放課後は実技訓練所で 2
暫くの間黙っていたオスカー様だけれど、諦めたように小さく息を吐いた。
私もここまで来たからには引くわけにはいかない。
私は自由に、自分のやりたい事をすると決めたのだから、ここで遠慮してしまってはいけない。
勿論その自由だってある程度の制約があることはわかっている。
でも学園内の訓練場は学園の生徒達なら基本的に許可さえあれば使用できることになっているので、私だけが駄目だとはならない筈だ。多分。
「……分かりました。訓練所にいるのはあまり害にはならない弱い魔物ばかりですが、万が一ということもあります。使用は許可しますが、ただし私と一緒の時に限る、ということなら」
「つまり、一緒に来てくださるということです?」
「はい。魔石の使用については、私もある程度の心得はありますので、多少は役に立つかと思います」
「でも、……オスカー様の時間を、私のために割いていただくのは申し訳ないですわ……」
訓練場を放課後使用する度に、オスカー様の手を煩わせるのは良くない。
オスカー様だって多忙だろうし、私にばかり構っている訳にはいかない筈だ。
「いえ。週末は遠征に出たりはしていますが、普段は鍛錬以外の趣味などは特にないので、空いています。実技訓練場の管理は騎士科で行っているので、事故がないか見張っているのも役割の一つです。とはいえ、騎士訓練所に夕方までいるだけなので、特に問題はありません」
「そうなのですね。それでは、お言葉に甘えてしまっても良いでしょうか?」
「勿論」
申し訳ないとは思ったけれど、折角の申し出を遠慮し続けるのも失礼だろう。「それでは、お願いしますわ」と言うと、オスカー様は深々と礼をしてくれた。
「ストライドの名にかけて、アリスベル様をお守りさせて頂きます」
そこまで大袈裟なことでもないのだけれど。
忠誠を誓ってくれる私だけの騎士のような振る舞いをするオスカー様の姿に、私は何だか照れてしまって、赤くなってしまった顔を隠すために俯いた。
『来たわ! 来た、来ましたわー! 来ましたわよー!』
今し方までとても静かだったマリアンヌの声が、突如頭に響く。
私は悲鳴をあげないようになるだけ我慢した。
オスカー様の前で突然悲鳴をあげるわけにはいかない。
顔を隠すために丁度俯いていて良かった。
顔を上げていたら、明らかに動揺した表情を見られていただろう。
『アリスちゃあああん、やったじゃない! 一緒に魔物討伐よー! オスカー様との甘酸っぱい青春の第一歩よおおっ!』
盛り上がっているところ申し訳ないのだけれど、多分そういうのじゃない気がする。
オスカー様は騎士科の学科長なので、戦い慣れしていない私が実技訓練場で怪我をしないか、見張っている必要があるというだけだ。
生真面目なオスカー様なので、義務はきちんと果たしたいのだろう。
『あんた、ここはオスカー様ってば私に気があるのかしら、きゃは~! とかって喜ぶところじゃないの! もっと年相応にキャピつきなさいよ、ルンルンしなさいよ~!』
初めて聞く言葉だが、意味はわかるような気がした。
わかるけれど、そんなふうに浮かれることはできない。
私はあくまでもまだレオン様の婚約者なので、他の方々との交流を楽しんだとしても度を越した感情を抱くのはいけないと思う。
それに、勝手に盛り上がるのはオスカー様にもご迷惑だろうし。
『真面目なのよぅ。それがアリスちゃんの良いところだけど。よし、あたしがあんたの変わりにキャピついてあげるわ! オスカー様素敵~! まさに理想の騎士~! その太い二の腕でアリスちゃんをギュってして~! アリスベル様、罪深いこととはわかっていますが、レオン殿下にはあなたを渡さない……! って言って欲しいわ、見たい~!』
なんてことを言うの、マリアンヌ。
しかもちゃんと声音を変えている。オスカー様の声真似をしている台詞だけは、普段のマリアンヌからは想像できないぐらいにとても男らしかった。
もしかして、マリアンヌは七色の声音を使い分けることができるのではないかしら。
なんて、凄いのかしら。
『感心するとこ、そこなの~?』
なんでよ~、と文句を言っているマリアンヌから意識を逸らして、私は顔を上げた。
オスカー様は騎士訓練所の奥に足を進める。
鉄製の重たそうな扉には、魔法陣が描かれている。魔石と呼応して開く扉というのは、そう珍しいものではない。
大切なものを保管する場所などは、普通の鍵を使用するよりも魔法による封印の方が確実性が高いからだ。
扉の前の小机の上には、魔石が嵌め込まれた羽ペンが置かれている。
紙には何人かの生徒の名前が書いてあり、もう使用済みという意味なのか、上から線を引いて消してあった。
「必要な時は、この書類に名前を記入してください。実技訓練所の扉が開く仕組みになっています。実技訓練場から魔物が逃げないように特殊な結界が張ってあるので、実技訓練場に入ることができる場所はこの扉だけです。この場所には大抵の場合は私がいますし、私以外の者が待機している時はアリスベル様に許可を与えることのないように伝えておきますので、ご了承ください」
「わかりました。オスカー様のいない時は、実技訓練場には入りませんわ。迷惑はかけたくないですし、約束はきちんと守ります」
「それは良かった」
「オスカー様、折角今日は腕輪を持ってきたので、試しに実技訓練場に行ってみたいのですが……」
「今日、ですか。……構いません。それでは、名前の記入をお願いします」
私はお兄様から頂いた腕輪を左腕につけると、羽ペンを手にした。
名前を書いている間、オスカー様は壁に並んだいくつかの剣から長いものと短いもの二本を腰に帯剣した。
紙に『アリスベル・レミニス』と記入すると、名前の文字が淡く光る。
それは扉の魔法陣と呼応しているようで、魔法陣も薄緑色に輝いて、外側へとひとりでに扉が開かれた。
開かれた扉の先には、広い草原が、その向こうには林がある。
今までは遠目に見るだけだったけれど、かなり広大な敷地だ。迷い込んでしまったら戻って来れなくなるかもしれない。
私には戦闘の心得も、一人歩きの心得もないので、たった一人で探検するのは無謀だろう。
先を歩くオスカー様の背を眺めながら、後をついていく。革靴がさくりと草原の草花を踏みつけた。
私達が中に入ると、扉はぱたんと閉まった。
一度出ると、記名の効果は消えてしまうのでまた扉は封じられるのだという。
近寄ると門を開けてくれると、オスカー様が説明してくれた。
実技訓練場には私達以外の生徒の姿は無い。
私はこのところのレオン様やコゼットとの色々な噂で注目を浴びてしまっていたので、誰もいないことはありがたかった。
少し進むと、目の前にぷるぷるとしたゼリー状の水色の何かが現れる。
目も鼻も口もない、まさしく丸くて大きなゼリーそのものだ。
それはふるふる震えながら、草原をのそりのそりと動いていた。
「水色スライムですね。近づかなければ襲って来ない、無害なものです。取れる素材は、水色スライムの体液、ぐらいですね。多く流通しているので安価ですが、蒸留水の材料になります」
オスカー様が水色スライムについて説明してくれる。
確かに私達が遠くから見ていても、こちらに近づいてくる様子はない。
ふるふるしているだけなので、倒してしまうのは可哀想なように思えた。
『水色スライム水まんじゅうも作れるわよ』
マリアンヌが補足してくれた。
どんな食べ物かさっぱり分からないが、食べ物の材料になるのならコゼットが喜んでくれるかもしれない。
コゼットにとっては当たり前の素材かもしれないので、ルーファスにあげても良いかもしれない。
倒すのは可哀想だけれど、素材を手に入れるためだと思えば無駄な殺生にはならないわよね。
きっとクロノス様も許してくださるはずだ。
『アリスちゃん、水色スライムって一匹だと無害だけど、大量発生するとキング水色スライムになって、小さな街ぐらいだったら飲み込んでとかしちゃうのよ。害がないわけじゃないのよ。だから情けは無用よ!』
そうね、マリアンヌ。
私は訓練に来たのだから、可哀想だなんて生温い事を言っている場合ではない。
「水色スライムには炎魔法が有効ですね。というよりも、炎魔法しか効果がありません。剣で切り裂くと分裂してしまう特性があります」
「流石、お詳しいですね」
魔物についてすらすらと説明してくれるオスカー様に感心して私は言った。
オスカー様は困ったように眉を寄せた。
表情は硬いけれど、怒っているわけではなくて、多分照れているのだろう。そんな気がする。
「魔法の訓練には良い相手ですね。炎魔法を使うには、魔石の力と詠唱が必要になりますが、覚えていますか?」
「えぇ、暗記は得意な方なので……、確か……」
私は左手の腕輪に手を添えた。
意識を腕輪に向けて詠唱を頭の中で思い出すと、腕輪が熱を帯びてくるのを感じる。
魔石を使用した経験も乏しい私にとって、その感覚は新鮮なものだった。
「円環は巡る、神羅万象を司る、激しき炎の乱舞、火の神アグニ!」
教科書通りの詠唱を行う。
魔族が魔法を使う時、そこに詠唱は必要ない。
私達が魔石を使う時は、目的の事象を発生させるために詠唱が必要になる場合が殆どだ。
魔法に精通している方なら詠唱なく魔法が使えるようだが、詠唱を行うのはごく一般的な方法である。
それは魔石の中に秘められている魔力を、思い通りの形で発動するためと言われている。
とはいえ、個人の資質も関係しているようで、同じ魔法でも発動者によって威力が変わってきたりもするらしい。
詠唱とともに、腕輪から魔力が巡るような気がした。
気温が高いわけでもないのに、体が勝手に熱くなる。
私の力強い詠唱は、炎魔法を形作った――筈だった。
それは水色スライムの手前で燻る小さな火種で、ぽん、と軽快な音を立てて弾けると、煙だけを靡かせて消えてしまった。
「あ、あれ……?」
お兄様の腕輪は不良品だったのかしら。
確かに試作品と言っていたから、うまくいかなかったのかもしれない。
困り果てた私はオスカー様を見上げた。
微笑ましそうな視線と目があってしまい、失敗してしまった羞恥心から私は顔に熱が集まるのを感じた。




