グレイ先生はハイスペック王子様 2
コゼットとは今日の昼休みに親しくなった。
それに、レオン様の誤解も解いてくれたのだという。
レオン様はコゼットが好きなのかもしれないけれど、コゼットの方はまだ気持ちはなさそうだった。
『気持ちがないっていうか、あれは完全にアリスちゃんに惚れこんでたわね~! さすがあたしのアリスちゃん。主人公さえ虜にしちゃう気高さと美しさの持ち主だわ~、その調子で全ての野郎どもと、ついでに女の子も手玉にとっちゃいなさい!』
そんなつもりはないですし。
あれはたまたま私がコゼットが叱責されている場面に遭遇してしまったからで。
そもそもマリアンヌがいなかったら私がコゼットを責めていたのは間違いない。
だから、私はそんな良い人間ではないのです。
全てはマリアンヌのお陰なので、私自身が何かを成したわけじゃない。
『あたしが素晴らしい守護天使ってことは間違いないけど、コゼットを助ける判断したのはあんたよ。あんまり深刻に考えるんじゃないわよ。コゼットはあんたが好きなんだからそれで良いじゃない。あの子肉食だから、大変よ。好きになったら一直線よ。ちょっとこの子凄いわねって程、めげないしぐいぐいくるわよ。頑張んなさい』
なんにせよ好意を持っていただけるのは良い事だ。
コゼットと親しくなれて私は嬉しい。コゼットは私の知らないことを沢山知っていそうだし、辛い境遇にいるのに明るくて健気で良い子だ。
デンゼリン男爵から誰かが解放してくれると良いのだけど。
それは、レオン様だと思っていたのに。
「……アリスベル君。すまない、僕が聞くようなことではなかった。個人的な事に踏み込むのは、ただの担任としてはやり過ぎた行いだったかな」
マリアンヌとの会話に夢中で、返事をするのをすっかり忘れていた。
暫く俯いたままだった私は、慌てて顔を上げる。
グレイ先生は困ったように曖昧に笑って、珈琲の入ったティーカップに口をつけた。
ただカップに口をつけているだけなのに、とても洗練された所作だ。
今までグレイ先生の出自は不明で、それ故の神秘的な雰囲気があった。魔族の王子様と言われたら、確かにそうだと納得できてしまう。
「い、いえ、そんなことはないのです。ただ、こんなことで先生にまで心配をかけるのは、情けないなと思いまして」
本来ならここは学ぶための場所なのに、婚約者の浮気と愛憎劇で静かな学び舎を賑わせてしまうだなんて、恥ずかしく情けない。
シャルルやルーファスはともかく、オスカー様やグレイ先生にまで迷惑をかけてしまうなんて、申し訳ない。
『あんたねぇ、どこまで生真面目なのよぅ。自分で自分の首をしめるようなことはやめなさいよね。素敵なオスカー様やグレイ先生が私を心配してくれてるわ、しあわせ~、とでも思っておけばよいのよ』
それは自分勝手、ではないだろうか。
『自分本位に生きて何が悪いの~! 気を使ってばっかりいるとあっという間に老けるわよ! あんた可愛いんだから世界はあんたを中心に回ってるのよ、それで良いじゃない、あたしが許すわ!』
とても、心強い。
自由に生きるつもりなのに私はいつも悩んでしまって、駄目だなと思う。
反省する私に、グレイ先生は考えるように黙り込んだ後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……僕はあまり今まで、生徒たちに関わって来なかった。教師になって随分長いが、人、というものに興味を持つことが少なくてね。だが、アリスベル君は僕の見てきた生徒の中では、極めて優秀で真面目だ。だから、心配というのは……、なんというか、君の個人の事情というよりは、状況に惑い君の優秀さが損なわれるのを、危惧している、という感情に近い。これは僕の身勝手な思いだ。君が今の状況を、情けなく思う事は無い」
「そ、そんなに褒めて頂けるほど、私は……」
「良き王妃になるべく、努力をしている。僕はアリスベル君を、そう評価している」
「……先生。……ありがとうございます」
――なんて、駄目な子なの。
――今まで私が見てきた中で、一番駄目な生徒ね。
――馬鹿だわ。愚かだわ。物覚えが悪すぎるわ。そんなことで、王妃になれると思っているの?
今まで私が、専属教師に言われてきた言葉が頭をよぎる。
まるで本当に、私は駄目な人間になったような気持ちだった。
楽しい事も嬉しい事も、なにもなくなった。
――私は、王妃として育てられている人形だと思うようにすると、少しだけ心が軽くなった。
駄目だ、泣いてしまいそうだ。
『泣いちゃいなさいよぅ……、うぅ、良いのよ泣いて、泣いて良いのよ……、泣きなさいよアリス。辛かったのね、苦しかったのね、大丈夫よ、ちゃんと見てる人は見てるわ。グレイ先生は、あんたの努力に気づいてるわ。オスカー様も、ルーファスだって、きちんとあんたを見てくれてたじゃない。大丈夫よ、あんたは一人じゃないのよぉっ』
「先生……、私、ごめんなさい、嬉しくて」
じわりと、目尻に涙が滲んだ。
涙が零れ落ちる前に、グレイ先生の腕が私にのびる。
指先が私の目尻を拭った。
グレイ先生は、私の涙で濡れた指先をぺろりと舐めとる。
赤い舌が、薄い唇からちらりと見えた。
『あ、あ、あ、あんけん、案件よおおおおっ!』
顔が真っ赤に染まっているのが分かる。
食い入るようにグレイ先生の仕草を見ていた私は、マリアンヌの声に驚いて目を見開いた。
い、いま、いま、グレイ先生が私に触れた、のではないかしら。
それから、なんて、なんて私は、罪深い事をしてしまったの。
胸の音がうるさい。それ以上にマリアンヌの声がうるさい。
『罪深いのは、あんたじゃないわよ、あんたじゃないわよおおお、そこのグレイ先生よお、アリスちゃんにはまだ早いわ、刺激が強すぎるわっ、駄目よこのままじゃアリスちゃんが、ころころされちゃうわよおおっ! 十六歳の純粋なアリスちゃんになんてことをしてくれてんのよぉおっ』
「……涙を見たのは、何年振りだろう。あぁ、失礼。珍しくて、つい」
『しかも下心なんてないのよ、グレイ先生には! 生粋の魔族だからねっ、ちょっとズレてんのよ、罪深いわぁっ! あたしのアリスちゃんを弄ぶつもりねぇ! その調子、その調子でお願いします!』
ちょっと待って、マリアンヌ。今グレイ先生を応援していなかった?
うるさいやらどきどきするやらで訳が分からない私を後目に、グレイ先生はいつも通りの涼しい顔をしている。
お陰様で涙は引っ込んだ。
これは、早めにグレイ先生に事情を説明してこの場から逃げた方が良さそうだ。
二人きりでいると、私の心臓が持たない。
オスカー様に手を握っていただいたどころのはしたなさじゃない。今すぐ教会に行ってクロノス様に懺悔しなければいけないぐらいの罪深さだ。
レオン様との婚約関係がありながら、グレイ先生と二人きりになってしまった挙句に顔に触れられてしまうなんて。
淑女として、あるまじき行いだ。
『だからぁ、罪深いのはグレイ先生だってば。あんたは魔界の王子に捧げられた生贄の子羊のようなもんよ? あぁ、良い、良いわぁ……っ』
良くはない。
「あ、あの、あの……、先生、私大丈夫、ですので……、コゼットさんとは親しくなりましたし、誤解も、とけました。……レオン様とは、どうなるのか分かりませんけれど……、王妃にはならなかったとしても、学ぶのは楽しいです。学園に通える三年間は、とても貴重なものだと思っていますので、しっかり勉強を続けていきますわ」
「王妃に、ならない?」
「そ、それは、どうなるのか……、分からないのですけど……、でも、グレイ先生の魔法学は興味深いと思っておりますわ。……私たちは魔石を使う事でしか魔法は使えませんけれど、これにも個人差がありますでしょう? だから、私、実技の授業をとても楽しみにしていて」
「……アリスベル君の努力を、レオン王子は無駄にするつもりだと、いう意味だろうか」
私としたことが、余計な事を言ってしまったような気がする。
コゼットとレオン王子が恋愛関係になったとしても私は大丈夫だと伝えたかったのに、グレイ先生の眉間には軽く皺が寄っている。
怒っているのかもしれない。
「そうか……、それなら、……アリスベル君なら或いは……」
「グレイ先生?」
「いや、こちらの話だ」
『こ、これは……、フラグ、フラグが立ったわよ……? どうするのアリス、アリスちゃん、アリスぅ! アルテミス魔王国の王妃になるフラグじゃないのこれ、あんたっ、うぅ、アリスちゃん……、幸せになるのよ……!』
ま、まだ私は何も言われていないわ、マリアンヌ。
ちょっと落ち着いて、落ち着いてほしい。
グレイ先生と私の今の会話の結論が、どうしてそう突飛なものになるのだろう。
私はマリアンヌから聞いて知っているけれど、グレイ先生が魔王国の王子だということも先生からは聞いていない。
だから、魔王国の王妃になるだなんて、ちょっと飛躍しすぎていると思う。
『だからぁ、フラグなのよアリス! どうしましょう、グレイ先生がここで参戦するとなると、オスカー様は分が悪いかもしれないわね……、あたしは誰を応援したら良いのかしら! やだー、皆頑張ってぇ!』
「……レオン王子と、コゼット君との問題は、心配せずとも良いということは理解した。……僕で良ければ、また何かあれば相談に来てくれて構わない。僕の話を熱心に聞いてくれている君が授業に出てくれないと、少し、寂しい」
「は、はい……っ」
駄目、駄目だわ。心臓が。死んでしまう。
マリアンヌの言うハイスペックスパダリ、という言葉の恐ろしさを、私は今心底味わっている。
そう言った言葉は、社交界では一応社交辞令で言われることはある。
けれど、グレイ先生が私に社交辞令を使う必要はないし、言葉に嘘がなさそうなのがとても、心臓に悪い。
「それと……、君の執事のルーファス君は、魔族、だと思うけれど。アリスベル君は、魔法を教えてもらったことは?」
「ありませんわ。私たち人族にとって魔法は、戦う力です。便利な道具として魔石は加工されていますけれど、魔石を嵌めこんだ杖や腕輪で使う魔法は、誰かを攻撃するものがほとんどですから、ルーファスには危ないし必要がないと、言われていましたの」
「なるほど。確かに、魔法薬学はともかく、魔法学を熱心に学ぶのは騎士や宮廷魔導師志願者が多い。僕が教えるのも、魔物を退治するための魔法ばかりだったね、そういえば。アリスベル君は、それでも実技に興味が?」
「はい! 私は、非力ですわ。剣を持つことは難しいでしょうし、魔法なら……、と思いましたの。コゼットさんは、洞窟に潜って地底蛸を討伐しているそうですわ。私も、そういったことを経験してみたいと、思っておりますの」
「アリスベル君に、戦う必要があるとは思えない。僕も、ルーファス君とそこは同意見だな」
「危険な魔物とは戦えないと思いますけれど……、でも、学園の訓練所で一人で戦う、ぐらいのことはできるようになりたいのです。私、王都の外に出てみたいと思っていますの。勿論一人きりで行こうとは思っておりませんわ。でも、足手まといにはなりたくないのです」
「そうか。……外に。……アリスベル君、機会があれば僕も誘ってくれて良い。実戦で教えることができるだろうし、……ルーファス君よりは、過保護にはならない、と思う。それに、魔物を討伐すれば、授業で使う魔石も集まるだろうしね」
『うぅう、尊いわぁ……っ、押しつけがましくなく、スマートでいて熱烈、大人の対応~! グレイ先生ずるい、ずるいわよ~!』
グレイ先生にはそこまで、と言っていなかっただろうかマリアンヌは。
オスカー様と会話していた時と同じぐらい、私の頭の中で盛り上がっている。
マリアンヌは盛り上がっているけれど、グレイ先生は教師として私を気遣ってくれていて、教え子が無謀な事をしないように指導する役割を果たそうとしているだけだと思う。
迷惑をかけてしまって申し訳ないけれど、とても有難い。
「ありがとうございます、先生。……ところで、コゼットさんは地底蛸を食べる、というのですけれど……、グレイ先生のような魔族の方にとっては、一般的な事ですの?」
私はふと思い出して、気になっていたことを聞いてみた。
「……食すことは、ないな」
グレイ先生は、嫌そうに眉間に皺を寄せた後に首を振る。
そう。
食べないのね。




