オスカー・ストライドはマリアンヌちゃんの推しメン 1
声は礼拝堂の入り口の方向から聞こえてきた。
私は視線をそちらに向ける。
誰なのかは分からないけれど、今の私は心が沈んでいる上にここまで走ってきたので、酷い顔をしているかもしれない。
服装や髪や、表情が乱れた状態で人前に出てはいけないと、散々教師に言われてきた。
大丈夫だと言ってお引き取り願うべきよね。
『お引き取りですってぇえええ~!? 駄目に決まってるじゃない、駄目よおおおおっ!』
今まで以上に圧の強い声が、私の頭の中をつんざいた。
頭の中が揺さぶられるようにぐらぐらする。私は両耳を手で押さえると、椅子の上で蹲る。
マリアンヌ、うるさい。
いつも以上にうるさいし野太い。
『だってぇ、この声、この声はっ、この、この声……っ!』
この声だけじゃ、一体何なのかこれっぽっちも分からない。
今までのマリアンヌはうるさかったし興奮していた時もあったけれど、その割に冷静できちんと会話が、できたような気がするしできなかったような気もする。
それはともかくとして、今のマリアンヌは今まで以上にかなり興奮状態にあるようだ。
一体どうしたのだろう、少し落ち着いてほしい。
頭の中で騒がれると、現実に集中できなくなってしまう。
「レミニス様、大丈夫ですか」
低く落ち着いた声音が、気遣うように私を呼んだ。
駆け寄る足音と共に、私の両腕を力強い大きな手が包み込むように掴んだ。
しっかりとして硬い手の平の感触は、今まで触れたどの男性よりも男らしさを感じさせるものだ。
私はそっと顔をあげる。
私を覗き込んでいるその方と、目が合った。
『ぎゃああああああ、あああっ、素敵ぃいいいっ!』
再び私の頭の中を野太い悲鳴が支配する。
マリアンヌは一体どうしたのかしら。今朝ルーファスと話していた時の比ではないぐらいの興奮具合だ。
私の目の前には、しっかりとした体つきの男性がいた。
硬そうに逆立った短めの髪は黒に近い赤色で、薄い水色の瞳が青空を連想させる。
私はこの方を知っている。
『アリス、アリス、オスカー様よ、オスカー・ストライド様よおおおっ!』
いや、だから知っているってば。
オスカー・ストライド様。
私よりも二つ年上の、レオン様やソルトお兄様と同学年の男性だ。
誉れ高い聖クロノス騎士団、騎士団長の家系であるストライド家の長男で、卒業したらクロノス騎士団に入ると言われている。
次期騎士団長になるべき家柄の方ではあるけれど、生真面目な性分なのか、家柄だけで団長の座は継げないと渋っているらしい。
家柄だけではなく、剣はもとより大抵の武器を使いこなし、オスカー様が操る馬はどんな駄馬でも駿馬になってしまう、という噂だ。
噂しか知らないのは、個人的な関りが今まで無かったからである。
聖クロノス騎士団が王都の守備を任されている騎士団である以上、立場上挨拶だけは交わしたことがあるけれど、レオン様に阿ることもせず、挨拶以上のことは話したりしない物静かな方という印象だった。
「レミニス様、具合が悪いのですか? 少し我慢、できそうですか? 医務室に運びます」
オスカー様がこんなに長文を話しているのを、はじめて聞いたような気がする。
声は私の体調を気にしてか囁くように静かではあるけれど、具合の悪そうな女を前に左程動揺はしていないようだった。
騎士になる方なので、具合の悪い者の相手は慣れているのかもしれない。
特に体調が悪いわけではないし、医務室に運ばれてルーファスが迎えに来たらちょっと困ったことになる予感がするので、私は大丈夫だと首を振った。
「オスカー様、なんでもありませんわ……、久しぶりに走ったからかしら、疲れてしまっただけですの」
オスカー様と呼んだ時に、一瞬驚いたような表情を浮かべたけれど、オスカー様は何も言わずにそっと私から手を離した。
そして、立ち上がると一歩後ろへと下がる。
「体調が悪いのかと思い、ご無礼を。レミニス様に無暗に触れてしまったこと、お許しください」
『ひぃいいいい、真面目よおおおおっ! 優しくて、真面目だわぁあああ、そして筋肉質よおおおっ!』
優しくて真面目なことと筋肉質なことはあまり関連は無いような気がするけれど、マリアンヌが喜んでいるようなのでそっとしておこう。
先程のレオン様と比べてしまえば、オスカー様の態度は雲泥の差がある。
それはただ単にレオン様が酷すぎるということなのかもしれないけれど、まともなオスカー様がとても素晴らしい方のように感じられてしまう。
オスカー様にとっては日常の所作なのだろう。
そもそも、侯爵家の私の方が騎士団長の家系のオスカー様よりは身分が高い。その上レオン様の婚約者なので、オスカー様の態度はいたって普通だ。
感動するようなものではないのに、なんだかマリアンヌが喜んでいるのを聞いていると私も嬉しくなってしまった。
「心配して頂きありがとうございます。お心遣い、感謝いたしますわ」
『アリスちゃぁあん、お心遣い感謝しなさい~! オスカー様があんたを心配してくれてんのよ、最高じゃないの~! 捨てる馬鹿男あって拾うイケメンありよ~、レオンの馬鹿は頭にくるけど、オスカー様に会えたんだから安いもんじゃないの~!』
「……オスカー様が、好き、なのですね」
なるほど、マリアンヌの興奮具合はそういう事だったのね。
理想的な男性がいるとか話していたような気がするけれど、それはきっとオスカー様の事だったのだろう。
確かにオスカー様は生真面目で、浮いた話も一つもない。
婚約者の女性もいないという話だ。
騎士団長の打診と同様に、自分にはまだ早いと言って婚約者選びも辞退し続けているらしい。
生真面目が服を着て歩いているような方である。
私は怖いと思ったことはないけれど、剣をとり戦う男性というのは女性たちから怖がられる傾向にある。
華やかなレオン様やティグレ様は女生徒たちから憧れの眼差しを向けられているけれど、オスカー様はどちらかと言えば、怖がられている。
「……レミニス様?」
「あ、あの、違いますわ、なんでもありませんの……っ」
つい、好きとかなんとか口走ってしまった。
聞かれてしまったかしら。
これでは私は偶然礼拝堂で出会ったオスカー様に、唐突に愛の告白をする変な女になってしまう。
焦って両手をぶんぶん振った。
今のはマリアンヌの気持ちであって、私の気持ちではないのよ。
オスカー様はそんな私の仕草が面白かったのか、愉快なものを見るように目元を和らげる。
普段眉間に皺が寄りがちなオスカー様だけれど、それだけで随分と優し気な印象になる。
『笑ったわよ、笑ってるわよオスカー様が! いやあああ、素敵すぎて血が出るわよぅうう~!』
大丈夫かしら。素敵すぎて血がでるなんて大変だわ。
マリアンヌが心配だ。私はあまりオスカー様とお話しない方が良いのかもしれない。
『血は出ないわよおお、出そうなだけなのよおおおっ、アリスちゃん、あたしのことはいいから……、がんばってお話しなさい……っ、良い男と話して、さっきの嫌なことを忘れるのよっ、恋の堕天使マリアンヌからの命令よ、なるだけ長く話をするのよ!』
それは個人的な欲望が入っているのではないのかしら。
でもマリアンヌの言葉にも一理ある。
レオン様に責めたてられて最悪な気分で一人きりで午後を過ごすよりは、真面目なオスカー様と話した方がきっと気が紛れるだろう。
マリアンヌがオスカー様を知っているという事は、きっとオスカー様もコゼットのお話の登場人物なのだろうけれど、それは今は忘れた方が良いかもしれない。
「元気そうで、良かった。それに、私の名前を憶えていて頂けて、光栄です」
「オスカー様は有名ですもの。聖クロノス騎士団の団長を務めるストライド様の御子息で、今の若い世代の騎士の中では誰よりもお強いと評判ですから」
「いえ、それは……、買い被り過ぎというものです。私はたまたまストライド家に産まれたというだけですから」
「それを言ったら、私もレミニス家に産まれただけですわ」
オスカー様は寡黙だと思っていたけれど、話をするのが嫌いという訳ではなさそうだ。
でも、マリアンヌはなるだけ長くと言っていたけれど、何を話せば良いのかしら。
話題を探してみたけれど、レオン様の婚約者としてだけ生きてきた私には、吃驚するほど話題がない。
落ち込んでしまいそうだ。
「あ、あの……、ええと」
『ちょっとアリス、しっかりしなさい。なんでオスカー様がここに居るのか聞くのよ、こういう時は!』
「……オスカー様、もう午後の授業が始まる時間ですわ。どうして、こんなところに?」
なるほど、流石はマリアンヌね。
何故それが思い浮かばなかったのかしら、私。
レオン様やティグレ様以外の男性と話した経験が無さ過ぎて、動揺しているみたいだ。
午後の日差しがステンドグラスから注いで、床に美しい模様を描いている。
静寂に包まれた神秘的な礼拝堂で、オスカー様と二人きりだと改めて気づいて、なんだか緊張してきてしまった。
我らが主であるクロノス様が私を見ている。
ふしだらな女だと、思われないかしら。
「……実を言えば、私がここに来たのは偶然などではなく、裏庭で揉めている声が聞こえて、走っていくレミニス様の姿を見たので追いかけさせて頂きました」
オスカー様は少しだけ逡巡したあと、口を開いた。
「……そうなのですね」
「はい。普段の落ち着いていて優雅なレミニス様とはまるで違う様子でしたので、心配になってしまって」
あの状況を遠目に見ていたら、悪いのは私だと思うのではないかしら。
少なくともレオン様はそう思って、コゼットを守ろうとして私に怒りを向けていた。
けれどオスカー様は私を心配してくれたという。
なんて優しくて真面目な方なのかしら。
ちょっと感動して泣きそうになってしまった。




