番外24 疑惑のミード6(BC)
ブルーノ・バリゴッツィは、部屋に押し入ってきた雄獣人の姿を見て、背中に冷たい汗が流れた。
ここは奴の隙をついて脱出するしか、生き延びる方法はないだろう。
「お前は誰だ? 外の連中はどうした? お前は何をしに此処に来たんだ?」
ブルーノが矢継ぎ早に質問してみたが、雄獣人は首を横に振った。
「面倒くさい説明は姐さんがしてくれると思うぜ」
するとこの雄獣人を使役している女がいるのか。
「姐さんとは誰だ?」
だが、雄獣人は質問に答えず、扉の向こうに声をかけていた。
「姐さん、此処に居ますぜ」
「ご苦労様」
そう言って入って来た雌亜人の姿を見て、ブルーノは謀が全て露見した事を察した。
「これはパルラ辺境伯様、こんな場末の場所にご来訪頂くとは、身に余る光栄です」
そう言って頭を下げると、頭上に雌亜人の声が降ってきた。
「バリゴッツィさん、全て分かっているのですよ」
ブルーノが顔を上げると、そこにはまるで被告人に判決を下す裁判官がいるようだった。
くそっ、どうすればいい? どうすればこの難局を乗り切れる?
「ほんの出来心だったのです。どうか命ばかりはお助け下さい。賠償ならいくらでも出しますから、何卒、お慈悲をお示し下さい」
「従業員には奴隷労働をさせているのに、自分はこんな贅沢をしているのねぇ」
まさか、密造酒工房を見つけられたのか。
「ふふふ、別に謝罪も賠償も要りませんよ。その代わり、貴方の密造酒工房を参考にして私もとっておきのミードを作ってみたの。是非、試飲してほしいわ」
え、名誉を重んじる貴族がそんな事で許してくれるのか?
やっぱり亜人は馬鹿だな。
これはツイているぞ。
「ええ、喜んで試飲させてもらいましょう」
ブルーノは相手に見えないように馬鹿にするように笑みを浮かべてから、顔を上げた。
そこでは雌亜人の付き人のような黒い男が、テーブルの上に見覚えのある瓶と透明なグラスを置くところだった。
そして黒い男が瓶の中身をグラスに注いでいるのは、乳白色でやや粘性のある液体だった。
それを見たブルーノは、一瞬であの言葉の意味を理解した。
ああ、やっぱり亜人といってもこいつは名誉を重んじる貴族だったか。
「あの、パルラ辺境伯様、毒を飲めとおっしゃるので?」
だが、雌亜人は首を横に振っていた。
「いいえ、そんな事はありませんよ。私がヴァルツホルム大森林地帯で採取した素材で作った特別な酒ですよ。ささ、お約束通り、この瓶の中身を全て飲んでもらいましょうか」
そう言って、とてもさわやかな笑みを浮かべてグラスを差し出してきた。
ブルーノとしては中身を雌亜人の顔面にぶっかけて逃げ出したかったが、既に部屋の中には異様な迫力がある黒い男と黄色い女、それに獣人の男女が俺を逃がさないように構えているので、とても逃げられそうも無かった。
ああ、これが俺の最後か。
ブルーノは震える手で透明なグラスを手に取ると、そっと顔の傍まで持って来たところで、その強烈な異臭にむせ返った。
「うおっ、な、なんだ、これ?」
「早く飲みなさい。私も暇じゃないのよ。それとも、飲ませてあげましょうか?」
「あの、謝罪と賠償でなんとか勘弁してもらえないでしょうか?」
「駄目よ。そんな簡単な罰じゃ、また同じ事をやろうとするでしょう? 二度とこんなふざけた事ができないように、しっかりとその体に刻み込んであげないとね」
そう言った雌亜人の目は笑っていなかった。
周りを見ると、俺が飲まなければ無理やり飲ませてやろうと黒い男が睨んでいるので、もはや逃げ道は無かった。
ブルーノは覚悟を決めて、グラスの液体を飲み込んだ。
そして目を見開いて床を転げ回った。
「うぉ~、喉が焼けるぅ、体が熱い、鼻がツンとして痛い、腹がゴロゴロする、脳天にまで突き抜けるこの激痛はなんだ?」
ブルーノは思わず胃の中の物を吐きだそうとしたが、涙でぼやけた視界からあの黒い男が口を押さえたのが見えた。
「吐き出すんじゃないぞ。そんな事をしたらもう1本増えるからな」
黒い男の腕はまるで万力で押さえつけらえているかのように強力で、とても抵抗なんかできなかった。
観念したブルーノが1本飲み干すまで、このすさまじい拷問は続いた。
これなら一思いに殺された方がましだったんじゃないかと何度思った事か。
終わった頃には生きている事が不思議に思えるほど、体中が熱くなり、手足がしびれて動けなかった。
だが、体中の水分が噴き出してカラカラになった喉からは、助けを呼ぶ声も出せなかった。
ブルーノのぼんやりとした頭の中で、雌亜人の記憶が蘇っていた。
そうだ。
人間社会の中に溶け込んでお貴族様ごっこをしているから忘れがちだが、あれは大昔に人類最大の帝国を滅ぼした恐ろしい魔女なのだ。
今更になってブルーノは、とんでもない相手を利用しようとしていた自分に大馬鹿野郎と叫んでいた。
+++++
今夜開催される夜会に招待されていた俺達は、オルランディ公爵館の応接室で出されたお茶を飲んで待機していた。
そこに主催者である公爵がやって来た。
「ガーネット卿、待たせたな。では、会場に参ろうか」
「はい」
公爵にエスコートされて入ったホールはかなりの大きさで、装飾品にも手を抜いてはいなかった。
「どうじゃ、なかなかの物だろう?」
「ええ、素敵なホールですね」
俺の反応に満足した公爵は笑みを浮かべたまま、会場に集まった招待客に声をあげた。
会場に集まった招待者数は分家筋は当然のこと、付き合いのある貴族家が勢ぞろいしていて、その他にも普段から取引のある商人達まで呼ばれているようだった。
公爵はこちらに一瞬視線を向けると、ウインクしてきた。
「皆、招待に応じてくれて感謝している。今日は社交の場には滅多に顔を出さないパルラ辺境伯が参加している事だし、ささやかな催しとしてパルラ産エルフミードの試飲会をしてみたいと思う」
公爵がそう宣言すると、エルフミードを飲んだことのある高位貴族は皆嬉しそうな顔をしたが、そんな者達を蔑むようなまなざしを向ける者も少数いた。
あんな不味い物をどうしてそんなにありがたがるのかと思っているのが、その表情に現れていた。
会場では、公爵の給仕係達が銀色の盆を持って、招待客にエルフミードを配っていた。
公爵は偽物騒動で低下したパルラ産エルフミードの名誉回復に協力してくれるようだ。
まさかこちらの問題解決に汗を流してくれるとは思わなかったが、その行為には感謝しかなかった。
「どうぞ」
そう言って公爵の給仕係が差し出してきた銀色の盆から、俺は1つのグラスを手に取った。
「ありがとう」
そして公爵の合図で、皆が手に持ったショットグラスから金色の液体を口に含んだ。
うん、これぞ何時もの味だ。
会場を見回すと、味を知っている高級貴族は当然の、そして偽物を飲んだらしい貴族達は驚きの表情を浮かべていた。
本物の味を知っている貴族達は、俺に元にやって来ては口々に賞賛を口にしたが、悪口を言っていた連中は、青い顔になってまるで隠れるように会場の隅に移動していった。
そんな姿を見て悪い笑みを浮かべていると、今回の仕掛け人であるオルランディ公爵がやって来た。
「ガーネット卿、どうだ、面白い余興だっただろう?」
「ええ、そうですね。招待して頂いてとても感謝しております。でも、まさかオルランディ卿に此処までしていただけるとは思いませんでした」
俺が本音を口にすると、公爵は笑顔を向けてきた。
「ほっほっ、儂も好きな酒をあしざまにされるのは、腹が立つからのう。気にせんで良いぞ。おお、そうじゃ、儂もそろそろ引退しようかと考えておっての。引退後は娯楽の多い町で楽しみたいと思っておるのだ」
これは絶対前から考えていたな。
だが、この状況で断る事は出来なかった。
「分かりました。喜んで歓迎させて頂きますわ」
「おお、流石はガーネット卿、そう言ってもらえると確信しておりましたぞ」
満足そうな顔で離れていく公爵の後ろ姿を見ていると、それと入れ替わるようにこれでもかと全身に宝飾品を身に着けた女性が俺の前にやってきた。
「パルラ辺境伯様とお見受けします」
「ええ、そうですわ」
「お初にお目にかかります。私は彩花宝飾店を経営しているマファルダ・アイローと申します」
女性の自己紹介を聞いて直ぐに理解した。
自分の体を自社製品の歩く広告塔にしているとは、流石出来る商売人は違うなぁ。
「実は、パルラにある店舗の件について、後ほどご相談にお伺いさせていただきたいのです」
確か今は閉まったままになっているから、店舗資産や権利関係の整理に来たいのだろう。
「ええ、分かりました。お待ちしておりますね」
「はい、ありがとうございます」
+++++
公都エリアルのネスタ伯爵家の館で政務を行っていた伯爵は、扉をノックする音に気が付いた。
「入れ」
「失礼いたします」
執務室に入って来たのは彼の執事で手には見覚えがある箱を抱えていた。
「タラマンカ、それは何だ?」
「実は、パルラ辺境伯様のご使者の方が来訪されまして、辺境伯様から魔法学校で頂いたミード酒のお返しとしてパルラ産エルフミードを贈られました。使者殿は辺境伯様からのご伝言として、ご子息様とご一緒にお楽しみくださいとの事でした」
そう言って執事は、テーブルの上にエルフミードが入った化粧箱と見慣れない札のような物を置いた。
「それは何だ?」
「はい、何でも化粧箱には封印の魔法がかけられているので、封印解除のため、この使い捨ての解除キーなるものが必要とのことでした」
そう説明された伯爵は違和感を覚えた。
以前手に入れたエルフミードには、封印魔法なんかかけられていなかったからだ。
「分かった。辺境伯からのせっかくの好意だ。息子と一緒に楽しもうではないか。タラマンカ、エリアル魔法学校に連絡してトナートに館に来るように伝えるのだ」
「はい、畏まりました」
そしてトナートがエリアル魔法学校から戻って来た夜、親子はエルフミードの箱を空けることにした。
「父上、これが辺境伯が送って来たというエルフミードなのですか?」
「ああ、そうだ。何でも、化粧箱に封印の魔法がかけられているらしい。タラマンカよ、その解除キーとやらで化粧箱の封印を解くのだ」
「畏まりました」」
執事が解除キーを化粧箱に押し当てると、バチンという音と共に封印が解除された。
それを見たトナートが興味深そうに眼を輝かせた。
「なんだか儀式ばっていますね。もったいぶっていると言うか、権威付けのためそこまでするのかという感じがしますが、中身があれではかえって失笑の的になるのではないでしょうか?」
「貴族という生き物は、権威付けを最も大事にするからな。そう言ってやるな。ふははは」
そして給仕達が栓を開け、グラスに注いだ酒をテーブルに置くと、伯爵はニヤリと笑みを浮かべた。
「せっかく贈って来たのだ。一口くらいは飲んでやろうではないか」
「はい、そうしましょう」
伯爵はまるで馬鹿にするようにそう言うと、グラスを手に持った。
そして違和感を覚えた。
グラスの中の液体がとても澄んだ金色をしていたのだ。
あれ、なんか前に飲んだ物と違うな。
そしてグラスの中の液体を口に含んだ途端、言葉を失った。
それは家族全員も同じだった。
伯爵はグラスの入った液体を飲み干して空のグラスをテーブルの上に置くと、眉間の皺を手で揉み解した。
「父上」
「分かっているから何も言うな」
伯爵は、先ほどまでの自分を呪っていた。
そして他の貴族達に得意げな顔でパルラ産エルフミードは不味いと言いふらしていた自分を殴りたい気分になっていた。
まさか、偽物を飲んでそれを本物と誤解して馬鹿にしていたなんて、笑われていたのは我々ではないか。
そして辺境伯がエルフミードを贈って来た時の伝言を思い出した。
それは、いい加減な事を言いふらすなという警告だった事に気が付いた。
声を荒げる事もせず本物を贈る事で真実を示し静かに誤解を解く手法は、実に洗練されていた。
俺は辺境伯を亜人と侮っていたのか?
今更ながら自分の無知をさらし得意満面な顔でネスタ産ミードを手渡した事に、恥ずかしさのあまり顔が熱くなるのを感じていた。
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