本音と建前と真実と真相と 1
何度も、名前を呼ばれている気がした。
愛しくてとても安心できる声がする。
最初に思い浮かんだのはマリアンヌだった。
マリアンヌと出会い、私の世界は変わっていった。
でも、違う。
私は――マリアンヌに言われたんだっけ。
ここではないどこか知らない場所で、自分の世界と向き合いなさいと。
はっとして、目を開いた。
私は相変わらず窮屈な太い蔦によって絡めとられていて、まるで遺跡の一部になってしまったようだ。
顔と体の一部だけは無事だけれど、あとは蔦の下で見ることができない。
遺跡は断続的に揺れている。
何が起こっているのかは全く分からないけれど、蔦の下で私の腕輪が鈍く光り続けているのが分かる。
腕輪の魔晶石からはかなりの魔力を吸い取られたような気がしたけれど、まだ残っているようだ。
「アリス!」
切羽詰まった、私の名を呼ぶ声。
視線を向けると、そこにいたのは無数の石でできた人のような物を切り崩しているオスカー様だった。
私は返事をしようとしたけれど、声が出ない。
胸が圧迫されていて、呼吸が難しく上手く話すことができない。
軽く咳込んで、苦しさに私は俯いた。
どうしてこんなことに。
頭の中でお兄様が「だってアリスが可愛いから、つい苛めたくなって」と悪びれもせずに笑っている。
どうしてもなにも絶対お兄様だ。
流石の私でも繰り返し騙されてきているので分かる。
確証もなく人を疑ってはいけないのだけれど、腕輪は光っているし、魔力は吸われているし。偶然だとはとても思えない。
人型の石のようなもの。あれは、確かゴーレムという魔物だっただろうか。
それらは数が多く、切り崩してもすぐに積み木のように合わさって、再び元に戻ってしまう。
オスカー様はここに辿り着くまでずっと戦っていたのだろうか。剣は刃こぼれし、魔石が嵌め込まれた短剣は、魔石が崩れ去ろうとしている。
「今、助けます。浅く、呼吸を。肺が潰れないように」
オスカー様の声が聞こえ、私は言われたとおりに浅い呼吸を繰り返した。幾分か頭がはっきりしてくる。
酸欠で、意識が飛びそうになっていたのだろう。
暗くなっていた視界に光が戻った。
「……全てを粉砕する獣の王、フェンリル!」
オスカー様の短剣の魔石が輝く。詠唱と共に、残された魔力が刀身を黄金に染める。
四方全てが目に見えない速さで切り割かれたようだ。オスカー様を囲んでいたゴーレムたちは、内側から粉々に弾け飛び、砂へと姿を変えた。
全ての魔力を使い果たして、短剣の魔石が崩れ落ちる。
オスカー様は短剣を無造作に捨てる。私に向かって走り、私を拘束する蔦のようなものを切り割いた。
自由になった手で、私はオスカー様に手を伸ばす。
しかし、蔦は再び物凄い早さで修復され、私は再び蔦の中へと閉じ込められた。
オスカー様の小さな舌打ちが聞こえる。珍しく、焦っているように見えた。
「腕輪から、無尽蔵に魔力が供給されているのか……?」
攻撃を受けた蔦が目を覚ましたように、何本もオスカー様に向けて鋭利な先端を伸ばしその体を貫こうとする。
オスカー様は蔦を避け、切り落とし、再び私の拘束を解こうと蔦を切り刻むけれど、それは瞬く間に修復されてしまう。
そして修復される度に、その蔦は更にきつく私を拘束した。
苦しい。
体が痛い。
視界が、黒く染まっていく。
「アリス……!」
こんな時だけれど、オスカー様が私をアリスと呼んでくださるのが嬉しかった。
これは、罰なのかしら。
多くを求めてしまった、私への罰。
私は――
「意識を集中しろ、アリス。その腕輪は、腕輪の主人は、あなただ。俺の声が届いているか、しっかりしろ!」
再び落ちかけていた意識が戻る。
目の前にオスカー様がいる。
オスカー様の体にも、蔦が絡みついているのが見える。その蔦にしがみ付き、無理やり私に近づいて必死に声をかけてくれている。
弱気になってはいけない。私が蒔いた種なのだから、自分自身でなんとかしないと。
違う。一人じゃない。オスカー様が傍に居る。
腕輪の主は、私。その言葉を心の中で何度も反芻する。
「腕輪に意識を集中させて、俺と同じ詠唱を」
私はオスカー様を見つめて、頷いた。
「零と無限の狭間にある者、時空を統べる支配者、我らが父なる神、全てを無に返せ、クロノス!」
クロノス様。
私の大切な、心の支え。
ずっと祈りを捧げてきた。そうすると、どれ程辛くても頑張れる気がした。クロノス様だけは、見ていてくれているから大丈夫だと思えた。
「……零と、無限の狭間……、時空、の、支配者……、我らが、神……クロノス様……!」
息を切らしながら、なんとかそれだけを小さな声で紡ぐ。
これじゃ、駄目。
全然駄目だ。きちんと言えなかった。
詠唱さえまともにできないのに、魔法なんて大して使えないのに、オスカー様に少しでも認められたいだなんて、思ってしまった。少しでも、近づきたいと思ってしまった。
だから、こんなところまで来てしまった。
なんて、愚かなのだろう。
涙があふれて、零れる。
『やだ、泣くんじゃないわよ。あんたの祈りは、ずうっと、ちゃんと、聞こえてるわ!』
何故か、マリアンヌの声がした。
体の内側から激しい力が湧き上がってくるのが分かる。
腕が重い。千切れるように、痛い。
私を取り囲んでいた蔦が、渦を巻いて腕輪を中心として湧き出た暗黒を凝縮したような球体へと吸収されていく。
それはほんの一瞬の事で、蔦は消え去り、ぼこぼこと増えていっていたゴーレムも消え去り、元に戻った宝物庫の祭壇は真っ二つに割れていた。
拘束するものがなくなって、倒れそうになった私をオスカー様が支えてくれる。
その衣服には、じわりと赤い染みが滲んでいる。
「オスカー様、怪我を……、今、治療をしますので……!」
祭壇の上に私を支えたまま座り込んだオスカー様に、私は両手を翳した。
治療魔法はちゃんと習ってきた。大丈夫、私にはできる。
治療のための詠唱を唱えると、柔らかい光がオスカー様の体を包んだ。
大丈夫だろうか、治っただろうか、服が赤い。こんなに、沢山の血が、流れている。
泣きそうになる自分を叱咤する。泣いている場合ではない。私は何度か繰り返し、治癒魔法を唱える。遺跡に魔力を吸収されていた魔晶石は、不吉な赤色から力を失った黒色へと変化していく。
「生命の樹の祝福よ、全ての傷を癒し浄化せよ、女神エイルよ!」
ぼろぼろと、魔晶石と共に腕輪が崩れていく。
オスカー様の状態は分からないけれど、かなり酷い傷を負っているように見える。深く目を閉じて浅い息をつくオスカー様の大きな体が倒れないように、必死に抱えた。
ぐっしょりと黒い制服を濡らしている赤い血が、私の両腕も汚していく。なんて、酷い。私のせいだ。
「……俺は……、私は、大丈夫です。落ち着いてください、アリスベル様」
崩れていく腕輪の粒子をかき集めて、私は再び治療魔法を唱えようとした。
オスカー様が私の手を掴んで、しっかりと目を開き私を見つめている。
やや蒼褪めてはいるけれど、呼吸は深くゆっくりと落ち着いている。声にも、力が戻っている。
私は詠唱を辞め、その代わりにオスカー様の顔を両腕で抱きしめた。
「オスカー様……!」
無事で、良かった。
このままオスカー様の命が失われてしまったらと思うと、どうにかなってしまいそうだった。
オスカー様は私の背中に優しく手をまわして、落ち着かせるようにゆっくりと撫でてくれる。
「……ありがとうございます。……アリスベル様、私はあなたを守ると誓ったのに、……助けに来たのに、何もできなかった。……情けない限りです」
「……そんなことはありませんわ! 怪我は? 痛くはありませんか? 傷を見せてください!」
私の体は、拘束がとけてしまえば怠さが残っているけれどなんともない。
それよりも、オスカー様は、今の治療魔法できちんと怪我が治っているだろうか。
オスカー様に縋りつくように抱き着いていた私は、そんな事をしている場合ではないと気づいて無理やりオスカー様の制服の前を開く。
白いシャツは赤く染まり、背中を中心に赤い染みが広がっていた。血にまみれていて良く分からないけれど、新しい鮮血は溢れてはいないように見える。傷は塞がっている。
黒い制服の背中はぼろぼろに破けている。よく見れば、シャツの背中もずたずたになっていた。
鋭利な蔦が背中を貫いたような痕跡だ。息が詰まりそうになった。
「……、オスカー様、ごめんなさい。私のせいで、酷い怪我を……!」
「傷は、今塞いで頂きました。怪我を負ったのは私の力が到らなかったからです。……本当に、情けない」
「違います、オスカー様……、私………、私は……」
私のせい。
私が男子生徒に混じって遺跡探索に行くことを望んだから。
戦う事に慣れてもいないのに、魔法を覚えたいと望み、魔物を討伐しにいこうなんて思ったから。
それは、いままでの自分を無くした次期王妃としてのアリスベルから逸脱したいと望んだから。
でも、それなら別に、魔法でなくても良かった筈だ。私はどこに行っても足手纏いだし、当たり前だけれど、オスカー様のようには戦えないのだから。
それでも、それを望んだのは。
それは、きっと。
言い訳ばかりしてきたけれど、本心から目を背けてばかりいたけれど、私は本当はずっと――
「オスカー様……、私、あなたが、好きです」
気持ちは、きちんと伝えなければ後悔する。
もし私が蔦に飲まれていたら。オスカー様の心臓が、蔦に貫かれていたら。
伝えることがでずに終わっていた。
今言わないと、きっと後悔する。
手は血だらけだし、髪も服もぼろぼろで、こんな状態で言う様な言葉ではないかもしれないけれど。
声が震える。
不安と恥ずかしさと、愛しさと喜びと、色んな感情で胸がいっぱいになり、きつく閉じた瞼の端から涙が落ちた。




