13
浮遊感が収まり、扉が開く。
足を踏み出そうとしたが、そこは真っ暗闇で鼻の先も見えない。
しばらく動けずに立ち止まっていると、突然、パパーン! と大きな音が響いた。
その後、光が溢れて、一瞬目が眩む。
「「「ヨウコソ! ケンじゃのお弟子さま!」」」
目が光に慣れてきた。
そこにいたのは、三体の魔物たちだった。
グリーンエイプ。白狼。ミニマムドラゴン。
キラは、そこから一歩も動けなくなった。
「まっ、魔物が……喋っている!」
――これは本当に魔物だろうか。
見た目は、魔物も獣もほとんど変わらない。
ただ、魔物に変化した場合は、体が大きくなり攻撃性が増すと言われる。
では、この目の前にいるのは獣か?
体は、森林エイプよりもやや大きい。エイプの種類は、住む場所によって体毛の色が違う。グリーンエイプは森林エイプの魔物化したものだ。
白い体毛の狼は、一般に魔物化すると単独で行動するようになるという。
群れから離れて、孤高の存在になる。
そしてとても危険な魔物だ。知恵が回り、足音を忍ばせて獲物に近づき、素早く食らいつくと聞く。
真っ赤なドラゴンはおそらくアカハラトカゲの魔物化だろうが、キラは初めて見た。
体長が一メートルほどのミニマムドラゴンは背中にコウモリの様な翼を持つ。飛竜ほどの持久力や飛翔力はないが、素早い動きが厄介な魔物だそうだ。
鋭い牙で噛まれたり、爪で引っかかれたりすれば命取りになる。
これらは、賢者が以前話してくれた、実験体とされた魔物だろうか?
キラが目を丸くしていると、賢者は腹を抱えて笑い出した。
「ははは、愉快じゃ。キラの度肝を抜いたぞ。ボンゴ、グレース、ルビー。ようやった!」
***
テーブルに数々の料理が並んでいた。
「料理担当のボンゴが作ったんじゃ。ボンゴは器用でな。この塔の家政婦のようなものじゃ」
グリーンエイプのボンゴは雄。白狼のグレースとミニマムドラゴンのルビーは、どちらも雌だ。二匹は一緒に森の中へ入り、食糧を調達してくるという。
魔物は、何でも食べられるが、人間は違う。
濃すぎる魔素は、人間にとって毒になる。そうしたものを食べると腹を壊したり、目眩に襲われて動けなくなってしまう。
森の中で動けなくなれば、死が待っている。
魔物に襲われなくても、森には肉食獣もたくさんいるのだから。
六歳の頃父親と狩りに出かけたキラは、美味しそうな匂いに誘われて木に登った。二十メートルほど登ると、真っ赤に色付いた実が鈴なりに生っていた。
嬉しくなったキラは、何個ももぎ取って食べた。囓るとじゅわっと果汁が溢れ、甘酸っぱい、しゃくしゃくした歯触りですごくうまかった。
父親にも食べさせようと袋に詰め込んで木を下りると、父親にこっぴどく叱られた。
「馬鹿野郎! これは、毒リンゴだぞ。食っちゃならねえ。分かったか」
そう言われたが、キラは腹を壊さなかったし、なんともなかった。
そのとき、父親が複雑な顔でキラの額を見ていたことを思い出した。
「レッドは魔素を見極めて狩りをする。わしやモーゼスが食べられる獣や魔物をちゃんと知っているんじゃ。賢いじゃろう」
モーゼスというのは、あの片腕の中年男性のことだ。
彼が飛竜の世話を終えて、ようやく塔に入ってきた。
「確かにレッドは賢いな。俺もたまに一緒に森に行くが、いつも助けられている」
魔物たちの話す言葉は、片言だったが、それでも、意思の疎通は図られている。魔物の生態や、生息域も知ることが出来ると賢者カマドーラは話して聞かせた。
「わしは、魔の森の正体を研究しておる。ボンゴたちの助けがあるお陰で、この頃は少し分かってきたんじゃ」
魔の森は、この「大いなる島」の九割を占める広大な区域だ。その詳しい事は未だなぞだった。
今まで読んできた本にも、詳しい事が書いてある物は見つからなかったし、教師たちに聞いてもよく分からないという答えが返ってきたのだ。
その実態を解明することが、賢者のライフワークなのだという。
質問は明日に回せと言われているキラは、喉から出そうになる言葉を飲み込んで、ひたすら賢者の話の聞き役に徹した。
頭の中には、魔の森はなぜ魔素が濃いのかとか、どんな魔物がいるのかとか、濃い魔素の中で獣はどのような生態を持つのかなど、様々な疑問が湧いていた。
塩っ気の足りないスープと、癖のある惣菜。塩を振って焼いただけの肉料理。
パンだけは市販の物だろう。
ドルトンの義母が作る手の込んだ料理とは違い、簡単なものだったが、賢者は「うまいうまい」と言って平らげていた。
キラも、昔父親と食べた素朴な食事を思い出しながら食べた。
食後、キラのためにしつらえられた部屋に案内された。
この部屋には風呂もご不浄も備わっていると聞き、キラは驚いた。
水もお湯も、高価な魔具から出てくる。排水も、やはり魔具が処理すると聞かされた。
これらの設備は、各部屋に備わっているそうだ。
魔具自体も高価だが、それを維持するのには魔石もいるのだ。平民では手が出ない代物だった。
「貴族の屋敷や豪商の家にしかないような高価な魔具ですね。さすが賢者の塔です」
キラが、感心してそう言うと、賢者は満更でもないような顔で微笑み、それから厳しい顔を作って言った。
「……食事は……まあ、我慢してくれ。その内ボンゴもうまく作れるようになる。明日からは修行だ。ゆっくり休んでおくのじゃぞ」
そうか。ボンゴは魔物のわりにはよく仕えてくれる。
賢者があの食事を旨いと言ったのはボンゴに自信を付けさせるためだったのだろう。
――賢者様は、意外と優しいのかもしれないな。
キラは、賢者に学び、魔石と人との関係を解明しようと決心した。
魔の森の実態が分からなければ、魔石についても知られていないだろう。大きな図書館をいくら調べても詳しい事は分からないのかもしれない。
賢者の弟子になったことには、大きな意味があったのだと、この時しみじみ感じた。
だが、明日はキラの魔石のことを賢者に打ち明けねばならない。
カマドーラ賢者は、どういう反応をするか。
キラを追い出すだろうか。
いや、魔物でさえ、可愛がっているのだ。きっとキラのことも受け入れてくれるはずだ。
そんなことを考えると、落ち着かなくなってくる。
不安を抱えながら、風呂に入り寝台に横になったが、その夜はなかなか寝付けない。
悶々としているうち空が白みかけた頃、ようやくキラは眠ることが出来た。
次の日は、まずは知識を入れると言われ、書庫に連れて行かれた。
「ここにある書物をすべて読んで理解する。それがキラの当面の課題だ。好きなときに好きなだけ読んで良いぞ」
キラは、部屋一杯に積み上がった膨大な本や丸まった羊皮紙の束を見回した。
「まあ、半年はかかるかもな。これを理解して初めてわしの講義が理解できるようになるはずじゃ」
「……賢者様。お話があります」
「ん? もう怖じ気づいたか」
「いえ、実は僕。賢者様に隠していたことがあります」
賢者カマドーラは、キラの目をじっくりと見てから、傍の椅子を引き寄せて座るように言った。
「なんじゃ? 話してみよ」
ゴクリとつばを飲み込み、キラは生まれてから今までのことをゆっくりと話し始めた。
「僕は、オルンス国の辺境にある、魔の森に近い村で生まれました」
魔石を持って生まれたこと。母親が死んで父と二人で身を隠すように生きてきたこと。村では「魔物」と言われて気味悪がられていたこと。
そして父親が死に、国を抜け出してこのオルドラン国に逃げ込んだことなどだった。
「他人には知られないようにとセレスティンに言われて、今まで隠してきました。ごめんなさい」
「キラの魔石は生まれ持ったものであったのだな。これは……」
賢者は顔を赤くして体を震わせて、拳を握った。
キラは、首をすくめて殴られる覚悟を決めた。
――やはり、僕は魔物だと思われた……。
「これは……初代賢者、ゼロと同じだ! 何と言うことだ。キラには、生まれつき賢者の素質が備わっていたのだ!」
「えっ!?」
賢者は興奮して書物を漁り始めた。膨大な巻物を次々と広げ、目当てのものをようやく探し当てたようだった。
「こ、これを読んでみよ。これはわしのお師匠様が書き残した書じゃ。かつて、オルンス国が栄えていた折、初代賢者がおった。その名がゼロじゃ」
ブルブルと震える手から羊皮紙を受け取り、キラは読み進めようとしたが、難解な古代文字で記されたそれは、まったく理解できなかった。
とは言ってもその文字自体は、キラの脳裏にはしっかりと刻まれたのだが。
「初代賢者は、カマドーラ賢者のお師匠様でしょう?」
「このオルドランで初代賢者と呼ばれているのは、わしの師匠じゃ。だが、オルンス国では何代も賢者が続いておった。ある事件があって、オルンス国は、賢者を排除し始め、わしの師匠らは国を逃げ出したのじゃ。ここにある古い文献はすべてわしの師匠が残したものじゃ。この中には、オルンス国の成り立ちから黒い時代のことまでも記されておる。キラはまずはこれを読んで学ぶのじゃ」
「あの、賢者様、僕、古代文字は読めません」
「な……」




