番外26 マウラの災難2(BC)
翌朝目を覚ましたマウラは身支度を整え朝食を済ませると、オーナーに命じられた仕事を熟すため七色の孔雀亭を後にした。
最初に向かうのはこの町の権力者が住まう領主館で、パルラ辺境伯様への面会希望の手紙を渡して来る事だった。
そこは元ドーマー辺境伯領館とは場所が違い、元娼館があった場所に建っているそうだ。
そう言えば、ドーマー辺境伯館はあの時破壊されていたわね。
とはいえ、気を付けないとここにも獣人が沢山いる可能性があり獣人は弱者を見下すはずだし、もし私の事を覚えていたら、あの悪夢で見た獣人のように冷たい瞳で見下されるかもしれない。
マウラはその光景を想像して、ぶるりと体が震えた。
そして門柱の影からそっと中を覗くと、ちょうど誰かが出て来るところだった。
その人物の頭の上には、やっぱりというか案の定というか獣耳が付いていた。
その獣人が一瞬こちらに視線を向けたので、マウラは慌てて門柱の陰に隠れた。
そして一呼吸おいて再び中を覗くと、その人物がまっすぐ私の方に歩いてくる姿が見えた。
既に見つかってしまった以上逃げる訳にも居なかくなったマウラは、覚悟を決めてこちらに近づいてくる獣人を観察すると、特徴的な橙色と紫色のオッドアイが目に付いた。
あれは確か、この町の領主様と何時も一緒に居た獣人に違いないだろう。
そうよ。逆に考えればこれは好都合じゃない。
あの獣人にオーナーの手紙を渡してしまえば、獣人だらけの館に入らなくて済むはずよ。
そうすれば本日最も重要でかつ、もっとも怖い用事が終わるのだ。
そんな事を考えていると、オッドアイに話しかけられた。
「この館にご用ですか?」
「えっと、あの」
マウラは震える指で数回失敗しながらも、何とかポーチの中から辺境伯宛ての手紙を取り出すことに成功した。
「こ、ここ、これを持ってきました」
オッドアイは震える私の手から手紙を受け取ると、そっと裏面を確かめた。
「これは?」
「えっと、パルラ辺境伯様への面会依頼です」
マウラがそう言うと、オッドアイは手紙の差出人を確認してきた。
「面会希望者は、彩花宝飾店のマファルダ・アイローラさんね」
「は、はい、店のオーナーです。す、少しの間、店を開く事になったのでそのご挨拶をしようと」
マウラがそう言うと、オッドアイは事情を察したようだ。
「ああ、そうなのね。分かったわ。ユニスに言っておくから1時間後にアイローラさんに来るように伝えてもらえるかしら」
マルラは慌てて目を見開いた。
「え、え、1時間後?」
「ええ、それで大丈夫ですよ」
「分かりました」
マウラは慌てて一礼すると、直ぐに七色の孔雀亭にとって帰り、オーナーに準備するように伝えなければならなくなった。
普段のオーナーの準備が1時間で終わるかどうかは知らないが、やってもらわなければ困るのだ。
大汗をかきながら七色の孔雀亭に戻って来たマウラは、直ぐに宿泊している部屋に入った。
「オーナー、パルラ辺境伯との面会が1時間後になりました」
「は、聞き違いかしら? 今1時間後と聞こえたのだけど?」
「いいえ、聞き間違いではありません。辺境伯様の最側近の方に会って手紙を渡したら1時間後に来るようにと言われました」
オーナーは私の言葉が脳にしみ込むまで少し間があったが、脳にその情報が到達すると慌てだした。
「ちょっ、え、た、大変じゃない。1時間で支度なんてどうすればいいのよ。あ、貴女も手伝いなさいよ」
それからは大変だった。
やれチェストから出した服がよれてるとか湯あみだ化粧だとかが始まると、事情を察した宿の人達が手伝ってくれたので、何とか間に合わせる事が出来た。
そして宿の人達は、領主館までの足も用意してくれていた。
今私達の目の前にはゴーレム馬車が止まっていて、人間種の御者がにっこり笑みを浮かべて挨拶してくれた。
「領主館までお送りいたします」
「ありがとうございます」
下賤の者に声をかけるのは私じゃないという態度のオーナーに代わりに、マウラが御者さんにお礼を言った。
宿と領主館との間を走った私も汗だくだったので、オーナーと一緒に浴場に行き着替えを手伝いながら、自分も体を洗いなんとか着替えをすることが出来ていた。
全く、オーナーの着替えの手伝いをしながら自分の着替えもするはめになるなんて、本当によく間に合ったものだわ。
それでもチェストから出した服は多少よれがあったので、出来るだけ目立たないようにするつもりだった。
馬車の中でオーナーは着替えを急かされたのが不満なのか押し黙っているが、私は最大の面倒事がこんなに簡単に終わる事がありがたかった。
それに2人分の着替えをしたマウラはへとへとだったので、オーナーの話相手をしなくて済むのは助かっていた。
オーナーは相変わらず夜会にでも行くような恰好で、耳や首回りそれに指と腰回りのあらゆる部分に店の商品を身に着けていた。
オーナーは、日頃から「自分が歩く広告塔になる事で店が発展するのよ」が口癖だった。
馬車が領主館に到着すると、館の使用人らしき人間の女性が一礼した。
「ようこそいらっしゃいました。ご案内いたしますので、こちらにどうぞ」
私達が女性の後に付いて行くと、案内された部屋は応接室のようだった。
貴族の館では奥の上座が館の主の席で、来客者は扉側に座るのだ。
私達が扉側のソファに座っていると、直ぐに女性使用人がカートを押してやって来た。
そしてポットに入ったお茶をカップに注いで目の前のテーブルに置くと、焼き菓子が入った皿を置いて行った。
給仕の女性が部屋を出て行くと、お行儀よくソファに座ったオーナーがまるでここが自分の家かのように寛ぎだした。
その砕けた姿勢を見たマウラは慌てた。
「え、あ、あの、オーナー、ここはお貴族様の館ですよ。そのようなお姿を見られては心象を悪くされてしまうと思うのですが?」
マウラがそう注意すると、オーナーがきっとキツイ視線を送って来た。
「マウラ、よく聞きなさい。お貴族様というのは、とかく自分が偉いのだという事を相手に見せつけるのが大好きなのよ。だから急に呼びつけて、それから延々と待たせるものなの。辺境伯という高位貴族ともなれば、最低でも3時間は待たされるのが普通ね。今から緊張していたら、体が持たないわよ」
そう言うとオーナーは、ソファに浅く座ると、テーブルの上にある焼き菓子に手を伸ばしていた。
確かにお貴族様が自分の権威をひけらかすために、格下の相手を待たせるというのは良く聞く話だ。
だけどオーナーのその常識は、相手が人間であった場合という前提条件が付くのではないでしょうか?
「オーナー、相手はどこからどう見てもエルフですよ。人間種の常識が通じるとは思えないのですが?」
「大丈夫よ。既に貴族社会のドロドロとした沼に嵌って、すっかり腹黒になっている筈よ。初めて会った時は自分より格上のオルランディ公爵家の夜会だったから大人しくしていただけで、ここなら自分がお山の大将なのだから、きっとさんざん待たせた後で傲岸不遜な態度でやって来るわ」
既にオーナーは、足を組んで焼き菓子をバリバリ食べていた。
オーナーはああいっているが、マウラは不安でたまらなかった。
マウラがもう一度注意をしようとした途端、突然入口が開いて見覚えのある金髪に長耳、赤い瞳が特徴のエルフがオッドアイの獣耳を伴って入って来た。
そのあまりのタイミングの悪さに、マウラは魔法弾で撃たれたかのようにその場で立ち上がったが、すっかり油断していたオーナーは、突然の辺境伯の出現に驚き、何とか立ち上がろうと手足をばたつかせていたが、浅く座っていた事があだとなって中々立ち上がれないでいた。
その姿は、まるでひっくりかえされた亀のようだった。
もう、止めてよ。これ、絶対不興を買ったわよ。
慌ててオーナーの手を掴んで立ち上がらせようとしたが、運悪くオーナーの足がテーブル上のカップに当たり中身をぶちまけると、液体が私とオーナーに降りかかった。
「あっ」
思わずマウラは声を漏らしてしまったが、もう手遅れだった。
高位貴族が目の前に居ると言いうのにこの醜態、もう完全に終わったわ。
「も、申し訳ありません」
マウラが慌てて謝罪したが、辺境伯は顔を背けて掌で顔を隠していた。
そして次の瞬間、そむけた背中に2つの魔法陣が現れた。
不敬罪で処罰されると覚悟を決めたところで、マウラは水の膜の中にいた。
部屋を汚さないように窒息させられるのね。
そう思ったが、マウラは普通に呼吸が出来ていた。
ああ、そうか、全身ずぶぬれで放り出されるのね。
それは、さぞ惨めな姿だろうな。
マウラがそう思ったところで水の膜が消えると、今度は暖かい空気の膜に包まれて下着まで濡れていた服が瞬く間に乾いていった。
え? まさか、汚れを落としてくれたの?
私達が服の汚れを取ってもらっている間、オッドアイはオーナーがひっくり返したカップの回収をしていた。
そして部屋は粗相をする前の状態に戻ったが、場は非常に気まずい空気が広がっていた。
えっと、こんな空気の中で挨拶するの?
マウラは慌ててオーナーの顔を見ると、小刻み震えてとても挨拶出来る雰囲気ではなかった。
すると辺境伯様から救いの手が上がった。
「私達は少しの間席を空けるから、その間に落ち着いてくださいね」
そう言うと辺境伯様はオッドアイを連れて部屋を出て行った。
部屋に残されたマウラは、そこで自分が呼吸をしていない事に気が付いて大きく息を吐いた。
+++++
俺はジゼルを連れて部屋から出て扉を閉めると、声が聞こえない場所まで移動したところで蹲り、それまでこらえていた笑いを爆発させた。
「ぶははは、ああ、おかしい、ああ、駄目、おなかが痛い」
俺が床に倒れ足をばたつかせながら両手で腹を押さえていると、ジゼルから冷たい声が降ってきた。
「ちょっとユニス、笑い過ぎよ」
「そんな事言ったって、あの姿を見たら我慢できないわよ。それにジゼルだって笑っているでしょう」
俺がそう指摘すると、ジゼルも笑いながら答えてきた。
「だって、私は相手に悪意があるかどうか調べるためじっと見つめていたんだから、仕方が無いでしょう」
「ああ、駄目、本当におなかが痛い」
俺がそう言うと、ジゼルも笑いながら背中を摩ってくれた。
少し前、俺が執務室で書類と格闘しているとジゼルが1時間後に休憩よと告げてきた時は、てっきりお茶の時間だと思っていたのだ。
その気を許していた時に、いきなりあれを見せられたら腹筋にも力が入らないというものだ。
それでも何とか耐えて2人に魔法を掛けたのだから、褒められるべきだろう。
だが、その後はもう限界だったのだ。
こみ上げて来る笑いを押さえられない俺は、これは暫く駄目かもしれないと思っていた。
ブックマーク登録ありがとうございます。




