ソルト・レミニスは脇役お兄様 2
カチャンと小さな音を立てて、お兄様がソーサーにカップを置いた。
空になったカップを受け取ろうとしたルーファスを、お兄様は軽く手で制する。
「アリスが帰ってくるのを待つ間、三杯は飲んだからもう良いよ。ルーファスの紅茶は美味しいよねぇ、久々にまともなものを口にした気がするよ。自分で淹れると、お湯の味しかしなくてね」
「ソルト様は武器作成と錬成以外は不器用ですからね。素直にメイドを連れてくれば良いものを」
「だって、俺は自由に過ごしたいんだよ。夜更かしして魔石と遊んでいると口煩く怒られるとか嫌だしさ」
「たまにはお食事をつくりに行きましょうか?」
「良い良い、来なくて良い。どうしてもの時は俺がここにくればいいんだし、アリス、良いよね?」
「それは、もちろん構いませんけれど……」
なんだか懐かしくて、私は微笑んだ。
昔はよく、三人で遊んでいた。
どこにでも行ってしまうお兄様をルーファスが追いかけて、私はお兄様に連れまわされていた。
そのころと、お兄様はあまり変わっていないようだ。
変わってしまったのは、私だったのかもしれない。
お兄様やルーファスから距離を置いて、長い間ずっと拒絶していた。
『うんうん。家族ってのは距離が近くて、一度拗れちゃうと難しいのよね。でも、アリスちゃんのオニーサマが良い人で良かったわ。これなら、あんたの味方になってくれそうじゃない?』
そうね、マリアンヌ。
私はこんなに恵まれていたのに、一歩間違えたら自滅していたかもしれない。
何かを選択すると言うのは難しいけれど、今はこうしてお兄様やルーファスと気兼ねなく話すことができているのが、とてもありがたい。
「それで、どうなった? レオンは反省していた?」
「はい。……もう一度やり直したいと言っていました」
「アリスは、どうしたいの?」
「私は……、謝罪を受け入れましたわ。でも、今まで通りではいられないと思います」
「俺としては、いっそこの段階で王家に婚約解消を提案しても良かったんだけど……。それだとあの性悪半獣姫を喜ばせるだけかもしれないしね。アリスがレオンのことが好きだというなら、俺も口を挟まないけど」
「そういうわけではありませんわ」
「そうなの? 良かったね、ルーファス」
「……ソルト様。アリス様は私にとっては、烏滸がましいとは思いますが大切な妹のようなものですよ。ソルト様と同じです」
意味深な視線をお兄様はルーファスに向ける。
彼はやや厳しい口調で、お兄様に釘を刺した。
私も同意見なので、頷く。
幼い頃から共に育ってきたのだから、今更恋愛感情を持ったりはしないわよね。
「そう? まぁ、それでも良いけど、俺は。じゃあアリスは、これからどうするつもりなの?」
「婚約は王家とレミニス家の繋がりを強固にするものですから、私も立場を弁えておりますけれど……。この学園にいる間は、私もお兄様のように自由に生きようと思うのです。レオン様よりも素敵な方と、出会えるかもしれませんし」
「それは良いね! 俺としてはアリスの相手は誰でも良いんだよ、レミニス家に跡取りを一人くれるんなら誰でも。もちろんルーファスでも良いよ。他の誰かでも良いけどさ。俺は結婚したくないし。相手が誰でも、全力でアリスを応援してあげるよ」
『あらま。随分自分勝手なオニーサマねぇ。結婚したくないって気持ちはわかるけど、あんたたちみたいな貴族ってそんなこと許されないでしょ?』
基本的には、許されない。
嫡子を残し家を存続させるのが貴族の義務でもあるからだ。
お兄様は研究の邪魔をされたくないのだろう。
昔から少し変わり者だったけれど、大人になったからといって性格が変わるわけでもないらしい。
――お兄様が羨ましい。
私はお兄様のように、思ったことをそのまま言葉にしたりはできない。
『何でも言えば良いってもんじゃないのよ? あたしはあんたの立場やら他人やらに遠慮しちゃうとこ、気に入ってるわよ。あんまり気を使いすぎるとハゲるわよって思う時もあるけど、それって優しいってことじゃない。悩まなくても良いわよ、あんたが言えないことはあたしがかわりに言ってやるわ! あんたはあたしにならなくて良いし、オニーサマにならなくて良いの』
優しいのは、マリアンヌだと思う。
いつだってマリアンヌは私を勇気付けてくれる。
お兄様は椅子から立ち上がる。
ルーファスがお兄様の黒い大きな皮製の鞄を持ってきて、渡した。
それは学園の指定鞄ではない。ちょっとした旅行に出かけられそうなぐらいの大きさがあるものだ。
お兄様は思い出したように、そこから何かを取り出した。
「アリス、これね。俺が作った魔法の腕輪。あ、その辺で売ってる魔石腕輪とは違うからね。魔石から魔力を抽出して、精製して宝石にしたものがはめ込んであるからね。魔石、あらため、魔晶石って名前にしようかなって思うんだよ。試作品だけど、普通の魔石腕輪よりは魔力切れが起こりにくいし、討伐した魔物が土にかえるときに発生する魔力を吸収できるようにしてあるから、半永久的に使える優れものだよ。理論的にはね。アリスにあげる」
お兄様は小さな赤い宝石が嵌め込まれている繊細な腕輪を私に差し出した。
お兄様は昔からこういった武器というか、道具を作っていたのだけれど、完成していたとは知らなかった。
「ルーファスから、外に出たがっているって聞いたんだ。懐かしいねぇ、昔は俺がアリスを連れ回してたけど、自分から外に出たいってなんて。ついでに俺のために、魔石を集めてきてくれると嬉しいなぁ。今までは自分で魔物討伐に出ていたんだけど、やっぱりそれじゃ効率が悪いし、自分の時間は研究に使いたいんだよね、俺は。だから、アリスが魔石を集めてきてくれると、俺はとても助かる」
「……ソルト様。アリスお嬢様に、魔物と戦えと言っているのですか?」
ルーファスがお兄様をじっと睨んだ。
お兄様は悪びれた様子もなく肩をすくめる。
「アリスが戦わなくても良いよ。ルーファスが……、まぁ、あの様子じゃレオンもついていきそうだし。その腕輪はお守りってとこだね。じゃ、頼んだよ。ただの散歩よりは、目的があった方が有意義でしょう?」
『なんだか、うまく丸め込まれてる気がするわね~。イケメンに丸め込まれるのは悪い気がしないけど、あんたのオニーサマってなんなの、今までの中で一番濃厚じゃない? 性格が』
お兄様は昔から、こういう人だった。
幼い私を騙してスライムの巣穴に指を突っ込ませて、身体中をスライム塗れにされたことを、私は今でも忘れていない。
――あの時のお兄様は「アリス、ここには手のひらぐらいの小さなウサギが棲んでいるんだよ。餌をあげてごらん」と言って、木の実を渡してきたんだった。
ウサギが見たかった私は、野原の奥、林の手前の隆起した地面にできていた穴に素直に手を突っ込んだのである。
じゅるりと出てきた半透明のスライムに襲われた私を、お兄様は大笑いしながら見ていた。
ルーファスが慌ててスライム塗れの私を助けてくれた。
べとべとして嫌だったことを覚えている。
なんてことをするんだと怒るルーファスに、お兄様は「それ、無害な土スライムだから大丈夫だよ。ミミズと同じようなものだよ」と言っていた。
スライムも嫌だけど、ミミズも嫌だ。
無害なのはわかっているけれど、生理的に受け付けない。
ちなみに、その後ルーファスによって退治された土スライムの体から溢れた魔石を嬉々として持ち帰っていたのだから、お兄様は強かだ。
ぐすぐす泣く私をルーファスは抱き上げて家に戻ってくれた。
お兄様は「ちょっと用事があるから」と言って先に帰ってしまった。
あれはきっと魔石の研究をしたかったからだろう。
『あんた、それでよくオニーサマが嫌いにならないわね? ちょっとしたトラウマもんじゃない。大量のミミズに襲われたような感じでしょ。う、腕に鳥肌立ったわよ。なんてこと想像させんのよ』
マリアンヌの世界でもミミズは気持ちの悪いものなのね。
益虫だとわかっているのだけれど、申し訳ないけれど、あの形状は私も苦手だ。
「じゃ、アリス。またね」
言いたいことを言って用事がすんだのだろう、お兄様は私に腕輪を押し付けて部屋から出て行った。
私は腕輪を両手に抱えて、しばらくぼんやりとお兄様が出て行った扉をみつめていた。
何となく、お兄様にはオスカー様のことやグレイ先生のことが知られている気がする。
二人とも、散策に付き合ってくれると言っていた。
そして、お兄様からの腕輪。
怖い。
お兄様の魔石に関する執着は凄いので、あり得なくはない。
「……ソルト様は相変わらずですね。魔晶石、ですか」
ルーファスが私の手から腕輪をそっと抜き取ると、顔の前に掲げて見つめる。
不思議な煌めきを放つ赤い宝石が美しい。
普段付けていても問題なさそうな細身の腕輪は金色で、蔦が絡んだような形をしている。
「確かに、大量の魔力を感じますね。いったい幾つの魔石を溶かしたのか……。精製する前に大量の魔石が必要なら、効率が悪い上に値段も跳ね上がりますから、これは完全に趣味ですね。現状では商品として扱うのは難しそうですね」
「ルーファスは、商売にするつもりなの?」
「ソルト様の研究が商売になるのなら、レミニス家の繁栄に繋がりますよ。ソルト様は貴族の役割なんて下らないと言い捨てるような方ですからね、せめて研究が領地の役に立ってくれたらとは、思っています」
「お兄様と私は、どうしてこんなに違ってしまったのかしら……」
「レミニス領は魔族や半獣族が多いでしょう。半獣族は古い気風ですが、魔族は家に縛られない者が多い。影響はされているのでしょうね。……アリス様も、レオン殿下の婚約者に選ばれなければ、ソルト様に似ていたかもしれませんよ」
「そうなのかしら。……でも、お兄様のいうことも一理あるわ。私の散策がお兄様の役に立つなら、それも良いと思うのよ」
「私としては、王都の城下を散策程度に留めていただきたいですが、お嬢様の望みならどこまでも付き合いますよ」
「ありがとう、ルーファス」
今週末、外に出てみようかと思う。何事も早い方が良い。
魔物討伐と魔石集めについて考えると、私を迎えに来ると言っていたレオン様のことを忘れることができた。
レオン様のことを考えると気が重いけれど、あまり気にしないようにしよう。
今までと何が変わったわけでもない。
ただ、婚約者というだけだ。
それだけの関係なのだから、気に病まなくて良い。




