ソルト・レミニスは脇役お兄様 1
レオン様はまだ何か話したそうにしていたけれど、私はそそくさと挨拶をするとレオン様の横をすり抜けて寮へと戻ろうとした。
「アリスベル。明日の朝は、迎えに来るから」
レオン様は私の背中に向かって、そう言った。
迎えに来て頂かなくても私は一人で登校できるので大丈夫です。
大丈夫ったら、大丈夫です。
『そういうのは口に出さないと伝わらないわよ~! あんたの心の声と会話できるのはあたしだけなんだからね?』
それも、そうよね。
マリアンヌがあまりにも私の気持ちをわかってくれるものだから、甘えてしまっていたみたいだ。
私は扉に滑り込む前に、意を決してレオン様を振り返った。
意を決しすぎて睨みつけてしまったかもしれない。
でも、別に構わない。
だって元から好かれていないのだし、好かれる気もないのだし嫌われても良いのだと、開き直った。
「私、朝はお祈りがありますの。だから、お迎えは要りませんわ」
「じゃあ一緒に行く」
「要らないったら、要りません! レオン様のことは許しましたけれど、でも顔を見たいとは思えませんの!」
シャルルは怒ったときにティグレ様に、顔も見たくないとよく言っている。
それを思い出して、私は頑張った。
一応謝罪は受け入れたし、婚約破棄についても保留にしたものの、レオン様の全てを受け入れたわけじゃない。
嫌なものは嫌、はっきりと言わないと、せっかくマリアンヌに諭されて変わろうとしているのに、今までの私と同じになってしまう。
レオン様が肩を落として、ついでに両耳も垂れさせていたけれど、見なかったことにして、私は寮の扉を閉めて振り返らずに自室へと向かった。
自室に戻ると、予想外の来客が私を待っていた。
――ソルト・レミニス。
先程レオン様との会話の中で名前が出ていた、私の二つ年上のお兄様だ。
私と同じやや癖のある金色の髪と、翡翠色の瞳を持つ冷たい印象の男性である。
実際のお兄様は特に他人に対して冷たいと言うことはなく、使用人たちにも優しく学園での評判も良い方なのだけれど、黙っていると何となく怖い雰囲気がある。
これは悪役縦ロール時代の私が怖がられていたのと同じなのかもしれない。そこは兄妹なので似ているのだろう。
「お兄様、ご機嫌よう」
「あぁ、アリス。邪魔しているよ。お帰り」
リビングでゆったりとルーファスのいれた紅茶を飲んでいるお兄様に、私はお辞儀をする。
ルーファスが、「お帰りなさいませ、お嬢様」と言いながら私の鞄を受け取ってくれる。
私はお兄様の座る椅子の正面へと腰を降ろした。
お兄様がこうして私の部屋を訪れてくださるのははじめてだ。
私がお兄様の部屋を訪れることも一度もなかった。
ルーファスは時折お兄様の様子を見に行っている。お兄様はとても自由に部屋を改造して暮らしているそうだ。
それというのも、お兄様の趣味は武器の改造だからである。
私達が魔法を使うためには、魔石を嵌め込んだ杖や腕輪を使う場合がほとんどだけれど、お兄様は武具に魔石を改造することを試しているらしい。
魔石は石なので、加工には向かないのだけれど、魔石から魔力を抽出する研究をお兄様は昔から行っていた。
ソルトお兄様は顔も家柄も良く、かなり個性的なお兄様だと思うけれど、コゼットとは関わりがないのかしら。
『ないわね~、名前だけは出てきたかしらね。ソルトおにーさまは物語には直接関わらないモブキャラよ。キラキラしたイケメンだけどぉ、攻略対象じゃないわ』
そうなのね。
お兄様は容姿端麗で性格も良いのに。
因みに婚約者もいない。学園を卒業したら、適当に選ぶと言っている。
レミニス侯爵家の跡取りだけれど、かなり自由な方だ。とはいえ、それ以外の部分ではとても優秀なので誰も文句は言わないのだけれど。
ルーファスが私の分の紅茶もいれてくれる。
私は一息つきながら、お兄様の言葉を待った。
「さっき、レオンが謝りに来ただろう? どうなるかと思って、眺めていたんだけど」
「見ていたのですか?」
「あぁ、見ていたよ。会話は聞こえなかったけど、そこの窓からよく見えた。アリスがレオンを平手打ちでもしないかな、と思ってわくわくしてたんだけど、そんなことは無かったね。残念」
「た、叩いたりはしませんわ……。それよりもお兄様、レオン様に私のことについて注意してくださったようで、ありがとうございます」
「注意? あぁ、浮気するならさっさと別れろ、って言ったなぁ。王家がどうしてもって言うから、アリスを婚約者にしたんだよこっちは。あと一年で卒業したら、父や母には隠居してもらって、俺が家を継ぐからね。そうしたら、アリスを自由にしてあげるよ」
「お兄様……。お心遣い感謝いたしますわ」
「アリスが頑張ってるし、レオンも短絡的だけど悪いやつじゃないから、仕方ないかなって思ってたんだよ。あの頭の沸騰した教師にも我慢していた。アリスの努力を無碍にできないなと思ってね。でもどうも状況が変わったみたいだしさ」
お兄様がこんなふうに私のことについて踏み込んで話すのは、いつぶりだろうか。
そんな風に思っていてくれたこと、私は全く知らなかった。
『良いオニーサマじゃない。しかもイケメンよ』
確かにお兄様は素敵だ。
容姿も整っているし、武器を作っているからか体型も適度に引き締まっている。
「レオンがアリスを大事にしないんなら、俺がアリスを領地に連れて帰るよ。安心して。絶対に渡さないから。アリスがレミニス家に戻って、ルーファスと結婚して跡継ぎを産んでくれたら、俺は結婚しなくて済むよなぁって思ってたんだよね、ずっと」
「お、お兄様!」
「……ソルト様、滅多なことを言うものではありませんよ」
何でもないことのようにお兄様が言うので、私は焦った。
ルーファスが、静かな声音でお兄様を咎める。
『良い、良いじゃない~! オニーサマ公認とか最高じゃないの! 絶対ルーファスってば喜んでるわよ、表情に出さないのが健気で良いわ~! あんたを閉じ込めちゃいたいと思ってるぐらいにあんたが好きなんだから、そりゃ嬉しいわよね!』
だから、マリアンヌ。
ルーファスの気持ちを勝手に決めつけてはいけないわ。
『だってぇ……』
人の気持ちなんて変わるものだし、ルーファスはあくまでも私のことを妹のように思っているだけかもしれない。
ルーファスの言うとおり、滅多なことを言ってはいけない。
「良い考えだと思うんだけどね。そもそもアリスの苦労をレオンが知らないのがおかしいんだって。馬鹿なのかな」
『そうなの、馬鹿なの~! オニーサマよくわかってるじゃない!』
マリアンヌが嬉しそうに反応している。レオン様の悪口になると、やたらと生き生きしている気がする。
「……まぁ、お人好しではあるんだろうけど。国王がお人好しって、どうなんだろうね。ティグレがいるから、大丈夫だとは思うけど。アリスに余計な苦労をさせたのだって、王妃の差し金でしょう、あれ。アリスを虐め抜いて音を上げさせるのが目的だったんだと思うし」
「ソルト様、確証はないでしょう」
再びルーファスがお兄様を咎める。
一体どう言うことかしら。
いじめ抜いて、音を上げさせる?
「だって、ルーファス。ルーファスも、気付いていたよね? アリスのことは、ルーファスに任せていたんだから」
「あの女が王妃様の息のかかった人間だとは、知っていましたがそれ以上は。実際そうなのかは、わかりかねます」
「アリスを排斥して、婚約者を変えたかったんでしょう。リンドブルム獣王国のお姫様だもんねぇ王妃様は。半獣族は同族意識が強いから、自分の息子も半獣族と結婚させたいと思ってる筈だよ。だから、あんな奴をアリスの教育係にしたんでしょう」
「あくまでも、想像です。直接王妃様の考えを聞いたわけではなく、お嬢様以外の婚約者の話もあがっていません。リンドブルム獣王国から姫を迎え入れるといった噂もありませんよ」
「流石に諦めたのかな。考えが浅いんだよ」
「お兄様、私は、婚約当初から嫌われていた、と言うことですの?」
二人の口調からして、かなり前から議論されてきた話題だということがわかる。
お兄様は私の受けていた仕打ちを全て知っていたようだ。
知らないのは、隠せていると思っていたのは、私だけらしい。
何だか滑稽で、情けなくて、肩の力が抜けてしまった。
「あくまでも想像だけどね。城に乗り込んで調べたわけでも、間者を忍び込ませてるわけでもないよ。レオンにも聞いてみたけど、あれは何にも知らないみたいだし。あの女自身は、片田舎のレミニス侯爵家の娘が、王妃になるなんて腹が立ったとか何とか言ってるけど。どう考えても王妃の差し金でしょう。いつかアリスが逃げたいと望んだ時に、その事実を叩きつけてやろうかなって思ってたんだけど」
『あんたのオニーサマやるじゃない。なんでモブなのかしら、謎だわ~。レオンよりもよっぽど賢いわよ』
感心したようにマリアンヌが言う。
お兄様の考えが恐ろしくて私は身を震わせた。
それではまるで、王家に反旗を翻すと言っているようなものだ。




