本音と建前と真実と真相と 2
オスカー様の澄んだ空を連想させる青い双眸が、見開かれる。
驚かれただろうし、呆れられたかもしれない。今言うべきことではないのは分かっている。
それでも、私にとっては言わなければいけないことだ。
遺跡の縦揺れは収まったけれど、パラパラと天井から石のかけらや砂粒が落ちてきている。
外がどんな状況か確認しなければいけない。
それに、出来るだけ早くここから出た方が良いのだろう。
分かっているのだけれど、それでも今まで伝えられなかった言葉が堰を切ったようにあふれてくる。
「ごめなさい……っ、良くないことは、分かっています。私の立場も、駄目な事も、理解してます。それでも、私はオスカー様が好きで、だから少しでも傍に居たくて、沢山迷惑をかけてしまいました。今だって、私のせいでこんなことになったのに、助けに来てくれたのが嬉しくて……。ごめんなさい、……私」
「……アリスベル様」
伸ばされた手が、私の頬を撫でる。
涙を払い、髪に指先が絡んだ。
「……私もずっと、あなたを想っていました。あなたと礼拝堂で会った時から、美しく、儚く健気で、気丈なあなたを。王国の騎士としてではなく、自分自身として、オスカー・ストライドとして守りたいと。あなたが私の元へ姿を見せてくれる度に、こんな幸福があって良いのかと、密やかに喜びに震え、それがいつか失われること考える度に自暴自棄になり、何もかもを捨て去ってあなたを攫ってしまおうとさえ思う自分が、恐ろしかった」
これは、夢ではないのだろうか。
もしこれが、私は未だ蔦の中にいて、呼吸が出来ずに意識が落ちていく間際の夢だったら。
けれどオスカー様の掌は暖かくて、切なげに寄せられた眉も、丁寧で落ち着いた低い声も、手を伸ばせばすぐに届く距離にある体も、それから不吉な音を立てて軋む遺跡も、痛む体も現実味を帯びていて、躊躇うように抱きしめられると溢れる感情で胸がいっぱいになった。
「アリス。……今だけは、そう呼んでも?」
「今だけじゃなくて、ずっとそう呼んでください。王妃になんて、なりたくない。ただのアリスとして、あなたの傍に居たい」
「……愛してる、アリス。……この感情は、ずっと伏せているつもりだった。あなたを困らせたくなかったし、伝えてしまえば、友人として俺に接してくれるあなたが、俺と距離を置くかもしれないことが嫌だった。……狡くて、自分勝手でしょう、俺は。挙句の果てに、あなたに先に言わせてしまうなんて、情けない」
言葉と共に抱きしめる力が強くなる。
泣きたくなるほど幸せだ。轟音と共に遺跡が崩れていっているのが分かるけれど、少しも怖くない。
オスカー様の腕の中は王国一安全な場所なのだから。
「私も、自分の気持ちから逃げていました。……でも最後かもしれないから、伝えないと後悔すると思って。そうじゃなければきっと、ずっと気づかないふりをしていたと思います。言えて、良かった。……聞いてくださって、ありがとうございました」
聖クロノス騎士団長として、ストライド家の長男として、勿論それに相応しい実力も伴っているオスカー様には華々しい未来が約束されている。
私の事でその未来に傷をつけて欲しくない。
伝えられて、受け入れてもらえて、私は十分幸せだった。
オスカー様は優しいから、私を拒絶するようなことはしないだろうけれど、それは今だけで構わないと思う。
いつもの日常に戻れば、忘れられるだろう。たぶん、きっと。
「これで終わりのような言い方ですね。……ここから出たら、全て無かったことにしろと?」
オスカー様の声音に、苛立ちが滲んでる。
驚いて顔をあげた私の瞳に、嫣然と笑みを浮かべるオスカー様の顔が映る。
あぁ、怒っている。
怒っているような表情の時が多いオスカー様だけれど、本当に怒っている姿を見たのははじめてかもしれない。
「でも、私、もう迷惑をかけるのは嫌で……」
これ以上は、駄目だ。
オスカー様の腕の中から離れようと、私は硬い胸を掌で押した。
けれどびくともしなくて、それどころか更に距離が縮まる。オスカー様の深い赤色の髪が、私の頬に触れるぐらいに顔が近い。視界がぼやける。
唇に柔らかい感触がある。唇が重なっているのが分かり、私は緊張で体を強張らせた。
羞恥心と嬉しさと、罪悪感と、もう何が何だか分からない。
顔に熱が集まって、頭が沸騰しそうになっている。
「愛しています、アリス。私は、……あなたを逃がすつもりはない」
そっと離れたオスカー様が、低い声で言う。
獲物を前にしたような射貫くような瞳と、自信に満ちた笑み。
それは誰よりも強く、獰猛な、誠実さの下に隠されていた戦士としての野性味を帯びたオスカー様の姿だ。
きっとマリアンヌだったら『オスカー様、素敵!』と悲鳴を上げていただろう。
「うぅ……、オスカー様、好き……、素敵……!」
混乱した私は助けを求めるようにマリアンヌの事を考えていたせいか、つい、本音が漏れてしまった。
著しく知能が下がったような事を言ってしまった。
もう、泣きたい。
難しいことを考えないようにしてしまえば、私の本音なんてそんなものだ。
オスカー様、好き。素敵、格好良い。
時折変わる口調とか、普段は適切な距離を保っているのに、時々強引になるところとか、反則だと思う。
好き過ぎて駄目だ。直視できない。
「アリス。私は必ずあなたを手に入れます。誰にも、渡さない」
私は何も言えなくて、こくこくと頷いた。
良くマリアンヌが私の頭の中で大声で騒いでいたけれど、彼女の気持ちが理解できる気がする。
オスカー様、素敵。
他の事なんてどうでもよくなってしまうぐらい、オスカー様が素敵。
遺跡が崩れていく。私を抱えたオスカー様はまだ生きていた転移装置を使用して、もしかしたら最後かもしれないと思っていた私が馬鹿みたいなぐらいに、それはもう簡単に遺跡から脱出してくれた。
怪我を負っていたことなどまるで無かったように、オスカー様は軽々と私を抱いて走り、遺跡から離れる。
安全な小道まで来ると、背後を振り返った。
三角錐型の遺跡はもう元の形を保っていない。遺跡全体が大きなシャボン玉に包まれるように、不思議な色合いの結界に包まれて揺らめいて見える。
グレイ先生の魔法のようだ。遥か上空に、立派な翼を広げたグレイ先生が浮かんでいる。
崩壊と共に飛んでくる石つぶてや、岩は、結界にぶつかると溶けるように消え失せた。崩壊の衝撃で街に被害が及ばないようにしてくれているのだろう。
珍しく翼を使い空に浮かんでいたグレイ先生は、完全に遺跡が崩れて瓦礫の山になったのを見届けると、私達の前へと降りてくる。
「心配はそれ程していなかったが、二人とも無事でなによりだ。オスカー君は、随分と酷い怪我をしたようだね。あとで、ゆっくり話を聞かせて貰うとして、遺跡ゴーレムは崩れた。もう魔力も感じない。一先ず、問題はないだろう」
「遺跡ゴーレム?」
オスカー様が首を傾げる。
確かに遺跡の中には沢山のゴーレムが湧いていたけれど、外も同じような状況だったのだろうか。
「遺跡ゴーレムについては……、街に戻れば、きっとコゼット君が嫌という程話してくれるだろう。……さぁ、帰ろう。体を清めて、ゆっくり休みなさい」
グレイ先生が、いたわるように優しく言った。
軽く指を振ると、景色が揺れる。
グレイ先生と私たちは、一瞬で街に戻っていた。
街の人々は一か所に集められ、騎士科の生徒たちが避難の指示をしているようだった。
姿を見せた私たちに、クロード先輩が駆け寄ってくる。グレイ先生が状況を伝え、避難の指示が解除されると、皆安堵したようにそれぞれの家へと戻っていく。
大きな混乱は起こっていないように見えた。
「アリス、無事か!」
名前を呼ばれて顔をあげた私が見たのは、駆け寄ってくるレオン様だった。
遺跡の異常を聞いて、駆けつけてくれたのだろうか。私が遺跡の奥に閉じ込められていたのはそんなに長い時間ではなかった気がするけれど。
レオン様の背後には、宮廷魔導士の方が控えている。転移魔法を使える方なのかもしれない。
オスカー様に抱かれていた私を見て、レオン様は深刻な表情を浮かべる。
「アリス、この血は……!」
「……私は、大丈夫です。怪我をしたのは、オスカー様で……、守っていただきました」
「そうか。……オスカー、アリスを守ってくれて感謝する。怪我を癒し、休め。アリスは俺が連れて帰る」
「レオン様、私は……!」
レオン様はオスカー様から、私をやや強引に引き剥がして抱き上げる。
私は降ろしてもらおうとしたけれど、「黙っていろ」と言って睨まれてしまい、何も言う事が出来なかった。
オスカー様も、礼をしただけでそれ以上は何も言わず、私は皆と話すこともできないまま、レオン様の連れていた宮廷魔導士の転移魔法によって、学園へと連れ戻されてしまった。
学園に連れ戻されたと思っていたのだけれど、転移魔法で辿り着いた先は王城の中の治療院だった。
白い部屋に、大きなベッドが一つ置いてある。
視線を巡らせると、隣室にはいくつかのベッドが並んでいる。私がいるのは、個室なのだろう。
白い羽のある魔族の方が、私を抱き上げているレオン様の前に立っている。布地の多い白い服の胸の部分に、赤い十字架がある。
王城の治療師の方を初めて見たけれど、銀色の髪の美しい魔族の女性だった。
「かなり、消耗されていますね。体中に傷がありますし、臓腑にも、傷が。……ご無事でなによりでした」
「治せ。肌の傷が残らないように、確実に治療をしろ」
レオン様の声が、冷たい。
とても、怒っている。最近のレオン様は驚くほど優しかったので、今はなんだか怖い。
「はい。……傷は治せますが、消耗の回復の為には三日は起きずに静養をしていただきます。さぁ、王子は退出を。服を取り替えますので」
魔族の治療師の女性は、レオン様を真っ直ぐに見据えると物怖じせずにはっきりと言った。
レオン様の迫力に圧倒されて何も言えなかった私とは大違いだ。
でも、どうしよう。私はレオン様を裏切っている。罪悪感は感じるけれど、それでもオスカー様が好きだ。
きちんと、伝えないと。
オスカー様の傍にいた時は感じなかったのに、急に感覚が戻ってきたように体中が痛み出すのが分かる。
レオン様は渋々といった様子で私をベッドに戻した。
白いシーツが血で汚れるのが気になったけれど、それどころじゃないぐらいに体が痛くて、とても、眠たい。
暖かい光に包まれるのを感じる。
私の意識は、ゆっくりと水底に沈むように落ちていった。




