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放課後は実技訓練所で 3


 水色スライムは私の目の前で、ぷるぷると震えている。

 魔物に感情はないのだろうが、なんだか笑われているような気さえする。


「失敗、しました……」


「問題ありません。初めての詠唱で魔法が形作れる者の方が少ないのですから、むしろアリスベル様は優秀ですよ」


「そうなのですか……? 私、実技の授業はまだ行ったことがないので、良く知りませんでしたわ。詠唱さえ行えば大丈夫なのかと思っていました」


「それは多分、魔法を使う事を志す者は、大抵の場合幼い時から魔法を使用する練習を何度も行い慣れているので、一般的にはそう思われがちというだけです」


「お兄様が作った腕輪が壊れているという事はありませんの?」


「……どうでしょうか。……アリスベル様、手を」


 オスカー様は考えるように目を伏せた後、手を差し出した私の腕輪にそっと触れた。

 手を握られている訳ではないけれど、私のすぐ後ろにオスカー様がいるのが分かる。

 生真面目なオスカー様のことだから他意はないのだろうけれど、距離があまりにも近くて緊張してしまう。

 腕輪を貸して欲しいと言われたら、腕から抜き取って渡したのに。

 ――どうしよう、全く集中できない。


「狂乱の炎、炎獄のアグニ」


 私の知っている物とは違う、短い詠唱だった。

 腕輪が煌めく。

 ――轟音と共に、少し離れた水色スライムの居たはずの場所から、空まで届くような巨大な火柱があがる。

 風圧が、髪を揺らした。

 驚いてしまい姿勢を崩しそうになった私をオスカー様が支え、火柱から守るように背後に庇ってくれる。

 目がくらむような激しい光があふれたのは一瞬で、火柱はすぐに消えてしまった。

 大きく円形に焼けた草原の真ん中には、小さな魔石の欠片とぬめっとした透明な液体がふよふよ浮かんでいた。

 オスカー様が腕の中に居た私からそっと体を離し、不安そうに覗き込んでくる。


「アリスベル様、お怪我はありませんか。申し訳ありません……、これほどの威力が出るものとは思わず」


「大丈夫ですわ、驚きましたけれど……。流石はオスカー様ですわね、炎魔法がこれほど怖いものだとは知りませんでしたわ。気を付けて、使わなければいけないという良い戒めになりました」


「私がと言うよりも、ソルト様が作られた腕輪の性能なのだと思います。私達には魔力はありませんから、魔法の威力は魔石の力に依存しますので」


「それでも、魔石を使う才能には個人差がありますわ。私では、煙しか出ませんでしたもの……」


「いえ……。……威力を押さえなければ、今程の魔力を消費すると、魔石は魔力を失ってただの石に戻って砂になってしまうのですが、……まだ、この腕輪は生きていますね」


 興味深そうに私の腕をとって、オスカー様はしげしげと腕輪を眺めている。

 戦う機会が多い方なので、武器に興味があるのだろう。

 先程から抱きしめられたり腕を握られたりしている私は、真面目に腕輪の話をしたいのだけれど、どうしても気がそがれてしまう。

 私だけが意識してしまっているようなのが、なんだか恥ずかしい。

 そんな事を考えていると、水色スライムの居た場所に浮かんでいた小さな魔石の欠片が、赤い粒子となって私の腕輪に吸い込まれていった。


「……っ」


 驚いて体を震わせる私とは対照的に、オスカー様は落ち着いてはいるけれど、やはり興味深そうにじっとその様子を眺めている。

 まだ手を放してくれないのは、腕輪を近くで見たいからだろう。

 余程お兄様の作った腕輪に関心があるようだ。

 これはやはり、お兄様に剣の作成も頼んだ方が良いのかもしれない。


「なるほど、魔力を失わないというのは、こういうことなのですね。倒した魔物から零れた魔石を取り込み、失った魔力を自動的に回復する。それで、永久的に使えると」


「そ、そうみたいですね……」


 声に動揺が漏れてしまったかもしれない。

 それに気づいたのか、オスカー様は手を離してくれた。


「アリスベル様、ご無礼を」


「だ、大丈夫です。私、不慣れで……。レオン様以外の男性とはなるだけ話してはいけないと、家庭教師から躾けられてきましたので、少し緊張してしまって。……嫌だとか、そういうことではありませんの。だから、気にしないで欲しいのです」


 触れられることが嫌だとは思われたくない。

 言い訳のようになってしまったけれど、きちんと説明しておきたい。

 オスカー様は大丈夫だというように、一度頷いてくれた。


「……私も新しい武具のこととなると、周りが見えなくなってしまって」


「興味を持っていただけて何よりですわ。お兄様も喜びます」


「ソルト様の発明は素晴らしいですね。今度、詳しく話を聞いてみたいものです」


「是非そうしてください。お兄様に、伝えておきますわ」


 お兄様の魔石研究に理解を示す者は少ない。

 話を聞いてくれるというだけで、大喜びするとは想像に難くない。

 オスカー様は「ありがとうございます」と言った後、視線を焼けた野原に戻した。

 その場所には、未だ透明な丸い液体がふわふわ浮かんでいる。


「水色スライムの体液は回収しますか? 私には必要ありませんので、暫く放置しておけば消えてしまいますが」


「持ち帰っても良いのでしょうか?」


「勿論構いませんよ。体液はその名の通り液状なので、持ち帰るには瓶などに入れるか、素材回収用に作られた魔法石の鞄などを使用します。瓶なら、騎士訓練所の棚にあったと思うので、取りに行ってきますね」


「オスカー様、それなら私が!」


「そのような雑務をさせるのは……、アリスベル様はお待ちください」


「オスカー様! 私をただのアリスベルと扱ってほしいとお願いしましたわ。瓶ぐらい、取りに戻れます」


「……私も、一緒に」


「私も子供ではないのですから、一人で瓶ぐらい取りに行くことができますわ」


 私が水色スライムの体液を持ち帰るための瓶なのだから、私が取りに行くべきだろう。

 渋々といった様子で「わかりました、気を付けて行ってきてください」と頷くオスカー様に、私は自分で何かをすることを認めてもらえたことが嬉しくて、勝手に口元が緩むのを感じた。

 軽く会釈して騎士訓練所に向かって走り出す。


 私を見守っているオスカー様から離れて、騎士訓練所まで半分といった距離のところで、唐突に激しい風が吹いた。

 地響きのような音と共に、吹き飛ばされるような強い風が広場に吹き荒れた。


 ――私の目の前に、どこからともなく現れた赤黒い物体が舞い降りてくる。

 その巨大な物体の太い脚が大地に突き刺さるようにして着地すると、足元の地面が激しく揺れた。

 巨体よりも大きな羽が、体を覆っている。

 羽は垂れて、野原に巨大な影を作っていた。

 私の視界にあった騎士訓練所の建物を覆い隠してしまうほどに大きなそれは、竜と呼ばれる魔物だった。


『ひぇええええっ、アリスちゃああん、逃げなさい、逃げなさああいっ!』


 マリアンヌが動揺した声で叫んだ。


『アリスちゃんとオスカー様の甘酸っぱい青春の尊さに涙を流していた私の馬鹿! 思い出したわよぅ、こういうイベントあったのよぉ! 実技訓練場で突然異常発生した赤玉ドラゴンに襲われる、ってやつ! あたしの馬鹿ぁああ、アリスちゃんのピンチよおおおっ!』


 これは実技訓練場で異常発生した、せきぎょくドラゴンという魔物らしい。

 私はあまり魔物には詳しくないので、はじめて聞いた名前だし、勿論はじめて見る。

 マリアンヌの言葉に我に返った私は、一歩後ろに下がった。

 ――逃げなければ。

 赤玉ドラゴンの巨大な口から生えた牙が、凶悪に光っている。

 私に巨大な手が振り下ろされようとしている。「アリスベル様!」と叫ぶオスカー様の声が、遠くに聞こえた気がした。

 逃げるよりも先に、私に爪が突き刺さる方が早いだろう。

 駄目だと悟った。

 それならば、何か、別の何か。

 防御魔法が、あった筈。

 私は腕輪に触れる。

 オスカー様があの威力の魔法を使用できたのだから、腕輪には何の問題はない筈。

 意識をなんとか腕輪に集中させる。

 早く、早くと、焦るせいで、上手く詠唱が口にできない。


『アリスっ……!』


 悲鳴のような、マリアンヌの声。

 駄目だと、思った。

 恐怖に、目をきつく閉じる。

 けれど予想していた痛みは訪れなかった。

 恐る恐る目を開くと、私の体は誰かに抱きかかえられて空に浮いていた。

 赤玉ドラゴンの爪を、剣で受け止めているオスカー様の姿が見える。

 だとしたら、私を抱いているのは――


「レオン様……?」


 私を抱いたまま空を飛ぶように跳躍して、赤玉ドラゴンから少し離れた場所に降りたのは、不機嫌そうにも泣き出しそうにも見える複雑な表情を浮かべたレオン様だった。



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