魔性のグレイ先生
放課後になり、私は三人分の用紙を鞄にしまうとグレイ先生の元へ向かった。
私のほかにも提出しにいく生徒達の姿がちらほらいる。
女生徒は基本的に不参加なので、男子生徒ばかりだ。
何人かの方に「アリスベル様も、校外学習に参加を?」と驚いたように話しかけられた。
そのうちの何人かは「アリスベル様は、コゼット・デンゼリンと仲が良いですしね」と納得していたので、コゼットの武勇伝はある程度知れ渡っているのだろう。
何となくグレイ先生と二人きりになるというのは緊張する。
私は扉の前で一度立ち止まった。
深呼吸を一度行う。参加用紙を渡しに来ただけだと、自分に言い聞かせる。
『わかるわよぉ、アリスちゃん。グレイ先生とアリスちゃんが二人きりとか、魔王の前に生贄の子羊を差し出してるようなもんだもの。遠くから案件アラームを鳴らすぐらいしかできなくてごめんねぇ、今回のあたしに抜かりはないわ、更にレベルアップした案件アラームを準備してきたからねぇ』
「マリアンヌちゃん、私未だに良く、その案件、というのがわかりませんわ」
『案件っていうのはまぁ、審議が必要な事柄って意味よ。つまりぃ、あたしの中ではグレイ先生がアリスちゃんに手を出すことについて、審議が必要な訳』
「審議ですか……?」
手を出す前提で話をするのはどうかと思うけれど、マリアンヌに注意しても無駄なのはもう分かっているので、口を挟まないことにした。
グレイ先生が個人的に私に興味を持つなんてありえないと思う。
コゼットとグレイ先生が恋愛関係になるというのも、今のコゼットとグレイ先生の様子を見ていると、そんな未来があるのかしらと疑問だけれど。
男女のそういったことに詳しい私ではないので、考えるだけ無駄かもしれない。
『相変わらずの自虐おブスねぇ、アリスちゃん。あんたは花も恥じらう十六歳、無自覚で無防備な挙句、馬鹿正直で初心なあたしの可愛いアリスちゃんだわよ? グレイ先生がつい構いたくなっても当然じゃない。グレイ先生といえば年齢不詳のスパダリ魔界の王子様よ。無垢で真っ白なアリスちゃんと比べたら百戦錬磨、ちょっと分が悪すぎるわよ。コロコロいちころよ、飛んで火にいる夏の虫ぐらいにいちころよ? どうする? どうしちゃうの? ちょっと強烈過ぎるわ。ということで、アリスちゃん。案件アラームが分かりにくければ、審議判定でも良いわよ? アリスちゃん的には、案件って叫ばれるのと、審議って叫ばれるの、どっちが良い?』
「叫ぶのは確定なのですね……」
意味はなんとなく分かったので、どちらでも構わない。
飛んで火にいる夏の虫ぐらいにいちころになる私というのは、かなり容易に想像できてしまい、私はもう一度気を引き締める。
扉を開こうと手を伸ばすと、私が開く前に勝手に内側から扉が開かれた。
グレイ先生は奥にある書類や本が詰まれた仕事机に座っていて、優雅に指先だけを扉に向けている。
魔力を使って扉を開いたのだろう。
開かれた扉の前で立ち尽くす私に、中に入れと手招きしてくれる。
礼をして「失礼します」と言い、私は部屋に入った。私の背後で、ばたんと勝手に扉が閉まった。
「いらっしゃい、アリスベル君。誰かと話していた?」
「い、いえ……、騎士科志望の男子生徒の方々には、声をかけられましたけれど」
扉の外でマリアンヌと会話をしていたのが聞こえていただろうか。
マリアンヌの声が聞こえることについて隠さなければいけないという制約があるわけではないけれど、私は何となく焦って首を振った。
グレイ先生は納得したのかしていないのかよく分からないいつも通りの表情で、小さく頷いてくれた。
「そう。……この時間に僕の元に来るのは、校外学習の参加証を届けに来る生徒が大半だ。君がそこに混じっていたら、目立つだろう。……シャルル君とコゼット君が君の傍にいないのは珍しいから、声をかけたくもなるのだろうね」
「確かに私のほかには女生徒はいませんでしたし、目立ったとは思いますわ。……皆、真面目に騎士を志望して参加証を提出しに来ているのに私が混じってしまって、不愉快にさせてしまったかもしれません。……申し訳なく思いますわ」
「アリスベル君に話しかける生徒達に、君に好意を持つ者があったとしても、不愉快に思っている者はいないとは思う。普段はレオン王子やオスカー君が怖くて、遠慮をしている者も多いようだからね。だから、気にすることはない。君が校外学習の参加を希望することに関して、問題は特にない」
グレイ先生の指先が少し動くと、私の持っていた鞄がぱちりと開いた。
勝手に三人分の参加用紙が鞄からふわりと抜け出して、グレイ先生の手元に飛んでいく。
三枚の紙を手に取ったグレイ先生は、用紙に視線を落としてその内容を確認した。
何気ない仕草なのに、何をしても様になる。
『なんていうか、年頃の女子たちの道を踏み外させる恐ろしい魔性の見た目の先生ねぇ……、問題は他人に対してあんまり関心がないっていうところなんだけどぉ、それだけに関心を持った時の反動が恐ろしいのよねぇ』
マリアンヌが言う。
グレイ先生は皆に平等に優しいし、生徒たちに個人的に必要以上に関わったりはしない。
それが良いところだとは思うけれど、関心がないからだと言われれば、納得できてしまうような気もする。
用紙を提出し終わったので挨拶をして帰ろう思い、私は軽く会釈をした。
「コゼットと、シャルルと私、三人分です。シャルルは、遺跡が無理でも宿泊施設までの移動だけでも、参加したいと言っていました。……参加を却下されてしまうかもしれないと覚悟はしていますけれど、検討をよろしくお願いします。それでは、失礼致しました」
「アリスベル君は、急ぎの用があるのか?」
グレイ先生に呼び止められて、私は首を振った。
特に今日の放課後は用事がない。
だから私が用紙を提出に来たのだけど。
「特には……。何か、ありますでしょうか?」
「遺跡探索の参加証は受理した。君たち三人の参加は、問題ない。何せ整備された遺跡だから。コゼット君もいることだし特に危険はない筈だ。ただ、君の……、その腕輪。……少し気になっていたんだ。見せてくれないか?」
「え、あ……は、はい……」
私が承諾すると、グレイ先生は音もなく立ち上がった。
腕輪を見せるために傍に行った私は、グレイ先生に手を引かれて応接用のソファへと座るように促される。
以前ここを訪れた時には正面に座っていたグレイ先生だけれど、今日は腕輪が傍で見たいからか、私の真横へと腰を下ろした。
背後から腕を回し、私の手首を掴む。
姿勢的にどうしてもグレイ先生にしな垂れかかるようになってしまった私は、必死ではだけそうになってしまったスカートの裾を自由な方の手で引っ張った。
『審議よ! 審議が入りますわよー!』
奇妙な笛の音と共に、マリアンヌの審議が入る。
確かにこの至近距離は必要なのかしら。
二人で並んでソファに座って、ほぼ背後から抱きしめられているような姿勢は、教師と生徒としては正しくないのではないかしら。
内心とても慌てている私を後目に、グレイ先生はじっと魔晶石の腕輪を眺めて、それからじゃれるように私の指先に自分の指を絡めた。
『ひええええっ、犯罪よおおおっ!』
マリアンヌが叫ぶ。
私は大変な罪を犯してしまった。
確かに、これは駄目だと私でも分かる。
グレイ先生のしなやかな長い指が私の指先と触れ合い、擦れ、離れていく。
私は顔を真っ赤にしながら何も言えずに、陸に上がった魚のようにぱくぱくと息をすることしかできない。
「……君の手は、小さくて柔らかいのに、随分と背徳的なものを身に着けているようだね」
「私、神を冒涜するようなことはけっして……っ、クロノス様への信仰は本物で……っ」
『大丈夫よ、知ってるわよ、知ってるからね、アリスちゃん! あんたの信心深さはあたしがよおおく知ってるわよー!』
背徳的という言葉に衝撃を受けた私を、マリアンヌが励ましてくれる。
もしかして、クロノス様を冒涜するような行為を気付かないうちにしてしまっていたのだろうか。
だとしたら、私はどうしたら良いのだろう。
グレイ先生の言葉の意味を知りたくて、その顔を見上げる。
秀麗な顔にどことなく蠱惑的な表情を浮かべ、グレイ先生は薄い唇を開いた。
「ソルト君は魔石を使って武具を作るのが趣味だと聞いたことはあるが、これは……、かなり珍しいものだね。多量の魔力を凝縮して、無理やり古代の術式を捻じ込んだものだ。……多くの魔力を吸収している」
「お兄様が私に下さったのですけれど。……よくないものなら、外しますわ」
「いや、悪いものでもないとは思う。背徳的と言ったのは、僕たち魔族も魔物と同じで命を失えば魔石へと変わる。だから、沢山の魔石を溶け合わせた結晶が、生命の煮凝りのように感じられたんだ。あまり、深く気にすることはない。……清廉な心を持った君の腕にこのような淀んだものがあるのかと思うと、少し、ね」
「そ、それは、やっぱりあまり良くないものなのでは……。生命への冒涜、なのではないでしょうか……?」
「そうでもないよ。魔石は、魔力が籠ったただの物体だ。魔族が命を失って魔石に変わることは、人が命を無くして空っぽの遺体になるのと同じ。どちらもただの、物体だろう」
「物体ではありませんわ……、亡くなっても、思い出は残りますもの。記憶は、ずっと残りますわ。それが魔族の方々の魔石でも、私達人の遺体でも、その人であることは変わりありません」
「それなら、……もし僕が魔石になって、君の腕輪の一部になったら、アリスベル君はその腕輪を僕だと思って、ずっと大切にしてくれるということかな?」
どこか切なげに、グレイ先生が言う。
私は目を見開くと、体勢の恥ずかしさも忘れてぶんぶんと首を振った。
「先生、それはいけませんわ。縁起でもないことを言わないでくださいまし。そんなことになってしまったら、私はずっと立ち直れません。先生はお強いですし、そんなことは起こりませんわ!」
「……そうだね、ありがとう。……アリスベル君、不安にさせるようなことを言ってすまないね。魔石になって君の腕輪の中で永遠を手に入れることが、魅力的に思えてしまったんだ。でも……そうだね、それなりに、本気だった」
グレイ先生の指先が、私の腕輪を撫でて、それからむき出しの腕を包むように辿る。
耳元で秘密を共有するように囁かれた声に、体が震える。
『駄目なやつよ、全年齢では駄目なやつよおおお……っ!』
「せ、先生、せんせ……っ、失礼、します……!」
マリアンヌの怒声に我にかえった私は、慌てて立ち上がると、逃げるように部屋を後にした。
廊下を走ってはいけないと、シャルルはよくコゼットに言っているけれど、今日ばかりは許してほしい。
「危ないところでしたわ……!」
小走りに廊下を寮に向かって戻りながら、私は呟いた。
『危ないところだったっていうか、あたしから見たらアウトだったわよぉ!』
「マリアンヌちゃん、グレイ先生は、何を考えているのか良く分かりませんわ……!」
『魔族だからねぇ!』
そうね、魔族だから。
魔族だから、仕方ないのかもしれない。
なるだけ二人きりにならないようにしようと、私は心底思う。
嫌とかそういうわけではなくて、毎回こんな対応をされると、心臓がいくつあっても足りないからである。




