デンゼリン家の事情
五の月の試験の結果が、廊下に張り出されている。
一学年では、私が一位、シャルルが二位。
授業中に寝てばかりいる気がするのにいつ勉強しているのだろうか、コゼットは五位に食い込んでいた。
「コゼットはいつ勉強してるのかしらね、こんなんでも成績が良いとか、不思議だわ」
本当に不思議そうに言うシャルルに、コゼットは可愛らしく小首を傾げた。
「勉強は特にしてませんけど、授業はそれとなく聞いてるので内容はちゃんと覚えてますよ?」
「それとなく聞いてるんじゃないわよ、ちゃんと聞きなさいよ」
きちんと努力している人たちに失礼だと、シャルルは憤慨した。
三人で並んで試験結果を見ながら話していると、廊下の向こう側からレオン様とティグレ様がやってきた。
廊下には他の学年の成績も貼り出されている。
レオン様は三学年の中で一位、オスカー様は三位、ソルトお兄様は十三位、ティグレ様は二学年の中で一位。
ソルトお兄様の結果についてやや気になるのだけれど、お兄様は個人的な研究にしか興味の無い方なので仕方ないといえば仕方ない。
コゼットと同じで勉強はしていないだろうし、授業も頭に入っていない可能性の方が高い。
それでも順位がそこまで悪くないのは、恐らく魔法学や魔物学、地学や薬学など、研究に必要な分野の成績がやたらと良いからなのだろう。
「流石は俺のアリス! 一位だったのか、素晴らしいな!」
レオン様が私の横に並んで褒めて下さる。
最近のレオン様は私の事をアリスベルではなく、アリスと呼ぶことが多い。
特に文句はないし、レオン様の態度の御蔭かいつの間にかコゼットとレオン様を巡って対立しているという噂は消えてしまった。
以前は私のためといってコゼットに詰め寄る女生徒がいたものだけれど、今はそれもない。
レオン様の態度もあるだろうし、コゼットも私にぴったりくっついているので、噂が入り込む隙がなくなったのかもしれない。
シャルルの話では「今の流行はレオン様とオスカーのアリスを巡っての争いの噂ね。オスカーは自分からアリスの元に来るような人ではないでしょ? 女生徒達はあくまで騎士としての態度を崩さないオスカー様が健気だと言って応援してるわよ」ということだ。
私とオスカー様は友人だと説明すると、とてつもなく胡散臭そうにしていた。
胡散臭そうにしながら私の頬をつつき「年頃の男女に友情は成立しないわよ」と言っていた。
私とマリアンヌも年頃の男女だけれど、友人だと思っている。
なんだかよく分からないけれど、つまりオスカー様と私は友人で、私はオスカー様に友人だと思っていただければそれで幸せだし、それ以上は望んでいない。
望んでは、いけない。
『でもぉ、オスカー様がアリスちゃんのお友達、だとしても、洞窟の中で抱きしめられてドキドキしたでしょ、アリスちゃん?』
不意にマリアンヌに話しかけられて、私は息を詰める。
顔に熱が集まりそうになって、頬を押さえた。
洞窟探索の後学園まで送ってもらい、それからオスカー様には会っていない。
崩れてしまった洞窟の調査と、魔物の異常発生の調査を行うと言っていた。きっと忙しいだろうし、試験もあったので会いにはいかなかった。
時折あの時の事を思い出しては、私は恥ずかしさにベッドの上でごろごろ転がったりしていた。
学園の部屋に帰って確認したら、かなり無残に制服が溶けていたのだ。
ちょっと胸元がはだける程度の話ではなかった。
私はなんて姿を晒してしまったのかしら。今頃きっと呆れ果てられているわよね。
いや、オスカー様は優しい方なので呆れたりはしないだろうけれど、それにしても、私は自分の迂闊さについてかなり反省をした。
『いや、そこなの? まだお色気イベントのことを引きずってるの? そうじゃなくてぇ、暗い洞窟で二人きりで抱き合ったじゃない? それを思い出して悶絶しなさいよ、アリスちゃん、胸の事はもう良いわよ』
よくない。
『あんたたちの世界には社交界のパーティとかよくあるでしょ? 胸元はだけまくったドレスとか着るでしょ? 別にちょっと見られたぐらいで恥ずかしがることないじゃない』
胸元があいたドレスと、溶けて破れた制服を一緒にしないでほしい。
羞恥心が雲泥の差だ。
マリアンヌと話し込んでいた私は、はっと気づいてレオン様を見上げる。
そういえば話しかけられたんだった、すっかり忘れていた。
「レオン様も一位ですね、おめでとうございます」
「まぁ、一応は。次期国王としては、あまり情けない姿を見せられないしな。俺にも、多少は自覚がある」
このところ妙に必死なレオン様ばかり見ていたので、今日は普通にお話をしてくださって私は胸を撫でおろした。
急に距離を詰められると戸惑ってしまう。普通に日常会話をしてくださるぐらいで丁度良い。
「試験結果までオスカーに負けたら、レオンがオスカーよりも優れているところなんて何一つなくなると言って脅したんですよ。今回は珍しくかなり頑張っていましたね、レオン」
そっとシャルルの腰に手をまわそうとして、シャルルに嫌そうに拒否されながら、ティグレ様が言う。
「触らないでティグレ、邪魔、嫌、体温が高いのよティグレ、近づくだけで暑いわ」とシャルルに怒られて嬉しそうにしているティグレ様。
いつも通りの、よく見る光景だ。
私にとってはいつもの日常だけれど、この場所は他の生徒もいる。
にこやかだけれどどこか怖いティグレ様を罵倒しているシャルルを、他の生徒達がぎょっとしたような顔をしてみた後、視線を逸らして逃げていくのがなんだか申し訳ない。
「今回はたまたまオスカーが、試験期間だというのに魔物の異常発生の調査で休みがちだったので、勝てて良かったですね、レオン。二学年の生徒達の間では、どちらがアリスベルを手に入れるか、ちょっとした賭けまではじまっていますよ。僕はオスカーに賭けましたよ」
にこにこしながら恐ろしい事をティグレ様が言う。
私の腰に捕まってぐいぐいレオン様と私の間に割って入りながら、コゼットが口を開いた。
「その賭け、私は入っていないんですか? アリスベル様を手に入れるのは私なんですよ? 二学年の先輩方に言っておいてくださいね。ということは、皆負けですね~、つまり私の総どりじゃないですか」
「どうしてそうなるのよ。コゼット、あなたアリスをデンゼリン家に連れて帰るつもり?」
呆れ顔でシャルルが言う。
「はい! 私がレミニス家に行っても良いですけど、デンゼリン男爵ってばすぐ悪い人に騙されちゃうので、私がいないとちょっと心配ですねぇ……。この間来たお手紙に、商人から十万ゴールドの価値がある壷を六万ゴールドで買ったとか、おすすめの株に投資したとか、なんとか。これで私に生活費が送れるとか書いてあるんですよ。全く、お人よしですよね~」
コゼットの話に、私は記憶を巡らせる。
マリアンヌの話では、コゼットはデンゼリン男爵家で使用人のように働かされていて、卒業後は金持ちの後妻になるとか、かなり不幸な境遇ではなかったのだろうか。
コゼットの口調にそこまでの悲壮感はない。
それどころか、どことなく愛情さえ感じられる気がする。
一先ず私たちは他の生徒達の邪魔にならないように廊下の端に移動した。
「コゼット、デンゼリン男爵に虐められているのだと、私はずっと思っていましたけど……」
「アリスベル様ぁ、私の事を心配してくださっていたんですねぇ! はい、虐められてます、可哀想なコゼットちゃんなんですよぅ、だからぎゅって抱きしめてください~!」
ぎゅうぎゅうと腰にしがみ付いてくるコゼットを、シャルルがどこからか取り出した扇でぱしんと叩いた。
レオン様が物凄く嫌そうな表情でコゼットを見下ろしている。
コゼットはレオン様を完全にいないものとして扱っている。
少し前に裏庭で仲睦まじくしていたとは思えない犬猿の仲だ。
お互いに嫌いあっているのが良く分かるので、私を間に入れないでほしい。いたたまれない。
「虐められてる人間の態度とはとても思えないわ……。コゼット、本当のところどうなの? デンゼリン男爵家で苦労しているという噂は聞いたことがあるけど」
シャルルに言われて、コゼットは口をとがらせる。
「私の事も噂になってるんですか! 噂になるなら、私とアリスベル様の熱愛とかぁ、そういうのが良いですけど。苦労と言いますか、デンゼリン男爵家って、子供がいないから私を養子にしてくれたんですけど、かなぁりの貧乏なんですよね。メイドも雇えないし、奥様……、義理のお母さんですけど、奥様は家事とか一切できないから、私が代わりに全部やっていたという訳です。お二人とも私の魔物料理をそれはもう喜んで食べてくれますよ」
「そうなのね……。でもコゼット、大人しくしていないとデンゼリン男爵に怒られるとか、言っていなかったかしら?」
マリアンヌの言っていた状況とはかなり違う。
私が尋ねると、コゼットは明るく笑った。
「アリスベル様、私との会話を覚えてくれてるんですねぇ、もう、大好き。好きですよぅ」
「分かったわ、分かったから……」
「デンゼリン男爵が言うには、コゼットは黙ってれば可愛いんだからなるだけ黙っていなさいって。そうすればデンゼリン男爵家なんて貧乏な家の養子の私にも、良いご縁があるかもって期待してたんですよね。あと、私が貴族の方が多い学園で問題起こさないか心配で胃が痛いとかなんとか。無いお金を何とかかき集めて学園に入れてくれたので、私も大人しくしてたんですよ。ちょっと前までは」
「そういえば確かに大人しかったわね、一瞬ね……、今は見る影もないけど」
「やだなぁ、シャルル様。私はいつでも大人しくて可愛いコゼットちゃんじゃないですかぁ、どこからどう見ても。それはともかく、デンゼリン男爵ってば私の事心配する割に、ちょっと目を離すと悪い人に騙されてお金を取られちゃうんですよ。だから貧乏なんです。困ったものですねぇ。何回言っても、今度の投資は本当に儲かるかもしれないとか、相手が良い人だったとか、感じが良かったから大丈夫とか言うんですもん。そりゃ騙すために近づいてくるんだから、感じが良いに決まってるじゃないですか、ほんと困っちゃいますよね」
コゼットは深く溜息をついた。
確かにコゼットは苦労をしているようだけれど、私の考えていたものとは違う苦労の仕方をしているようだった。
『あらぁ、おかしいわねぇ。まぁ、今の状況ってあたしの知ってる……、なんていうか、物語とは全然違うし、コゼットちゃんの性格も違うし、だからコゼットちゃんの環境も変わったのかもしれないわねぇ』
マリアンヌが言う。
確かに今のコゼットは、マリアンヌの言っていたどの方とも親しいというようには見えないし、恋に落ちているようにも見えない。
マリアンヌに出会い私が変化したからなのだろうか、マリアンヌの言っていたお話の世界とは、確実に変わってきているような気がした。




