス侯爵家の令嬢なのかしら。レミニス領は田舎だから心配だったのよ。田舎者の野猿が私の大切な息子の、レオンの婚約者になるなんて耐えられないわ。だからわざわざ教育係を送ったのに、何の役にも立たなかったわね」
私は唇を噛んだ。
落ち度は私にある。それは分かっている。
それでも、レミニス領を侮辱されたことが苦しかった。
「ともかく体に傷のある女を、レオンの伴侶にはできないわ。傷のせいでまともに子供が産めるどうかも分からないじゃない? 婚約は破談ね。あなたはレオンに恥をかかせた罰として、レミニス領に帰りなさい。二度と王都の土を踏まないでね」
「そんな……っ」
確かに悪いのは私だ。迂闊だったし、皆に迷惑もかけてしまった。
婚約が破談になるのはおかしくはない。肌の傷や怪我を理由に離縁される方だっている。
けれどそれを理由に領地に送り返されるだなんて、あまりに横暴ではないだろうか。
私は。
私はずっと、我慢してきた。王妃として相応しい淑女であるように、文句も言わずに王妃教育を受けて、教育係に何を言われても黙っていたし、暴力にだって耐えてきた。
それなのに、あまりにも残酷だ。
「私はあなたのこと、可愛げが無くて最初から嫌いだった。清々するわね。レオンの新しい婚約者は、既にリンドブルム獣王国に打診してあるの。立派な耳と尻尾のある、愛らしいご令嬢が何人か候補にあがっているわ。だから、あなたは必要ない」
心の中で何かがぷつりと切れるのを感じた。
マリアンヌの声は聞こえないけれど、きっと彼女なら『なぁんて嫌味な女なのぉ! こっちこそあんたみたいな義理の母親が居る城に嫁ぐなんて願い下げよ!』と言ってくれる筈だ。
レオン様の婚約者という居場所には私はもう価値を見出すことはできないけれど、それでも言われっぱなしというのは駄目な気がする。
私は今までマリアンヌの言葉に支えられてきた。
――そろそろ、自分自身の言葉で、ちゃんと現実に向き合わないと。
「こちらこそ、清々しますわ。私はもう十分、苦しみました。自分の為の時間など全て捨て去って、王妃様の手先だった教育係に従いました。どんな悪辣な言葉にも、体の痛みにも耐えました。体についた私の傷が罪だというのなら、既に私は傷だらけです。教育係は、物差しで私の背を打ち、手を打ちました。それは王妃様の差し金だったのでしょう? 罪は、私だけのものですか? 既に傷だらけの体に、新しい傷がついたところで大騒ぎするなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がありますわ」
痛む体を無理やり起こして、私は精一杯に声を張り上げる。
凛としているだろうか、堂々としているだろうか、声は震えていないだろうか。
マリアンヌは『アリスちゃん、格好良いわぁ!』と褒めてくれるだろうか。
「私に口答えするつもり? なんて、不敬なの! レオンに恥をかかせた挙句、私に対して言いがかりをつけるだなんて、恥知らずにも程があるわ! 軽い罰ですませてあげようと思ったのに、気が変わったわ。私に歯向かったこと、愚かだと思い知ると良い」
ぱしん、と音がした。
思いきり頬を張られたのだと分かった。
上手く体を動かせない私はそのままベッドに倒れ込み、ロザリンド様達が退出する足音を聞いていた。
頬は痛かったけれど、心は軽い。
私は口元に笑みを浮かべる。
どんな結果になっても構わない。ちゃんと言えた。
ずっと、ためこんでいた気持ちを、言う事ができた。
「なんだか、すっきりしましたわ。……ありがとう、マリアンヌちゃん。クロノス様」
声はもう聞こえないけれど、勇気を持つことが出来たのはマリアンヌとそして、クロノス様のおかげだ。
私はくすくす笑いながら、目尻に浮かんだ涙を拭った。
本当に三日間、必要な時以外はベッドの上での生活を送った。
あれから王妃様は来なかったし、私の元へは治療師の女性と身の回りの世話をしてくれるメイドの方々以外誰も訪れる事はなかった。
お兄様も、ルーファスも、迎えに来てくれない。
遺跡の中での状況を訪ねに、グレイ先生も来ない。
シャルルもコゼットも居ない。
オスカー様も。
オスカー様に会いたい。声が聞きたい。大丈夫だと言って、抱きしめて欲しい。
思いが通じた筈なのに、とても寂しい。
治療師の女性からようやく起き上がる許可が得られ、学園に帰ることができるのかと私はやっと安堵した。
王妃様は罰をあたえると言っていたけれど、そんな横暴はレオン様も国王も許可しない筈だ。
これからどうなるかは分からないけれど、私はオスカー様が好き。
その気持ちにだけは正直でいよう。
レミニス侯爵令嬢としては私は傷が多すぎる。ストライド家に嫁ぐのは相応しくないのは理解している。
オスカー様にはその栄光に相応しい婚約者がいつか現れるかもしれないけれど、それまでは傍に居たい。
そんな事を考えながら、私は帰り支度をするために治療師の女性に、お兄様と連絡が取りたいとお願いしていた。
服もないし、靴もない。
まだ体力も心許ないので、できればお兄様かルーファスが迎えに来てくれると良いのだけれど。
治療師の女性は、なんだか哀れむような視線を私に送り、私が何度お願いしても曖昧な言葉しか返してくれなかった。
不安になっていた私の元へと訪れたのは、三日ぶりに見るレオン様だった。
レオン様はどことなく陰のある、暗い顔をしている。いつもとは違うように感じられた。
「……アリス、怪我はもう良いのか」
私は礼をすると、頷く。
「はい。おかげで、傷も残りませんでしたわ。腕の良い治療師の方のおかげです。レオン様、王城の治療師の元へと連れてきてくださり、心遣い感謝いたしますわ」
私はもうレオン様の婚約者ではない。
レオン様は第一王子なので、礼節を弁えないといけない。
きちんとお礼を言うと、レオン様は一瞬傷ついたような表情を浮かべる。
「母ロザリンドが、お前の元へ来ただろう。……お前に罰を与えると大騒ぎしてな。……悪かったな」
「いえ。……王妃様のお話は、正当性のあるものでしたわ。私の行いは、レオン様の婚約者として相応しくありませんでした。私は婚約の破談を粛々と受け入れます。何も言う事はありません。レオン様、今までありがとうございました」
私はロザリンド様にきちんと言い返したので、もうすっきりしている。
明るい気持ちでレオン様にお礼を言った。
レオン様だって、私のようなつまらない女ともう関わらなくて良い。
婚約の破棄はお互いの為にとても良い判断だと言える。
「アリス。お前は、そうしてオスカーの元へ行くつもりか? 俺から離れたかったから、今回の騒動をわざと起こしたのか? そんなに俺が嫌いだったのか。それとも、そこまでするほどオスカーが良いと言う事か?」
レオン様が強く私の手首を掴んだ。
私は目を見開く。レオン様の瞳孔が激しい感情に呼応するようにして小さくなっている。
苛立ちに眉がきつく寄って、開かれた口の隙間からは尖った犬歯が見えた。
「それは違いますわ……、遺跡でのことは、私にも良く分からないのですが、不慮の事故のようなもので……」
「お前の兄ソルトが、過去あの遺跡で発見した遺物と大量の魔石を使い、お前の腕輪を作ったそうだ。魔力を集めて腕輪を遺跡に還せば、兵器としての遺跡が動き始めるとは理解していたと言っていた。ソルトはレミニス領に帰り謹慎している。お前の執事はまともな男だ。ソルトを見張れと命じ、同じく帰らせた。……アリス、お前も知っていて、騒動を起こしたんじゃないのか? 俺との婚約が破談になれば、オスカーの元へと行ける。オスカーと共に、それを計画したんじゃないのか?」
お兄様が元凶だとは分かっていたけれど、それ以外はレオン様の勘違いだ。
私は違うと首を振った。掴まれた腕が痛い。
怒りに自分を抑えきれなくなっているのか、レオン様の爪が鋭く伸びて食い込んでいる。
薄く、血が滲んだ。
「確かに俺は間違えた。……だから、やり直したい。傷つけてしまった分、お前を幸せにしたい。……オスカーには渡さない。アリス、お前の帰る場所はもうどこにもない。迎えも来ない。……お前は、投獄されるのだから」
「どうして……」
投獄という言葉に、私は驚いた。
そこまでの罪は犯していない。投獄されるのは重罪人だけだ。それなのに。
「あの遺跡は古い時代にクロイツベルト王国の人間が、アルテミス魔王国やリンドブルム獣王国と争うために作った、魔法兵器だと文献に残されていた。それを動かしたお前は、王国に反意のある大罪人だ、アリス。母上が、お前の投獄を望んでいる。……俺には、それは都合が良い」
「レオン様……。レオン様は、優しい方ですわ。……そんな横暴な事は、なさらないと信じています」
信じられなかった。
色々あったけれど、レオン様は非情な方ではないことを私は知っている。
それなのに今のレオン様はまるで、全く知らない別人のようだ。
「……心配しなくて良い。……投獄はしない」
レオン様は私の手を強く掴んだまま、苦し気な笑みを浮かべた。




