オスカー・ストライドはマリアンヌちゃんの推しメン 4
終業の鐘が鳴るのが遠くに聞こえた。
オスカー様は立ち上がると、私に手を差し出した。
「ありがとうございます」
私はその手をとって、椅子から立ち上がる。
落ち込んでいたはずなのに、オスカー様のおかげですっかり元気を取り戻していた。
立ち上がったオスカー様の体躯はとても逞しくて、私が隣に並ぶと頭ひとつ分以上大きいようだ。
レオン様も同じぐらいだろうけれど、オスカー様の方が全体的にしっかりとした体つきをしている。抱きついたら、両腕が回らないのではないかしら。
そこまで考えて、私は頬を染めた。
『やだー、抱きついちゃいなさいよぅ!』
マリアンヌが盛り上がっている。
そんなことはできない。突然そんなことをしたら、とんでもない痴女になってしまう。
オスカー様は善意で私を心配してくれて、気遣ってくれているのだから、良識的な距離感を保つのは大切だ。
『ふふん、走り出した青春の前には良識的な距離感なんてものは無意味よ、距離感の方から裸足で逃げてくわよ』
距離感、には足があるらしい。
マリアンヌの世界では距離感さん、という固有名詞を持つ人物がいるのかもしれない。
「アリスベル様、寮まで送りましょうか?」
「大丈夫ですわ。……その、妙な噂を立てられたら、オスカー様にご迷惑をかけてしまいますもの」
「私は特に問題はありません。婚約者も、そのような相手もいませんから」
「でも……、家名に傷がついてしまいますわ。……私は、大丈夫です。とても、気持ちが楽になりましたの。寮には執事も待っていてくれますし、一人で帰れますわ」
『送ってもらいなさいよぅ、送ってもらいなさいよぅ!』とマリアンヌが何度も言ってきたけれど、オスカー様にこれ以上の迷惑をかけるわけにはいかない。
真面目なオスカー様なのに、授業を無断で欠席させてしまうようなことを私がしてしまったのだから。
それにレオン様に二人でいるところを見られたら、何を言われるかわかったものじゃない。
コゼットに嫉妬して罵っていたと思われているのだから、これで私の浮気まで疑われてしまったらと思うと恐ろしい。
私が中傷されるのは良いけれど、オスカー様まで巻き込みたくない。
「そうですか。わかりました」
「……オスカー様は、放課後はどちらにいらっしゃいますの?」
「私は大抵騎士訓練所にいますね。剣術や馬術の訓練をしたり、武器の手入れをしています。街の外に行く時もありますが、遠出する可能性もあるので休日の前や、休日が多いですね」
騎士訓練所は、私たちのいる礼拝堂よりも更に奥、広大な草原が広がっている何もない広場の手前にある。
厩があり、管理人もいる。騎士訓練所から続く草原にはあまり強くない野生の魔物がいる。魔力柵で覆われていて、魔物は柵を越えてこちら側には来ることはできない。
見習い騎士達が戦闘訓練を行う場所だ。
オスカー様ぐらいになると、それではきっと物足りないのだろう。
街の外、森の中や未開の山には、討伐対象に指定されるぐらい恐ろしい魔物がいる。
討伐対象の魔物からは良い素材が取れ、それらは高値で売買されているので、あえて騎士にならずにそういったものを狩って暮らしている冒険者達もいると聞いたことがある。
私は冒険者の方と直接関わったことはないけれど、レミニス侯爵領にも冒険者のギルドと呼ばれる仕事の斡旋所があるらしい。
「もし、……いえ、これは、アリスベル様がお望みであればの話なのですが。レオン殿下が気になるのであれば、私のことは学園街へ散策に行くための護衛とでも。ストライド家は聖クロノス騎士団の団長の家系なので、そうおかしいことではないかと」
オスカー様の気遣いが嬉しくて、口の端が綻んでしまう。
だらしのない表情をしていることに気づき、慌てて表情筋を引き締める。
護衛というのであれば、二人で出かける言い訳としては然程違和感はなさそうだ。
私の街歩きの護衛にオスカー様を連れて出かけるだなんて、贅沢な事だ。
ばちが当たらないといいのだけど。
『ばちなんて当たらないわよ! このマリアンヌちゃんはクロノス様からつかわされた守護天使なのよ? アリスちゃんに天罰が下るなんてことあるわけないじゃない、あたしが許さないわ。そんなものがふってきたらあたしが全部ぶっ飛ばしてやるわよ~!』
ぶっとばす、とはどういう意味かしら。
意味はよくわからないけれど、マリアンヌの言葉はとても頼もしい。
――私は幸せ者ね。
レオン様とはうまくいかないけれど、マリアンヌがいてくれて、シャルルもルーファスも、オスカー様も優しくしてくれる。
これ以上何を望む必要があるの?
落ち込む必要なんて何もない。レオン様と会うのは気が重いけれど、きっと大丈夫だろう。
私には、マリアンヌがついている。
シャルルを死の運命から守ることができるだろうし、空っぽの私をこの三年で満たす何かもきっと見つかる気がする。
そうすれば、レオン様とコゼットが結ばれても傷つかないでいられるはずだ。
「オスカー様、ありがとうございました。それでは、私はこれで」
礼拝堂の入り口で会釈をして、オスカー様と別れた。
オスカー様は胸に片手を当てる騎士の挨拶をしてくれた。優雅というよりは堅苦しい所作だけれど、とても素敵だと感じた。
貴族寮に戻ろうか無断欠席を教師に詫びに行こうか悩んだけれど、謝るのは明日で良いかと判断して私は寮へと戻ることにした。
もしかしたらルーファスに連絡がいってしまっているかもしれないし、心配して探されていないとも限らない。
私は両脇に花壇が並ぶ、美しく整備された寮への道を歩いた。
『オスカー様、うぅっ、素敵だったわぁ……っ』
マリアンヌがぐずぐず泣いている。
大丈夫かしら。なんだかずっと泣いているような気がする。あまり泣きすぎると、目が腫れてしまう。
「マリアンヌちゃんの好きな方は、オスカー様だったのですね」
私は誰もいないことを確認してから、マリアンヌに話しかけた。
実際口に出さなくても会話のようなことはできていたのだけど、やっぱり会話は口に出した方が良い。
『あら、分かっちゃう、分かっちゃう? あたしの溢れるパッションが伝わっちゃったかしら?』
「わかりますわ。とても、嬉しそうでしたもの」
『そうなのよぉ、優しくて誠実で強くて筋肉質なオスカー様が、私の推しメンよ! 最推しよ~!』
「おし、めん?」
『一番応援してるメンズってとこね。メンズってのはオトコのことね。あんたの世界にも、舞台俳優とかいるでしょ?』
「劇場で歌劇など演じている、男優の方のことですの?」
『そうそう。その中で一番好きな男優、みたいなもんよ。好きだけど、実際あたしが付き合いたいわけじゃないのよ? そこんとこ大事だからね、覚えといてね。あんた真面目過ぎて、マリアンヌちゃんの好きな方に恋なんて出来ませんわ~! とか言い出しかねないじゃない』
「それは……、私、オスカー様がマリアンヌちゃんの好きな方だとしたら、会話を交わしてしまったこと申し訳なく思いますわ……」
指摘されてはっとした。
どうして気づかなかったのだろう、オスカー様と会話ができて浮かれていたのかもしれない。
これでは私はコゼットと一緒だ。マリアンヌが傷ついているかもしれないのに、それに気づかずにはしたなく手を繋ぎ、一緒に出かける約束までしてしまうなんて。
――なんて愚かなの、私。
『だからぁあ、違うって言ってんでしょ! あんたのその可愛い耳はなんなの、聞こえてんの? 耳のかわりに貝殻でもついてんじゃないの?』
「一応、貝殻の耳飾りなら持っていますわ」
『冗談よ、あんたの耳が貝殻なんて思っちゃいないわよ。あのねぇ、違うのよアリス。恋愛対象と、推しは違うのよ。流石のあたしでも、乙女ゲーの登場人物に本気で恋はしないわよ。そんな浮かれたことが許される年齢はとっくに越えてんのよ』
「ええと……、マリアンヌちゃんの世界では、私達は書物の登場人物、ですものね」
『そうそう。でも実際こうして話してみると、そんなことは言えなくなってきたわよ。あんただって、悩んだり苦しんだりしてるんだもんねぇ。ま、そんな小難しい話はともかく、オスカー様はあたしの推しなの。わかった?』
「……わかりましたわ。おしというのは、恋愛感情とは少し違うのですね」
『そーよ。だから、思う存分恋愛しちゃいなさいよね。あ、でも、オスカー様はあたしの推しだけど、あんたにも好みってもんがあるでしょ。絶対に付き合えとは言わないわよ? ルーファスだってあんたの側にいるんだし、他の男だってこれから出会わないとも限らないじゃない。あんたなんて恋愛経験乏しいから、優しくされるところっといっちゃいそうだけど、そこはちょっと待ちなさい。複数の男を手のひらでコロコロ転がせるようになってから、誰にするかを考えなさい』
「そ、そうなのですか……? だって、マリアンヌちゃんはオスカー様はとても良い方だって……」
てっきり、オスカー様との交流を深めろと言われるのかと思った私は、ちょっと驚いた。
複数の男性をてのひらで転がすなんて、そんなこと。
『オスカー様が最優良物件ってことは、百も承知よあたしは。でもね、アリスちゃん。あんたは自分の好みのタイプすらよくわかってないのよ、もっとワイルドで悪い男が好き~、とか、もっと可愛くて年下が好き~、とかあるかもしれないじゃない。あたしの言葉に従って相手を決めて欲しくないのよ。わかる?』
「私に気を使ってくださっているのですね。ありがとうございます」
マリアンヌは、私の人生なのだから私が自分で決めるべきだと言ってくれているのね。
マリアンヌの指示に全て従ってしまうのは、誰かに言われた通りに生きてきた今までの私と何も変わらないと。
なんて、優しいのかしら。
流石は私の守護霊。
いえ、守護天使ね。
『あんた、わかってるわね~!』
マリアンヌに褒められたことが嬉しくて、私はにこにこした。
一人きりでいるのににこにこ笑ってしまった私は、周りに誰かいたらどうしようと思って、きょろきょろと周囲を見渡した。
誰もいないことを確認して、安堵の溜息をついた。




