第1話:「現代最強の魔法使」 #1「異変」
(あの日のことは、正直、今もよう覚えてる。何気なく過ぎてるはずやった日々の空が、まるでそこにそういう図形でも貼り付けたみたいに、いきなりバリバリとひび割れて、そっから見たことないけったいな、ほんで、家なんか簡単に踏み潰せてまうくらいごっついバケモンが出てきた)
ー西暦2050年、大阪府某所ー
「おい、なんやあれ!?」
「え? 何あの空、気色悪・・・・・・」
喧騒の鳴り止まぬ大阪の街の空に突然発生したひび割れを見た通行人たちが、そんな風な言葉を次々に口にする。異様な空を目撃した通行人の中には、気味悪がって後ずさる者や、物珍しさからヘラヘラと笑ってスマホで写真を撮る者、その不気味さから逃げるようにその場を立ち去る者などがいた。そんな通行人たちの中に、一人の少年と、彼と手を繋いで共に空を仰ぎ見ている母親がいた。
「お母さん見て、お空割れてキラキラしてる〜」
まだ未就学児であろう見た目の少年が、ひび割れた空を指さして母親の注意を引く。母親はDVDの裏面に見える構造色のような色が、入れ替わり立ち替わり浮かび上がる空のひび割れを見て、一瞬硬直するも、直ぐに少年を抱き抱える。そして、そのひび割れに背を向けると、まるで一センチでも遠くへ離れようとするように、一目散に走り出した。
母親としての子を守ろうとする本能なのか、はたまた人間としての生存本能なのか、彼女は経験したのことのない事態に内心はパニックになりかけながらも、ただひたすらに我が子を落とさぬようにぎゅっと抱きしめ、まばらな人だかりの隙間を縫うようにして疾走する。
「お母さんどうしたん? 何で走ってるん?」
「何ででもや! 落ちひんようにしっかり掴まっときぃ!」
(あの空の近くにおったら絶対にあかん。とにかく遠くへ逃げな!!)
我が子からの質問に答えになっていない答えを返す内心で、母親は自身の本能で感じ取った恐怖に駆られる。
少年は母親の首の後ろで手を組むようにして掴まると、母親の肩と頭の隙間からじっと空中の裂け目を覗いていた。すると間もなく、裂け目からグリフォンのような見た目の巨大な獣が姿を現した。この世に住む誰もが知らぬその獣は、自身の足元にいる見物人たちを片足で数人をまとめて踏み潰し、先が血で染まった四本の足でしっかりと地を踏みしめる。その他の面々は、そこでようやく阿鼻叫喚の嵐を鳴らして逃げ惑い始めた。
「お母さん! おっきいライオン! おっきいライオンがいっぱい踏んでしもた!」
まだ自身の置かれている状況を上手く理解できない五歳ほどの少年は、目の前で起きたことを母親に報告するように話す。その様子はどこか未知のものへの好奇心で興奮しているようでありながらも、子供ながらに大事が起きていることを理解し、恐怖しているようでもあった。
「大丈夫! お母さんがとものこと守るから!」
母親はより一層少年を強く抱きしめる。しかし、その瞬間、身体を貫通するような強い推進力に背中を押された母親は、その身体を浮き上げさせられ、前方へと吹き飛んだ。
暫くして少年が目を覚ますと、それまでは忙しなく建ち並んでいたのっぽなビルたちは、ことごとくなぎ倒されていた。喧騒の止まない賑やかな大阪の街並みは、悲鳴や爆裂音が絶えず響くばかりの地獄絵図と化していた。そんな元は剛健な建物だったであろう瓦礫の隙間に、少年は自分の母親を見つけた。
「お母さん!」
そう叫んで母親の方へと駆け寄る。それに気づいた母親は、少年に対して叫び返す。
「来たらあかん!! お母さんは大丈夫やから、先逃げぇ!!」
「いやや! お母さんと一緒がいい!」
自分から突き放す言葉を投げ掛けられた少年は、それに反抗して母親の方へ近づこうとする。それに対し母親は、何とか逃げさせようと語気を強める。
「わがまま言う子はうちの子やないよ!!」
それまで言ったことのない言葉だった。それだけに、少年にはその言葉がひどく強く、突き刺さるように感じられた。そして、そんな言葉を掛けられた少年が泣き出すのは言うまでもない。少年が泣いて喚いて駄々をこねる間、母親もまた涙を流してどうにか我が子を生き残らせようと言葉を掛け続け、この場を動くように祈りを捧げる。だが、その願い虚しく、少年のすぐ後ろに暴威を振るった張本人であろうグリフォンのような巨獣が降り立つ。母親の顔からサァっと血の気が失せる。
「とも!! お願いやから逃げて!! 早く!! とも!!」
悲痛な面持ちで我が子の愛称を呼びながら必死に叫ぶ。しかし、少年の背後に立った巨獣は、自らの右前足を振りかぶる。
「嫌・・・・・・やめて、お願い・・・・・・」
母親の顔は、もはや青いや白いでは表現しきれなかった。そして、巨獣は振り上げた足を勢いよく少年を目掛けて振り払った。刀のように長く鋭利な爪に直撃し、少年の身体は血飛沫を上げて数メートル先まで吹っ飛ぶ。その一部始終が、母親にはスローモーションに見えた。数秒の動揺の末に現実を理解し、彼女は言葉にならない悲鳴を上げた。
「嫌!!! とも!! とも!!!」
名を呼びながら瓦礫の下で、何としてでも抜け出そうと母親は懸命にもがいていると、突然、おびただしい弾幕が巨獣を襲った。母親が瓦礫の隙間から何とか覗き込むと、どうやら攻撃を仕掛けているのは航空自衛隊の戦闘機のようだった。しかし、巨獣は自身の身体の周りにバリアのようなものを展開しており、空自の懸命の攻撃を容易く無効化してしまっていた。
「クソっ! この化け物め!」
戦闘機内にいるパイロットは、そう言って目の前の怪物を睨みつける。それでも、彼は負けじと自身よりも遥かに巨大な猛獣を撃ち続ける。そうしていると、徐々にバリアらしき障壁にひびが入り始め、やがて音を立てて砕け散った。
無間の弾幕が今度こそ巨獣を撃ち抜く。巨獣は大量の血液を周囲へ飛び散らせながら苦痛の咆哮を上げる。たまらなくなった巨獣は、翼を大きく広げると、内側へと畳み込んで、外側へはためかせる——。
次の瞬間、鋼の鳥は腹を削ぎ落とされた。
命の危機を即座に感じ取ったパイロットは、辛うじて緊急脱出を行ったが、コントロールを失った機体は旋回し、やがて少し離れた場所にて墜落し、爆発した。その余波により、母親を閉じ込めるようにしていた瓦礫が飛ばされ、母親も脱出に成功した。
「ともっ! とも!!」
運良く戦闘機の爆発の影響を殆ど受けず、軽傷で済んでいた彼女は、ハッとした様子で周囲を見渡して、我が子が倒れている場所を探す。そして、見つけるなり一直線に駆け出した。倒れ伏している我が子を抱き上げると、彼女はギョッとした。我が子は血塗れでこそあるものの、外傷が全くなかったからである。母親が固まっていると、銃創だらけの巨獣が、彼女たちをギロリと睨む。消耗し項垂れ気味になりながらも、目の前の母子をしっかりと視界に収め、そして大きく口を開く。
母親は我が子を強く抱き寄せ、ぎゅっと目を瞑って怯えながらも死を覚悟する。だが、一向に食われる気配はなく、恐る恐る目を開いてみると、自分の目の前には大きく長い岩の塊がそびえ立っており、巨獣はそれに弾き返されたのか、頭を仰がせ、両前足も浮かせており、そのままバランスを保てずに転倒した。
「お母さんを、傷つけないで・・・・・・」
「と、も・・・・・・?」
目を覚ました少年は、母親の腕に抱かれたままの状態で真っ直ぐに巨獣を見据え、同じく真っ直ぐに巨獣の方へと腕を伸ばしている。その上、巨獣を見つめる少年の瞳と全身は、薄く金色に輝いて見えた。




